帰ってきた!平木博士の異常な愛情

または私は如何にして心配するのを止めて二次元美少女を愛するようになったか。

2016年秋に活動再開。同人サークル「けろぷろ!(旧名ケロちゃんプロジェクト)」からの告知用ブログです。

10/23秋例大祭告知

 令和4年2月、数多の東方ファンが一斉に、京都を目指した。

 そんな彼らの偉業が、ネットの大海の向こうに消えてしまわぬよう、一冊の書物として遺すものが、この本である。

 伝説のえいでん×東方コラボを記録する貴重な一冊。10/23秋例大祭【ち05b】けろぷろ!でお待ちしています。

 hyousi

えちごトキめき鉄道「急行」に乗って

 かつて北陸本線や七尾線を走った国鉄時代の車両が、新潟県の第三セクター鉄道「えちごトキめき鉄道」で第二の人生を送っている。急行型の455系電車と近郊型の413系電車で、国鉄急行色を纏い週末を中心に観光列車として活躍している。公式サイトでは「中高年のお客様はいつかの旅路とその記憶を思い出し、若いお客様は昭和の旅路に思いをはせることができるでしょう。」と紹介されていた。どちらかと言えば私は両者の中間世代だが、懐かしき国鉄時代の汽車旅の雰囲気を味わいに、冬枯れの北陸本線へと出掛けてみた。

 ■えちごトキめき鉄道、観光急行HP

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 七尾線を走っていたころの413系

 東京始発6時16分の北陸新幹線「かがやき501号」に乗って、長野着7時37分。ここからしなの鉄道北しなの線の普通列車で妙高高原まで行く。8時13分発の妙高高原行きは新型SR1系2両編成で、地元の用務客の他、スキー板やスノボ板を担いだ乗客が多い。長野を出ると暫くは林檎畑の中を走るが、飯山線が別れる豊野を過ぎると雪深い山中へと入る。左手の車窓には天狗の棲む飯縄山や、黒姫山が見えてきた。長野県と新潟県の県境を小さな峠で越えて、8時57分、妙高高原着。ここから先はえちごトキめき鉄道の妙高はねうまラインとなる。そして急行列車の始発駅もここ妙高高原だ。

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 東京から1時間20分で長野着

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 しなの鉄道北しなの線に乗り換え、妙高高原着。

 妙高高原、この響きには懐かしさを感じる。かつてこの駅にはスキーシーズンになると大阪から数多の夜行列車が運転されていて、当時大阪に住んでいた私は早起きして大阪駅にシュプール号を見に行った。今はもうシュプール号も全部無くなってしまったが。ここがスキーヤーの聖地であることには変わりなく、スキー板やスノボ板を担いだ乗客が大勢下車してゆく。

 9時37分、雪の向こうから3両編成の電車が現れ、妙高高原駅の1番線ホームに停車した。先頭の1号車には「兼六」のヘッドマークが掲げてある。昭和41年に名古屋~金沢間の急行列車として登場し、最盛期は堂々12両編成で北陸本線を疾走していたが、昭和50年に特急「しらさぎ」に編入されてその使命を終えた。今から乗る列車は車両は急行型だが直江津までの区間は「快速」で、急行券不要で乗車券だけで乗車できる。私は直江津までの乗車券を買って改札を通った。

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 ヘッドマークも誇らしげに、455系が入線してきた。

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 まずは直江津行き「快速」でスタート

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 ボックスシートが並ぶ車内

 早速列車に乗り込む。妙高高原方の1号車、クハ455-701は指定席で、ボックスシートにはテーブルが取り付けられイベント車両として使われているようだ。この日は「朝から夕まで455」の乗客たちですべてのボックスシートが埋まっている。このコースは8時43分に直江津を出発した後、妙高はねうまラインを往復し、直江津から市振の間を往復した後、再び直江津から糸魚川の間を往復して16時40分に直江津に戻ってくるルートになっている。昭和の長距離急行の雰囲気を味わえる8時間とあるが、同じ景色ばかり見て飽きないものだろうか。

 フリーきっぷの乗客だろうか。列車が終点の妙高高原駅に到着しても席を立つ乗客は少ない。2号車のモハ412-6のボックスシートに空席があったので、妙高山が見える左側の座席に着席した。9時44分発車。左手には雪化粧した妙高山が見えている。かつて「白山」や「妙高」で通った旅路、この区間を再びボックスシートに乗れることは嬉しい。スイッチバックの二本木駅を下り、新井まで降りてくると沿線の雪が急に少なくなった。新幹線乗換駅の上越妙高を過ぎ、高田平野を下っていく。車内はいつの間にか地元客で程良い乗車率になっていた。10時35分直江津着。
 
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 妙高山を眺めながら。

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 直江津着。ここで一旦小休止。

 列車はこのまま11時26分発の市振行き「急行1号」となるが、2~3号車の自由席の乗客は一旦ホームに降りるよう放送があった。私は一旦直江津駅の改札を出て、改めて市振までの乗車券と急行券を買い求めた。急行券は硬券で500円だった。再びホームに戻ると車両点検が終わったようで、3号車のクモハ413-6の海側の座席に着席した。車内はボックスシートが全て埋まる程度の乗車率。旅をするならこれくらいの乗車率が丁度良い。

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 車内広告も洒落が効いている。

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 手差しのサボが掲示されていた。


 直江津を出ると暫く市街を走り、トンネルを抜けると右手に日本海が広がった。冬枯れの海水浴場を見ながら、ボックスシートの急行列車がモーター音を唸らせて走る。急行列車のコンセプトは「急いで行かない列車」。12時52分、能生着。ここで列車は18分の小休止をする。客扱いをしない運転停車で、乗客たちもホームに降りて思い思いに過ごしている。列車の外に出ると小雨がぱらついていた。

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 海が見える。

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 能生駅で小休止。

 かつての北陸本線はこの日本海を断崖絶壁を走り、ひとたび天候が悪化すると地滑りを起こし、巻き込まれた列車では死傷者が出た。昭和40年代にようやくトンネル工事が行われ、現在は複線化された新線を列車が走る。そのため日本海ひすいラインもほぼ半分がトンネルで、あまり海が見える区間は少ない。長いトンネルを抜けると糸魚川の市街に入り、ここで交直デッドセクションを通過する。日本海ひすいラインの普通列車は基本的に単行のディーゼルカーのためデッドセクションの影響を受けないが、急行列車は交直流電車なのでここで電源が入れ替わる。車内の明かりが一瞬消えた。左手から北陸新幹線の高架が寄って来て、12時20分糸魚川着。

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 糸魚川に到着。
 
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 姫川を渡る。

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 親不知駅を通過。


 糸魚川から先の日本海は天譴親不知となる。日本海の断崖絶壁にへばり付くように、北陸自動車道、国道8号線、そしてえちごトキめき鉄道日本海ひすいラインが敷かれている。勿論現代の北陸本線はこの区間もトンネルで通過する。現代のえちごトキめき鉄道日本海ひすいラインは単行のディーゼルカーが数少ない乗客を乗せて細々と運行するだけの印象があるが、2015年3月の北陸新幹線開業以前はこの区間を近郊型の車両が走っていた。今回の急行列車の旅はまるでその頃にタイムスリップしたようだった。

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 終点、市振着。

 12時52分、終点の市振着。新潟県最後の駅で、ここから先は富山県の「あいの里とやま鉄道」となる。列車はこのまま「急行2号」となって折り返すが、私はさらに西を目指す。勿論新幹線には乗らずこの先も在来線の旅だ。時代は移り変わり、北陸本線を取り巻く現状も大きく変わったが、一方では変わらないものもあった。約3時間の急行列車の旅、それは現代に於いてとても贅沢な旅だった。

文々。新聞友の会の告知

 1月10日(祝)文々。新聞友の会の告知です。


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 今回は誠に申し訳なく新刊は無いのですが、秋例大祭で出したクソ4コマ『HAT TEAM EPIC2』をはじめ、在庫余りまくりの既刊、あと多めに作ったのに全く売れないアクリルキーホルダー等を持参して上洛します。

 風17・けろぷろ!で、射命丸コスのぼくと握手!

 表紙
 新刊『HAT TEAM EPIC2』の表紙です。

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 こんな感じの4コマが延々と続く内容です。既刊もありますので、是非ともお越しくださいな。 
 
 

謹賀新年2022

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 新年あけましておめでとうございます。
 今年もサークル「けろぷろ!」を宜しくお願いします。

 今年の目標ですが、まあ死なずに無病息災で一年を終えられればそれでいいなと。産まれた時に発達障害ガチャを引いてしまい人生という名のクソゲーをハードモードでプレイすることを強いられてますが、絶対に自分から死を選ばない。いざとなったら逃げてでも生き延びる。新年にそんな覚悟を決めてみました。

 あと今年はこのブログももう少し書いていこうと思います。去年なんか2月の九州旅行で終わってるし。旅行に行った時の思い出を中心に、更新頻度を上げていきますので、御アクセスの程宜しくお願いします。
 
 イベント参加は今月10日の文々。新聞友の会からスタートします。今のところコスプレ皆勤賞なのですが、今年はコロナもあって先行き不明。さてどうなることやら。

東方紅楼夢告知

サークル「けろぷろ!」2年ぶりの新刊。また性懲りもなくやってきた。 史上稀に見るクソ4コマ『HAT TEAM EPIC2』今回は控えめの16P300円。11/28東方紅楼夢「B21」けろぷろ!でお待ちしています。 余りまくりの既刊もよろしくねhyousi

鉄印修行山陽・九州編~その4

 早岐駅前の感じの良い駅前旅館を朝6時半にチェックアウトして、早岐発6時49分の佐世保行きに乗った。西国の九州は夜明けも遅く、夜と朝の境目を列車は往く。7時02分、佐世保着。ここから松浦鉄道に乗るためにホームを走る。次の列車は7時04分発の伊万里行きで、この列車を逃すと1時間後の8時05分まで列車は無い。

 7時04分発の列車になんとか乗れた。

 松浦鉄道は長崎県と佐賀県にまたがる北松浦半島の海岸沿いをぐるりと回る全長80.8kmの路線で、途中に日本最先端の駅、たびら平戸口駅を有する。厳密には日本最先端の駅は沖縄都市モノレールの那覇空港駅だが、軌道に限ればこちらの駅の方が日本最西端の駅に相応しい。なおJRの最西端の駅は先程ホームを急いで走った佐世保駅で、東経129度43分の場所に位置している。駅舎にはそれを示す木造があるらしいが、2分接続では流石に見る余裕はなかった。

 佐世保の市街を高架で抜ける。佐世保は坂の街で、山肌いっぱいに住宅が張り付いている。長崎に似ているなと思い始めてきた。佐世保を出るとすぐに佐世保中央駅に停車し、道路を渡ってすぐ中佐世保駅に着く。この間の駅間距離は200mで全国最短とのことだ。スマートフォンの地図アプリを立ち上げるとこの先の松浦鉄道は内陸部を走り、海は暫くおあずけらしい。日曜日の朝だけあって単行の車内はガラガラで、朝日を浴びつつ佐世保市の郊外を淡々と走る。

 7時47分、佐々着。かつて炭鉱として栄えた駅で、このあたりまでが佐世保の郊外らしく、日中でも20~30分間隔で列車が走っている。佐々川に沿って登り、吉井の先で列車は向きを180度転回させて今度は西を目指す。平戸瀬戸と平戸大橋がちらりと見え、8時35分たびら平戸口駅着。ここで列車を降りた。

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 日本最西端の駅にやって来た

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 東経129度34分

 松浦鉄道には以前乗ったことがあるが、この駅で降りるのは初めてだ。ようやく来れた、といった気がする。さっそく駅で鉄印を貰おうとすると「何か切符を買ってください」と言われてしまった。どうせ来駅記念に何か切符が欲しかったので丁度良い。駅舎の一角に鉄道記念館があり、自由に扉を開けて見ていってもよさそうだ。8メートル四方の部屋に国鉄時代の遺物が展示されてあった。

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 たびら平戸口駅、鉄道記念館

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 では、先を目指します。

 9時48分発の列車でたびら平戸口駅を後にする。またいつかこの駅へ来ることもあるだろう。そして九州鉄印修行の旅もこの駅で終了だ。後は海を見ながら松浦鉄道で伊万里へ出て、筑肥線に乗って博多へ出る。この後九州の友人と落ち合うことになっている。お互い会うのは久々なので楽しみだ。

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 海を見ながら

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 終点、伊万里着。

 友人に博多の街を案内してもらい、夜はもつ鍋屋へ連れて行ってもらった。夜は18時40分発のバスタ新宿行き「はかた号」を予約してある。美味しいもつ鍋を頂きつつ、私は焼酎の水割りを頼んだ。友人も酒が強いようだった。

鉄印修行山陽・九州編~その3

 レールファンの朝は早い。特に今回のような鉄印修行の場合、一日でなるべく多数の鉄印を蒐めようとすると早朝から深夜まで活動するのが望ましい。
 
 しかしながら今日の南阿蘇鉄道はそうは行かない。南阿蘇鉄道はJR豊肥本線の立野から高森を結ぶ第三セクター鉄道だが、平成28年の熊本地震で被災し、現在は末端の中松~高森間のみの営業となっている。しかもダイヤは一日3往復で、下り列車は中松11時00分発が始発列車である。なお不通区間を走る代行バスもない。

 だが地元の産興バスが沿線にコミュニティバスの「ゆるっとバス」を走らせていて、これに乗ると立野駅から中松駅へ向かい、南阿蘇鉄道に乗ることが出来る。しかしこちらのバスも本数が少なく、南阿蘇鉄道に乗り継ぐには立野発11時40分の1便に乗って、12時11分着の中松駅前で12時15分発の立野行に乗り継ぐ。この1パターンしかない。もちろんバスが遅れてしまえば即アウトである。今からそのルートにチャレンジする。

 宿のお布団の居心地が良すぎて9時頃までゴロゴロしてしまった。朝早く起きて熊本電鉄に乗る等も考えたが、結局睡眠欲には勝てなかった。朝ご飯をしっかり食べて、まずはチンチン電車で街の中心部へ行ってみる。下通の繁華街を歩いて、復興途中の熊本城天守を見て、再びチンチン電車で新水前寺へ向かう。10時14分発の肥後大津行きに乗車。車両は815系の2両編成だった。

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 ♪路面電車に揺られてく

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 復興が進む熊本城

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 豊肥本線で肥後大津へ向かいます。

 815系電車が熊本市の郊外を走る。各駅毎に乗降があって慌ただしい。だが10時38分着の肥後大津で11時08分発の宮地行きに乗り換えると一気に景色が鄙びてきた。丁度この辺りが熊本メガシティの境目なのだろう。豊肥本線も先の熊本地震で大きく被災し、この肥後大津~阿蘇間が昨年8月に復旧し豊肥本線が全通した。今はその区間を走っている。11時26分立野着。

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 キハ47、やはり九州はこういう車両で旅したい。

 さて、この先は引きの強さが試されよう。まずは立野駅前11時40分発の高森駅前行きコミュニティバス「ゆるっとバス」に乗る。このバスが定刻通りの12時11分に南阿蘇鉄道の中松駅前に着けばミッション完了。バスが遅れて乗り継げなければアウトである。予め運転士さんに「中松駅前で南阿蘇鉄道に乗り継ぎます」とは伝えておいたが、道路事情その他はどうにもならない。

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 さあ上手く行くか?
  
 私と地元の用務客の二人を乗せて発車。建設中の立野ダムの脇を走り、列車の通らない南阿蘇鉄道の第一白川橋梁を見る。南阿蘇鉄道はこのまま真っすぐ立野を目指すが、コミュニティバスは真っすぐ向かわず道中所々寄り道する。私は懐中時計と睨めっこで、バスの景色を眺める余裕もない。だがバスはほぼ時間通りに順調に走っている。これは行けるかもしれない。そして中松駅前に到着したのは定刻ぴったりの12時11分。運転士さんにお礼を言ってバスを降りた。中松駅には12時15分発の高森行き列車が停車していた。間に合った。

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 定刻通りに中松駅着。

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 南阿蘇鉄道のMT3001系

 中松12時15分発の高森行き普通列車はMT3000系単行。車内はロングシートで、ウォーキング姿のシニア客4名と私のようなレールファンが5名ほど乗っている。地元の人ではなさそうで、果たして彼らはどうやって来たのだろうか。

 列車は阿蘇カルデラの南郷谷をトコトコと走る。速度はかなりゆっくり目で、運転士さんが車窓案内をしてくれる。阿蘇カルデラは南北25Km、東西18Kmで、その大きさは世界有数であることながら、カルデラ内に人が定住し道路や鉄道まで通っていることは大変珍しいとのことだ。阿蘇山を挟んで北部の阿蘇谷には豊肥本線が、そして南部の南郷谷には南阿蘇鉄道が通る。白川水源駅でシニア客が下車していった。あとは私を含めたレールファン5名が、それぞれ思い思いの時を過ごすのみ。

 11時25分、高森着。列車を降りようとすると運転士さんが「鉄印を求められる方はいらっしゃいませんか?」と声をかけていた。南阿蘇鉄道では鉄印を授与する際に、列車で来たという証明が必要になるらしい。これにて無事、九州4つ目の鉄印を入手。なお南九州にはもう一つくまがわ鉄道という第三セクター鉄道が存在するが、こちらは令和2年7月の豪雨で大きな被害を受け、肥薩線諸共長期不通を強いられている。鉄印の方はオンライン販売となっており、東京に戻ってから応援の意味で買っておきたい。

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 高森着。鉄印も入手しミッションコンプリート

 南阿蘇鉄道は阿蘇カルデラの南郷谷を走り、この先は峠を越えて宮崎県の高千穂と繋げる構想があった。しかし国鉄末期の財政難から工事は中断され、途中まで掘られたトンネルだけが街外れに残っている。帰りのバスの時間まで、そのトンネルを見に行った。

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 このトンネルの果てが宮崎へと繋がる予定だった

 トンネル周辺は高森湧水トンネル公園として整備され、中に入ると冷んやりとした空気が身を包む。トンネル内はイルミネーションで飾られ、何か不思議な場所に来たような錯覚を感じる。本来ならこのトンネルが宮崎側の高千穂鉄道と繋がる予定だったのに、高千穂鉄道は2005年9月の台風14号の来襲で線路が流され廃線になってしまった。もしも高千穂鉄道が健在なら、今日はこのままバスで高千穂へ出て5つ目の鉄印を入手していたのだろうか。そんなことを考えているうちにトンネル終点まで来てしまい、私はそのまま踵を返してトンネル入り口へと戻った。 

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 イルミネーションで飾られたトンネル内

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 バスで立野駅へ戻ります。

 立野15時14分発の肥後大津行きで撤収し、肥後大津から熊本行きに乗る。16時09分熊本着。16時18分発の鹿児島本線鳥栖行きは転換クロスシート車の817系で、有明海が見える左側の座席に座った。今日も有明海の向こうに雲仙が見える。九州の日の入りは遅く、まだ西の空にか弱い夕陽が残っている。時間が許せば有明海をフェリーで渡り、島原鉄道に乗っても良かったかなと思い始めてきた。 

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 再び、鹿児島本線で昨日来た道を引き返します。

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 鳥栖から本日最終ランナーの早岐行き。

 今日の泊地は長崎県の早岐で、鳥栖からは長崎本線に乗り換える。18時07分発の早岐行きも転換クロスの817系だった。この先は2022年秋に暫定開業する長崎新幹線の影響を受ける区間で、その去就が懸念されている。西九州の西空に遅い夕日が沈み、後は闇夜の中を終点の早岐に向けて走るのみ。

 早岐駅前の感じの良い駅前旅館に投宿したのは夜の8時を回ったころ。ここ長崎県は緊急事態宣言の範囲外と会って、この時間でも外に晩御飯を食べに行ける。せっかく九州に来たんだし何かそれらしいものを食べようとしたが、結局は全国チェーンの外食店に入ってしまった。 

鉄印修行山陽・九州編~その2

 小倉5時31分発の日豊本線宇佐行き普通列車は415系4両編成。早起きの用務客を乗せて夜明け前の小倉駅を発車した。

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 レールファンの朝は早い。

 6時01分、行橋着。九州の夜明けは遅く、外はまだ真っ暗闇である。ここで6時04分発の平成筑豊鉄道始発直方行きに乗り換える。連絡改札などは無く、JR線からそのまま乗り換えるかたちになっている。ロングシートの車内には通学生がちらほら乗っている。

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 平成筑豊鉄道に乗り換える。外はまだ真っ暗闇。

 令和元年開業の令和コスタ行橋駅を過ぎ、夜明け前の鉄路を単行のディーゼルカーが往く。平成筑豊鉄道はその名の通り平成元年にJR九州の伊田線、糸田線、田川線を転換して開業した第三セクター鉄道で、炭田として栄えた筑豊地方を往く。6時35分、森商事油須原駅に到着。平成筑豊鉄道と森商事のネーミングライツ駅で、ここで反対列車との交換待ちで7分間停車する。朝のホームに降りるとようやく東の空が白くなってきた。

 駅ごとに通学生たちが乗ってきてロングシートがさらりと埋まった。日田彦山線と合流し、MrMAX田川伊田駅で通学生たちがどっと降りて行った。代わりに別の高校へ通う通学生たちが乗ってくるので、結果として車内の混雑度は変わらない。この辺りはかつては炭田として栄え、筑豊地方には貨物輸送を主たる国鉄の旅客線が網の目のように張り巡らされていた。しかし炭鉱の閉鎖に伴いこれらの路線は役目を終え、国鉄末期からJRの初期に掛けて一斉に廃線となり土に還った。平成筑豊鉄道の三線はその生き残りである。

 日田彦山線と別れると列車は北に進路を変える。7時14分、ふじ湯の里・日王の湯温泉金田着。平成筑豊鉄道の本社があるこの駅で列車を降りた。

 鉄印を求めるには原則として駅の窓口に、営業時間内に赴かなくてはならない。第三セクター鉄道の場合始発から終電まで営業している駅は珍しく、ほとんどの事業者が日中のみの営業で、鉄印を集めるには営業時間内に駅を訪れなければならない。これが鉄印修行の際のネックとなる。

 しかしここ平成筑豊鉄道の鉄印はなんと自販機で販売されていて、始発から最終列車まで自由な時間に鉄印を「購入」することが出来る。個人的には鉄印はやはり列車に乗って窓口で授与してもらうものだと認識しているので、少々複雑な思いでもある。ともあれ、自販機に100円硬貨を3枚入れてインド人を右に回し、落ちてきた小箱に鉄印が入っているのを確認してミッション終了。7時26分発の直方行きは通学の高校生たちで満員であった。

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 鉄印自販機!そういうのもあるのか。

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 直方に到着。

 7時46分、直方着。7時54分発の福北ゆたか線で博多へ出て、朝食と街歩きをする。博多でのんびりとした時を過ごし、博多12時02分発の鹿児島本線下り快速列車に基山まで乗車。ここで甘木鉄道に乗り換える。
 
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 甘木鉄道のディーゼルカー

 甘木鉄道は佐賀県の基山と福岡県の甘木を結ぶ全長13.7kmの第三セクター鉄道で、筑後平野の田園地帯の中を走る。国鉄時代は第一次地方交通線だったが、3セク転換後は増便や小郡駅移転による西鉄との接続効果もあり、全国の第三セクター鉄道の中でも経営状態は良好である。駅ホームに掲げられた時刻表によると甘木行きの列車は一日42往復。国鉄時代は一日7往復だったというのだから怒涛の増便だ。

 12時32分発の甘木行き列車に乗車する。九州自動車道を潜り、高架に上がって小郡で西鉄小郡駅と接続する。左手の大分自動車道をクルマが流れている。次の大板井で高架を降り、麦畑の中を往く。沿線には菜の花が咲き誇り、九州に一足早い春がやって来た。今日はそんな春を思わせるほど気温が高い。 

 12時59分、甘木着。鉄印を頂き、13時11分の基山行きで引き返す。帰りの車内は半ドン帰りの高校生たちで満員であった。

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 甘木駅舎

 帰りは大刀洗で途中下車し、大刀洗平和記念館へ行ってみた。この辺りは大正8年に建設された陸軍大刀洗飛行所があり、戦前は軍都として栄えたが、昭和20年に米軍の空襲に遭って飛行場は壊滅した。その跡地に記念館が建つ。

 記念館には世界で唯一の現存機である零式艦上戦闘機三二型が展示されている。一方その頭上には米軍B29爆撃機のオブジェが吊るされ、双方の機体の大きさを確認することができる。残念だが先の大戦は最初から無謀な戦争であった。

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 記念館に展示されているゼロ戦

 軍都大刀洗も戦局の悪化と共に他の都市と同様空襲を受けるようになり、破壊された基地と街、そして幼い子供たちの命を奪った悲劇が伝えられている。そして忘れてはならないのが特攻隊の存在。ここ大刀洗からも多くの若者が特攻出撃し、二度と戻ってこなかった。館内には死を覚悟した彼らが家族へ残した手紙や遺書が展示されている。しかし何故か悲壮感は伝わって来ず、死を諦観しているように感じられ、思わず胸が締め付けられる。

 太刀洗駅へ戻り、14時58分発の列車で基山へ。再び鹿児島本線に乗って鳥栖で降りる。15時35分発の八代行きはロングシートの815系2両編成だった。九州新幹線の高架とぴったり寄り添いながら走り、筑後川を渡って久留米の市街に入る。筑後船小屋の先で新幹線と別れると今度は右手から西鉄大牟田線の線路が寄ってくる。手持ちの「旅名人の九州満喫きっぷ」は西鉄電車にも乗れるので、帰りは西鉄甘木から大牟田に出ても良かったかなと思い始めてきた。815系の大きな窓の向こうに有明海がちらりと見えて、その向こうに雲仙が見える。

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 鳥栖から八代へ行くロングラン列車

 いつの間にか熊本県に入った。崇城大学前で学生が大量に乗り込み、2両編成の車内は混雑した。久々に来た熊本駅は立派な高架駅になっており、まるで大都会に来たようだった。ここでも会社や学校帰りの乗客が乗り込み大混雑となったが、この後は駅毎に乗客が下りていきいつの間にか車内に余裕ができるようになった。そして西国に遅い日の入りが訪れた。

 18時07分、八代着。もう外は真っ暗闇である。本日3つ目の鉄印はここ肥薩おれんじ鉄道八代駅で貰えるが、寄りによって一駅でも鉄道に乗るという俺ルールが存在するため、2つ目の日奈久温泉まで行ってみようと思う。それに今は温泉に入りたい気分だ。

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 川内行きのディーゼルカーに乗車する。

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 2両目は放課後ていぼう日記のラッピング車だった。

 八代駅での鉄印記帳には条件があって、350円以上の乗車券の購入が必須とある。ちょうど日奈久温泉までが350円なので乗車券を買おうとしたら、旅名人の九州満喫きっぷを持ってるなら別に構わないといわれてしまった。

 肥薩おれんじ鉄道は2004年3月の九州新幹線新八代~鹿児島中央間開業の際に、JR鹿児島本線から転換された第三セクター鉄道である。全線が交流電化されているが、普通列車は新潟トランシス製のHSOR100型ディーゼルカーが走る。18時31分発の川内行きは2両編成で、2両目は強度が舞台の漫画『放課後ていぼう日記』のラッピング車だった。

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 夜の日奈久駅舎

 発車後10分程で日奈久温泉に着く。温泉街は駅から徒歩10分のところにあった。此処には20年以上も前の「最長片道切符の旅」で訪れたことがあり、その時も確か駅前の一本道を歩いた。徒歩10分程で温泉街に到着。町の中心部の「ばんぺい湯」で体の芯まで温まり、日奈久温泉駅に戻った。19時51分発の八代行きで八代に戻り、20時13分発の熊本行きに乗車し、今夜は熊本で旅装を解く。

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 今夜は熊本に泊まります。
 

鉄印修行山陽・九州編~その1

 5時25分、東京始発の寝台特急サンライズエクスプレスは定刻通りに姫路駅に到着した。向かいホームに5時29分発の岡山行き普通列車が止まっていて、サンライズエクスプレスからも何名かが乗り継いでいる。我が国最後の夜行列車はこうして今日も、首都と山陽を結ぶ使命をしっかりとこなしていた。

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 サンライズエクスプレス、姫路駅に到着。

 岡山行きの始発列車に乗車し夜明け前の山陽本線を行く。左手に網干電車区が見え、アーバンネットワークを支える出勤前の車両たちが待機している。新幹線停車駅の相生を過ぎ、6時00分上郡着。吹き曝しのホームに降りると冷たい空気が身を包む。この週末は全国的に寒さが緩むとの予報だったのでコートを着ずに来てしまったが、やはり早朝の山の中は寒い。

 上郡は関西と山陽を分かつ駅で、JR線ホームの先端に智頭急行の駅舎があり、連絡改札がある。普段ならここでJRのきっぷを見せて智頭急行の乗車券を購入するのだろうが。まだ駅は目覚めておらずフリーパスで通過する。6時32分発の始発列車智頭行きに乗り込むと乗務員から「どちらまで?」と尋ねられた。「苔縄まで」と返すと、乗務員は手持ちの時刻表を開いて「6時37分に到着して、帰りは6時54分ですね」と教えてくれた。苔縄とは上郡の隣の駅で、鉄印の記帳には一区間でも乗車券の購入が必須のため、隣の苔縄駅まで往復するという魂胆を見抜かれていたようだ。鉄印修行の同好の士が多いのだろう。ボックスシートに座って発車を待っていると徐々に夜が明けてきた。

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 智頭急行の一番列車

 6時32分発車。山陽本線と別れて高架に上り、短いトンネルを抜けると右手に千種川が見える。5分ほどでお隣の苔縄駅に到着。240円の運賃を支払ってホームに降りた。

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 苔縄駅に到着。

 智頭急行は平成6年12月に開業した比較的新しい第三セクター鉄道で、関西と鳥取を結ぶ陰陽連絡線の使命を持っている。京都と倉吉を結ぶ特急「スーパーはくと」が一日七往復、岡山と鳥取を結ぶ特急「スーパーいなば」が六往復走る。
 
 苔縄駅は高架橋の上に片面のホームがあるだけのシンプルな無人駅だった。駅前は集落で人家が集まっており、反対側を千種川が流れる。休日の早朝だけあって人の姿は見えない。特にやることもないので、駅ホームのベンチに座って6時54分発の上郡行きを待つ。やがて智頭方の鉄橋から列車の音が聞こえてきて、上郡行きの普通列車がやって来た。いつの間にか夜が明けていた。

 上郡駅で鉄印を頂き、7時07分発の山陽本線下り普通列車に乗って8時01分岡山着。後続の普通列車で倉敷まで行き、一旦改札を出て清音まで190円の切符を買い、8時39分発の備中高梁行きに乗った。8時46分清音着。次に乗る井原鉄道の神辺行きは8時49分発で乗り換え時間は3分しかない。急ぎ足で跨線橋を渡り、井原鉄道の乗り換え改札で「スーパーホリデーパス」を購入して神辺行きの普通列車に飛び乗った。井原鉄道の全線が土休日に限り1000円で乗り放題になる切符で、清音~神辺間が1030円なので普通に切符を買うより安い。

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 清音から井原鉄道に乗車

 井原鉄道は岡山県の清音と広島県の神辺を山陽本線に並行するかたちで建設された第三セクター鉄道で、開業は平成11年1月と新しい。高梁川をトラス橋で渡り、倉敷市真備地区に入る。ここは平成30年の豪雨で高梁川支流の小田川が決壊し甚大な被害を受けた地区である。テレビで見た濁流の海と化した真備地区に井原鉄道の高架が浮かび上がる光景には恐怖を感じた。吉備真備駅前では復興住宅の建設が進んでいる。
  
 平成11年開業の井原鉄道はほぼ全線が高架で見晴らしがよい。山陽道の宿場町八掛を過ぎ、早雲の里荏原では車両基地にイベント車両の「夢やすらぎ号」が停車していた。北条早雲こと伊勢宋瑞の出身地で、駅には「北条五代を大河ドラマに」の幟も見える。9時20分、井原着。ここで列車を降りた。

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 井原駅舎

 井原駅では鉄印を頂き、朝の街を軽く散歩して、駅構内の喫茶店で朝ご飯を頂いた。カレーライスを頼み、スーパーホリデーパスを掲示すると珈琲をおまけで付けてくれた。目的を果たしたところで10時32分発の神辺行きに乗車する。子守歌の里の看板が立つ高屋を過ぎ、岡山県から広島県に入る。10時47分神辺着。

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 福塩線を走る105系。

 神辺駅では井原鉄道のホームとJR福塩線のホームは分断されており、一旦井原鉄道の改札を出てJRのきっぷを購入した。福塩線の普通列車で福山へ出て、11時14分発の山陽本線糸崎行きに乗車した。この区間は左手に瀬戸内海としまなみ海道が眺められ、私が山陽本線で最も好きな区間である。早春を思わせる暖かな日差しの下、広島地区の新しい顔となったレッドウィングこと227系電車が軽快に駆ける。

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 尾道を往く

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 しまなみ街道を眺めながら

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 山陽本線の新しい主役、227系電車。

 糸崎で11時53分発の岩国行きに乗り換える。三原で海沿いを走る呉線が左に分かれ、山陽本線は山間へと入っていく。セノハチ峠を下り広島の郊外を走り、広島駅を過ぎると左手に広島電鉄の郊外線と並走する。やがて日本三景の宮島が見える。14時07分、岩国着。
 
 岩国14時19分発の錦川鉄道錦川清流線の錦町行き列車は単行で、発車前にはほぼ半分の座席が埋まっていた。しかし進行方向右側の座席が幸運にも1席だけ空いていて、私はそこに座った。錦川清流線はほぼ全線にわたって錦川に沿って走るため、右側の座席を確保しないと延々と崖を見続ける羽目になる。

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 岩国駅で発車を待つ錦川鉄道の列車。

 発車までまだ時間がある。私は運転席を訪ね、2000円で錦川鉄道の一日乗車券を購入した。錦町までの運賃は980円で単純往復だけなら元は取れないが、折角第三セクター鉄道に乗るのだから心ばかりは応援したい。きっぷには可愛らしい美少女のイラストが描かれている。

 14時19分発車。二つ目の川西まではJR岩徳線の線路を走る。岩徳線は岩国と徳山を結ぶ路線で、かつての山陽本線のルートでもあった。右手の山の上に岩国城の天守が見える。宇野千代の生家がある川西で岩徳線と別れ、山陽自動車道、山陽新幹線を潜り清流新岩国駅に到着する。新幹線の新岩国駅との接続駅で、帰りはここで下車して新幹線で一気に小倉まで向かう予定である。下り新幹線のホームにはハローキティ新幹線が停車中で、上りのホームには700系8両編成の「こだま854号」が滑り込んでいった。

 やがて列車は錦川と並行する。沿線には梅の花が咲き、黄色いガードレールに山口県に来たんだなという感じが湧く。左手は崖だが所々に滝があり、その都度観光放送が流れる。錦川清流線の歴史は昭和35年に国鉄岩日線として川西~河山間が開業し、昭和38年に現在の錦町までの工事が完了。その先は島根県の日原を目指して工事が続けられたが国鉄財政の悪化に伴い工事は中断。岩日線も第二次特定地方交通線に指定され、昭和62年に第三セクターの錦川鉄道に転換された。

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 錦川に沿って。

 錦川の単調な流れに飽きてきた頃、15時29分に終点の錦町に到着。岩国発車時点では半分近くが埋まっていた車内も各駅で乗客が降車し、終点の錦町まで乗り通した乗客は僅かであった。

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 終点、錦町駅。

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 帰りの列車は「せせらぎ号」編成だった。

 錦町駅で鉄印を頂いた後、錦町の街を軽く散策し、16時02分発の岩国行きで引き返した。帰りも錦川沿いの進行方向左側の座席に着席した。16時57分、清流新岩国駅で列車を降り、徒歩で山陽新幹線の新岩国駅へ向かう。ちょうど17時08分発の「こだま857号」博多行きがあり、錦川鉄道の清流新岩国駅と山陽新幹線の新岩国駅は多少離れているが、11分もあれば余裕で乗り換えられるだろう。

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 新幹線との乗換駅、清流新岩国駅。

 さて、私は今回東京都区内→北九州市内(新幹線経由)の乗車券を持っており、東京から在来線を乗り継ぎ岩国駅で途中下車し、新岩国駅から新幹線に乗ろうとしている。だがこの区間には「選択乗車」という制度があり、岩国駅と新岩国駅を同一駅とみなすためこの乗り方で全く問題ない。だが新岩国駅の自動改札機は私のきっぷを撥ねつけてしまった。仕方なく有人改札に行き、係員に事情を説明する。係員は「岩国駅で途中下車されてますよね」と解ったか解らないかよく解らない素振りで改札を通してくれた。ホームに上がるとちょうど「こだま857号」が入線してきたところだった。

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 レールスター編成も、今やこだま号で使われることが多くなった。

 新岩国17時08分発の博多行き「こだま857号」は700系8両編成。2列シート&2列シートの最後尾8号車の自由席に座った。在来線に乗れば長くて嫌になる山口大陸も、新幹線に乗ればひとっ飛びだった。新下関の先で新関門トンネルを潜り、久方ぶりの九州に上陸。小倉には18時24分に到着した。今夜はここで旅装を解く。

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 小倉駅に到着。 

秋葉山

 東京の秋葉原は、かつてこの地に火除の神である秋葉大権現を祀った秋葉神社があったことに由来するようだ。今や全国に400社程ある秋葉神社の本社は秋葉山本宮秋葉神社と言い、山の麓に下社、山の頂上に上社がある。令和二年の山の日に、秋葉大権現を訪ねて秋葉山に登ってみた。

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 遠州鉄道、新浜松駅

 遠江の中心都市浜松で東海道線を降り、駅前の新浜松駅から赤電こと遠州鉄道に揺られて浜松の郊外を往く。30分程で終点の西鹿島駅に到着。ここから秋葉山へ向かうバスに乗車する。季節は立秋を過ぎたが盆地の天竜は日差しが暑く、ここで山登り用の水分を購入しておいた。

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 遠州鉄道の終点、西鹿島駅。

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 ちょうどバスが来ました。

 9時38分発車。バスは天竜川を渡り、二俣の市街に入る。現在は市町村合併で浜松市天竜区となり、ここに役場の支所も置かれている。街の中心部である山東のバスターミナルでバスは一旦小休止した後、天竜川の支流である二俣川に沿って走り出した。今年の山の日は三連休の最終日とあって、河原では川遊びを楽しむ家族連れの姿も見える。10時23分、秋葉神社下社のバス停に到着。運賃は遠鉄バスの施策で上限700円に据え置かれていた。地方のバス路線に1時間乗って700円とは安いが、今日は遠鉄ぶらりきっぷを持っているので運転士にきっぷを提示してバスを降りた。遠鉄電車全線とその周辺の路線バスが一日乗り放題で1570円、お得なきっぷである。

 さて、まずは麓の神社こと秋葉神社下社に参る。御祭神は火之迦具土大神(ヒノカグツチノオオカミ)と言い、イザナキ、イザナミの御子で火の主宰神であり、「カグツチ」とも呼ばれる。火の神であったため出産時にイザナミの陰部を焼いてしまい、これが元でイザナミは死んでしまう。カグツチは怒ったイザナキに十束剣(トツカノツルギ)で殺されてしまうが、その血と体から多数の神が産まれた。
 
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 秋葉神社下社

 麓の下社は昭和18年に山頂の上社が山火事で焼失したのを機に造られ、上社は標高866mの秋葉山の頂上にある。今はクルマがあれば林道を通って山頂まで行くことが可能だが、今回は勿論標高差750mの古い参道を行く。暫く歩くと二股に分かれる道があり、山頂に通じる道は右手らしい。上社まで4.2km、徒歩で約120分という。良い運動になりそうだ。

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 山頂まで徒歩で二時間らしいです。

 暫くは石畳が続くが、やがて山の中に入ると参道は登山道となる。杉の木が生い茂る山道を、持参した飲料を少しずつ口にしつつ、残暑厳しい山の中を登る。今日は山の日とあってかハイカーと時々すれ違う。クルマがあれば山頂まで楽して行けるのにと思いつつも、険しい山を登って秋葉山詣でをした昔の人々に思いを馳せるのも悪くない。山頂まではとにかく一本道なので迷う心配は無いが、途中で飲料が尽きてしまった。勿論道中には自販機なんてものは無い。とにかく、先へ進むしかない。

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 えっちら、えっちら、登ります。

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 かつて茶屋があったようです。
 
 1時間半程歩いただろうか。目の前に荘厳な山門が現れた。こちらは秋葉山秋葉寺(しゅうようじ)と云い、秋葉三尺坊大権現という神仏習合の神を祀ってある寺院である。そもそも秋葉信仰の歴史は複雑で、古代より神体山として崇められた秋葉山に社殿が建ち、寺院が築かれ、そこに
平安時代に修験道が入って秋葉三尺坊大権現という神を祀るようになった。以前の秋葉山は秋葉社と秋葉寺の神仏習合の宗教施設だった訳だ。

 明治の廃仏毀釈の際に秋葉山は一旦廃され、
秋葉三尺坊大権現は県内の可睡斎に遷座されたが、明治6年に山頂に神社である秋葉神社が、そして明治13年に山頂から少し麓を下ったこの位置に曹洞宗の秋葉寺が建て直された。しかしながら秋葉寺は今でも秋葉信仰の原点である秋葉大権現を祀る唯一無比の宗教施設であると主張している。寺院のHPでは山頂の秋葉神社を、「明治6年の神仏分離令の混乱期に乗じてつくられたもので、当山の火防の霊験とは無関係の宗教施設であることは明らかである」としている。確かに秋葉神社の御祭神は京都愛宕山から勧請した日本神話の神「カグツチ」で、古くから信仰された秋葉大権現ではない。

 現在我々が「秋葉山」と呼んでいる宗教施設は、上社、下社の秋葉神社か、此処に鎮座する曹洞宗秋葉寺か。それは各自の歴史認識に委ねるしかないのが現状である。
 
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 山中に現れた山門

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 道中で水が切れたので、水道を少しお借りしました。

 秋葉寺から更に山道を歩くこと20分程で、ようやく山頂の秋葉神社上社に到着した。山頂の神社は昭和18年に山火事で全焼したが、最近の昭和61年に社殿が再興され、同時に林道が開通し境内はクルマで来たと思しき観光客で賑わっている。

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 こちらは昭和18年の山火事を逃れた山門

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 本殿に参拝

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 金の鳥居
 
 明治の廃仏毀釈によって一旦廃された秋葉山だが、明治6年に秋葉神社として再興し、山頂には改めて鳥居が建てられた。標高866mの秋葉山頂上からは浜松の市街が一望出来る、麓の神社から山道を登って約2時間。良い運動になった。山頂には食堂もあってここでお昼ご飯を頂くことも出来る。ここでしっかり栄養を補給して、再び2時間かけて山道を下山する。

 東京の秋葉原が火避けの神である秋葉大権現から来ていることは知っていたが、このような複雑な歴史があって現在に至ることまでは知らなかった。今日は良い勉強になった。来てよかった。だから旅はやめられない。 
プロフィール

hirakike

ハンコ絵師兼CJD見習い(非処女)の平木博士の心の闇の部分です。同人サークル「けろぷろ!」でクソマンガボーイやってます。代表作『ミレニアムの幻想少女』『ハタテピピック』(2016)。ときどき心が折れます。クソビッチです。※ご用と悩み相談はDMで(秘密厳守

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