帰ってきた!平木博士の異常な愛情

または私は如何にして心配するのを止めて二次元美少女を愛するようになったか。

2016年秋に活動再開。同人サークル「けろぷろ!(旧名ケロちゃんプロジェクト)」からの告知用ブログです。

サークル「けろぷろ!」同人イベント参加のお知らせ(2月10日更新)

2018年上半期参加予定イベントと、作品紹介のページです。

例大祭2018
続きを読む

オリーブの風に吹かれて~2日目

 小豆島の宿で目覚めると雨が降っていた。南海上の超大型台風が徐々に接近していて、明日の夜に関西地方を直撃すると宿のテレビが伝えている。もっとも島の観光は昨日一日で全て済ませてしまったので、今日は路線バスで島の北側を回って福田港へ行き、そのままフェリーで本州へ戻るだけだ。宿のおばあちゃんから缶コーヒーとパンを貰い、六畳一間の一室で旅先での朝御飯を頂く。窓の外の雨はどんどん強くなってくる。
 
 午前8時、宿を出た。宿のすぐ前が土庄の港で、ここから小豆島各地へ向かうオリーブバスが発着する。雨が降ってなければ土庄の市街まで歩くのだがこの天気だし、2日間のフリーパスがあるのでバスを待つ。港に本州から朝一番の船が到着し、大きなトランクを持った中国人観光客がゾロゾロと降りてきた。何もこんな日に島に来なくてもいいのに。彼らと一緒に乗り込んだオリーブバスで、まずは土庄の中心街へ。
 
 DSC_0301
  土庄の中心街。右側の建物が町役場。

 DSC_0303
  東洋紡績渕崎工場跡。このバス停は土庄のジャンクション的役割も果たし、北回りバスはここで乗り換えとなる。
 
 土庄の街は高潮や海賊から街を護るため入り組んだつくりになっていて、迷路のまちと呼ばれている。昨日エンジェルロードからの帰り道は日が暮れてしまい一時迷子になってしまった。再び土渕海峡を横断し、対岸の渕崎に渡る。かつてこの一帯には昭和8年操業の東洋紡績渕崎工場があり、長らく小豆島の経済を支えていたが平成15年に70年の歴史に幕を下ろした。跡地にはショッピングセンターやファミリーレストランが進出しているが、まだ開発されていない空間も目立つ。跡地の片隅のバス停から8時48分発の福田港行き北回りバスに乗車した。

 昨日通った小豆島の南半分は田ノ浦映画村やオリーブ園など見所が多いが、北半分はこれといった見所もなく、少ない乗客を乗せたバスは雨の瀬戸内海に沿って淡々と走る。だが一つだけ行ってみたいところがあり、それが大阪城残石記念公園と記念館。ここなら雨の日でも訪れやすいと思い二日目の行程に組み込んだ。記念館のすぐ前がバス停で、ここで一旦バスを降りる。

 時は江戸時代。大阪の陣で落城した大坂城を幕府により再建する兆しが高まり、まず石垣が全国から大坂に集められた。小豆島からも多数の石垣が切り出され運ばれたが、出荷を前に石垣が完成してしまい、小豆島の海岸に残されてしまったこれらの石は「残念石」と呼ばれる。建築資材の過剰調達は別によくある話だが、問題はこの石。当時の武家諸法度では城の建築、修繕は厳しく取り締まれれており、この石が他藩の手に渡ってしまうことはあってはならない。石は幕府の手で厳重に管理され、明治の初めまで動かすことすら許されなかった。

 DSC_0312
  島の海岸に集められた残念石群。

 だがこの残念石は地元にとっては迷惑な存在だった。通行や仕事の邪魔になるだけではなく、中には資材置き場として自分の土地を一時的に提供したものの、石が置きっぱなしでは自分の土地を有効に活用することが出来ない。それでも土地には年貢と言う名の固定資産税がかかる訳で、これは不公平だと役所に訴えた古文書も記念館には残っていた。そんな残念石が現代はこの公園に集められ、海岸に一列に並べられあてもなく雨に打たれている。この公園以外にもこの辺には当時の残念石が幾つか残っているそうだが、それは次回晴れてる日のお楽しみにしよう。次のバスは2時間後。小さな記念館と公園だけなら時間は十分に余ってしまう。雨はどんどん強くなる。休憩所で持ってきた本など読みながら、ゆっくりとバスの時間を待った。

 やって来た福田港行きのバスは私の貸切だった。私はバスに乗る際、一番前の特等席を意地でも奪取するように努めている。前方の景色が眺められるどころか、バスが空いていれば運転士さんが話し相手になってくれることもある。「観光?」と尋ねてくる運転士さんに、観光を終えてこれから本州に戻るところですと応えた。運転士さんが言うにはこの台風で本州へ戻る船も欠航する恐れがあるらしい。雨は強いが風はまだ強くなく、なんとか姫路港へ戻る船には乗れそうだ。

 DSC_0305
  小豆島の北側は海岸線が続く。時折小さな集落が現れ、左手には瀬戸内海。

 島の北側、大部のバス停で男の子が二人乗ってきた。対岸の日生との間に本州最短の航路があり、昨日はこの船で小豆島に渡ってきてもよかったなと思った。雨は強さを増す一方でバスのワイパーが左右に動く。左手は鉛色の瀬戸内海。本州は見えない。小豆島北東部、瀬戸内海に突き出た半島の付け根を峠で越えると眼下に福田の町並みが見えた。港にこれから乗船する姫路港行きのフェリーが泊まっている。11時35分、振り出しの福田港に戻ってきた。これにて二日間かけて島を一周し、小豆島紀行は終了。

 DSC_0314
  福田港に到着。バスはそのまま南回り線となり、土庄へ戻る。

 
DSC_0319
  さようなら小豆島。また来る日まで。

 11時40分発の姫路港行きは昨日と同じ「第三おりいぶ丸」だった。土曜日の午前とあって、島から本州へお出掛けする人でそこそこ賑わっていた。乗り込むと船はすぐ出航する。今回はあまり天候に恵まれなかったが次に来る時は春か夏に、土庄でバイクを借りて自分で島を一周してみたい。いや、今回行けなかった寒露渓に紅葉を見に行くのも良いだろう。船内には小豆島の観光地図が貼ってある。昨日「丸一日あれば島内の名所はだいたい回ることが出来る」と書いたが、こうして見るとまだまだ訪れていない名所がたくさんある。早速次の旅が楽しみになってきた。

 降りしきる雨の中、福田の港が、小豆島がどんどん遠ざかる。そういえばもうお昼時。「第三おりいぶ丸」には軽食コーナーもあり、さすが香川県といったところか讃岐うどんが味わえる。うどんと、缶ビールと、土庄の宿でおばあちゃんから貰ったおつまみで軽く一杯。雨に打たれる瀬戸内のしまなみを見ながら。姫路港まで約1時間半の、贅沢な一時。  

オリーブの風に吹かれて~1日目

 東京からのサンライズエクスプレスが夜明け前の姫路駅に到着した。向かいホームに岡山行きの山陽本線始発列車が停まっていて、大きい荷物を持って乗り換える乗客もちらほら居る。我が国最後の定期夜行列車は、今朝もこうして首都と山陽を結ぶ重要な役割を果たしていた。

 DSC_0209
  夜明け前の5時25分、サンライズエクスプレス号、姫路着。瀬戸編成のノビノビ座席からも何名かが降りていった。

 DSC_0210
  早朝のJR姫路駅。今日は週末の金曜日。また新しい一日が始まる。

 駅近くの牛丼チェーン店で朝定食を頂き姫路駅へ戻る。既に夜は明けており、早起きの通勤通学客の姿が多くなってきた。これよりフェリーで小豆島へ上陸し、今日、明日の二日間かけて路線バスで島を一周し、ここ姫路駅に戻ってくるプランを立てている。だが今年の秋は秋雨前線に勢いがあり雨の日が多く、しかも南海上には現在超大型の台風があって徐々にこちらに向かってきている。昨日の東京は終日冷たい雨が降り続いていた。姫路上空の薄暗い空からは今にも雨が降ってきそうだが、予報ではこちらの雨は今日一日だけギリギリ持つらしい。引きの強さを信じて、昨夜は下りのサンライズエクスプレスに飛び乗った。

 高架化工事が完成し見違えるようになった姫路駅。駅前の神姫バスターミナルから市内の各地へ向かう路線バスが発着する。学生時代ここで1日だけアルバイトさせてもらったことを思い出しながら、6時40分発の姫路港行きのバスに乗車した。思いの外通勤、通学風の乗客が多く、大半が終点まで乗り通した。小豆島へ向かうフェリーは市の南側にある飾磨の港から発着し、昭和61年までは姫路駅と港を結ぶ国鉄飾磨港線が存在していた。先程見た遊歩道は飾磨港線の廃線跡だろう。もし現在も飾磨港線が健在なら、今朝は姫路駅でサンライズエクスプレスから飾磨港線の始発列車に乗り換えたのだろう。飾磨港駅の跡地には多目的ドームのしらさぎ姫路みなとドームが建っている。

 バスは20分ほどで姫路港へ到着した。そして、残念なことにここで雨が降り出してしまった。古ぼけたターミナルで福田港までの往復券を購入し、傘を差して「第三おりいぶ丸」に乗り込んだ。その隣の家島へ向かう船の乗り場にはスーツ姿の乗客が列を作っている。小豆島は香川県に属するが家島諸島は兵庫県姫路市で、島へ向かう出張族や公務員が多いのだろう。

 DSC_0213
  秋雨の中、小豆島へ向かう「第三おりいぶ丸」が待っていた。
 
 小豆島へ向かう「第三おりいぶ丸」は7時15分に姫路港を出航した。乗船客は総勢20名くらい。工事関係者とみられるおっちゃんが多く、座敷に寝転んでスポーツ新聞を読んでいる。後は旅行者ぽいおひとりさまのシニア客がちらほら。一組家族連れが居て、小さい女の子の元気な声が船内に響く。天気が良ければデッキで島風に吹かれるのだが生憎の雨。小豆島の福田港までは約1時間半、この間で私は今日明日の島での行程を一から練り直した。今夜は島に泊まって明日の夕方ここ姫路港に戻ってくる予定だが、天気予報によると今日は曇りで明日は一日中雨。ならば観光は今日一日に集約して明日は島内の移動だけにしたい。小豆島の面積は150平方kmと東京23区の4分の1程度で、言う程観光名所は多くない。島内はバスの本数も多く、朝から丸一日あれば島内の名所はだいたい回ることが出来る。後はこの雨が島に着くまでに上がってくれるかだ。
 
 DSC_0221
  雨の播磨灘を往く。近くに家島諸島が見える。ちょうど姫路港へ向かうフェリーが過ぎていった。

 DSC_0223
  この天気では島へ渡る人も少ない。「おりーぶしまちゃん」の向こうで、女の子がポーズを取ってくれた。

 DSC_0226
  初めて来た小豆島は雨が降っていた。
 
 8時55分、「第三おりいぶ丸」は小豆島の東の玄関口、福田港に到着した。雨はまだ降り続いている。まずは港の切符売り場で小豆島オリーブバスの二日券を購入した。今日明日と小豆島の路線バスが乗り放題で1500円という安さである。小豆島オリーブバスは7年前の2010年に地元の路線バスの撤退を受けて発足し、国と県からの補助もあり路線と運行本数の拡大、そして運賃も上限300円に据え置かれている。小豆島も全国と同じく過疎化と高齢化という問題に直面するなか、この取り組みは面白い。バスは私を含むフェリーから乗り継いだ乗客2名を乗せて発車した。

 DSC_0228
  オリーブ色に塗られたオリーブバス。島の貴重な足。

 DSC_0231
  島の内陸部には長閑な光景が広がる。料金箱上の運賃表示器は300円で止まっていた。

 バスは播磨灘に面した小豆島の東海岸を走る。途中の集落から地元民が乗り込み、バスは程良い乗車率になった。以前神姫バスでアルバイトをした際に運転士さんから「路線バスの採算ラインは常に5人乗っている状態」と教わったが、行政からの補助があるとはいえ上限300円の運賃で採算が取れるのだろうか。橘の集落の先で一旦海と別れ内陸部を往く。雨は幾分弱まり、水田と田畑が広がる山間に低い雲が掛かっている。旧内海町の中心部、安田で私はバスを降りた。そしてここで雨は一旦止んだ。
 
 温暖少雨な瀬戸内気候の小豆島は醤油とオリーブの島。ここ内海町も街を歩けば至る所に醤油工場の建物があり、雨上がりの空気に仄かな醤油の香りが鼻を突く。江戸時代、天領であった小豆島は瀬戸内海の海運を活かして大豆や小麦を集め、それを醤油に加工して大坂へ出荷する加工貿易で財を成していた。

 DSC_0233
  雨上がりの街並みに醤油工場がよく似合う。辺には仄かな香りが漂う。

 DSC_0241
  日本が世界に誇るマルキン醤油。ここ小豆島が発祥地。

 中でも有名なのがマルキン醤油。明治40年に創業し、関西では醤油メーカーのブランドとして知名度が高い。現在は名古屋の食品メーカー盛田の傘下となったが、今でも小豆島に広大な工場を有し、一角はマルキン醤油記念館として一般公開されている。江戸時代から続く醤油製造の過程や歴史が展示され、終戦後の天皇行幸をはじめ皇族の訪問も多い。小豆島の醤油は今でも島民の挟持なのだろう。

 館内は平日にしてはそこそこ賑わっており、マイクロバスで乗り付ける団体客が多い。裏を返せば小豆島にはここくらいしか観光名所がない。工場の一角に売店があり、マルキンブランドの醤油や、醤油ソフトクリームや醤油ソーダーなるものまでもが売られている。さすがにソフトクリームは遠慮したいがソーダーならなんとか飲めそうだ。コカ・コーラを濃縮したような茶色に、飲んでみればそこまで不味くもなく、そして美味しくない。雨は上がったが気温が低く一気に体が冷えてしまった。「丸金前」と書かれたバス停から岬へ向かうバスに乗り、次なる目的地「二十四の瞳映画村」へ向かう。

 DSC_0244
  丸金前バス停から岬の先端に向かうバスへ。

 DSC_0264
  岬の先端から島に向かって一枚。雨は止んだが、山の上には低い雲が掛かっている。

 バスは小豆島の南東部、高松や神戸へ向かうフェリーが発着する坂出の港へ立ち寄り、瀬戸内海に突き出た半島の最端部へ向かう。バスは終点の「田ノ浦映画村」に到着。ここは壺井栄『二十四の瞳』を昭和62年に映画化した際のオープンセットがそのまま残され、現在もドラマやCMのロケ地として使われている。

 DSC_0257
  「二十四の瞳」岬の分教場のロケセット。

 DSC_0247
  教室から瀬戸内の海が見える。

 DSC_0250
  教室のセットも当時のまま。

 『二十四の瞳』の「聖地」は作品には記されていないが、作者の壺井栄が小豆島の坂出の出身であることから、ここ田ノ浦の分校がモデルではないかとされている。村内にはロケで使用した「岬の分教場」の建物をはじめ、壺井栄文学館、50年代邦画を紹介する「キネマの庵」や、『二十四の瞳』をはじめ映画をエンドレスで放映する映画館までもが存在する。同じく小豆島がロケ地に選ばれた角田光代『八日目の蝉』を紹介するコーナーもあった。心配していた雨はすっかり上がり、分教場の前の砂浜からは瀬戸内の海が見渡せる。『二十四の瞳』は小学校だか中学校の時に読書感想文を書いた記憶があったりなかったりするのだが、壺井栄の夫の繁治は熱心な共産党員で、戦時中には治安維持法違反で投獄された経験を持つ。文学館には獄中の夫からの書簡も展示されていた。『二十四の瞳』も日本が戦争へと突き進んでいく時代がテーマで、夫や教え子たちを戦争で亡くしつつも前向きに生きる女教師を彼女なりの主観で描いている。

 DSC_0254
  雨は完全に上がった。瀬戸内海の潮の香りがする。

 「岬の分教場」のモデルと言われている学校は明治35年に建てられた田浦尋常小学校とされている。後に苗羽小学校田浦分校となり、昭和41年まで現役の校舎として使用された。映画村の手前、徒歩10分ほどの田浦の集落の海沿いに校舎が建っている。低学年、中学年、高学年と分かれた三つの教室は閉校当時のままに残され、教材や教室に貼られた児童の作品も昭和41年のままだ。ここ田浦分校は今でも「教育の原点」として、全国から教職員やOBが訪れている。黒板には教員を志願する若者に向けた寄せ書きがあった。そういうば私も教職を目指した時期があったっけ。別の世界線にはどこかの中学か高校の社会科教師として、今日ここを訪れている自分が居るのかもしれない。

 DSC_0268
  こちらがモデルになった苗羽小学校田浦分校。

 DSC_0265
  この学び舎は昭和四十一年の春から時が止まったまま。

 『二十四の瞳』が昭和初期の一人の女教師が主人公の純文学なのか、反戦小説であるかはさておき、今の日本にはあの頃と同じ閉塞感が漂っているように感じる。その正体が何であるかは私には解らない。30年間続いた平成が間もなく終りを迎える頃、来るべき新しい時代の日本は一体どこへ向かっているのか。島の小さな集落にも香川1区のポスターが貼られた選挙掲示板が建ち、一台の選挙カーが通り過ぎる。果たして明後日の衆院選ではどんな結果が出るのだろうか。目の前には穏やかな瀬戸内の海が広がっている。

 岬の先端で約3時間の時を過ごし、分校前のバス停から土庄へ向かうバスに乗り込んだ。バスはほぼ満員で、私は最後に空いている一席に座った。乗客の大半は中国からの観光客だ。そういえば先程の映画村でも中国人観光客の姿が目についたことを思い出した。この便は年配の運転手さんが地声でユーモラスな観光案内をしてくれる。「この中に明治生まれの方は居られますか?小豆島にオリーブが持ち込まれたのは明治41年のことです。私は平成生まれですけどねw」等。朝も通った安田のバス停で中国人はみんな降りてしまった。乗り継いで福田港へ向かい本州へ戻るのだろう。

 バスは内海湾に沿って走る。海の向こう、岬の先端がさっきまで居た田ノ浦だ。山側の中腹には内海湾が見渡せる道の駅小豆島オリーブ公園があり、バスはここで右にハンドルを切って山を登る。どうもこの便はオリーブ公園の前まで乗り入れるようだ。せっかくだからバスを降りて公園を散策してみよう。小豆島のオリーブの歴史を紹介するオリーブ記念館に、約2000本のオリーブの樹が立つ畑。向こうには瀬戸内海を臨み、遠くに四国が見えている。そしてここも中国人観光客が多い。オリーブの森の中を歩いているうちにバス通りへ戻ってきてしまった。ちょうどバスがやって来たところで、乗り込んで小豆島最大の街、土庄を目指した。

 DSC_0277
  オリーブの森から瀬戸内海を望む。左端がさっきまで居た田ノ浦。遠くには四国。

 土庄の街に着いた頃には時刻は夕方4時を回っていた。この街には土渕海峡という名所がある。小豆島は厳密には一つの島でなく本体の島と土庄の街がある前島に分かれ、その間をう。確かに、二つの陸地によって海が狭められている箇所を「海峡」と呼ぶが、ここ土渕海峡は海峡というより川のようである。だが誰が何と言おうがここは世界一狭い海峡なのだ。早速海峡に掛かる橋を横断し、対面の町役場で横断証明書を発行してもらった。料金は立派な台紙が付いて200円だった。

 DSC_0280
  土渕海峡をいざ横断。

 そしてここ土庄にはもう一つ名所がある。町の南側、瀬戸内海に面した砂浜と対岸の小島が干潮時に砂州で繋がり、エンジェルロードと呼ばれる砂の道が現れるトンボロ現象である。近年は島を挙げて「恋人の聖地」との触れ込みで観光地化に努め、映画やドラマの舞台にもなっている。本日の小豆島の干潮時刻は17時45分。日没ギリギリの時刻を狙って訪れた。

 DSC_0291
  夕暮れエンジェルロード。トンボロが奥の島まで500m程続く。

 DSC_0287
  展望台から見渡すエンジェルロード。干潮時のみ現れる神秘的な景色。

 DSC_0293
  陽が暮れてきた。そろそろ街へ戻ろう。

 既に陽は西空低くに傾き、辺りは薄暗く気温もかなり下がってきた。それでも夕暮れのエンジェルロードは中国人観光客たちで鈴なりの人。砂州が見渡せる展望台には甲高い中国語が飛び交い、全員でスマホを掲げ自撮りする。先程のオリーブ公園そうだったが、小豆島は関西空港からも近く、そもそも大陸の人間にとって島というものが珍しいのであろう。砂州の真ん中に一人で立って夕暮れ時の海を眺める。恋人の聖地エンジェルロード、道の真中で手を繋いだカップルは永遠に結ばれるとの触れ込みだが、別にそんなことはどうでもよく、インスタ映え狙いの中国人で溢れる砂州でさざなみに足元をすくわれているうちに日がどっぷりと暮れてしまい、そのまま土庄の街に戻った。

 土渕海峡の対岸のジョイフル小豆島店で晩御飯を食べていると突然スマホが鳴った。今夜泊まる宿からで、どうやら18時チェックインで予約していたようだ。18時丁度の電凸とは几帳面な宿である。ジョイフルで晩御飯を食べてから行きますと伝え、路線バスで約5分。土庄の港近くの宿に入った。

 お婆ちゃんが一人でやっているこじんまりとした宿。うるさい中国人が夜中まで騒いだら嫌だなと思っていたが、今夜の宿泊客は私一人のようで、早速貸し切りのお風呂でひと浴びし、六畳一間にお布団を敷いてごろんと横になる。これで一泊素泊まり3000円。宿なんてこんなもんでいい。手元にはさっきお婆ちゃんから貰ったおつまみがあり、島のコンビニでビールでも買ってきて晩酌しようと思ったが、今朝はサンライズエクスプレスノビノビ座席5時起きで急に睡魔が襲ってきてしまい、睡眠欲には逆らえないので、ちと早いがそのままお布団に潜り込んで寝てしまった。 

週末パスで行く、羽後

 昨夜22時半、最終のスーパーあずさ36号で爆睡しながら新宿駅に着いた私は、まだシラフな数個の脳細胞を頼りに中央線で神田に出て、京浜東北線を西日暮里で降り、営団千代田線に乗り換えなんとか自宅に帰ってきた。この間寝過ごすことなく自宅最寄り駅まで来れたのは奇跡かもしれない。そして玄関を開けるなりリビングデッド。それでも今朝は自動で5時半に目が覚めた。長年の慣習、恐るべし。

 酔い覚ましのシャワーを軽く浴びて自宅を出る。常磐線で上野駅へ。ここから週末パスの旅2日目を開始する。まだ二日酔いで軽く頭が痛い。朝から魔剤を投入し、新幹線ホームに降りて7時22分発の「はやて111号」に乗車した。E2系10両編成。今年の秋は雨が多いがこの週末は全国雲一つない秋晴れで、新幹線の高架から眺める青空の下、日曜朝の首都圏の町並みが広がり、その遠くに富士山が見える。東北新幹線は進行方向左側の席に座るとみちのくの山々が見えるのが良い。男体山、那須岳、安達太良山、蔵王。途中ウトウトしながらも仙台に着く頃にはすっかり酔いも冷めていた。
 
 DSC_0118
 E2系はやて。はやぶさ号の登場で幾分地味にはなったが、まだまだ東北新幹線の主役。

 今日はこれより仙台から陸羽東線を通って新庄まで行く「リゾートみのり」に乗車する。平成20年の秋に登場したジョイフルトレインで、週末を中心に快速列車として運転されており、510円の指定席券だけで乗車できる。東北には以前縁があってよく通ったがこの列車に乗ったことはなかったため、今日は久しぶりにその縁があった土地へ向かう行程に組み込んだ。深緋色と黄金色の車体が深まりつつある秋を感じさせる。まだ紅葉には少し早いが、実りの秋は今がその真っ最中だ。

 DSC_0125
 リゾートみのり号。何気に初めて乗ります。
  
 近郊型気動車キハ47系を改造した車内は大きな窓と、濃茶色のリクライニングシートが並ぶ。よく見ると紅葉の柄がプリントされていた。松島湾や鳴子峡の渓谷が見える進行方向右側の座席に座った。座席はグリーン車並みの1200mmのシートピッチが確保され、大きな窓からは日本の美しい秋の風景が眺められそうだ。ローカル列車で旅するのも良いが、たまにはこういう豪華な列車に乗ってみるのも良い。座席には観光パンフレットと、職員手作りの沿線案内が置いてある。乗客もそう多くはなく、新庄までの3時間強、贅沢な時間が過ごせそうだ。

 仙台9時13分発の新庄行き「リゾートみのり」はキハ47系3両編成。青葉城恋唄のメロディーに見送られて発車した。小牛田までは東北本線を北上。松島の手前で右手に海が見えた。以降列車は「みのり」の名に相応しく一面の黄金の絨毯の中を走る。秋はニッポンが最も美しく実る季節。大きな窓に実りの光景が広がっている。小牛田から「奥の細道湯けむりライン」こと陸羽東線に入り、10時13分、東北新幹線が接続する古川に到着。ここで「リゾートみのり」は10分ほど小休止する。バイブルを捲ると上野8時02分発の「はやぶさ101号」に乗れば、この駅で「リゾートみのり」に乗ることが出来たらしい。要は今朝は40分ほど朝寝坊が出来た訳だ。ホームに降りて外の空気を味わっていると突然地元民らしいお婆さんが鳴子温泉までの切符を見せて、「この列車に乗っていいの?」と聞いてくる。ホームの時刻表を見ると次の鳴子温泉行きは1時間後の11時15分。ここで1時間も待つより、指定席券を買ってでも「リゾートみのり」に乗ったほうがいいだろう。と私は判断して、「別に520円払えば乗れますんで、乗って下さい」と応えた。お婆さん「あら!男の子?女の子だと思った!」と私に言いながら「リゾートみのり」に乗り込んでいく。そういえば今日はA面の姿で来てたっけ。指定席券は無いが仙台発車時点で十分空席はあったし、まあ大丈夫だろう。後は車掌さんに聞いてくれ。

 DSC_0127
 松島湾を臨みながら。仙石線の線路も見えている。

 DSC_0128
 秋空と黄金色の稲穂。日本の美しい秋の光景だ。

 古川を発車すると2号車のイベントスペースでアマチュアミュージシャンの演奏会が始まった。仙台在住のナイスミドルで、さとう宗幸氏とユニットを組んだこともあるらしい。「今日は私と同年代の方が多いので」ということで、60年代フォークを中心に演奏が始まった。スペースの椅子に腰掛け、イケオジのギターの演奏を聞きつつ、車窓にゆっくりと流れるニッポンの実りの秋。なんて贅沢な時間であろうか。11時00分、鳴子温泉着。「リゾートみのり」はここで23分間停車する。今日はここ鳴子温泉街で芸術祭が開催されており、駅を降りれば早速バンドの演奏に出会うことが出来た。久しぶりの好天の週末とあって多くの観光客で賑わっている。軽く温泉街を散策し、駅前の足湯に浸かって、再び「リゾートみのり」の車内に戻った。

 DSC_0134
 リゾートみのり、鳴子温泉駅で小休止。 

 鳴子温泉駅ですっかり乗客を降ろした「リゾートみのり」。この先が陸羽東線の白眉ともいうべき鳴子峡である。観光ポスターでも有名な鳴子大橋と渓谷美。陸羽東線は鳴子温泉駅を出てすぐ、小さなトンネルを抜けた処が最も美しい渓谷を眺めることが出来る。ローカル列車は一瞬で通り過ぎるが、「リゾートみのり」はトンネルを抜けた処で最徐行し、大きな窓に渓谷と、鳴子大橋と、秋の青空が広がった。

 DSC_0139
 陸羽東線の殺意の風景といえば、ここで刹那見える鳴子峡に他ならない。

 分水嶺を越えて山形県に入る。すっかり閑散とした車内。最上駅で鳴子温泉行きの反対列車と交換する。ローカル線の秋の車窓と、大きな窓から差し込む秋の日差し。後は終点の新庄を目指して走るのみ。

 DSC_0141
 陸羽東線をのんびりと。 

 「週末パス」の有効区間は主に青森県、秋田県、岩手県を除くJR東日本管内だが、僅かに秋田県に入る区間があって、それがこれから乗る奥羽本線新庄~湯沢間である。この区間が含まれるお陰で以前はよくこのきっぷを利用した。新庄12時56分発の秋田行きは701系2両編成。登場当初は賛否両論だったみちのくのロングシート車も、今ではこの列車に乗ると懐かしさを感じてしまう。なんかこう、ふるさとに帰ってきたみたいな。一本前の「つばさ」から乗り継いできた人が多いのだろう。ロングシートに大きな紙袋を置いた乗客も散見される。1時間ほどで週末パスの北限の駅、湯沢に到着。この駅で降りるのはもう何年ぶりになるのだろうか。しばらく見なかったうちに駅舎は立派な橋上駅になり、駅前には立派なバスターミナルが併設されている。10年前にバスを待った駅前の小さな小屋は無くなっていた。

 DSC_0146
 新しくなった湯沢駅舎とバスターミナル。
 
 西馬音内堀回行きのバスは少々遅れてやって来た。何度も通った勝手知ったる道。湯沢の市街を抜けて、雄物川に掛かる橋を渡って羽後町に入る。今日も前方に鳥海山が見えている。バスは右折して西馬音内の市街に向かう道に入った。三輪神社の鳥居前を過ぎ、あぐりこ神社の前を通って、羽後町役場前の交差点でバスを降りた。角のタクシー会社はセブンイレブンになっていた。とりあえず役場の方向へ向かう。新しく道の駅うご・端縫の里と書かれた建物が建っていて、地元の名産品が売られている。休日だけあって店内は賑わっていた。もう10年も経ってしまったが、懐かしいものが幾つか見受けられた。

 10年前、ぼくはこの街に留学していた。この街で沢山の人に出会い、沢山のことを学び、若い情熱と行動力と破天荒で世間に打って出て、少しだけ世の中を変えた。少なくとも、ぼくらが居なければ今の世の中はもっと窮屈だったはずだ。これは決して自惚れではなく、本当にそう思っている。

 DSC_0171

 DSC_0165

 DSC_0168

 二万石橋から鳥海山を望む。此処の風景は10年前と全く変わらない。今でもこの景色を見ると「ただいま」と言えるし、また戻ってくることが出来たと思う。ここはぼくの故郷だ。あれから10年が経ち、今は元の静かな町に戻ったが、それはぼくらが新しい時代を切り拓き、世の中を変えることが出来たことで、元の静かな街に戻ることが出来た結果なのだ。「時代を先取りしすぎた。俺達が若すぎた。」と思うこともあったけど、今ここに来て遂に解った。俺達は時代を先取りする必要があった。若かったからこそ出来ることがあった。あの頃の俺達は凄かった。みちのくの秋の夕暮れは早く、西馬音内川の川面に吹く風は冷たい。でも体が興奮してきて火照ってきた。身震いがする。

 DSC_0173

 目の前に飛び込んできた10年前と変わらない景色。あの日のことが走馬灯のように甦る。興奮冷め止まぬ中店内に入ると、急に10年前にタイムスリップしたかのような錯覚に陥った。ここは10年前と全く変わっていなかったのだ。番頭の男の子に見覚えがある。随分と大きくなった。そしてそこには青年時代の自分の足跡があった。よく残してくれた。恥ずかしさと、嬉しさと、そして感謝と。

 DSC_0174

 DSC_0176
 
 街並み。所々変わった。写真館が無くなっていた。街の中心には昭和の終わりにふるさと創世基金で建てられた西馬音内盆踊り会館が立つ。10年前のあの真夏の夜、全てはここから始まった。今ではもう夢のようだ。館内に入る。いつも私を出迎えてくれたお姉さんは居なかったが、代わりの事務員の方は私の身なりを見て、ひと目で余所者と解ったらしく、盆踊りの映像を見ていってくださいと言った。留学時代にこの盆踊りも何度か見に来ることが出来た。700年の歴史の中、その中の数年間だけであったがこの町は大きく全国区に知られることとなり、今までの古い慣習や風習や偏見を破壊し、新しい時代をつくる炎の種火となり、新しい世の中の到来をしかと見届けた後、その使命を終えて幕を下ろした。

 DSC_0182

 DSC_0180

 DSC_0188

 街外れまで来てしまった。このまま花嫁道中を歩いて堀廻まで行こう。ガンダム、まだここに居たのか。七曲峠に至る一本道を一人で歩く。この町で過ごした青春時代、出会った人、経験したこと、学んだこと、あれ以来会っていない人もいる。ふと一軒の家の前で足を止め、大木を見上げる。そしてまた一本道を前に歩く。日が大分傾いてきて寒い。辺り一面の田園風景の中、稲刈りのコンバインが動く。

 DSC_0191

 DSC_0192

 DSC_0194

 後方から一台のバスが私を追い抜いた。このバスがこの先堀廻のバス停で転回し、折り返し湯沢駅へ向かう最終バスになる。西馬音内川の上流に沿って歩くうちに堀廻に来た。ここは昭和48年に廃止された羽後交通雄勝線の終着駅で、梺駅跡は整備され当時の車両も保存されている。夕暮れ時の廃駅で一人昔のことを思い出しているうちに最終バスの時間がやって来た。17時20分発湯沢駅行き。バスは私一人を乗せて来た道を戻る。バスの車窓に映る見慣れた街並み。短い時間ではあったが、来てよかったと思う。

 DSC_0200

 CSC_0204
 では、最終の新幹線で東京に帰ります。 

 湯沢駅から奥羽本線普通列車で新庄へ戻り、19時57分発東京行き最終「つばさ160号」に乗り込んだ。東京まで3時間半もあれば心の整理をつけることができる。闇夜の奥羽本線を往く。停車場毎に乗客が乗り込んできて、米沢駅を出る頃には自由席車は程よい乗車率となった。列車は間もなく板谷峠にかかる。深々とした森の中、新幹線の灯りだけが映る。峠道に夜が降りてくる。

週末パスで行く、諏訪神秋祭。

 大宮7時46分発の北陸新幹線「かがやき503号」はE7系12両編成。土曜朝の下り列車だが然程の混雑は見られず、半分強の乗車率で発車した。

 DSC_0075
 よく晴れた土曜の朝。いざ、かがやきの向こう側へ!
 
 東北新幹線が右手に別れ、時速240kmに加速し北関東の大地を往く。かがやき号は次の長野まで停まらない。景色は慌ただしく変わり、熊谷駅を通過したと思ったらそこはもう高崎駅だった。そして上信を分かつ長大トンネルに入る。そういえば今日は碓氷峠から汽笛が消えて20年。今でも私は横川駅のホームに立つとロクサンの勇姿を思い浮かべることが出来る。しかし時の流れはそれ以上に速い。かがやき号は碓氷峠を一瞬で登り切り、朝の軽井沢駅ホームをゆっくりと通過する。信州の静謐な空気の向こうに浅間山が見えている。あれから20年。変わらないのはこの景色だけ。

 DSC_0078
 新幹線から見る秋空の浅間山

 DSC_0079
 長野からは在来線特急におのりかえ。

 右手に上信真田氏の古城が見えた。続くトンネルを抜けるともう善光寺平だ。ロクサンの時代を知る身としては、この速さにはまだ違和感が拭えない。ともあれ、8時43分長野着。乗り換え改札口を通り9時00分発の長野行き「ワイドビューしなの6号」に乗車した。本日の目的地は諏訪の岡谷だが、何故「あずさ」に乗らず北陸新幹線を経由したのか。今回の旅はJR東日本管内南半分が土日乗り放題となる「週末パス」を利用しており、新宿まで出る手間を考えれば遠回りの長野経由でも所要時間は然程変わらない。土曜朝の下り「あずさ」は混むので、たまには別ルートで諏訪に行ってみたかった。

 そしてもう一つ。新幹線を上野でなく大宮から乗ったのも理由があって、「かがやき」と言えども大宮までは時速110Kmのノロノロ運転を強いられるため、常磐線沿線の家から上野へ出ても日暮里から京浜東北線に乗り換えて大宮へ出ても、新幹線特急券が安くなる費用対効果を考えれば然程変わらない。バイブル(JR時刻表)を熟読し新たなルートを考えるのも遠征の愉しみ。塩尻で中央東線の上り普通列車に乗り換え、10時21分岡谷着。上りの3番線ホームには8時ちょうどの「スーパーあずさ5号」が入線してきた。

 DSC_0083
 久方ぶりのララオカヤ

 岡谷駅前の旧イトーヨーカドー岡谷店ことララオカヤは現在2階テナント部分が丸々空白となっており、ここで度々同人誌即売会が開かれる。御射宮司祭→諏訪風神祭→諏訪神秋祭と主催は交代したが、足掛け8年間ここでは東方風神録のオンリーイベントが開催されていることになる。今日の開催は最後の諏訪風神祭以来2年ぶりだ。3つのイベントをこなしてきた私にとって、ここはもうホームのような安心感がある。

 ■諏訪神秋祭公式ページ
 ■諏訪神秋祭公式twitter
 
 ララオカヤ1階部分はそのまま店舗。そして階段を上がった2階部分が本日のイベントスペースとなる。そのためイベント当日は買い物客がそのまま迷い込んでくるシーンも度々見受けられる。信州の辺境の即売会といえ2年ぶりの聖地開催と、そして今年は東方風神録10周年。集まったのは122サークルで、これは主催氏の予想を大きく超えるものだったという。本日の開場は12時とゆっくり目。ちゃっちゃと設営を済ませてお着替えに赴くと、一般参加者待機列方面からコスプレ兄ちゃん姉ちゃんがどんどん入ってくる。告知は無かったが事実上の先行入場らしい。この方法をとってもサークル参加者は通行証を持っている訳で、無ければお着替えを済ませた後で一般待機列に戻せばいい。東方祭ではかなり以前より行われている手法で、他のイベントでももっと普及してもいいと思う。
  
 12時開場。地方のこじんまりとした会場に、100スペース強のサークルと、隅のコスプレ広場。正反対側には企業スペースがありグッズの販売と、何故かメロンブックスの同人誌委託承り所がある。ここに弊サークルの刊行物を持ち込んで感想を聞いてもよかったな。委託しないけど。そしてカタログに記載はなかったがサークルとも企業スペースとも覚束ない処に、地元の郷土史研究サークル「スワニミズム」のスペースがあり、刊行物が頒布されていた。サークル「けろぷろ!」も元は諏訪の土着文化を研究し発表するためのサークル。今でも十分興味はあるし、書籍を購入させて頂いた。
 
 ■諏訪信仰研究会~Facebookページ

 DSC_0097
 ふもふも大集合

 本部隣の展示スペースにはぬいぐるみやドールが多数展示されている。この大きい神奈子様と白蓮様は御射宮司祭時代からの常連で、今日は連れてこなかったが仲間は我が家に5体居る。そしてその隣が記念品の販売スペース。東方風神録のイラストが描かれたお酒とお菓子の販売で、イベントが落ち着いた14時頃から販売するらしい。今回も地元の酒造「麗人」が協力している。毎回販売開始と同時に長蛇の列が出来るが、サークル参加者には事前の申請で取り置いてもらえる制度がある。こういう気配りが有り難い。本日のメーンは限定10本のみ販売の古酒。東方風神録10周年を記念した10年物で価格は一升2万円らしい。さすがにこちらは抽選販売で、私も参加したが倍率10倍を勝ち抜くことは出来ず落選した。一本2万円だけど。

 地方のオンリーイベントらしくのんびりとした空気が流れている。サークル側は首都圏や関西からのベテラン組が多く、一般参加者も話を聞くと県外から来たという層が多い。なので比較的年齢層は高く未成年者と思しき方はあまり見られなかった。蒲田や浜松町でやってるイベントを岡谷で開催したと言った感じか。もちろん聖地開催に意味があるんだろうけど。土曜日の開催とあって、この後現地で一泊して翌日観光に当てる方が多そうだ。ともあれ、御射宮司祭から続く諏訪風神録オンリーの魂はしっかりと受け継がれた模様。今回は主催が初めて地元ではなく県外の方となったが、大変だと思うが第二回以降も続けて欲しい。私も必ず参加しますので。

 timeline_20171004_194615_0
 戦利品のお酒とイベントカタログ。サークル通行証の木札が良い。

 DSC_0107
 祭りのあと。またここに来ることは出来るだろうか?

 16時に閉会。今回の売上もまあまあだった。在庫と衣装と小道具類を駅近くの岡谷郵便局からお家にシューして、アフターイベントは途中で失礼させて頂き岡谷駅から中央東線の下り列車に乗る。今夜は同人作家勢と上諏訪で呑み会だ。そして私はここで泊まらずに最終のスーパーあずさ36号で東京に帰る。せっかく諏訪まで来て温泉に入らないのは癪なので駅の足湯でホカァして、上諏訪での呑み会で美味しい料理とお酒。これがイベントの楽しみだ。呑み会は夜遅くまで続いたようだが私は列車の時刻があるので失礼させて頂き、上諏訪20時25分発の新宿行き最終「スーパーあずさ36号」に乗車した。呑み会ではかなり呑んでしまったので程よく、と言うかかなり酔っ払っている。自由席車に乗り込み会場で買ったお酒を開けると一気に酔いが回ってきた。席二人分占領で横になり、目が覚めたら終点の新宿駅。ここから頑張って都区内の果てのお家まで帰らなければならない。そして明日は5時半に起きて旅の後半戦を開始する。

 DSC_0117
 週末パスの旅1日目終了。そして2日目へ続く。

フミンバインの遺志を継いで

 サークル「けろぷろ!」(ヘルシェイク平木代表・構成員1名)は9月12日、平成29年度秋季新刊『ハタテピピック・サードシーズン』を仮想敵国であるねこのしっぽ(川崎市下丸子)に入稿したと発表した。9月18日(祝)の「第百三十二季・文々。新聞友の会」より頒布される。

 【重要】サークル参加予定
 9月18日 京都「第百三十二季・文々。新聞友の会」風06
 9月30日 岡谷「諏訪神秋祭」b09a 
 10月15日 東京「平成二十九年・博麗神社秋季例大祭」さ26a 
 10月22日 大阪「第13回・東方紅楼夢」G33b
 11月5日 小倉「大九州合同祭14」(※SP未定)

 同作はサークル「ケロちゃんプロジェクト(2010~15)」並びに「けろぷろ!(2016~)」の7年間を通じて最低の出来ばえとなり、東方ジャンルの負の遺産と呼ぶに相応しい作品となっている。『ポプテピピック』(このマンガがすごい!78位)のオマージュかパクリかよく解らない4コマ作品が延々20Pも続く。お金と時間を無駄にしたい諸兄にお勧めの同人誌である。

ハタテピピックサードシーズン表紙
 


宣伝2

 比較的年齢層が低い東方ジャンルでつげ義春作品とコラボ。一体何がしたいのかよく解らない。そして今回も京都文々。新聞社は破壊されていく。(※許可取っていません)

09

 さわやかから幾らか貰っているのだろうか? 

 作者のヘルシェイク平木氏によると、これらクソ4コマは全て現代社会や政治に対する「抗議」だという。氏によれば同人誌とは元々界隈に無いことに落胆した結果、自分のために作って残りを仲間に「分ける」ものであり、メロンブックスやとらのあなの店頭に並ぶような「商品」とは完全に一線を画したいとしている。よって今回も書店への委託やダウンロード販売は一切行わない。イベントに足を運んでくれる仲間にだけ「分ける」価値があるとしている。詳しい理由はあとがきで熟知すべし。

 ハタテピピックサードシーズン裏表紙
 (内容があまりに酷いのでモザイク掛けます。当日のお楽しみということで)
 
 末筆になったが、B5版24Pのオーソドックスな同人誌会場限定400円で頒布される。自己申告制だが「サブカルクソ女割(100円引き)」もあるので、サブカルクソ女の方は是非申告してほしい。イベントでは前作『ハタテピピック・セカンドシーズン』や『ミレニアムの幻想少女』も置く予定なので、興味のある方はそちらの方も手にとって欲しい。
 
 では、イベント会場でお待ちしております。

5/4新潟東方祭・5/7例大祭告知

 2017例大祭宣伝のコピー


 桜が散ったらもう初夏ですね。今年も人大杉状態のゴールデンウィークを皆様如何お過ごしでしょうか。え?超会議と原稿とイベント?そうですか。

 2年ぶりの新潟東方祭、もとい新潟合同祭参加となります。ガタケに代表される新潟はオタクムーブメントの高い土地と聞いておりますので、ひとつお手柔らかにお願いします。


大九州合同祭1701おしながき

 
 ●ハタテピピック(2016.10.30) 24P 300円

 かつて東方で描いておられた大先輩(フミンバイン)の出世作『ポプテピピック』が何故か東方にし創作で登場。一周戻って元の鞘に収まったということでしょうか。フミンバインの不条理さを継承しつつ、内容はポプテピピックよりもクソ。お楽しみいただければと思います。

 https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=59554120

 ●ハタテピピック・セカンドシーズン(2017.5.3) 24P 400円

 目指したのは、公式よりもクソ。前作『ハタテピピック』のクソさを更にレベルアップさせた問題作。新潟東方再初売りです。

 https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=62357036
 
 ●ミレニアムの幻想少女(2016.10.9) 32P 500円

 こちらは打って変わってPC美少女ゲームの評論本。『トゥハート』から『D.C.Ⅱ』まで、かつてオタク産業の中核であったエロゲー文化を考察します。今やネットの大海からも徐々に消え情報も散逸しつつある古き良き文化。それが完全に幻想入りする前に一冊の冊子に纏めました。30歳以上の方には懐かしさを感じる一冊。
 
 https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=59341794
 
 以上、ひとつよしなにおねがいします。憲法記念日はときメッセで残念な椛ちゃんと握手! 
  

時は戦国、処は井伊谷

 2017年大河ドラマ「おんな城主直虎」の舞台である井伊谷(いいのや)は現在の浜松市北区引佐町にあたる。かつては浜松から鉄道が延びていたが昭和38年に廃止され、現在は天竜浜名湖鉄道の金指駅が玄関口となっている。大河ドラマの放映に合わせてお隣の気賀に設置された大河ドラマ館と合わせて、天竜浜名湖鉄道に乗って井伊直虎ゆかりの地を巡ってみた。

 日曜日に名古屋で恒例の学会に出席した後、一泊して翌朝の東海道線で豊橋へ。乗り換えて2つ目の新所原駅で下車した。天竜浜名湖鉄道の駅舎で「いいね!直虎1Dayパス」を購入し、9時32分発の掛川行きに乗車した。天竜浜名湖鉄道は全線乗り通したとしても1450円。これに大河ドラマ館と龍潭寺の拝観券が付いて、遠鉄電車とバスにも乗れて2300円ならお得な切符と言えるであろう。単行のディーゼルカーは地元の用務客と大河ドラマ館目当ての旅行者でそこそこ混んでいた。

 DSC_0511
 天浜線の始発駅、新所原駅

 DSC_0512
 天浜線は全線が非電化単線。単行のディーゼルカーが走る。

 天竜浜名湖鉄道天浜線は東海道線に接続する新所原から浜名湖の北側を通り、遠江を縦断し掛川へ至る全長67.7Kmのローカル線である。元は戦時中に東海道線の浜名湖鉄橋が爆破された場合の迂回路としての国鉄二俣線として敷設され、現在は第三セクター鉄道の天竜浜名湖鉄道天浜線となり単行のディーゼルカーが走る。沿線の桜はまだ咲いていないが今日は天気も良くて温かい。列車は東名高速の高架橋を見ながら浜名湖の北端を掠め、10時10分気賀着。国の登録文化財に指定されている古風な駅舎には井伊の赤備えが施されていた。もっとも赤備えは直虎が後見人となる井伊直政の成人後のシンボルで、直虎の時代にはちょっとそぐわないと思うのだが。

 DSC_0514
 浜名湖を眺めながら。

 DSC_0528
 気賀駅で列車を降ります


 DSC_0518
 赤備えの気賀駅 

 「おんな城主直虎大河ドラマ館」は駅前の「みをつくし文化センター」で開催されていて、春休みだけあって平日にも関わらず観客が多い。直虎1Dayパス付属の入場券で入場し、まずは入口で写真を撮ってもらう。この写真は退館後にカードになって手渡される。確か上田の大河ドラマ館でもこうして写真を撮って貰った。館内は大河ドラマのあらすじや出演者紹介、衣装やセットの展示が主だ。昨年の真田丸大河ドラマ館は戦国時代の歴史も学べて見応えがあったが、やはり井伊直虎は一次史料が少なくそこを脚本がどう持っていくかが課題だろう。

 DSC_0525
 大河ドラマ館となるみおつくし文化センターホール

 大河ドラマ館の隣には気賀関所のオブジェがある。気賀はかつて東海道のバイパス姫街道の宿場町として栄えた。遠州灘沿いの東海道は浜名湖の河口を渡らねばならず、また南海トラフ大津波で街道が度々被災することもあった。姫街道と国鉄二俣線がほぼ同じ理由で敷設されたことが面白い。

 DSC_0539
 気賀関所のオブジェ

 DSC_0529
 関所時代の建物

 大河ドラマの放映に合わせてここ気賀の大河ドラマ館と井伊谷の龍潭寺(りょうたんじ)の間にシャトルバスが走っている。こちらも直虎1Dayパスで乗車できる。龍潭寺は古くから井伊氏の菩提寺であり、大河ドラマでも井伊直虎の前の次郎法師が修行するシーンがふんだんに使われている。境内には井伊氏代々の墓もあり、直虎もこの墓地に葬られている。

 DSC_0546
 大河ドラマでもおなじみ、龍潭寺の山門

 DSC_0550
 龍潭寺庭園、寺はこころが落ち着く。

 DSC_0554
  右から2つ目が直虎の、その左が直親の墓。
 
 龍潭寺の近くに井伊氏発祥の井戸がある。寛弘7(1010)年にこの井戸に幼子が現れ、初代井伊共保(ともやす)公となり井伊は代々遠江の国衆としてこの地に栄えた。戦国の世に徳川四天王の一人となる井伊直政を出し、徳川の世には幕臣として仕えた。この井戸は大河ドラマでも重要な役割を果たしている。

 DSC_0543
 井伊家発祥の井戸、竜宮小僧が居るかも。 

 さすがに直虎の世から約450年も経ってしまえば井伊谷は浜松の外れの平凡な田舎街である。大河ドラマにも出てくる井伊氏の居館跡は完全に宅地化されていて看板が立つのみ。脇に大河ドラマ第一話で今川義元に討たれた井伊直満直義兄弟の墓がある。その後ろの山城の井伊谷城がある。頂上に登ると井伊谷と遠江平野と、そして遠くに静岡県下一の高さ212mを誇る浜松アクトタワーが見えた。

 DSC_0555
 井伊谷でもいらすと屋が大活躍。

 DSC_0559
 井伊谷城跡

 DSC_0558
 現代の井伊谷と遠江を望む。

 バスで金指へ出て再び天浜線の度に旅に戻る。16時07分発の掛川行きはCAPCOMの戦国アクションゲーム『戦国BASARA』とタイアップしたラッピングトレインだった。車体には「おんな城主直虎」のメーンキャラである井伊直虎と徳川家康が描かれ、車内にも武将たちのイラストが描かれている。東海道線と比べて天浜線の車窓はのんびりしていて平和そのもの。途中駅の駅舎やホームにも味わいがある。天竜二俣駅の広い構内には転車台や扇形車庫が残っていた。

 DSC_0570
 戦国BASARAラッピングトレイン

 DSC_0579
 井伊直虎が描かれている。

 DSC_0574
 車内の様子
   
 CSC_0583
  
 逆光だけど、全景も撮りました。 

 終点の掛川が近づいてくる。私の先祖は井伊直虎と時を同じくしてこの辺りの小豪族であった。今川氏に忠誠を誓い、今川氏の最期では朝比奈泰朝と共に掛川城に籠城し家康の兵と戦った。井伊とは比べ物にならない小さな城の城主だったらしいが、日曜日に大河ドラマを見るたびに遠い先祖に思いを馳せている。掛川の2つ手前西掛川で私は列車を降りた。駅前に静岡県では有名な炭焼きハンバーグの店がある。土休日は家族連れを中心に混雑するというが今日は平日の夕方。美味しい食事とともにゆっくりとした時間を過ごせそうだ。今夜は掛川から再び例のきっぷの旅に戻り、深夜に東京へ帰る。

 DSC_0593
  ※おまけ

余命幾許もない内房線特別快速に乗ってみた。

 内房特快とは総武本線・内房線の東京~館山間に1往復運転されている名無しの特別快速である。平成27年ダイヤ改正で内房線の特急「さざなみ」が事実上廃止されたので、その穴を埋める目的で平日の1往復だけ設定された。なお土休日は新宿始発の臨時特急「新宿さざなみ1号」として特別快速のダイヤをほぼ踏襲する。だがこの特別快速は今年春のダイヤ改正で運転休止が決定しており、僅か2年の命であった。そんな平日限定の特別快速に大回り乗車のルールを利用して乗ってきた。

 DSC_0097
  特急でないのにこちらに表示されている。

 東京8時02分発の特別快速館山行きはE217系15両編成。「横須賀・総武快速線」と同じく「スカ帯」を纏った11両編成と付属の4両編成で運転される。東京寄り4両の付属編成が終点の館山まで行き、前の11両は途中の木更津止まりとなる。特急「さざなみ」の代替として誕生した経緯もあって、東京駅地下コンコースの電光掲示板では「特急」の欄に掲示される。総武2番線ホームも銚子方面への特急「しおさい」が発車する優等ホームだ。

 CSC_0101
  東京止まりの普通列車として入線。
 DSC_0100
  特別快速の表示

 津田沼からの快速列車がそのまま折り返し館山へ向かうので、入線から発車までの時間が5分間しかなく、 その間にグリーン車の清掃も行われる。だが通勤ラッシュとは逆方向なので降車客が捌ければ特に問題はない。館山まで行くロングシートの付属4両編成最後尾に乗車した。車内はロングシートの端が埋まる程度だが、リュックを背負ったおじさんおばさんの団体や、俗に言う葬式鉄も居る。東京駅地下ホームを出発して地下区間を行く。新日本橋、馬喰町を通過し、地上へ出て東京スカイツリーを見ながら錦糸町着。平日の通勤時間帯だけあって乗ってくる人も多いが、ここでも座席にはまだ余裕があった。

 総武線の複々線区間を往く。反対列車は快速、緩行ともに満員だが、ラッシュと逆方向の乗客はスマホ撫でるか二度寝かで平和そのものだ。江戸川を渡って千葉県に入る。次の市川では先行する快速列車を追い抜いた。途中停車駅は船橋、津田沼の二駅だけで、東京千葉間を僅か35分で駆け抜けた。千葉でややまとまった降車がある。次の蘇我では京葉線と外房線が別れる。ホームでは男性が余命幾ばくもない特別快速にカメラを向けていた。

 DSC_0104
  江戸川鉄橋を渡る。

 DSC_0105
  千葉到着。
 
 この特別快速が2年前の平成27年ダイヤ改正で廃止された「さざなみ1号」の代替列車であることは先に述べたが、東京湾アクアライン開業後東京から房総方面は高速バスの独壇場となり、現在JRは完全に白旗を上げている。特急「さざなみ」も今や東京~君津間のホームライナー的な需要しか存在せず、早朝に上り、夕方から下りが数本運転されるのみだ。 この特別快速もやはりレゾンデートルを失っていた。せめて車両をクロスシートにして、土休日を中心に「ホリデー快速」的な運用にすればまだ解る。正直平日に4両ロングシートの館山行きはないだろう。

 蘇我から先は臨時特急「新宿さざなみ」と停車駅を同じくする。車窓右手には京葉工業地帯の煙突群が続く。五井で小湊鉄道と接続し、つげ義春『やなぎ屋主人』の舞台となった長浦を通過する。今の長浦駅は京葉コンビナートのど真ん中で潮干狩りができるような砂浜はない。東京湾アクアラインの真下をくぐり、9時08分、木更津着。ここで前の11両を切り離し8分間停車する。木更津駅では乗客を降ろした後一旦扉を締め、前の11両が留置線に引き上げた後、後ろの4両が前方の停車位置まで移動し、再び扉が開いて乗客を乗せる。運用のことはよくわからないが、なんとも面倒くさいことをやってるものだ。

 DSC_0113
  木更津で前の11両を切り離した。

 9時16分、4両編成の身軽な姿になって改めて木更津駅を発車。久留里線のE130系を左手に見て、次の君津でまとまった乗客を降ろし車内もだいぶ空いてきた。残るのは葬式鉄の同業者が中心。ロングシート先端の男の子はスマホの位置情報アプリ「駅メモ」に夢中だ。私の周囲にもハマっているヤングが多く、新しい汽車旅のかたちだと思う。君津から先の内房線は単線となり、ここまで来るともうすっかりローカル線だ。車窓には梅が咲き菜の花畑も見える。佐貫町を過ぎると右手に東京湾が広がる。対岸に浦賀の火力発電所が見える。浜金谷でリュックを背負ったおじさんおばさんの団体が下車した。ラストは海と菜の花畑。保田、岩井、富浦と停車し、10時10分、特別快速は終点の館山に到着。ホームには菜の花がきれいに咲いている。房総はもうすっかり春だ。

 DSC_0120
  ラストスパートは海を見ながら。

 DSC_0124
  終点、館山に到着。

 この後このE217系4両編成は館山駅の留置線で夕方まで休んだ後、館山17時05分発の特別快速となって来た道を東京へ戻る。来月のダイヤ改正で特別快速が廃止された後は、同じ時刻に東京~君津間に快速列車が1本増発される。僅か2年間、内房特快はたいして世間の耳目を集めぬままダイヤから消えようとしている。 

 DSC_0125
  房総に春が来た。 

バニラエアひがし北海道フリーパスで行く道東の旅~4日目

 川湯温泉はアイヌ語の「セセキ(熱い)ペ(川)」に由来する温泉街である。6時に目覚め、朝風呂に入ってから宿を出た。時刻は朝の7時。これから川湯温泉駅まで30分ほど歩いて7時44分発の始発列車に乗る。今日も朝から天気が良く、そして幾分温かい。それでも気温は氷点下のはずだが、風がないので暖かく感じる。駅へと続く一本道、正面の硫黄山からもくもくと白い煙が上がっている。この大地の力が川湯温泉の強酸性の温泉をつくる。

 DSC_0037
  駅まで徒歩30分、針葉樹の林の中をひたすら歩きます。
 
 川湯温泉7時44分発の網走行き普通列車はキハ54系2両編成。こんな朝から観光客の姿も見える。峠を越えて旧釧路支庁から旧網走支庁に入り、緑で昨日乗った神出鬼没の「ルパン号」と交換した。一面の雪原の中を列車は往く。知床斜里でクラブツーリズムのバッジを付けたシニア客が大量に乗り込んだ。釧網本線はここ知床斜里から網走までの間オホーツク海沿いを走り、季節を問わず人気のスポットとなっている。恐らく途中の北浜駅で下車して観光バスに乗り継ぐのであろう。そして間もなく右手に流氷のオホーツク海が広がった。網走では4日前の1月31日に平年より10日遅く流氷初日となり、そのまま一昨日の2日に接岸した。今回はこの光景を見るために北海道へやってきた。線路は暫く海から離れるが、北浜の手前でまた海が広がる。9時02分着。そして私はこの駅で列車を降りた。
 
 DSC_0042
  流氷とオホーツクの海。

 DSC_0044
  北浜駅に到着。クラツリ厨たちがぞろぞろと降りてきて、早足で観光バスに乗り込む。
 
 クラブツーリズムのバッジを付けたシニア客が大型バスに乗り込んでしまうと駅舎に静寂が訪れる。ここはオホーツク海に一番近い駅。旅行会社のツアーに組み込まれるほど有名な駅で、そして私が北海道で一番好きな駅である。20歳の最長片道切符の旅ではこの駅で一晩野宿した。駅舎には旅人が残した切符や定期券が所狭しと貼られている。いつものベンチに腰掛け、一夜を過ごした二十歳の夜を思い出した。ここに来れば私はいつでも20歳の自分に戻ることが出来る。あれから私も世の中も大きく変わってしまったが、オホーツクの海と波の音は変わらない。短い時間の滞在だったが、今回も駅舎に名刺を残し次に来た列車に乗り込んだ。

 DSC_0048
  我が青春の北浜駅舎。
 
 DSC_0047
  駅舎には旅人が残した無数の名刺が貼られている。

 北浜10時10分発の網走行きは「流氷物語2号」の列車名がついているが、実際は何の変哲もないキハ54系の2両編成だった。申し訳程度のラッピングと車内に流氷の写真が貼ってある。10時25分、網走着。これから流氷観光砕氷船「おーろら」に乗りに行く。駅を出ると丁度網走港行きのバスが出るところだった。バスは観光客で混んでいた。10分ほどで「おーろら」の港がある道の駅流氷街道に到着。駐車場には大型観光バスが群れをなし、道の駅は何かのイベントでも開催されているかの如く大混雑。そして飛び交う中国語、大半は中国からの観光客だ。人混みをかき分け11時00分発の砕氷船の乗船券を購入し船に乗り込んだ。流氷接岸を受けて初の週末ということで大盛況。本日の「おーろら」は
2台運行とのことで、私は後続の「おーろら2」に乗った。

 DSC_0055
  網走駅に到着。これより流氷を見に行きます。

 DSC_0056
  nice boat.
 
 船内の座席は全て中国人とツアー客に取られてしまったので、私は寒風吹き荒ぶデッキに立って船の出航を待った。網走は雪がちらついている。暫く港を航行し、沖合に浮かぶ流氷帯を見つけると砕氷船はその中に突っ込んでいく。そして一面の白い世界が広がる。オホーツクの界面を埋め尽くす冬の使者こと流氷。向こうに網走の能取岬が見える。

 DSC_0058
  まずは流氷の幼生、蓮葉(はすは)氷がお出迎え。

 DSC_0088
  砕氷船が流氷帯に突っ込んだ!

 DSC_0076
  流氷の向こうに能取(のとろ)岬。

 DSC_0069
  ガリガリと音を立て、流氷を砕きながら往く。 
 
 DSC_0079
  流氷の上にイヌワシの姿。

 1時間の流氷クルーズを終えて網走の港に帰ってきた。道の駅でお昼御飯を食べて、再びバスで網走駅へと向かう。網走駅の改札口には大型スーツケースの大群が長蛇の列を作っていた。列の最後尾が今にも駅舎から溢れそうだ。13時26分発の札幌行き特急「オホーツク6号」を待つ列だが、外国人ならジャパンレールパスを持っているのではなかろうか。ともあれ、予定より早く改札が始まり、私もフリーきっぷを見せて最後の列車に乗り込んだ。

 DSC_0091
  網走駅に戻ってきた。

 DSC_0092
  網走駅が人大杉状態な件について。
 
 DSC_0093
  では、札幌に戻って、新千歳空港から成田に帰ります。

 網走13時26分発の札幌行き特急「オホーツク6号」はキハ185系6両編成。先頭の1号車と2号車の半室が自由席で、適当に2号車の座席に座った。指定席のカバーには「Reserved Seat」のカバーが掛けられている。車内を埋め尽くすのは団体の中国人で、大型のスーツケースが網棚は勿論デッキや通路にまで置かれている。つくづく北海道の経済は彼らが回しているんだなと思う。雪を見たテンションからか中国人たちが大声で話すので車内は騒がしい。そして子供が泣きわめく。車窓には青空が広がり降り積もった雪が眩しい。網走湖の湖畔を走る。

 あれほど大声を出していた中国人たちが急に黙り込んでしまった。全員大きな口を空けて午眠を貪っている。慣れない異国の地で疲れてしまったのだろう。物音一つしない車内にキハ185のエンジン音が響く。ふと前の座席の男の子と目があってしまった。さっきはあれほど泣き叫んでいたのに、母親が眠り込むと同時に大人しくなってしまった。澄んだ瞳でずっとこちらを見つめてくる。ウインクを返すと恥ずかしいのか座席に隠れてしまった。特急「オホーツク6号」は留辺蘂を過ぎて常紋越えに掛かる。キハ185のエンジン音が一際高くなってくる。窓の外には針葉樹が広がる。

livedoor プロフィール
もくじ
  • ライブドアブログ