帰ってきた!平木博士の異常な愛情

または私は如何にして心配するのを止めて二次元美少女を愛するようになったか。

2016年秋に活動再開。同人サークル「けろぷろ!(旧名ケロちゃんプロジェクト)」からの告知用ブログです。

バニラエアひがし北海道フリーパスで行く道東の旅~2日目

 札幌7時00分発の釧路行き特急スーパーおおぞら1号は283系6両編成。最後尾の6号車自由席車は空いていた。札幌発の時点で1両に5~6人、平日木曜日の朝一番ならこんなものなのかもしれない。
 
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  札幌駅で発車を待つFURICO283。

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  閑散期の平日だからか、乗客は少なかった。

 今朝は6時に起きて6時半に北18条のホテルを出た。今日は歩いて札幌に向かう。ここで7時21分発の「オホーツク1号」に乗って時計回りに道東を攻めようかなとも思ったが、当初の予定通り「スーパーおおぞら1号」に乗った。苗穂運転所を見ながら函館本線と別れる。
市街は雪は降っていなかったが暫くしてまた吹雪き出した。南千歳で千歳線と別れて石勝線に入る。朝の早さで眠気が出たので、ここで少しだけ寝た。目が覚めると列車は石勝線の高架区間を走っていた。途中区間で除雪作業を行っていたらしく、トマム着は約12分遅れの8時45分頃になるらしい。そしてその後も断続的に15分の前後の遅れが見込まれるというが、今回は別に急ぐ旅ではないので多少の遅れは気にしないことにする。駅周辺に星野のリゾート施設が建ち並ぶトマムで観光客らが中国語を話しながら乗ってきた。春節休みも終わっただろうに、私が言うのも何だが、良い御身分だと思う。そして今日から3日間私は道内の各地で彼らを見掛けることになる。


 一面の雪景色の中を列車は行く。帯広でややまとまった乗車があったが自由席車はそこまで混んでいない。冬の道内の特急列車にしては珍しい。道東の雪原をひた走り、右手に太平洋の水平線が広がると終点の釧路は近い。空も何時の間にか晴れていた。しかし私はここで次に乗る花咲線の快速列車が運休するということを知る。しかし先を急ぐ旅ではないし、まあなんとかなるだろう。根室方面へ向かう乗客は釧路駅で駅係員に申し出るよう放送があった。終点の釧路には13分遅れの11時13分に到着した。
 
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  ラストスパートは太平洋を臨んで。

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  釧路に到着。2番線の快速「ノサップ」は急遽厚岸行きに変更。
 
 駅で集めた情報によると花咲線は雪害のため厚岸~根室間で列車の運転を見合わせていて、釧路11時13分発の根室行き快速「ノサップ」は途中の厚岸止まりとなるらしい。厚岸以降に向かう乗客は駅係員に申し出よとのことで、釧路駅の改札脇に5人の乗客が集められた。根室へ商談に向かうというビジネスマン二人組と、同じく仕事で根室へ向かう男性、茶内まで行くというお母さん、私。この5名はJRがチャーターしたタクシー2台に分かれて根室駅へ向かうことになった。急ぐ旅でもないし、ここは素直にドライブを楽しもうと思う。私は根室へ向かう男性、お母さんとパーティーを組み、タクシーの助手席に座った。ここから根室駅まで約2時間のドライブだ。なお個人でタクシーをチャーターするとタクシー代は約3万円とのことだった。

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  空はこんなに青いのに。

 タクシーは釧路の市街を抜け、暫く花咲線に沿って走る。ちょうど乗る予定だった快速「ノサップ」がゆっくりとタクシーを追い抜いていった。先程から急ぐ旅ではないと言っているが一つ懸念材料があって、根室駅から納沙布岬へ向かうバスが13時45分発で、今から根室まで2時間10分以内に着かないとバスに乗ることが出来ない。さすがに運転手さんに急いでとは言えないので、ここはプロのドライバーに全てを委ねようと思う。次の手はバスに間に合わなかった時に考えれば良いのだ。釧路から根室まで一直線に伸びる国道44号線。根室まで100kmの標識が見えた。タクシーが時速60~70kmで走っているとして、ギリギリで間に合う計算だ。運転手さんはがっちりとハンドルを握って仕事に集中している。ここは全てを任せよう。右手に厚岸湾が見えた。厚岸の駅前を「ノサップ」の時刻から15分遅れで通過する。時刻表上の「ノサップ」根室到着は13時22分なので、ここはギリギリ間に合う計算だ。しばらく花咲線の線路と並走する。両側は一面の針葉樹。あとは標識で根室までの距離と現在の時刻を確認する。ふと根室交通の釧路行きバス特急「ねむろ号」とすれ違った。

 後部座席のお母さんが降りる茶内駅が近づいてきた。お母さんが「国道沿いのセイコーマートの前で降ろして貰えますか?」と訪ねたが、運転手さんは「茶内駅まで行きます」と応えた。あくまで乗客は私達ではなくJR北海道ということなのか。茶内駅がある浜中町は『ルパン三世』で知られる漫画家「モンキー・パンチ」氏の故郷で、駅前にもルパン三世の看板が立っている。12時40分、茶内着。鉄道より22分も遅れていて、これでは根室駅到着はギリギリだ。運転手さんが「お手洗いは大丈夫ですか?」と聞いてきたが生憎そんな余裕はない。国道44号線に戻り、あとは根室まで一直線だ。雪に包まれた根釧平野の一本道をタクシーが走る。この先花咲線の線路は太平洋側にぐっと迫り出し、根室の市街では右からぐるっと回り込むかたちで終着駅に入る。一方国道はこの区間を一直線にショートカットしており、これは普通に間に合うかもしれない。道路標識の距離、タクシーのスピードメーターと現在時刻を交互ににらめっこする。タクシーは根室の市街に入った。時計は10分前の13時35分、懸念は渋滞と信号機だが道路は極めてスムーズだ。あと5分。前方に根室駅右折の標識が見えた。この信号に掛からなければ13時45分発のバスに間に合う。タクシーは駅前広場に入り駅舎の前に停車した。間に合った!

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  思いがけず2時間のドライブ。お世話になったタクシー。

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  岬へ向かう路線バス。

 根室駅前13時45分発の納沙布岬行きの路線バスに乗る。乗客は私一人。窓口で往復切符を買うと1割引きだった。待合室ではお婆さんが午睡中。売店は体調不良につき休業の札を掲げて店仕舞いしている。お昼の食糧を何処かで買いたいが、生憎と北海道最果ての街にそんなものはなかった。バスは根室の市街で老人を二人乗せ、一人は町外れで、そしてもう一人は歯舞という集落で降りていった。後はさいはての岬へ続く一本道をひたすら走る。外は晴れているが風が強く、防雪柵の真下から時折白い吹雪が吹き付ける。沿道の交通安全の幟も風を受けて大きくはためいている。20年も前になろうか、始めて納沙布岬へ来た時は夏で、辺り一面の霧の中「四島を返せ!」の看板が道路沿いのあちこちに立っていた。当時は銃を持ったソ連兵が四島を踏みつける棘々しい看板だったが、今はアザラシのイラストが描かれた真新しい看板に入れ替わっている。根室半島のさいはて珸瑤瑁(ごようまい)の集落を過ぎ、14時29分、バスは納沙布岬のバス停に到着した。

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  ローカルバスはさいはてを目指す。

 バスを降りるともの凄い強風が吹き付けてきた。言うまでもないが、今この最果ての岬に居るのは私一人である。後は岬の資料館の職員が数名だけ。バス停に併設された資料館で暖を取りつつ北方領土の歴史や史料を見させてもらった。珸瑤瑁(ごようまい)水道を挟んで目の前に横たわる島、それぞれ水晶島(すいしょうじま)、勇留島(ゆりとう)、秋勇留島(あきゆりとう)というらしい。その手前ここから僅か3.7kmの場所に古ぼけた灯台が肉眼でも見える。これが根室半島に一番近い北方領土の貝殻島(かいがらじま)。

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  やって来た!本土最東端、納沙布岬。

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  珸瑤瑁水道を挟んで秋勇留島。

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  国後の島影。

 これら歯舞群島と色丹島は地政学的に根室半島の延長線上にある。戦前は人が住み漁業を営んでいたと言うが、今は国境を守る兵士以外に住人は居ない。帰りのバスは今から2時間半後の午後5時。資料館で小一時間にもわたる史料映像を見た後でも時間はたっぷりある。強風の中コートのフードをしっかり被り、お隣の北方館・望郷の家へ移動する。夏季は土産物屋や食堂も店を開けるそうだがこの天気ではどこもやっていない。

 北方館には北方領土を臨む展望台があり、無料の望遠鏡で北方領土を視察することが出来る。3.7km先にある貝殻島の灯台が肉眼でもくっきり見える。この灯台は戦前に日本が建てたものらしい。望遠鏡で真向かいの水晶島を覗けば国境警備隊の建物や、ロシアが実効支配を正当化するために建てた正教会の教会が確認できた。こんなに近くにある島なのに決して行くことが出来ない。資料館を出るとまた強風が吹き付けてくる。四島の架け橋モニュメントの向こうには国後島の山々がうっすらと見えている。凍てつく寒さと強風の中、頑張って納沙布岬の灯台まで行ってみた。一歩一歩足を踏みしめ、雪に足を取られて転ばないように。岬の白い灯台。裏手に回ると正しくそこがニッポンの最果てだった。

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  これ以上は行けない、此処がニッポンのさいはて

 北方四島を巡る歴史は十分に学び知ることが出来たが、戦争に負けて取られた島を取り返すなんて、またロシアと戦争やって勝つしか方法が無いじゃないか。かつてソ連が我が国にしたように、今現在島に住んでいるロシア人を全員追い出して、また札幌や東京から人を移住させれば良いのだろうか。辺り一面は白と灰色の世界、この岬には私一人しか居ない。もの凄い風と波の音、もうこの先には絶対に進めない。ニッポンの最果てに私一人。そしてこの先は、私の行けないニッポン。

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  誰もいない岬の先端。ニッポンで一番早い夕日が沈む。

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  根室駅へ戻ります。

 日がどっぷりと暮れた納沙布岬から根室行きのバスで引き返す。帰りのバスも私一人。根室の市街に入ってようやく乗客が一人乗ってきた。一応帰りの列車は19時00分発の釧路行きだがまあ走ってはくれないだろう。根室駅に着くと案の定ホワイトボードに全列車終日運休と書かれていた。詰所の駅職員が明日の始発も走らないと言っている。まあ今回は急ぐ旅じゃない。このまま根室に泊まればいいだけだ。市内の宿数軒に電話して駅近く一泊5千円の宿に決めた。昨日の宿より1500円も高い割には、極めて貧相なホテルだった。

バニラエアひがし北海道フリーパスで行く道東の旅~1日目

 凄い拍子だが、昨夜急に北海道の流氷を見たくなって、そのまま往復のLCCをポチってしまった。

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  オホーツクの海と流氷(イメージ)

 今日の午後に成田を発って、土曜日の深夜に成田に帰ってくることにした。このように私は勢いだけで行動することがある。後のことは考えていないが、長い人生たかが4日くらい行方をくらましても問題はないだろう。それに旅は空いてる時期の方がいい。ゴールデンウィークや三連休に出掛けるなぞまっぴら御免である。

 それに一人になりたい。私の旅行はたいてい誰かと行くか、誰かに会いに行くかの二択なので、日帰りならまだしも、いってきますからただいままでずっと一人の旅行は稀である。そもそも今はそういう気分なのだ。冬の北海道は何処に行ってもとにかく人の気配がない。エゾジカとキツネの楽園になる。そんな中に私だけで一人ぼっちになりたい。

 SNSの世の中。常に誰かと繋がっていて一人になれる機会は無い。東京で暮らしていれば尚更だ。たまにはこうして一人になることで、自分自身を見つめ直すことも人生に於いて大切だろう。一応スマホは持っていくがSNSは極力開かなければいい。だが我慢するのは逆効果なので、アプリは消さずに留めておく。要するに、冬の北海道へ心の再起動ボタンを押しに行くのだ。 家でゴロゴロしていたい気持ちもあったが、自宅のPCの前に座っていても何も変わらない。行かずに後悔するより行って後悔。時間もお金も十分あるではないか。それに、汽車の切符と違ってLCCはキャンセルできない。今回は自分で自分に冬の北海道に行くという縛りをかけたのだ。こうでもしないと私は動かないから。

 こうして2月1日木曜日の昼前、私は手ぶらで家を出た。4日程度の逃避行に荷物なんて要らない。持っていくのは財布とスマホと愛用のカメラくらいだ。自宅の前がバス停で、ちょうどバスがやって来たので乗った。いつもの営団ではなくE電の駅まで出る。京成電車に乗り換えまずは成田空港へ向かう。やって来た電車は途中の京成佐倉行きだがこれに乗った。ガラガラのロングシートの端っこに座ってじっとしておく。どう考えてもこれから北海道の最果てへ行く格好ではない。

 京成佐倉でしばらく待つと成田空港行きの電車がやってきた。こちらは大型スーツケースを従えた乗客もちらほら居て、「非日常」の空気がある。これから乗るのは成田空港を13時50分に発つバニラエアJW917便で、新千歳空港に15時35分に着く。電車は12時半位に空港第2ターミナル駅に到着した。ここから先は人の流れについていけば勝手に第3ターミナルに着く。LCCにはまだ慣れてないので、こういう時は周りに合わせておくのが私の処世術だ。連絡バスに乗って無機質な空港の構内を往く。解らなければそこら辺の係員に聞けばいい。LCCは何かと面倒くさいイメージが合ったが手ぶらで乗る分にはシンプルだ。自宅のプリンタで印刷した用紙を持って、30分前に保安検査場へ行くだけでよい。検査場の手前にはレストランやコンビニや書店が連なっている。殺風景な第3ターミナルでここだけが賑やかだ。お昼だが食欲がないので御飯は向こうで食べよう。ふらっと入った書店で冬の北海道のガイドブックを購入した。今回の旅行はあまりに突発的で、旅程どころか何処に行くかも全く決めていない。この本は機内で読むことにする。バイブルは札幌駅のキオスクで道内時刻表を変えばよい。

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  とりあえず、まず飛行機に乗ろう。

 こうして13時50分、JW917便は成田空港を出発し北海道へと向かった。成田は晴れていたが飛行機はすぐに雲の中に入ってしまった。機内には中国の観光客が多く、私の隣にも中国人の夫婦が座った。隣の夫は機内が空いていると見るや他の席に勝手に移ってしまった。ただでさえ狭い機内だ。その方がお互いのためだろう。前方の席で中国人の子供が騒いでいる。よくある光景だ。

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  あっという間に北海道

 機内で読むつもりで購入したガイドブックはほとんど読めなかった。慣れない飛行機で心がしんどく、結局機内では雲の中でじっとしていた。次に陸地が見えたときは一面の雪景色で、しかも強く吹雪いている。それでも新千歳空港にはほぼ定刻に到着した。ここからノープランの冬の北海道逃避行がはじまる。まず駅のみどりの窓口で「バニラエアひがし北海道フリーパス」を購入した。新千歳空港発「札幌、小樽、旭川と石北本線、釧網本線、根室本線、石勝線の内側」が今日から5日間乗り放題で、自分で言うのも何だが、私がフリーきっぷを持てば鬼に金棒だ。新千歳空港駅からはまっすぐエアポート号に乗った。外は強く吹雪いている。もちろん傘は持ってないが車内の誰も傘を持っていない。冬の北海道ではそういうのが普通らしい。車窓に建物が増えてきて、札幌都市圏に入った。

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  札幌は午後の5時。

 札幌駅、外は猛吹雪である。時刻は午後5時を過ぎ、そろそろ帰宅ラッシュが始まる。正直今夜の予定は何も決めていない。まだこの時間なら網走行きや釧路行きの特急もあるが乗らないことにした。晩御飯はススキノや狸小路まで行く気力がなかったので、札駅近くの二郎に行った。店内は空いていた。

 猛吹雪の中を歩くだけでこころがしんどい。北海道に来た途端に活動限界だ。時刻はまだ午後の6時だが、札幌駅近くのビジネスホテルを片っ端から探して、北18条に3500円のホテルを見つけた。札駅からも歩けない距離ではないが猛吹雪なので二駅だけ地下鉄を利用する。3500円の割に客室は広く清潔で、これは自宅のようにくつろげる。ここに来てようやく旅行してるんだなという実感が出てきた。デスクに冬の北海道ガイドブックと道内時刻表を広げて、明日から3日間の行程を制作した。1日目は最果ての根室まで行って納沙布岬。2日目は釧網本線沿いの摩周湖と屈斜路湖を見て川湯温泉に泊まる。そして3日目は網走で流氷。恐らく行く先々で破綻すると思うが、それもまた旅の楽しみだ。

 とにかく、こうなってしまった以上は、4日間の逃避行で心の再起動ボタンを押し、新たな気持で東京に戻って新たな人生を歩みたい。そのための4日間だ。今夜はその1日目としてここ札幌のホテルで心を休めたい。人生数万回の夜のたった一夜なんだからこういう過ごし方もありだろう。外は猛吹雪。客室の暖房を全開にして寒さに備える。毎週楽しみにしている刑事ドラマを見つつ、明日からの旅行のことや、心に浮かんでいくよしなき事を色々と考えつつ、冬の北海道のホテルの一室で非日常の夜を過ごした。明日は札幌7時発朝一番の特急列車に乗る。

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   では、4日間の冬の北海道逃避行が、はじまります。

人生二度目の熊野詣に至るまでの過程

 大阪で過ごしているうちに急に熊野詣に行きたくなった。和歌山県の紀伊半島の果て、田辺市本宮町の熊野本宮大社、新宮市の熊野速玉大社、那智勝浦町の熊野那智大社を参詣することをいう。

 熊野とは隈(奥まって薄暗い処)を意味し、紀伊半島の奥の山の中、森の中をいう。交通が発達した現在でも彼の地へ行くには半日かかる。大昔はそれこそこの世の果てであっただろう。だからこそ人は彼の地に神秘性を感じ、遠い昔は神話の、古くは密教の地として信仰を集めていた。末法思想が蔓延った院政期には上皇や女院が挙って熊野へ参詣したという。

 現在、熊野三山を含む紀伊山地の霊場と参詣道はユネスコの世界遺産に登録されている。国内での知名度は勿論、近年のインバウンドを受けて関西国際空港に程近い彼の地は国外からの観光客も多いという。もう十数年も訪れていない彼の地がどう変化したかもこの目で見てみたい。

 そして今の世の中も完全にブラックボックスだ。四六時中情報が洪水のように流れてくる。社会の仕組みがもの凄い勢いで変わっていく。生きているだけでも疲れるのに出来事の因果関係はどんどん複雑になっていく。一時の現実逃避で東京を離れ大阪の実家で過ごしている自分も、今こそ熊野へ行くべきではないか。九州から東京へ戻る乗車券を無理やり「方向変更」し、紀伊半島を時計回りにぐるっと回ってまた大阪に戻るルートに変更してしまった。こうして紀勢東線の始発駅、亀山にやってきた。 
 
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 亀山駅で発車を待つ紀勢東線キハ25系。

 かつての熊野詣は京から紀伊田辺へ向かい、そこから山へ入り本宮を目指したという。現在その道は熊野古道として世界遺産に登録されている。だが私の熊野詣はそこまで厳格ではないので、行きは亀山から紀勢本線で紀伊半島の東側を回って新宮へ向かい、帰りは西側を回って天王寺へ戻る。方向変更してもらった乗車券にもその経路が書かれている。亀山12時16分発の多気行き普通列車はキハ25系2両編成。平日昼下がりの車内はガラガラで、ロングシートと大きな窓は解放感にあふれている。途中の多気駅で乗り換えがあるが、今日はこの車両で熊野詣の玄関口、新宮駅まで向かう。ロングシートの中間に座ると向かいの窓はあたかも巨大なスクリーンだ。加太峠は雪景色だったがここには黄土色の光景が流れていく。一身田で半ドン帰りの学生が大量に乗り込み、津、松坂辺りは地元客で混雑した。

 多気で13時16分発の新宮行き普通列車に乗り換える。こちらもキハ25系2両編成。こちらは用務客が一両に数人だけ。これから志摩半島の付け根を越えて紀伊の国に入る。新型気動車は軽快なエンジン音を奏でながら国境の峠を易々と越えていく。旧式気動車キハ40やキハ11をミャンマーに追い払い、JR東海非電化区間の雄になりつつある。大きな窓に流れる茶畑やみかん畑が次々に映し出される。峠のサミットをトンネルで抜け、列車はヘアピンカーブを描きながら紀伊長島駅の構内に滑り込む。目の前の窓に海が映った。

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 三津野駅で上り普通列車と交換。

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 尾鷲で特急「ワイドビュー南紀5号」に先を譲る。自由席は空いていた。
 
 今回の熊野詣にはもう一つの理由がある。それは若い頃の自分に会いに行くということ。大阪時代の15年以上も前に私は熊野三山を訪れており、熊野本宮大社は本宮町を仕事で訪れた際に参拝した。写真などは記録していないが当時の記憶はかすかに残っている。その際に湯の峰温泉という近場の温泉街に2~3日ほど宿泊した。温泉街と言っても相当鄙びており、ボロい民宿に相部屋で宿泊した記憶がある。今夜はその温泉街に宿を取っている。さすがに15年前に宿泊した民宿の名までは記憶にないが、訪れれば当時の記憶が蘇るであろう。キハ25の大きな窓には熊野灘の大海原が広がっている。車両こそロングシートの新型気動車に変わったが、この海はあの日キハ58から見た海と変わらない。停車する海沿いの小駅も当時のままだ。年を重ねると旅が若い頃の自分に会いに行くものになる。
 
 背後には紀伊山地、そしての目の前には熊野灘。新宮行きの普通列車は数少ない乗客を乗せて紀勢東線をゆっくり走る。三津野で対向列車と交換のためしばらく停車。昼下がりの陽気に誘われ列車を降りると暖かい空気に包まれた。15時30分着の尾鷲で特急「ワイドビュー南紀5号」に先を譲るため21分間も停車する。ここは熊野地方最大の街で買い物帰りのお母さんたちが大量に乗ってきた。どのお母さんもスーパーの袋に食料品や日良品を大量に詰め込んでいる。数少ない普通列車に乗って街へ行き、スーパーで数日分の買い物を済ませて帰宅するのが日常なんだろう。

 尾鷲から熊野市の間は戦後に建設された新線区間を往く。リアス半島の付け根をトンネルで抜け、駅前に漁港と海が見える。あの三陸鉄道の景色と全く同じだ。駅毎にスーパーの袋を持ったお母さんたちが降りていく。九鬼駅からは水軍の歴史が感じられる。新鹿の駅前には白亜の砂浜が広がっている。大泊の港は来るべき南海トラフ大津波に備えた巨大な堤防に覆われていた。だが幾ら減災に努めても大津波は近いうちに必ずやってくる。今こうして紀勢本線の車窓に移る光景も、次に見るときは一面の瓦礫の山になっているかもしれない。各駅のホームにも津波避難経路の物々しい表示板が建っている。

 熊野市から先の線路は海岸線に沿っているが国道と防風林で海は見えない。この区間は下校の高校生で混雑した。

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 人一人いない、真冬の新鹿海水浴場。

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 大津波は必ずやってくる。この通りの光景が見られるのは今日が最後かもしれない。

 進行方向に熊野川の大鉄橋が見えてきた。川を渡れば和歌山県で、この先はいよいよ浄土の地だ。かつての熊野詣では道中の冨田川を渡ることを、三途の川に見立てて儀礼的な死を表していた。川の流れは強力な浄化力を持ち罪業を拭い去る。今から列車で熊野川を渡ることで、私の熊野詣のはじめの第一歩としたい。真冬のか弱い夕光が熊野川の川面に落ちる。17時04分新宮着。

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 紀勢東線の終着駅、そして紀勢西線の始発駅、新宮に到着。 
 
 新宮から熊野交通のバスで本宮へ向かう。どっぷりと日が暮れた本宮大社前のバス停でバスを乗り継ぎ、湯の峰温泉には19時過ぎに到着した。日はとうに暮れているが硫黄の香りが鼻を突く温泉街。15年前の記憶が一瞬で蘇った。今夜は温泉街の中心にある旅館「伊せや」に泊まる。 安永元(1772)年開業の旅館は小奇麗にリニューアルされ、ロビーでは欧州からのカップルがタブレットを片手に談笑している。店主によるとここ数年海外からの観光客が急激に増加し、同じく古道と巡礼の文化を持つスペインからの観光客が多いらしい。閑散期の平日とあって宿はガラガラで静かな一夜をおくれそうだ。早速部屋に荷物を置いて温泉に入る。温泉は命の源。そして湯上りでの食事。旅先での贅沢な時間を過ごさせてもらった。 

エヴァ新幹線(500TYPE EVA)に乗って使徒と戦ってきた

  
 キャプチャ

 サードインパクト後の混沌とした世界を象徴するかの如く登場した、エヴァ新幹線こと5000TYPE EVA。原作のアニメは公開から20年を経過した現在でも今だ人気衰えず、エヴァ新幹線も来年度へ引き続いての運転が決定したようだ。大九州合同祭から一夜明けた1月16日月曜日、上りの「こだま730号」を小倉→新大阪間で乗車してきた。一日一往復の500TYPE EVAは上りが小倉発が6時54分と早朝で、しかも昨夜は博多で三次会まで呑んでいたのだが、今朝はしっかり早起きして、夜明け前の小倉駅へと向かうことができた。

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 小倉駅へ入線する「こだま730号」
 
 山陽新幹線の「こだま」として活躍する8両編成の500系。その一編成をアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』に登場するエヴァンゲリオン初号機をイメージしたカラーリングに変更し、その博多寄り2号車が500TYPE EVA特別内装車、最後尾の1号車が展示ルームと実物大コックピットに改造されている。そして今からその実物大コックピットに搭乗してくる。こちらは博多~新大阪間の区間を区切って1組が搭乗可能で、今回私達は二番手の小倉~厚狭間で搭乗することとなった。こちらの体験は事前申し込みの抽選制だが、平日の朝7時からエヴァに乗りたい人もそう多くはなかったようで、無事当選し搭乗できる運びと相成った。

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 エヴァ初号機に搭乗、20年越しの夢が叶いました。

 
小倉~厚狭間の走行時間は約20分。その間に二人交代でエヴァを操縦する訳で、実際にコックピットに搭乗できるのは10分くらい。原作のエヴァ初号機は5分間しか起動しないので、そんなものなのかもしれない。オペレーターのお姉さん二人(ミサトさんと冬月博士のイメイジ?)に案内され、靴を脱いでコクピットへ。目標はアニメ版第一話と同じく第三使徒サキエルを倒すこと。まずはエヴァとシンクロし、使徒を攻撃しつつATフィールドをこじ開け殲滅させる。至ってシンプルだがここは20年来の夢が叶ったということで。交代でコックピットに搭乗した相方も私と同じエヴァ世代ということで楽しんでいた。もう少し時間があればシンジ君の如く「逃げちゃだめだ!」をやりたかったのだが、あまり居座ると次の区間の方に迷惑がかかるので。

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  エヴァ初号機覚醒、ATフィールドを突破。

 
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  第3使徒サキエルを撃破。

 
1号車のもう半室はエヴァ新幹線展示ルームとなり、エヴァと新幹線車両を絡めたジオラマやパネルが展示されている。こちらは誰でも入場できるので朝から記念写真を撮る人も多い。原作『新世紀エヴァンゲリオン』の放映はもう20年も前。近未来の2015年を舞台にはじめは純粋なロボット戦隊アニメと思いきや、中盤から哲学的かつ抽象的な展開を見せ始め、最後の2話は思いっきり作画崩壊を起こし強引なハッピーエンド。それでも当時の世間や後世の作品に大きな影響を与えたコンテンツになりえたと思う。周囲は「難解すぎて意味が解らなかった」と言っていたが、私は主人公の碇シンジくんの「逃げちゃだめだ!」のせいで、以降の少年、青年時代にどれだけ自分を追い詰めて苦しめたかわからない。死んじゃうくらいなら何もかも放り投げて逃げていいって気づくのに15年もかかったよ!

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 エヴァ初号機の向こうにカヲル君。エヴァ新幹線の車内放送は彼(CV.石田彰)が担当しています。

 この週末日本列島は大寒波に見舞われ、今日も東海道・山陽新幹線のダイヤが始発から乱れまくっているとのこと。九州は雪はなかったが山陽に入ると線路際に積雪が目立ち始め、瞬く間に猛吹雪に。「こだま730号」は各駅で後続の「ひかり」「のぞみ」に先を譲る旅路となるため、後続の新幹線が遅れれば「こだま730号」もその分待たなければならない。各駅での停車時間も徐々に伸び始め、東広島駅では遂に暫く抑止となってしまった。どうせならこの区間でコックピット搭乗乗車に申し込めば、その分長く居られたのに。

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 エヴァ新幹線、雪で止まる(東広島駅)

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  500TYPE EVAといえども、後続の700やN700に先を譲る。

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 デッキはまるでエヴァの格納庫だ。

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 碇指令が手を組んで座ってそうな車内。

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 1995年原作のアニメでは、タバコを吸う女性も珍しくなかったのだろう。

 自由席の2号車は特別内装車となっており、座席や通路、デッキまでもがNERV仕様に描かれ、喫煙室では加持さんとリツコさんが紫煙を燻らせている。全車両を見渡してみましたが平日午前の「こだま」とあって乗車率は高くない。「こだま730号」は20分程度東広島駅で抑止した後運転を再開し、次の三原から先は一気に雪がなくなりダイヤもなるべく平常に戻すとのこと。でもこれにより各駅での停車時間が全く読めなくなった。実は今朝が早かったので朝御飯を食べてなく、各駅での停車時間中に売店へ駆け込む予定にしていた。だがこのダイヤ乱れでその余裕がなくなり、「こだま」には車内販売も無い。結局飲まず食わずで4時間半、終点の新大阪駅まで耐えなければならないようだ。

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 この姿、まさにエヴァンゲリオン初号機。(西明石駅)
 
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 斬新な流線型デザインで最高速度285キロを達成するも、現在は「こだま」として身を持て余す。

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 新幹線はニッポンの大動脈だ。

 先程の吹雪が嘘のように晴れの国こと岡山は快晴。ここから山陽新幹線は赤穂線の線路に沿い、短いトンネルを次々に抜けて播磨の国へ。姫路ではビル群の向こうに大改修を終えた姫路城が青空に輝いていた。西明石の先で神戸トンネルに入り、これまた全長16250m、かつては我が国一のトンネルとして名を馳せた六甲トンネルとの間に位置する新神戸駅に到着。名残惜しいが500TYPE EVAの旅もあと一駅となった。大阪の市街に入り、「残酷な天使のテーゼ」のチャイムと聞きなれたカヲル君の車内放送で、500TYPE EVAの旅が締めくくられる。最後はほぼ定刻通りに新大阪着。列車はそのまま折り返し11時32分発の「こだま741号」となり博多へ向かう。20番線のホームにはエヴァ新幹線を一目見ようと多数のギャラリーが集まり、出張と思しきスーツ姿のおじさんも思わずスマホを向ける。若いお父さんに連れられたちみっこが先頭車両で写真を撮ってもらっている。500TYPE EVAの旅が、再び始まろうとしている。

大九州合同祭9告知

 今年も残すところあと360日を切り、2017年もいよいよラストスパート。昨年の紅白で見たあのピコ太郎の一発芸が、つい最近のようにこう、懐かしく思い出されます。寒さ厳しい折、皆様お風邪なぞ召されておられませんでしょうか。

 平素はサークル「けろぷろ!」に温かい応援の程、誠に感謝いたします。2017年のイベント姫始めは1月15日(日)の大九州合同祭9となりました。旧「ケロちゃんプロジェクト」時代からおよそ1年4ヶ月ぶりの東方祭参加となります。チルノダンスもすっかり忘れてしまいましたので現在、猛復習中です。

 大九州合同祭・公式サイト
 http://dai9.tohosai.com/

 PEXACES WEBカタログ 大九州合同祭9 
 http://webcatalog.pexaces.com/dai9shugodosai9/allcirclelist.html

 では僭越ながら、頒布物の方を

 大九州合同祭1701おしながき

 【既刊】とびっきりのクソ新刊「ハタテピピック」(持込数100)
 http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=59554120
 
 【既刊】俺たちの青春をもう一度「ミレニアムの幻想少女」(持込数30)
 http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=59341794

 指定暴力団とらのあな様やメロンブックス様の軍門に下りたくないので書店委託はしません。これだけ持ち込めば完売はしないと思いますが、文々。ではまさかの完売でねこのしっぽダンボールを会場で破壊し廃棄する名誉に預かれました。どうしても手に入れたい方はなるべくお早めに。もっとも家のベッドの下には罪庫が沢山ありますので、次回以降のイベントでも見掛けましたら宜しくお願いします。 

 (ここから下は戯言・・・

 旧「ケロちゃんプロジェクト」時代は遠征にLCCとツアーバスは絶対使わず、でかふもれいむを抱いて夜行列車に乗り込むパティーンを繰り返してきましたが、現在はちゃっかりジェッヨスターで福岡空港へ一飛び致します。前々日の13日(金)が遅番ですので、仕事が終わってそのまま上の駅へ向かい、最終の京成イヴニングライナー73号で成田空港24時12分着。そのまま闘争地主の小屋で夜を明かして6時05分発の福岡空港行きに乗る予定です。

 野宿や路上泊はもう慣れっこなんですが、LCCという存在は全く持って不思議ですね。今回は1月の勤務シフトが出た先月末に予約しましたが、今見たら運賃が予約時から2000円近く上がってるんですね。今まで1ヶ月前の10時にみどりの窓口を凸、で乗り物の切符を取ってきたんですが、これからは「ポチるタイミング」が重要ということでしょうか。今回は土曜発で運賃はやや高めですが、平日なら成田空港までの交通費を入れても6千円くらいで九州に行けてしまうということでしょうか。一方で払い戻しや変更に融通が効かないという難点もありまして、汽車と違ってなかなか難儀しそうです。

 土曜日は相方とスペースワールドの葬式鉄を執り行い、日曜は東方祭に参加後いつものメンツと小倉で呑み。月曜日はあの話題のエヴァ新幹線で一気に新大阪へ向かい、暫く大阪の実家で心を休めようかと思います。実は今こころがしんどくて色んなものを休んでいるので。この機会に昔の友達にでも会って、色々悩みを聞いてもらおうかと思います。
  
  ともあれ、1月15日は西日本総合展示場で、残念な咲夜さん(コスプレ)と握手!

バースデイきっぷで巡る四国~3日目

 昨夜高松市内に宿を取ったのには理由があった。市街から少し離れた住宅街のど真ん中に、手打十段うどんバカ一代というユニークな名前のうどん屋がある。以前、UPFGうどんツアーの最後の店として二階建てバスで乗り付け、既にこの日は朝5時から十軒近くのうどん店を回っていたのだが、ここで「釜バター大盛」を注文し完食した。大食いには自信があるのだ。あの味が忘れられず、今朝は夜明け前に宿を出た。

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  UPFGひとりうどんツアーEXT「手打十段うどんバカ一代」 

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  釜バター大

 この店は朝の6時から営業を開始する。店に着くと既に5~6名が開店を待っていた。土曜日の早朝でもこの人出、人気店なのだ。やがて店先に暖簾が掛けられ、入店し今日も釜バター大盛を注文する。そうこうしているうちに続々と客が入ってきて狭い店内が満員になってしまった。まだ土曜日の夜明け前だ。大きな器にどっさり入れられたさぬきうどんに、バターと香辛料、そして卵。これを頬張りながら食べる。なかなかハードな朝御飯だ。ともあれ、今日も釜バター大を完食し、最寄りの栗林駅まで歩く。ちょうど6時49分発の特急「うずしお2号」が入ってきたので、一駅だけだが特急列車に乗車して高松駅へ。ここから改めてバースデイきっぷの旅、3日目を開始する。

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  頭端式ホームに連絡船の名残を見る。朝の高松駅。

 東の空に西国の遅い夜明けが訪れた。今日のメーンは「愛ある伊予灘線」こと予讃本線旧線を2往復する観光列車「伊予灘ものがたり八幡浜編」号。一昨日高松駅のみどりの窓口で全列車の空席を調べてもらって、最後に獲った1席だ。「伊予灘ものがたり八幡浜編」号は松山駅を13時28分に発車する。今日は松山駅までバースデイきっぷの威力を活かし、色んな列車を乗り継いで向かおうと思う。

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  トップバッターは高徳本線の「うずしお1号」
 
 まずは高徳本線で徳島へ向かう。高松7時05分発の徳島行き特急「うずしお1号」はN2000系3両編成。グリーン車は連結されておらず、自由席と指定席だけのシンプルな編成である。土曜日の朝だけあって座席はパラパラとしか埋まっていない。高松駅を発車後西へ走り、左へ90度カーブし東へ方向を変え、高松の市街を琴電と並走して走る。左手には高松のシンボル屋島が居座っている。東の空には師走のか弱い朝日が昇った。旅を続けて思うのだが、真冬の早朝の、この張り詰めた静謐な空気はなんと良いものか。清少納言が言った「冬はつとめて」とはこういう景色なのだろうか。讃岐津田の先で左手に瀬戸内海が刹那見えた。海の向こうの島は小豆島だろうか。昨日の車窓は土佐の太平洋の大海原だったが、今日は讃岐の朴訥な景色が広がる。四国の車窓はこう、のんびりしていて良い。

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  讃岐のシンボル屋島。

 峠を越えて徳島県に入る。池谷で鳴門線が別れ、吉野川の鉄橋を渡り徳島の市街を高架で抜ける。8時14分、徳島着。高松徳島間74.5km、所要約1時間10分。東京からだと国府津、小山、成田空港辺りか。決して遠くはないが、隣の町という訳でもない。徳島市はアニメを利用した町おこし「マチ☆アソビ」を毎年春と秋に開催していて、街を歩けばその内容に一部触れることが出来る。毎回行きたいと思いつつも、東京から四国が遠すぎてまだ一度も訪れていない。

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  JR徳島駅前。鳴門大橋を渡る「エディ号」が停まっていた。

 JR四国の四大本線と言えば、伊予と讃岐を結ぶのが予讃本線。土佐と讃岐を結ぶのが土讃本線。高松と徳島を結ぶのが高徳本線。そして徳島と阿波池田を結ぶのが徳島本線である。全長74km。全線に渡って四国三郎こと吉野川に沿って走り、よしの川ブルーラインの愛称が付いている。優等列車は線内完結特急「剣山」が6.5往復走る。

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  2両編成のローカル特急「剣山」

 徳島9時03分発の阿波池田行き特急「剣山3号」はキハ185系2両編成。昨日の「むろと」と同じ編成だ。1号車の後方12番から15番の16席が指定席で、一番後ろの15番D席を取った。指定席には私以外にジャパンレールパスを持った外国人3人組が乗っている。日本に観光旅行に来てわざわざ四国、しかも徳島本線とは渋い所を突いている。

 徳島を出ると先程の高徳本線と同じ複線高架区間を走り、佐古で左に別れ眉山の北側を周り、ローカル特急は徳島平野に敷かれた非電化単線の鉄路を淡々と行く。通過する駅には駅舎があって駅員の姿が見え、銀杏の葉は黄色く、柿の実が残り、季節はまだ晩秋の様相を呈している。暫く経ってようやく吉野川の流れが見えてきた。日の本を二分する中央構造線に沿って、ゆっくりと、そして悠々と流れている。川向うの低い山々の向こうにさっきまで居た讃岐がある。貞光駅は列車名の由来となった剣山の登山口である。

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  四国三郎、吉野川を見ながら。
 
 吉野川の流れが急になってきた。ごつごつとした岩肌が現れる。川の向こうに山を下ってくるアンパンマン列車が小さく見えた。昨日通った土讃本線の線路で、ここでヘアピンカーブを描いて吉野川を渡り、徳島本線と合流する。バイブルを開くと岡山8時51分発の中村行き「南風3号」だと解った。土讃本線と合流し佃を通過、阿波池田の市街に入る。10時16分、2分遅れで阿波池田駅に到着。

 そして阿波池田から多度津へ出る。10時20分発の岡山行き「南風8号」は2000系3両編成。自由席も指定席も混んでおり、グリーン車も一人掛けの席は全て埋まっていた。土曜の朝に高知から本州へ向かう乗客が多いのだろう。  

 昨日、一昨日と通った道を再度行く。秘境駅の坪尻駅を三度見て、峠を下り讃岐の国へ戻る。琴平駅にはJR西日本の真っ黄色の115系普通電車が停まっていた。バイブルを開くと10時46分発の岡山行き普通列車らしい。琴平から瀬戸大橋を渡って本州へ向かう普通列車があるとは知らなかった。読み鉄としては興味深いスジだが、今回の旅は特急列車のグリーン車で豪遊するのが目的なので普通列車に乗ることはない。善通寺を過ぎると再びやって来た四国のジャンクション多度津。35分のグリーン車の旅。そして次もグリーン車で一気に松山へ向かおう。

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  「南風8号」多度津着。

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  予讃本線を一気に松山へ。

 多度津11時21分発の松山行き特急「しおかぜ7号」は8000系8両編成。先頭1号車のグリーン車の海側席に座った。昨日の予讃本線は雨の瀬戸内海だったが、本日は青空で素晴らしい景色が見られそうだ。

 早速右手に瀬戸内海が広がる。瀬戸内のしまなみと、本州がきれいに見えている。そして海上に現れる朱塗りの欄干の橋と鳥居。こどもの守り神として知られる津嶋神社で、今通過した津島ノ宮駅は毎年8月4日、5日の大祭の日のみ列車が停まる臨時駅である。観音寺を過ぎ、愛媛県に入った川之江でまた製紙工場の煙突群が見えてくる。そしてまた右手に海。山陽本線のローカル列車から見る瀬戸内海も美しいが、予讃本線のグリーン車から見る瀬戸内海もまた然り。左手には石鎚山脈。列車が海と離れると四国特有の素朴な景色が広がる。季節は師走だが今日もぽかぽか陽気、太陽が眩しい。

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  今日の瀬戸内海は快晴。しまなみを眺めながら。

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  海に突き出た、津島ノ宮。

 藤堂高虎の水城で有名な今治では高架橋からしまなみ海道が見える。今はタオルの生産と造船で栄える工業都市で、港に造船場のクレーンが並んでいる。対岸の島並は安芸の芸予諸島。ここから呉が近く、国鉄時代は予讃本線の堀江駅と呉線の仁方を結ぶ航路もあったらしい。ここで車内放送があり、これから車掌が検札を兼ねて特急券を回収するとのこと。以前四国に行ったときも松山の手前で車掌が特急券を回収しており、JR四国独自のルールらしい。もっとも前回は周遊きっぷで、今回もバースデイきっぷ。グリーン車は検札すらなく、「しおかぜ7号」のグリーン券はそのままきれいに私の手元に残った。松山の市街に入り、伊予鉄高浜線をオーバークロスすると前方にお城が見えてくる。車内にJR四国チャイムが鳴り、13時15分、特急「しおかぜ7号」は終点の松山に到着した。

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  「しおかぜ7号」松山駅に到着。

 これより本日のメーン、リゾート列車「伊予灘ものがたり号・八幡浜編」に乗車する。平成26年の夏より運転を開始し、週末を中心に予讃本線松山~伊予大洲・八幡浜間を2往復している。松山駅3番線ホームに向かうと2両編成のキハ47系気動車が停車していた。1号車「茜の章」は夕日をイメージした茜色。2号車「黄金の章」はみかんと太陽をイメージした黄金色。アテンダントのお姉さんに恭しく迎えられ、1号車の海側、一人掛けの座席に座った。緑色の座席には臙脂色のクッションが置かれていて座り心地が良い。車内は全車グリーン車指定席で、もちろんバースデイきっぷで乗車できる。

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  いよいよ、憧れの伊予灘ものがたりへ。

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  皆、思い思いの伊予灘ものがたりを想いながら。

 13時28分、駅社員に手を振られながら松山駅を発車。車内には静かなBGMが流れている。座敷席では若者のグループが騒ぎ、山側のカップル席には老若男女のカップル、そして海側のおひとり席には中年の鉄道マニア達が大人しく座っている。車窓に坊っちゃんスタジアムが現れ、アテンダントのお姉さんが車窓案内をしてくれた。ここで乗客にお弁当が配られる。こちらは予約制の4500円もする御膳弁当で、私はアテンダントのお姉さんに伊予灘ものがたり特製ビールとおつまみのじゃこ天を注文した。早速グラスに注いで一杯。両隣のマニア達がテーブルに御膳弁当を広げ、一眼で撮影。私も倣って撮影する。一人旅のマニア達は各自静かに車窓を見つめ、後方のカップルたちは和やかに談笑。座敷席からは若者たちの賑やかな笑い声が聞こえてくる。この空気がリゾート列車ぽくて良い。私は基本的には寂しがり屋の一人好き。誰かと行くか、誰かに会いに行くかの旅行が大半だけど、独りで旅するのも悪くない。今回の旅は一昨日に宇和島で嘉島氏に会っただけで基本的に一人旅だ。冬枯れの松山平野を落ち着いた車内BGMと、キハ47のエンジン音が響く。こういう列車に誰かと乗るのも、はた大勢で乗るのも悪くないが、はたして自分にはどちらが向いているのか。その答えを探すためにこうして旅を続けているのかもしれない。そんな師走の伊予灘ものがたり。

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  せっかくだから写真に撮ってみました。

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  ヒトリの海
 
 伊予市の先で新線が左へ別れていく。昭和61年3月に山間を長大トンネルで貫く新線が開通し、特急列車は全てこちらのルートを通って八幡浜、宇和島方面へ向かう。一方の伊予灘に沿って走る旧線には「愛ある伊予灘線」の愛称が付けられ、ローカル輸送と観光路線の役割を担っている。「伊予灘ものがたり」の車窓にも早速伊予灘の海が現れた。窓一面に広がる冬の伊予灘。しまなみの向こうには本州の島影が見えている。列車はスピードを落とし、海岸にへばり付くように走る。14時15分、海に最も近い駅、下灘に到着。ここで8分間停車する。青春18きっぷのポスターを始め、映画やテレビドラマのロケ地にも使われた場所で、ぜひ一度訪れてみたかった駅だ。

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海を臨む駅で。

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伊予灘ものがたりの海。

 列車を降りると正に目の前が海だ。ホームには秋桜が咲き、地元の方々が「伊予灘ものがたり」の到着に合わせて集まってくれていた。ホームで海を眺めていると列車から音楽が鳴り出した。これが下灘駅を発車する合図らしい。車内に戻り、引き続き一人席から海を眺める。道中アテンダントのお姉さんから八幡浜のちくわ、大洲の手作りパン、伊予のみかんの施しがあった。JR職員さん手作りの看板が立つ喜多灘で伊予市から大洲市に入り、次の伊予長浜で海と別れて川に沿って走る。五郎ではたぬきの着ぐるみのちみっこによるお出迎えがあった。この辺り、たぬきの伝承があるらしい。五郎、親しみやすい駅名で、かつては野口五郎のファンから人気があったという。自分の世代なら山田五郎か。

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  海と別れて。

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  ちみっこがお見送り。

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  大洲城が見えた。

 先程分かれた新線と合流し、15時14分伊予大洲着。ここで隣の席のマニアが下車した。大洲は伊予の小京都と呼ばれる城下町で、街外れにはお城が建っている。城壁から市民が旗を振って「伊予灘ものがたり」を見送ってくれた。15時26分、伊予平野着。バイブルに記載はないが、上り普通列車並びに特急「宇和海20号」と交換のため6分間停車するという。ホームでは先程の大洲の手作りパン屋さんが商売を開始し、地元民と、「伊予灘ものがたり」の乗客が集まっていた。地元の女の子「あおいちゃん」が車内を回って乗客に折り鶴を配っている。次の千丈を過ぎると八幡浜の市街に入った。沿線の民家やガソリンスタンドのスタッフ達が総出で列車に手を振ってくれている。ラストは12月らしく山下達郎の「シンデレラ・エクスプレス」が流れ、15時52分、終点の八幡浜に到着した。列車はすぐに折り返して松山行きの「伊予灘ものがたり・松山編」となる。指定席券が取れればこの列車で折り返しても良かったが、残念ながら最後までチケットがご用意されなかったので、ホームから手を振って見送った。

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  「宇和海20号」と交換

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  終点八幡浜に到着。列車はすぐに折り返し松山へ。

 八幡浜は九州への玄関口で、ここから別府へ向かう航路にはいつもお世話になっている。八幡浜16時34分発の松山行き特急「宇和海22号」はTSE3両編成だった。トランス・シコク・エクスプレスの略で、2000系気動車の試作車として平成元年に落成した世界初の振り子気動車だ。確か一編成だけ「宇和海」として走っていて、ここで出会えたのは僥倖だ。伊予大洲から新線区間に入り、「伊予灘ものがたり」が2時間半かけて辿った道を1時間足らずで爆走する。

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  TSEに初乗車。
 
 17時26分、日がどっぷり暮れた松山駅に到着。今から行くべき所は一つしかない。チンチン電車に乗り換え25分ほどで道後温泉に到着。早速坊っちゃん風呂で冷えた体を温めて、適当に入った居酒屋で晩御飯を食べた後、しばし道後の温泉街を散策する。

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  路面電車に揺られてく。

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  坊っちゃん風呂で一休み。

 土産物屋が並ぶアーケードを抜けて歓楽街に入る。綺羅びやかなストリップ劇場や風俗店のネオンが並び、横浜の関内や渋谷の道玄坂を思わせる。温泉旅館でゆっくりした後、夜はお楽しみの精進落し。昭和の時代は会社や地域の慰安旅行で賑わったと見えるが今の時代には流行らない。土曜の夜だというのに歓楽街は閑散としている。いや、夜の歓楽街なんて基本的にはこんなものだ。東京に人が多すぎるのだ。風俗街を抜けて温泉旅館ゾーンに入る。女の子二人連れが浴衣で闊歩していて、先程の風俗街とは全く違う空気が流れている。こういうところに誰かと泊まってゆっくりしたいが今回の旅は一人旅。旅館街を抜けると先程の坊っちゃん風呂の前に戻ってきてしまった。夜風が冷たく温まった体もすっかり冷えてしまった。再びアーケードを抜けて道後温泉駅へ戻り、チンチン電車で松山駅へ向かう。時刻はもう夜の8時だ。

 さて、三日間のバースデイきっぷの旅もいよいよ大団円。名残惜しいが、本州へ戻る時間がやって来た。松山20時36分発の高松行き特急「いしずち104号」は8000系5両編成。既に新幹線は終わっているので瀬戸大橋は渡らず、5両編成全てが高松駅へ向かう。そしてこの車両はアンパンマン編成だった。同じくアンパンマン編成の「宇和海28号」が到着し、同一ホーム上で「いしづち」に乗り継ぐことが出来る。

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  アンパンマンエクスプレスいしづち。

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  宇和海、いしづち、アンパンマン編成が並んだ。

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  普通車の車内はこんな感じ。
 
 5両編成の最後尾、1号車1番C席の一人掛けグリーン席に座った。アンパンマンのテーマのチャイム音が流れ、アンパンマンが車内放送を行う。このアンパンマン編成、普通車は座席からトイレ、デッキに至るまでアンパンマンづくしだが、グリーン車にはアンパンマンのイラストが控えめに一枚飾られているだけである。グリーン車には他に男の子4人組が乗っている。彼らは次の伊予北条で降りてしまった。僅か12分のグリーン車。車内改札にも応じていたのでちゃんとグリーン券を持っていたのだろう。なお100kmまでの特急グリーン料金は1280円だ。
  
 ひとりぼっちのグリーン車。特急「いしづち104号」は夜の予讃本線を走る。松山駅で買った21世紀のカストリ酒ことストロングゼロを呑みながら、3日間の旅を反芻する。とりあえず、グリーン車というのもなかなか面白い乗り物だと解った。速さに課金しても車両に課金する風習はなかったので、今までグリーン車はほとんど未知の領域だった。何と言っても空いていて静かなのが良い。なお「いしづち104号」にグリーン券を買って乗ったとしたら高松まで200km以内で2750円。2時間20分で2750円。自由席が混んでて、疲れてどうしても座りたいならありかもしれない。いやそれなら一本後の列車に乗るか。相変わらずケチくさい。そんなことを一人で考えているうちに、お酒が回ってグリーン車の座席で寝てしまった。
 
 座席の座り心地が良すぎてすっかり熟睡してしまった。目が覚めれば「いしづち104号」は終点の高松駅に到着するところだった。再びアンパンマンのテーマのチャイムが鳴り、アンパンマンが高松駅到着の放送を行う。22時58分、振り出しの高松駅に戻ってきてしまった。頭端式のホームに降りた乗客も数名。指定席も自由席もガラガラだったらしい。ホームに吹く冷たい海風で一瞬で酔いが冷めてしまった。そして私の旅の終わりも、近い。

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  いしづち104号、高松着。もう少しだけ旅は続きます。

 一昨日の早朝、神戸からのジャンボフェリー深夜便で四国に入り、ここ高松駅からバースデイきっぷの旅を開始した。今から高松港1時発のジャンボフェリー深夜便に乗れば明日の早朝に神戸に戻ることが出来るが、行きと帰りが同じでは何か味気ない。帰りは高徳本線の最終特急「うずしお33号」で徳島に出て、徳島港から和歌山港行きの南海フェリーに乗船して本州に帰る。

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  正真正銘、これが最後の列車。

 ラストランナー、高松23時20分発の徳島行き特急「うずしお33号」に乗る。2000系3両編成。車内はガラガラで、指定席はスーツ姿のおじさんと、イケメンのお姉さん、そして私だけ。23時58分着の讃岐白鳥の先で日付が変わってしまい3日間有効のバースデイきっぷの効力が切れてしまったが、青春18きっぷのルールと違ってこの列車の終着駅までは日付が変わってもそのまま乗車できる。退屈なのでバイブルを捲ってみると、四国の特急はどれも始発が早く最終も遅い。先程の予讃本線も始発は今治4時37分発、松山5時05分発や、最終は松山0時55分着、伊予西条1時16分着という遅さである。どれも岡山駅で新幹線と接続することで、本州での滞在時間を最大限に伸ばせる仕組みになっている。逆に考えればそれが四国特急の使命なのだろう。

 四国。正直今まであまり訪れたこともなく、未知の部分が多い土地。わずか3日間ではあったが、土地の方と話し、土地の空気に触れ、鉄道を乗り継ぎ駆け抜けた3日間は楽しかった。なんといっても特急グリーン車の豪華さと居住性。あまり旅にはお金をかけたくないが、たまには奮発して違う景色を見てみるのも悪くない。国鉄型のローカル列車も良いものだが、新型特急のグリーン車も悪くなかった。線路は続くよどこまでも、これだから鉄道の旅はやめられない。

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  徳島到着。ここで旅は終わった。

 0時30分、徳島着。列車を降り、改札を抜け駅舎を出ると私の後ろで駅員が扉を締めて、そのまま鍵をかけた。バースデイきっぷの効力もこの瞬間に終わってしまった。
3日間の豪遊旅行はここで終わり、此処から先はいつもの苦行旅行に戻る。南海フェリー徳島港まではここから暗い夜道を徒歩1時間。もちろんこの時間にバスなんてものはなく、タクシーに乗る余裕もない。師走の吹き荒ぶ夜風が冷たい。コートの襟首をぎゅっと掴み、深夜の街へ歩き出す。

 -完-

バースデイきっぷで巡る四国~2日目

 松山駅前の安宿で目覚めると雨が降っていた。西予地方の冬は伊予灘を通る季節風の影響で、雨や雪が降る日が多い。昨日嘉島氏から言われたことを思い出した。生憎と傘は持ってこなかったが、身支度を整え松山駅へ向かう。

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  師走の四国の夜明けは遅い。6時でも空は真っ暗だ。

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  「しおかぜ6号の半室グリーン車。言うまでもなく貸切」

 今日はこれから多度津から土讃本線に入り、後免から室戸岬をぐるっと回って高松まで行く。松山6時13分発の高松・岡山行き特急「しおかぜ6号」は8000系8両編成。前の2両が高松行き、後ろの6両が岡山行きで、途中の宇多津で切り離される。グリーン車は最後尾1号車の半分で、言うまでもないが貸切だった。

 夜明け前の松山駅を発車する。雨がどんどん強くなりグリーン車の窓ガラスにも水滴が滴るが、スマホアプリの天気予報によるとこれから向かう土佐地方は晴れの予報が出ている。雨雲レーダーを見ても雨が降っているのは燧灘周辺だけだ。今治でようやく東の空が白みだした。山の上にお城が建っている。新居浜で「いしずち103号」と交換。予讃本線は単線ながら高松~伊予市間が民営化後に電化され、新型振り子特急の導入や路線の一線スルー化等で高速化を図っている。松山~高松間194.6kmの所要時間も2時間半を切り、ライバルの高速バス「坊っちゃんエクスプレス号」と猛烈な競争を繰り広げている。
 
 7時38分、伊予三島着。ここで上りの高松行き普通列車を追い越し、下りの伊予西条行き普通列車と交換する。どちらも通学生で超満員だ。そしてこの区間「 しおかぜ6号」の自由席には通勤、通学客が乗り込んでいく。四国では50キロまでの自由席特急券が520円、25キロまでだと320円で乗れるため、ホームライナー感覚で特急列車に乗車できる。だが車内の様子は最後尾のグリーン車からは知る由もない。依然雨の止まない車窓。通勤の車列、黄色い傘と帽子がお揃いの小学生の一団、傘を差して自転車を器用に漕ぐ詰襟の中学生。日常の風景のはずなのに、誰も乗ってこないグリーン車から見る景色は非日常のそれだ。

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  師走の雨の瀬戸内海

 雨に打たれる瀬戸内海を見ながら香川県に入る。鉛色の海の向こうに本州は見えない。8時16分、多度津着。ここで列車を降りる。多度津は予讃本線と土讃本線が別れる四国のジャンクションで、四国の鉄道発祥の地でもある。駅前には8620形機関車の動輪が飾られていた。駅構内には汽車時代の給水塔が残り、その隣に「食堂」と書かれた看板が出ていた。そういえば今朝はまだ朝御飯を食べていない。実はこの食堂、多度津駅で働く鉄道職員のための食堂で、特に部外者が利用しても問題は無さそうだ。暖簾をくぐり、380円の和定食を注文する。店内は時間柄泊まり勤務明けと思しき職員が多い。ご飯と鯖の塩焼きとお豆腐、お味噌汁とお漬物。朝御飯ってのはこういうのでいいんだよこういうので。満足して食堂を出ると雨はすっかり上がっていた。

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  多度津は鉄道の街。駅前には汽車の動輪が。

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  駅構内に食堂発見。お邪魔しま~す。

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  多度津は土讃本線の始発駅です。

 土讃本線、多度津8時50分発の高知行き特急「しまんと5号」は2000系2両編成だった。指定席は前方1号車の1番から7番までの28席。その後ろが自由席で、指定席も自由席も余裕がある。それにしても、四国の大動脈を走る特急列車がたったの2両編成とは。昨日嘉島氏と話したが、四国の特急列車は岡山駅で新幹線と接続してこそ意味があり、四国内の都市間輸送はおおむね高速バスが担っているようだ。嘉島氏は「瀬戸内海と土佐湾の間の石鎚山脈を長大トンネルで貫いてしまえばいい。」と言っていた。スマートフォンで四国の地図を見てみるとそこには高知自動車道が通っており、土讃本線はその脇を渓谷に沿って大きく迂回している。これでは鉄道に勝ち目はない。

 昨日と同じ景色を見る。朝方降った雨が師走の山間に狭霧を掛ける。2000系のコトコトコトと早刻みなジョイント音が足下から伝わってくる。秘境駅坪尻を高速で通過し、阿波池田から吉野川に沿って大歩危、小歩危の渓谷を見る。昨日は無かった車内チャイムが鳴って観光案内があった。ノートパソコンを懸命に叩くビジネスマンも一旦タイプの手を休め、胸元からスマホを取り出し車窓に向ける。同時にあちこちでスマホやタブレットのシャッター音が鳴り出した。とは言ってもこの区間はトンネルが多く、高速で走る特急列車から渓谷美をカメラに収めるのはなかなか困難である。よってここは目に焼き付けておく。

 阿波から土佐に入った。10時29分、後免着。すぐさま跨線橋を渡り、1番線の「ごめん・なはり線」のホームに移動し、10時39分発の奈半利行き普通列車を待つ。ここから土佐湾に面した奈半利町まで42.7kmの区間は第三セクター「土佐くろしお鉄道」として平成14年7月に開業した新線区間で、手持ちのバースデーきっぷでも乗車出来る。バイブル(時刻表)によると次の列車は「オープンデッキ付き車両で運転」とあり、恐らく土佐藩士中岡慎太郎に因んだであろう「しんたろう2号」の列車名も付いている。今日はこの列車に興味を持ち行程に組み込んだ。ホームには郷土が生んだ漫画家、やなせたかし氏のキャラクターが立ち、駅名に因んで「ごめんごめんごめん」となんだか謝っているような詩が書かれてある。後免。恐らく中世か近世に土地に関わる税を免除した実績から付けられた地名だろう。

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  土佐くろしお鉄道、9640(くろしお)系車輌がやって来た。

 間もなく高知方からやって来た列車は1両編成で、大きなクジラを思わせる車体にやなせたかし氏のイラストが描かれ、車体右方の太平洋側がオープンデッキになっている。単行の車内は満員だがオープンデッキに立つつもりなので問題ない。車内には大学生のサークル旅行なのか、男女15名ほどが大きなトランクを持って乗っている。何名かはデッキに出てきてスマホで写真を撮り出した。

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  オープンデッキは開放感いっぱい。高架からの眺めが素晴らしい。

 瀬戸内側の伊予は朝から雨空だったが、太平洋側の土佐はよく晴れて風が心地よい。高架橋から眺める太平洋はどこまでも広く穏やかで、一方の内陸には巨大な津波避難シェルターがあちこちに建っている。今から30年以内にほぼ確実に発生するといわれる南海トラフ大地震では15mの津波を想定しているようだ。各駅にはやなせたかし氏のキャラクターと並んで海面からの高さが記入されている。駅は高架上にあるので万一の際はここに逃げてくればよいが、これより高い津波が発生すればなす術もない。今この瞬間に大津波がやってくる可能性も十分にありうるのだ。

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  太平洋を臨みながら。向こうに室戸岬が見える。

 平成14年開業の新線「ごめん・なはり線」は意外とトンネルが多く、トンネルの中は風が強くて寒い。若者たちも暖房の効いた車内に引っ込んでしまった。安芸から先はビニルハウスが多い。確か「促成栽培」だったか。中学校の社会科の授業を思い出した。太平洋上の太陽は南空高くに輝き、オープンデッキを照らす日差しが心地よい。季節は師走を迎えたが南国土佐は小春日和だ。11時59分奈半利着。

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  奈半利で線路は途切れる。

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  バスに乗って室戸岬へ。

 奈半利駅の片面高架ホームの先で線路は途切れているが、ここから先も室戸岬を通って徳島県側の牟岐線と繋げる計画はあったらしい。現在その間を高知東部交通の路線バスが連絡している。12時16分発のバスは途中の室戸岬行きで、平日の昼間とあって地元客で混んでいた。そこにさっきの車内で乗り合わせた大学生の集団が乗ってくる。バスは満員で発車した。バスは海沿いの国道55号線「へんろ道」に沿って走る。室戸の市街で地元客が降車し、岬近くの道の駅で大学生の集団が降車しバスは私一人の貸切となった。運転士さんに「岬の近くで降ろして」と伝える。奈半利駅から1時間弱で室戸岬に到着。ここは何度か来たことがある場所で、目の前には太平洋が広がっている。振り返ると岬の高台の上に白い灯台。次のバスまでは1時間くらい。灯台まで登って戻ってくれば丁度良い頃合いだろう。

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  室戸岬にやって来た。

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  丸い水平線に、師走の太陽が輝く。ここは四国の果て。 

 ウバメガシに覆われた遊歩道を歩く。12月だというのに昼下がりの太陽が暑い。今日の最高気温は15℃はあるだろう。息を切らしながら遊歩道を登りきると、目の前に岬の白い灯台が現れた。その向こう、太平洋の大海原が真冬の太陽を受けてきらきらと輝いている。ローカル列車と路線バスを乗り継いで辿り着いた岬の、その果てにある小さな灯台とどこまでも続く海。正にこの風景を見るために旅をしているんだ。

 平成28年師走、土佐室戸岬。ここは四国の果て。

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  再び、バスに乗って岬を廻る。

 中岡慎太郎の銅像の前のバス停から14時30分発の甲浦行きのバスに乗った。最後部の座席に旅行者が1名のみ。運転士さん脇の最前列特等席に座った。次の室戸岬ホテル前から外国人のグループが乗り込んだ。太平洋に沿って走る。白装束のお遍路さんと時折すれ違う。ふと一人の遍路が手を上げてバスに乗ってきた。方向が逆では?確か四国遍路を反時計に回る「逆打ち」と呼ばれるものもあるそうだが、果たして真相は如何に。

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  バスに乗ると意地でも特等席を奪取する。

 バスは甲浦の市街に入る。だが鉄道の駅は街外れの内陸にあるようで、一瞬どこに行くんだろうと思ってしまう。相当市街から離れた寂しい場所に突然高架が現れ、単行のディーゼルカーが停まっていた。ここが阿佐海岸鉄道甲浦駅、徳島県側の鉄路の果てである。15時21分着。外国人のグループもここで降りたが、駅へ向かったのは私と、岬に着いたバスに乗っていた旅人だけだった。

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  徳島側から、鉄路が途切れる場所。

 阿波と土佐を結ぶ意味で、阿佐。徳島県側からも高知を目指して鉄道の建設が進められ、国鉄牟岐線として昭和48年4月に海部まで開通。平成4年3月に阿佐海岸鉄道として高知県に一駅入ったここ甲浦まで開通。ここで鉄路は途切れた。甲浦駅は市街からかなり離れた街外れに建設され、地元の足はもっぱら並行する路線バスである。よって阿佐海岸鉄道の営業係数(100円の営業収入を上げるための営業費用)は916と、全国の鉄道事業者の中で最悪である。

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  単行のディーゼルカーが客待ち中。

 15時30分発の海部行きは単行。車体に書かれた101の文字は恐らくトップナンバーを表し、平成4年の阿佐海岸鉄道開業時に導入された車輌であろう。開業から四半世紀が経ち車体がかなり草臥れているが、新車を導入する余裕は素人目に見ても無さそうだ。2名の乗客を乗せて発車。高架橋から冬枯れの田畑と、向こうに海と津波避難シェルターが建っている。すぐに徳島県に入り宍喰駅、そしてその次がJR牟岐線の終着駅海部である。僅か11分の鉄路。降車時にワンマンカーの運賃箱に270円を支払った。この区間もバースデーきっぷで乗れそうなものだが、何故か阿佐海岸鉄道は含まれていない。

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  ふたたび、バースデイきっぷの旅の始まり。

 駅名標がJR四国のブルーに変わった。海部15時47分発の徳島行きは1200系単行。次の阿波海南から下校の高校生がどっと乗り込んだ。こちらも各駅に海面からの高さが書いてある。駅は市街を避けて高架で建設されているので避難時の目安にはなるが、先の震災と同じく津波は人間には予測できない。リアス半島の付け根を小さなトンネルで抜ける。三陸鉄道の車窓に似ていると思う。16時01分、牟岐着。列車は徳島まで直通するが一本後に当駅始発の特急列車があり、そちらの方が徳島に早く着く。こちらは無敵のバースデーきっぷを持ってるんだ。乗らない手はない。牟岐駅は昭和48年3月まで牟岐線の終着駅で、駅舎も構内も風情がある。窓口で16時44分発の特急「むろと6号」の指定席券を求めると、駅員さんはどこかに電話をかけて「1号車15番アメリカ!」と口頭で確認し、機械で指定席券を発券した。まだこういうシステムが残っていたのか。

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  なんとなく終着駅の匂いがする。

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  街中に建つ津波記念碑
  
 列車の時刻まで牟岐の街を軽く散歩する。港町で、有史以来南海トラフ大津波に襲われてきた。街中の地図には「最大6.9m、約8分」とある。今この瞬間に地震が起きれば8分以内に海抜6.9mより高い場所に逃げないと命はない。建物の壁に書かれた二本の線。近づいてみると「想定浸水高5.8m」「昭和南海地震4.5m」と書かれていた。津波の高さなんて、そんなもの来てみないと解らない。この街にも中心部に二つの津波記念碑が建っている。昭和21年12月21日南海震災、死者町内で54名。安政元年11月4日大震潮、死者町内で39名。昭和南海地震の津波高4.5mに合わせた碑も建っている。これらは無言で津波の恐ろしさと、近く確実にやってくる南海トラフ大津波を警告している。だがこの隣に3つ目の津波記念碑が立つ時、またその大きさは、私達人間には全く解らない。

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  2両編成のローカル特急に乗って。

 16時44分発の特急「むろと6号」はキハ185系2両編成。JR九州お下がりの車輌で、指定席は2両目1号車後方の12番から15番の16席。列車名の「むろと」はさっき通った室戸岬から来ているのだろうが、室戸岬は高知県でこの列車は徳島県内しか走らない。室戸岬へのアクセス列車、というのもなんだか微妙だし。沿線の日和佐に因んで「うみがめ」の方がしっくりくる。牟岐発車後早速検札に来た車掌さんから「お誕生日おめでとうございます」との言葉を頂いた。3日間でこの言葉をかけられたのは初日にこのきっぷを購入した高松駅と、この列車だけだった。自由席車には詰襟の中学生3人組が乗っている。四国内は25kmまで320円、50kmまで520円の割安な自由席特急券が設定されているので、費用対効果を考えれば特急通学も十分に有り得る。そういえば昨日の嘉島氏も八幡浜から松山まで特急列車で通学していたと話してくれた。

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  一瞬だが、海が見えた。

 思いの外海はあまり見えない。日がだいぶ傾いてきて、東の空高く半分の月が昇った。ウミガメの産卵で有名な日和佐で山の上にお城が見えた。結局海は田井ノ浜で一瞬見えた砂浜だけだった。四国最東端蒲生田岬の付け根を越え、阿南で中学生たちが降りる。代わりに帰宅客が大量に乗車してきて2両編成の車内は満員になってしまった。阿南徳島間はギリギリ25kmに収まるので、この区間の通勤、通学需要はそこそこあるのだろう。南小松島で一本前の徳島行き普通列車を追い抜いた。単行の車内は人がぎゅうぎゅう詰めに乗っている。17時54分、徳島着。日はとうに暮れてしまっている。

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  金曜夜のホームライナー?特急「うずしお26号」高松着。

 今夜の宿を徳島にするか高松にするかでかなり悩んだが、結局高松に泊まることとし、次の高徳本線18時30分発の「うずしお26号」に乗車した。指定席も自由席も満席。金曜日の夕方に都市間特急を2両編成で走らせるのは如何なものか。高松まで約1時間、ほとんどの乗客が乗り通した。19時37分高松着。
 
 続き→バースデイきっぷで巡る四国~3日目 

バースデイきっぷで巡る四国~1日目

 ♪風が恋を運ぶ~ 海を遠く渡り

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  二人を結ぶ、ジャンボフェリー~

 神戸港からのジャンボフェリー深夜便が早朝の高松港に接岸した。ユニークなテーマソングで船内の乗客が全員叩き起こされる。時刻は午前5時25分。定刻よりやや遅れての到着である。タラップを降り、そのまま連絡バスに乗って高松駅へ向かう。平日の割には徒歩の利用客が多く、皆慣れた感じで無料の連絡バスに乗り継いだ。師走の四国は夜明けも遅く、外はまだ真っ暗だ。高松の港湾地帯を走ること10分ほどで高松駅に到着。ここからバースデイきっぷで巡る四国3日間の旅が始まる。

 今月の1日、私は誕生日を迎えた。特に何をするわけでもなく、いつもと変わらぬ一日だった。SNSで誕生日アピールをしてリプライをもらったところで何かが変わるわけではない。しかしせっかくの誕生日、いや誕生月。何かがしたい。そこで以前より考えていたバースデイきっぷで巡る四国3日間の旅を、遂に実行に移す時がやってきた。

 バースデイきっぷとはJR四国が発売する企画乗車券で、誕生日が属する月にJR四国全線と土佐くろしお鉄道線全線、JR四国路線バスの全てが乗り放題となるきっぷである。「全て」とは特急列車を含む指定席、グリーン車まですべての列車を指している。それでいて価格は10280円。これで特急のグリーン車に3日間乗り放題な訳だからお得なきっぷではある。毎年誕生日が来る度に利用したいなと思いつつ、遂に今年利用することが出来た。

 東京から四国へ向かう方法は沢山ある。バースデイきっぷの有効期間をめいっぱい使うには、やはり夜行で四国入りするのが一番効率がいい。寝台特急「サンライズ瀬戸」を考えなかった訳ではないが、今回は時間がたっぷりあるので東京駅から高速バス「東海道昼特急」で大阪へ向かい、神戸1時00分発の高松港行き「ジャンボフェリー」で四国へと入った。平日の高速バスは安く、ジャンボフェリーも三宮の金券ショップを利用すれば15%引きの1900円で乗船できる。実にリーズナブルだ。

 こうして私は四国に入り、高松駅のみどりの窓口で運転免許証を提示してバースデイきっぷを購入し、今から乗る特急「しまんと1号」のグリーン券と、明後日の10日に乗る「伊予灘ものがたり」のグリーン券を発行してもらった。JR四国が誇る人気の観光列車で、指定券の入手は困難と覚悟していたが最後の1席を取ることが出来た。今回の度は幸先が良い。係員さんから「お誕生日おめでとうございます」の言葉を貰い、高松駅の改札を通った。今日から3日間、四国の特急列車、グリーン車に思う存分乗り続けるつもりだ。今日はこれから土讃、予土、予讃本線経由で松山まで向かう。
 
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  無敵のバースデイきっぷを手に入れた。
  

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  夜明け前より高松駅。

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  トップバッターは土讃本線の特急「しまんと1号」
 
  高松6時04分発の特急しまんと1号は2000系3両編成。先頭1号車の半室グリーン車、前から2列目の二人掛け窓際2A席に腰を下ろした。一番前の一人掛け1C席にはテーブルにニコンの一眼を置いたおじさんが座っている。恐らくおじさんも「バースデイきっぷ」だろう。3日間四国の何処かでまた出会えると思うので、その時には声をかけようかと思う。

 夜明け前の高松駅を出発する。外はまだ真っ暗だ。次の坂出でグリーン車にネクタイを締めた男性が付き人に見送られながら乗ってきた。なかなかいいコートを着て、テーブルにMacBook Airを置いて何やら作っている。恐らく何かの著名人とは思うが、グリーン車は本来こういう人が乗るものなんだろう。右手に瀬戸大橋の明かりが見える。

 多度津で予讃本線と別れ土讃本線に入ると東の空が徐々に明るくなってきた。高松平野に小山がぽつりぽつりと現れる。この素朴さがこそが四国の車窓そのものだ。運転士の真後ろ1Cのおじさんが右手を前方に大きく上げて指差確認をする。琴平で電化区間が終わり、早速山越えに掛かる。振り子特急は右へ左へ車体を大きくくねらせ山間を行く。扉の上の電光板には「次は阿波池田」の文字。土讃本線はその名の通り讃岐と土佐を結ぶ幹線だが、讃岐から一気に土佐に抜けるのではなく、途中で阿波の国の西端をかすめる。土讃本線のハイライト大歩危小歩危も徳島県だ。峠のサミットをトンネルで越え、秘境駅坪尻を一気に通過し眼下に阿波池田の街が見える。線路は市街を回り込むようにΩカーブを描き、四国三郎こと吉野川を渡って徳島本線と合流、阿波池田駅に滑り込んだ。

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  四国三郎こと吉野川を渡る。

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  朝の阿波池田駅。

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  特急「南風2号」と交換。

 阿波池田駅。四国の山間のジャンクションである。「さわやかイレブン」で知られる県立池田高校で有名だが、21歳ではじめて四国に行った時、跨線橋で高校生たちがタバコを吸っていてギョッとしてしまったことを思い出す。向かいホームに単行の高知行きが止まっていて、一瞬乗り換えたくなるが、せっかくのグリーン車なんだからもう少しこちらを満喫しよう。当駅で上り特急「南風2号」と交換のため暫く停車するという。グリーン車の車両を出て、外の空気を吸ってみた。早朝の阿波池田駅は木の匂いがする。まだ朝の7時だが寒さは感じない。間もなく高知方から「南風2号」がやって来てカメラを構えると。件のおじさんもグリーン車の車両から出てきてニコンのカメラを構えた。

 四国三郎こと吉野川は阿波池田から南に向きを変え、大歩危、小歩危と呼ばれる景勝地を作り上げる。吉野川が車窓右手、左手と向きを変えるにつれ、件のおじさんも座席を右へ左へと移動する。いつの間にか阿波の国を過ぎて土佐の国に入った。右手の吉野川の流れはまだ続いている。界隈で有名な橋の上に駅ホームがある土佐北川駅を通過し、吉野川と別れて土佐の平野を走る。今日の南国土佐は快晴だ。通勤の自動車、自転車を漕ぐ中学生、並走する路面電車。いつもの朝の光景が広がっていた。駅前に志士たちの銅像が立つ高知駅を過ぎ、須崎から先は左手に太平洋の大海原が広がった。

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  土讃本線終着駅、窪川に到着。予土線に乗り換える。

 9時26分、土讃本線の終点、窪川に到着。ここで列車を降りる。線路はこの先土佐くろしお鉄道の宿毛まで続いているが、宿毛駅は行き止まりで来た道を戻らなければならないので今回の旅行からは除外した。これから予土線に乗って宇和島へ出る。日本一の清流こと四万十川に沿って走り、観光路線としても人気が高い。車両も沿線の海洋堂ホビー館にちなんだ「海洋堂ホビートレイン」や「かっぱうようよ号」、新幹線の開業に関わった元国鉄総裁、十河信二の出身地にちなんだ「鉄道ホビートレイン」などが運行している。バイブルによると窪川9時40分発の宇和島行きは「鉄道ホビートレイン」で運転されるはずだが、本日は検査のため通常のキハ32で運転されるようだ。0系新幹線をあしらった可愛らしいデザインの車両を期待していたが、次の機会に取っておこう。

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  最後の清流、四万十川沿いを行く。

 1両編成ロングシートの車内は地元客が半分、さっき「しまんと1号」のグリーン車で一緒だったおじさん他観光客が半分。平日の午前中にしてはさらりと席が埋まっている。地元客は商工会っぽいおじさま達の団体で、予土線の将来について朝から盛んにディスカッションをしている。「役場が鉄道を残せと言っても皆クルマに乗る!」。予土線に限らず、全国のローカル鉄道が抱える問題だ。予土線の始発駅は厳密には次の若井で、この一駅区間だけ第三セクター鉄道の土佐くろしお鉄道を通る。例のきっぷをはじめJRの企画乗車券で予土線に乗車すると一駅分の運賃が必要だが、無敵のバースデイきっぷなら追加運賃は不要である。若井の次で土佐くろしお鉄道と別れてトンネルに入る。予土線の歴史は複雑で、先に宇和島から建設が始まり、大正時代に愛媛県内の吉野生まで軽便鉄道として開業。戦後に高知県の江川崎まで延長され、全線開業は昭和49年と比較的新しい。トンネルを抜けしばらくすると右手に四万十川が現れた。これぞ日本一の清流、四国の山間をゆったりと流れている。その畔を軽快気動車がトコトコ音を響かせながら走る。

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  江川崎駅で「かっぱうようよ号」と交換。

 途中の江川崎駅で20分間停車し対向列車と交換する。向こうも5分間停車。今乗車しているキハ32をはじめ四国の普通列車にはお手洗い無し車両が多いため、その対策も兼ねているのだろう。この間に観光客が撮影会を開始する。江川崎は平成25年8月12日に日本最高気温41.0℃を記録し一気に有名になった。駅舎にもその旨の表示があり、今は日本一暑い街として町おこしをしているという。四万十川とはここで別れ、次の西ケ方を過ぎると愛媛県に入る。もう四国四県を制覇してしまった。この先予土線は大正時代に建設された軽便鉄道の区間となり、平凡な田んぼや畑の景色となる。小さな峠を越えて宇和島の市街に入った。次の北宇和島が予土線の終点で、松山行きの普通列車と交換する。山の上にこれから向かう宇和島城が見える。12時15分宇和島着。

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  行き止まり式の宇和島駅に到着。

 宇和島駅で私はUPFG宇和島支店長、嘉島安次郎氏の出迎えを受けた。今日は嘉島氏に故郷である宇和島市を案内してもらう。お昼時ということもあり、まず駅近く野有名な店「とじま亭」に連れて行ってもらった。こちらは島島鰤定食、朝水揚げされたばかりの新鮮な鰤を使って調理するという。漁師町で食べる御飯は美味しい。

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   ブリの刺身から炙り、カツ、ブリ大根、カルパッチョ、あら汁

 西予地方の最果てに位置する宇和島市は人口7万5千人。中世は海賊の本拠地として栄え、大阪の陣の後で伊達政宗の庶長子秀宗が入り、仙台藩の支藩、と言ったら嘉島氏に怒られてしまったが、伊達10万国の城下町として代々栄えた。市街の真ん中に位置する小高い山の上に車窓からも見えた宇和島城が建っていて、伊達時代の石垣と天守閣が残っている。二人で山登りをして天守閣から宇和島の市街を見下ろした。なるほど三方を山に、一方を海に囲まれている。ここまで鉄道を伸ばしてくるのは大変だっただろう。現在の市街は城の東側で、かつてはここが町民街であった。一方南側は武家屋敷。昭和63年の選抜高校野球大会で初出場初優勝を果たした県立宇和島東高校のグラウンドが見える。何処の街に行ってもそうだが、天守閣から市街を見下ろすとまるで殿様になったような気分になる。

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  石垣を上る。

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  天守閣が見えてきた。

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  海と市街を一望

 その後嘉島氏の案内で宇和島の城下町を散策する。街外れの
宇和津彦神社は景行天皇の一子である宇和津彦命を祀り、宇和島の地名の由来となっている。嘉島氏もここの氏子とのこと。その奥に伊達家の墓所がある金剛山大隆寺がある。

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  南国宇和島ではまだ椛が見られる。

 宇和島伊達藩は大阪の陣の後、伊達政宗の庶長子、秀宗が入り伊達10万石として栄えた。秀宗は幼少の頃豊臣家の人質として伏見で育ち、名も秀吉から与えられたそうだが、そんな事情もあり徳川の世になると秀宗の立場は微妙になる。結果仙台伊達藩は嫡男の
忠宗が継ぎ、秀宗は宇和島に入った。初期の藩財政は厳しく、政宗も秀宗に「五十七騎」と呼ばれる家臣を付け、6万石の貸与や重臣山家清兵衛公頼筆頭家老として送り込むなど援助にあたっていたが、財政を巡って藩内で対立が起き、
山家清兵衛は主君から疎まれ後に暗殺されてしまう。その後宇和島藩では不幸や天災が頻発し、山家清兵衛の祟りと恐れた人達が建立したのが和霊神社である。地元では「和霊さま」と親しまれ、現在は海の守護神として祀られている。隣の和霊公園には宇和島機関区に属したC12 259機が静態保存されていた。

 
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  和霊神社のイチョウ。

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  予土線(宇和島線)で活躍したC12が居た。

 さて、最後に向かったのは南予宇和島が誇るトンデモスポット凸凹神堂である。神主の久保凸凹(アイ)丸宮司が生涯を懸けて集めた世界中の性数万点が資料館に心狭しと並び、私が
21歳で時初めて四国に来たときは真っ先に向かった。本日は鹿島氏の案内とともに入館することにする。21歳の頃に見た資料がそのまま展示してある。それほど当時は衝撃的だった。我が国の史料は江戸時代の春画と道祖神、性器信仰が中心だが、性器信仰は東日本に偏っている。嘉島氏が言うには、東日本は気候が厳しく狩猟文化が続いたため乳幼児死亡率が高く、子宝の繁栄を願う気持ちが高かったのではとのこと。また厳格なキリスト教文化圏に比べ、インドなどヒンズー教文化圏では性に対する表現が豊富である。国外持ち出しの是非もあろうが興味深い事象だ。ともあれ、この数万件にもわたる資料を見るには一日あっても足りないし、性と哲学を理解するには一生かかる。

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  この中に数万点の秘宝が。

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  だそうです。

 嘉島氏と宇和島駅近くの焼肉屋で夕食を取り、20時18分発の宇和海30号で撤収した。2000系5両編成。バースデイきっぷを持っているので指定席券を取った。21時35分、松山着。今夜は駅前の安宿に泊まる。

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  JR松山駅は台鉄松山駅と姉妹駅。台湾、いつか行ってみたい。

 続き→バースデイきっぷで巡る四国~2日目
プロフィール

hirakike

ハンコ絵師兼CJD見習い(非処女)の平木博士の心の闇の部分です。同人サークル「けろぷろ!」でクソマンガボーイやってます。代表作『ミレニアムの幻想少女』『ハタテピピック』(2016)。ときどき心が折れます。クソビッチです。※ご用と悩み相談はDMで(秘密厳守

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