帰ってきた!平木博士の異常な愛情

または私は如何にして心配するのを止めて二次元美少女を愛するようになったか。

2016年秋に活動再開。同人サークル「けろぷろ!(旧名ケロちゃんプロジェクト)」からの告知用ブログです。

5/4新潟東方祭・5/7例大祭告知

 2017例大祭宣伝のコピー


 桜が散ったらもう初夏ですね。今年も人大杉状態のゴールデンウィークを皆様如何お過ごしでしょうか。え?超会議と原稿とイベント?そうですか。

 2年ぶりの新潟東方祭、もとい新潟合同祭参加となります。ガタケに代表される新潟はオタクムーブメントの高い土地と聞いておりますので、ひとつお手柔らかにお願いします。


大九州合同祭1701おしながき

 
 ●ハタテピピック(2016.10.30) 24P 300円

 かつて東方で描いておられた大先輩(フミンバイン)の出世作『ポプテピピック』が何故か東方にし創作で登場。一周戻って元の鞘に収まったということでしょうか。フミンバインの不条理さを継承しつつ、内容はポプテピピックよりもクソ。お楽しみいただければと思います。

 https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=59554120

 ●ハタテピピック・セカンドシーズン(2017.5.3) 24P 400円

 目指したのは、公式よりもクソ。前作『ハタテピピック』のクソさを更にレベルアップさせた問題作。新潟東方再初売りです。

 https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=62357036
 
 ●ミレニアムの幻想少女(2016.10.9) 32P 500円

 こちらは打って変わってPC美少女ゲームの評論本。『トゥハート』から『D.C.Ⅱ』まで、かつてオタク産業の中核であったエロゲー文化を考察します。今やネットの大海からも徐々に消え情報も散逸しつつある古き良き文化。それが完全に幻想入りする前に一冊の冊子に纏めました。30歳以上の方には懐かしさを感じる一冊。
 
 https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=59341794
 
 以上、ひとつよしなにおねがいします。憲法記念日はときメッセで残念な椛ちゃんと握手! 
  

時は戦国、処は井伊谷

 2017年大河ドラマ「おんな城主直虎」の舞台である井伊谷(いいのや)は現在の浜松市北区引佐町にあたる。かつては浜松から鉄道が延びていたが昭和38年に廃止され、現在は天竜浜名湖鉄道の金指駅が玄関口となっている。大河ドラマの放映に合わせてお隣の気賀に設置された大河ドラマ館と合わせて、天竜浜名湖鉄道に乗って井伊直虎ゆかりの地を巡ってみた。

 日曜日に名古屋で恒例の学会に出席した後、一泊して翌朝の東海道線で豊橋へ。乗り換えて2つ目の新所原駅で下車した。天竜浜名湖鉄道の駅舎で「いいね!直虎1Dayパス」を購入し、9時32分発の掛川行きに乗車した。天竜浜名湖鉄道は全線乗り通したとしても1450円。これに大河ドラマ館と龍潭寺の拝観券が付いて、遠鉄電車とバスにも乗れて2300円ならお得な切符と言えるであろう。単行のディーゼルカーは地元の用務客と大河ドラマ館目当ての旅行者でそこそこ混んでいた。

 DSC_0511
 天浜線の始発駅、新所原駅

 DSC_0512
 天浜線は全線が非電化単線。単行のディーゼルカーが走る。

 天竜浜名湖鉄道天浜線は東海道線に接続する新所原から浜名湖の北側を通り、遠江を縦断し掛川へ至る全長67.7Kmのローカル線である。元は戦時中に東海道線の浜名湖鉄橋が爆破された場合の迂回路としての国鉄二俣線として敷設され、現在は第三セクター鉄道の天竜浜名湖鉄道天浜線となり単行のディーゼルカーが走る。沿線の桜はまだ咲いていないが今日は天気も良くて温かい。列車は東名高速の高架橋を見ながら浜名湖の北端を掠め、10時10分気賀着。国の登録文化財に指定されている古風な駅舎には井伊の赤備えが施されていた。もっとも赤備えは直虎が後見人となる井伊直政の成人後のシンボルで、直虎の時代にはちょっとそぐわないと思うのだが。

 DSC_0514
 浜名湖を眺めながら。

 DSC_0528
 気賀駅で列車を降ります


 DSC_0518
 赤備えの気賀駅 

 「おんな城主直虎大河ドラマ館」は駅前の「みをつくし文化センター」で開催されていて、春休みだけあって平日にも関わらず観客が多い。直虎1Dayパス付属の入場券で入場し、まずは入口で写真を撮ってもらう。この写真は退館後にカードになって手渡される。確か上田の大河ドラマ館でもこうして写真を撮って貰った。館内は大河ドラマのあらすじや出演者紹介、衣装やセットの展示が主だ。昨年の真田丸大河ドラマ館は戦国時代の歴史も学べて見応えがあったが、やはり井伊直虎は一次史料が少なくそこを脚本がどう持っていくかが課題だろう。

 DSC_0525
 大河ドラマ館となるみおつくし文化センターホール

 大河ドラマ館の隣には気賀関所のオブジェがある。気賀はかつて東海道のバイパス姫街道の宿場町として栄えた。遠州灘沿いの東海道は浜名湖の河口を渡らねばならず、また南海トラフ大津波で街道が度々被災することもあった。姫街道と国鉄二俣線がほぼ同じ理由で敷設されたことが面白い。

 DSC_0539
 気賀関所のオブジェ

 DSC_0529
 関所時代の建物

 大河ドラマの放映に合わせてここ気賀の大河ドラマ館と井伊谷の龍潭寺(りょうたんじ)の間にシャトルバスが走っている。こちらも直虎1Dayパスで乗車できる。龍潭寺は古くから井伊氏の菩提寺であり、大河ドラマでも井伊直虎の前の次郎法師が修行するシーンがふんだんに使われている。境内には井伊氏代々の墓もあり、直虎もこの墓地に葬られている。

 DSC_0546
 大河ドラマでもおなじみ、龍潭寺の山門

 DSC_0550
 龍潭寺庭園、寺はこころが落ち着く。

 DSC_0554
  右から2つ目が直虎の、その左が直親の墓。
 
 龍潭寺の近くに井伊氏発祥の井戸がある。寛弘7(1010)年にこの井戸に幼子が現れ、初代井伊共保(ともやす)公となり井伊は代々遠江の国衆としてこの地に栄えた。戦国の世に徳川四天王の一人となる井伊直政を出し、徳川の世には幕臣として仕えた。この井戸は大河ドラマでも重要な役割を果たしている。

 DSC_0543
 井伊家発祥の井戸、竜宮小僧が居るかも。 

 さすがに直虎の世から約450年も経ってしまえば井伊谷は浜松の外れの平凡な田舎街である。大河ドラマにも出てくる井伊氏の居館跡は完全に宅地化されていて看板が立つのみ。脇に大河ドラマ第一話で今川義元に討たれた井伊直満直義兄弟の墓がある。その後ろの山城の井伊谷城がある。頂上に登ると井伊谷と遠江平野と、そして遠くに静岡県下一の高さ212mを誇る浜松アクトタワーが見えた。

 DSC_0555
 井伊谷でもいらすと屋が大活躍。

 DSC_0559
 井伊谷城跡

 DSC_0558
 現代の井伊谷と遠江を望む。

 バスで金指へ出て再び天浜線の度に旅に戻る。16時07分発の掛川行きはCAPCOMの戦国アクションゲーム『戦国BASARA』とタイアップしたラッピングトレインだった。車体には「おんな城主直虎」のメーンキャラである井伊直虎と徳川家康が描かれ、車内にも武将たちのイラストが描かれている。東海道線と比べて天浜線の車窓はのんびりしていて平和そのもの。途中駅の駅舎やホームにも味わいがある。天竜二俣駅の広い構内には転車台や扇形車庫が残っていた。

 DSC_0570
 戦国BASARAラッピングトレイン

 DSC_0579
 井伊直虎が描かれている。

 DSC_0574
 車内の様子
   
 CSC_0583
  
 逆光だけど、全景も撮りました。 

 終点の掛川が近づいてくる。私の先祖は井伊直虎と時を同じくしてこの辺りの小豪族であった。今川氏に忠誠を誓い、今川氏の最期では朝比奈泰朝と共に掛川城に籠城し家康の兵と戦った。井伊とは比べ物にならない小さな城の城主だったらしいが、日曜日に大河ドラマを見るたびに遠い先祖に思いを馳せている。掛川の2つ手前西掛川で私は列車を降りた。駅前に静岡県では有名な炭焼きハンバーグの店がある。土休日は家族連れを中心に混雑するというが今日は平日の夕方。美味しい食事とともにゆっくりとした時間を過ごせそうだ。今夜は掛川から再び例のきっぷの旅に戻り、深夜に東京へ帰る。

 DSC_0593
  ※おまけ

余命幾許もない内房線特別快速に乗ってみた。

 内房特快とは総武本線・内房線の東京~館山間に1往復運転されている名無しの特別快速である。平成27年ダイヤ改正で内房線の特急「さざなみ」が事実上廃止されたので、その穴を埋める目的で平日の1往復だけ設定された。なお土休日は新宿始発の臨時特急「新宿さざなみ1号」として特別快速のダイヤをほぼ踏襲する。だがこの特別快速は今年春のダイヤ改正で運転休止が決定しており、僅か2年の命であった。そんな平日限定の特別快速に大回り乗車のルールを利用して乗ってきた。

 DSC_0097
  特急でないのにこちらに表示されている。

 東京8時02分発の特別快速館山行きはE217系15両編成。「横須賀・総武快速線」と同じく「スカ帯」を纏った11両編成と付属の4両編成で運転される。東京寄り4両の付属編成が終点の館山まで行き、前の11両は途中の木更津止まりとなる。特急「さざなみ」の代替として誕生した経緯もあって、東京駅地下コンコースの電光掲示板では「特急」の欄に掲示される。総武2番線ホームも銚子方面への特急「しおさい」が発車する優等ホームだ。

 CSC_0101
  東京止まりの普通列車として入線。
 DSC_0100
  特別快速の表示

 津田沼からの快速列車がそのまま折り返し館山へ向かうので、入線から発車までの時間が5分間しかなく、 その間にグリーン車の清掃も行われる。だが通勤ラッシュとは逆方向なので降車客が捌ければ特に問題はない。館山まで行くロングシートの付属4両編成最後尾に乗車した。車内はロングシートの端が埋まる程度だが、リュックを背負ったおじさんおばさんの団体や、俗に言う葬式鉄も居る。東京駅地下ホームを出発して地下区間を行く。新日本橋、馬喰町を通過し、地上へ出て東京スカイツリーを見ながら錦糸町着。平日の通勤時間帯だけあって乗ってくる人も多いが、ここでも座席にはまだ余裕があった。

 総武線の複々線区間を往く。反対列車は快速、緩行ともに満員だが、ラッシュと逆方向の乗客はスマホ撫でるか二度寝かで平和そのものだ。江戸川を渡って千葉県に入る。次の市川では先行する快速列車を追い抜いた。途中停車駅は船橋、津田沼の二駅だけで、東京千葉間を僅か35分で駆け抜けた。千葉でややまとまった降車がある。次の蘇我では京葉線と外房線が別れる。ホームでは男性が余命幾ばくもない特別快速にカメラを向けていた。

 DSC_0104
  江戸川鉄橋を渡る。

 DSC_0105
  千葉到着。
 
 この特別快速が2年前の平成27年ダイヤ改正で廃止された「さざなみ1号」の代替列車であることは先に述べたが、東京湾アクアライン開業後東京から房総方面は高速バスの独壇場となり、現在JRは完全に白旗を上げている。特急「さざなみ」も今や東京~君津間のホームライナー的な需要しか存在せず、早朝に上り、夕方から下りが数本運転されるのみだ。 この特別快速もやはりレゾンデートルを失っていた。せめて車両をクロスシートにして、土休日を中心に「ホリデー快速」的な運用にすればまだ解る。正直平日に4両ロングシートの館山行きはないだろう。

 蘇我から先は臨時特急「新宿さざなみ」と停車駅を同じくする。車窓右手には京葉工業地帯の煙突群が続く。五井で小湊鉄道と接続し、つげ義春『やなぎ屋主人』の舞台となった長浦を通過する。今の長浦駅は京葉コンビナートのど真ん中で潮干狩りができるような砂浜はない。東京湾アクアラインの真下をくぐり、9時08分、木更津着。ここで前の11両を切り離し8分間停車する。木更津駅では乗客を降ろした後一旦扉を締め、前の11両が留置線に引き上げた後、後ろの4両が前方の停車位置まで移動し、再び扉が開いて乗客を乗せる。運用のことはよくわからないが、なんとも面倒くさいことをやってるものだ。

 DSC_0113
  木更津で前の11両を切り離した。

 9時16分、4両編成の身軽な姿になって改めて木更津駅を発車。久留里線のE130系を左手に見て、次の君津でまとまった乗客を降ろし車内もだいぶ空いてきた。残るのは葬式鉄の同業者が中心。ロングシート先端の男の子はスマホの位置情報アプリ「駅メモ」に夢中だ。私の周囲にもハマっているヤングが多く、新しい汽車旅のかたちだと思う。君津から先の内房線は単線となり、ここまで来るともうすっかりローカル線だ。車窓には梅が咲き菜の花畑も見える。佐貫町を過ぎると右手に東京湾が広がる。対岸に浦賀の火力発電所が見える。浜金谷でリュックを背負ったおじさんおばさんの団体が下車した。ラストは海と菜の花畑。保田、岩井、富浦と停車し、10時10分、特別快速は終点の館山に到着。ホームには菜の花がきれいに咲いている。房総はもうすっかり春だ。

 DSC_0120
  ラストスパートは海を見ながら。

 DSC_0124
  終点、館山に到着。

 この後このE217系4両編成は館山駅の留置線で夕方まで休んだ後、館山17時05分発の特別快速となって来た道を東京へ戻る。来月のダイヤ改正で特別快速が廃止された後は、同じ時刻に東京~君津間に快速列車が1本増発される。僅か2年間、内房特快はたいして世間の耳目を集めぬままダイヤから消えようとしている。 

 DSC_0125
  房総に春が来た。 

バニラエアひがし北海道フリーパスで行く道東の旅~4日目

 川湯温泉はアイヌ語の「セセキ(熱い)ペ(川)」に由来する温泉街である。6時に目覚め、朝風呂に入ってから宿を出た。時刻は朝の7時。これから川湯温泉駅まで30分ほど歩いて7時44分発の始発列車に乗る。今日も朝から天気が良く、そして幾分温かい。それでも気温は氷点下のはずだが、風がないので暖かく感じる。駅へと続く一本道、正面の硫黄山からもくもくと白い煙が上がっている。この大地の力が川湯温泉の強酸性の温泉をつくる。

 DSC_0037
  駅まで徒歩30分、針葉樹の林の中をひたすら歩きます。
 
 川湯温泉7時44分発の網走行き普通列車はキハ54系2両編成。こんな朝から観光客の姿も見える。峠を越えて旧釧路支庁から旧網走支庁に入り、緑で昨日乗った神出鬼没の「ルパン号」と交換した。一面の雪原の中を列車は往く。知床斜里でクラブツーリズムのバッジを付けたシニア客が大量に乗り込んだ。釧網本線はここ知床斜里から網走までの間オホーツク海沿いを走り、季節を問わず人気のスポットとなっている。恐らく途中の北浜駅で下車して観光バスに乗り継ぐのであろう。そして間もなく右手に流氷のオホーツク海が広がった。網走では4日前の1月31日に平年より10日遅く流氷初日となり、そのまま一昨日の2日に接岸した。今回はこの光景を見るために北海道へやってきた。線路は暫く海から離れるが、北浜の手前でまた海が広がる。9時02分着。そして私はこの駅で列車を降りた。
 
 DSC_0042
  流氷とオホーツクの海。

 DSC_0044
  北浜駅に到着。クラツリ厨たちがぞろぞろと降りてきて、早足で観光バスに乗り込む。
 
 クラブツーリズムのバッジを付けたシニア客が大型バスに乗り込んでしまうと駅舎に静寂が訪れる。ここはオホーツク海に一番近い駅。旅行会社のツアーに組み込まれるほど有名な駅で、そして私が北海道で一番好きな駅である。20歳の最長片道切符の旅ではこの駅で一晩野宿した。駅舎には旅人が残した切符や定期券が所狭しと貼られている。いつものベンチに腰掛け、一夜を過ごした二十歳の夜を思い出した。ここに来れば私はいつでも20歳の自分に戻ることが出来る。あれから私も世の中も大きく変わってしまったが、オホーツクの海と波の音は変わらない。短い時間の滞在だったが、今回も駅舎に名刺を残し次に来た列車に乗り込んだ。

 DSC_0048
  我が青春の北浜駅舎。
 
 DSC_0047
  駅舎には旅人が残した無数の名刺が貼られている。

 北浜10時10分発の網走行きは「流氷物語2号」の列車名がついているが、実際は何の変哲もないキハ54系の2両編成だった。申し訳程度のラッピングと車内に流氷の写真が貼ってある。10時25分、網走着。これから流氷観光砕氷船「おーろら」に乗りに行く。駅を出ると丁度網走港行きのバスが出るところだった。バスは観光客で混んでいた。10分ほどで「おーろら」の港がある道の駅流氷街道に到着。駐車場には大型観光バスが群れをなし、道の駅は何かのイベントでも開催されているかの如く大混雑。そして飛び交う中国語、大半は中国からの観光客だ。人混みをかき分け11時00分発の砕氷船の乗船券を購入し船に乗り込んだ。流氷接岸を受けて初の週末ということで大盛況。本日の「おーろら」は
2台運行とのことで、私は後続の「おーろら2」に乗った。

 DSC_0055
  網走駅に到着。これより流氷を見に行きます。

 DSC_0056
  nice boat.
 
 船内の座席は全て中国人とツアー客に取られてしまったので、私は寒風吹き荒ぶデッキに立って船の出航を待った。網走は雪がちらついている。暫く港を航行し、沖合に浮かぶ流氷帯を見つけると砕氷船はその中に突っ込んでいく。そして一面の白い世界が広がる。オホーツクの界面を埋め尽くす冬の使者こと流氷。向こうに網走の能取岬が見える。

 DSC_0058
  まずは流氷の幼生、蓮葉(はすは)氷がお出迎え。

 DSC_0088
  砕氷船が流氷帯に突っ込んだ!

 DSC_0076
  流氷の向こうに能取(のとろ)岬。

 DSC_0069
  ガリガリと音を立て、流氷を砕きながら往く。 
 
 DSC_0079
  流氷の上にイヌワシの姿。

 1時間の流氷クルーズを終えて網走の港に帰ってきた。道の駅でお昼御飯を食べて、再びバスで網走駅へと向かう。網走駅の改札口には大型スーツケースの大群が長蛇の列を作っていた。列の最後尾が今にも駅舎から溢れそうだ。13時26分発の札幌行き特急「オホーツク6号」を待つ列だが、外国人ならジャパンレールパスを持っているのではなかろうか。ともあれ、予定より早く改札が始まり、私もフリーきっぷを見せて最後の列車に乗り込んだ。

 DSC_0091
  網走駅に戻ってきた。

 DSC_0092
  網走駅が人大杉状態な件について。
 
 DSC_0093
  では、札幌に戻って、新千歳空港から成田に帰ります。

 網走13時26分発の札幌行き特急「オホーツク6号」はキハ185系6両編成。先頭の1号車と2号車の半室が自由席で、適当に2号車の座席に座った。指定席のカバーには「Reserved Seat」のカバーが掛けられている。車内を埋め尽くすのは団体の中国人で、大型のスーツケースが網棚は勿論デッキや通路にまで置かれている。つくづく北海道の経済は彼らが回しているんだなと思う。雪を見たテンションからか中国人たちが大声で話すので車内は騒がしい。そして子供が泣きわめく。車窓には青空が広がり降り積もった雪が眩しい。網走湖の湖畔を走る。

 あれほど大声を出していた中国人たちが急に黙り込んでしまった。全員大きな口を空けて午眠を貪っている。慣れない異国の地で疲れてしまったのだろう。物音一つしない車内にキハ185のエンジン音が響く。ふと前の座席の男の子と目があってしまった。さっきはあれほど泣き叫んでいたのに、母親が眠り込むと同時に大人しくなってしまった。澄んだ瞳でずっとこちらを見つめてくる。ウインクを返すと恥ずかしいのか座席に隠れてしまった。特急「オホーツク6号」は留辺蘂を過ぎて常紋越えに掛かる。キハ185のエンジン音が一際高くなってくる。窓の外には針葉樹が広がる。

バニラエアひがし北海道フリーパスで行く道東の旅~3日目

 根室はアイヌ語の「ニムオロ」(木の繁るところ)から取られたと言われる。根室駅を出る花咲線の上り一番列車は5時30分発と早い。この列車は前日から運休と報じられていたので、次の8時22分発に乗って釧路へ向かおうと思う。駅近くの貧相なホテルで7時過ぎまでじっくり寝て、8時前に根室駅へと向かった。

 DSC_1001
  根室駅の朝。

 DSC_1002
  最果ての鉄路が途切れる処。

 始発の5時30分発は案の定運休したようだが、次の折り返す根室行きの普通列車は定刻で運転されているようで安心した。8時03分、単行の普通列車が東の方向から入線し僅かな乗客が降りてきた。根室本線はラストで根室の市街をぐるりと廻るように敷設されているので、最果ての終着駅がこのようなかたちになってる。根室8時22分発の釧路行きはキハ54系単行。沿線の浜中町出身の漫画家「モンキー・パンチ」氏に因んで、アニメ「ルパン三世」のラッピングが施されている。車内は俗に言う「集団見合い型」クロスシートで座席が無駄にリクライニングする。どこかの特急型車両の廃車部品を集めてきたのだろう。

 CSC_1009
  その名も「ルパン号」
 
 DSC_1004
  「あばよ!とっつぁん!」  

 DSC_1006
  「おのれルパ~ン!」

 根室駅から10名程度の乗客を乗せて発車した。「日本最東端」東根室駅を過ぎ、市街を抜けてシラカバの森の中を往く。枝の上にイヌワシやフクロウの姿、あと線路にやたらとエゾジカが出てくる。注意の汽笛だけで済めばいいが道中で
二度も急停車した。天候は昨日とはうって変わって青空。沿線の街、厚床や浜中で地元の用務客が乗り込み程よい乗車率となった。昨日タクシーでかっ飛ばした国道44号線が見える。厚岸より先で左手に太平洋が広がった。昨日はバスに間に合うかハラハラしながらの道中で、外の景色をほとんど見ていない。カキの養殖で知られる厚岸湾と朱色の厚岸大橋が見える。やっぱり旅はこう、のんびりと行きたい。釧路の市街に入ると地元民が次々に乗り込み単行の車内は満員になった。10時45分釧路着。

 本来なら昨日は釧路に泊まって、今日は釧網本線沿いの摩周湖や屈斜路湖を見て回る予定だった。しかし昨夜は根室で泊まらざるを得なくなった為、釧路到着がこの時間になってしまった。なので今から「SL冬の湿原号」に乗る。指定席券は今朝方根室駅で仕込んでおいた。

 DSC_0965
  釧路駅で発車を待つ「SL冬の湿原号」

 昨日「スーパーおおぞら1号」で釧路駅に着いた時、隣のホームで黒煙を上げる蒸気機関車が気になってはいた。昨日から今季の運行を開始した「SL冬の湿原号」で、釧網本線の釧路~標茶間を一往復している。C11は主にローカル線の普通列車用として活躍した蒸気機関車で、新橋駅のSLと同じ形式といえば解ってもらえるだろう。まずは釧路駅の改札を一旦出て売店に駅弁を仕入れに行ったが、売店には大型スーツケースを従えた中国人が大量に溜まっていてなかなかお弁当が購入できない。急いでかにめしを購入し、「SL冬の湿原号」が発車する3番線ホームへと向かった。

 釧路11時06分発の標茶行きSL冬の湿原号はC11+14系客車5両編成。充てがわれた席は最後尾の5号車だった。車内は中国人の団体と、グループ客と私のような一人旅。妙齢の女性がテーブル席に切符と駅弁を並べてスマホで写真を撮っている。このあとすぐSNSにアップするのだろう。SNS時代の一人旅は決して独りではないが、わざわざ独りになりたくて北海道まで来たんだから私は極力SNSは開かない。5両編成の車内は全てのボックスが埋まっているが、私のボックスには終点まで誰も来なかった。札幌からの特急「スーパーおおぞら1号」がまた遅れているらしく、数分遅れて発車した。

 DSC_1019
  車内はテーブル付きのボックスシート。ダルマストーブが置かれている。

 「SL冬の湿原号」には車掌さんの観光案内とボランティアのガイドさんと、「中文案内」と札を提げた通訳まで乗っていて、標茶までの約1時間半の道中を色々と楽めそうだ。釧路川の袂には三脚がずらりと並びカメラマンたちが手を振ってくれた。東釧路で花咲線が別れ、C11は青空に黒い煙を吐きながら釧路湿原の中へと這入っていく。2号車のカフェカーを覗くと中国人観光客が早くもお土産やグッズを買い求めていた。釧路湿原と言えば夏の光景が有名だが、冬の湿原は立ち並ぶシラカバの樹に、黄土色のカラクサと雪だけの景色。遠くに雪の雌阿寒岳と雄阿寒岳が見える。「あ、右手にタンチョウの親子が居ます」車掌さんの放送が入る。間もなく右手に3羽のタンチョウが見えた。なるほど、最後尾5号車だと車掌さんの案内を聞き逃すこともない。あとはエゾジカの群れとイヌワシの姿。かつて釧網本線に乗った時地元のおじいさんに言われた。湿原なんて全く人の役に立たない。動物の楽園だと。

 
DSC_1020
  冬の釧路湿原を往く。

 左手から釧路川が寄ってきた。車窓には延々と冬の釧路湿原が続く。12時35分、標茶着。アイヌ語の「シペッチャ」(大きな川の畔)から来ている
向かいホームに上りの快速「しれとこ」が入線し中国人がゾロゾロと降りてくる。SLの煙と中国語が飛び交う駅舎。駅前には大型観光バスが横付けされ、大型スーツケースを従えた中国人が次々とバスに乗り込み出発していった。次に乗る網走方面への普通列車は今から2時間半もある。当初は摩周湖や屈斜路湖を見て回る予定だったが、私は折り返し13時59分発の上り「SL冬の湿原号」で釧路に引き返すことにした。帰りの指定席は十分に空いていて、指定席券の820円だけでもJR北海道の増収になればいい。帰りは蒸気機関車真後ろの5号車に席を取った。


 DSC_1022
  標茶到着。釧路行きの「しれとこ」とすれ違った。

 DSC_1023
  SL冬の湿原号

 CSC_1029
  一旦釧路方へ引き上げ、先頭の機関車を付け替える。

 標茶駅前の喫茶店で熱いコーヒーを飲んだだけで、再び汽車に乗って来た道を引き返す。引き続き辺り一面の冬の釧路湿原。車内は少し空いたが乗客の顔ぶれはほぼ同じで、SLに乗って引き返すだけが目的なんだろう。相変わらず車内の半分近くは中国人だ。塘路で網走行き普通列車と交換のため約10分停車。向こうから反対列車が来ているというのに、中国人が自撮り棒を持って次々と線路に飛び出してくる。これが特急列車なら全員跳ねられてるところなのに、鉄道に対する意識が違うのだろう。再び花咲線と合流し釧路川を渡って15時35分釧路着。往復3時間のSLで行く冬の釧路湿原の旅が終わった。

 DSC_0010
  帰りは機関車を後ろ向きに連結する。

 DSC_0005
  釧路に向けてラストスパート。

 DSC_0018
  そしてまた釧網本線へ。「ルパン号」と再会。

 折り返し三度釧網本線を往く。釧路16時05分発の網走行き普通列車はキハ54系単行。そしてまさかの「ルパン号」だった。今朝方乗った列車が折り返して根室方面へ向かったとばかり思っていたのに、私がSLに乗っていた間ずっと釧路駅に待機していたことになる。いや、ルパン三世は変装の名人だ。この列車は・・・バカモン!そいつがルパンだ!

 用務客や帰宅客で発車間際に全ての座席が埋まる。釧路川を三度渡ってまた湿原の中を往く。車掌さんの観光案内もなく、キハ54が黙ってジョイント音を響かせながら夕暮れの湿原を往く。本日は節分だが道東の日暮れは早い。橙みたいな大きな太陽が同じ速度で付いてくる。か弱く白と黄土色の大地を照らす。日は暮れてしまったが釧路湿原駅から観光客の一団が乗ってきた。釧路川にはこの寒い中カヌーの姿があった。茅沼の駅前で白いタンチョウが二羽現れ、車内からわっと歓声が上がる。

 CSC_0024
  夕暮れ時の釧路湿原を往く。

 DSC_0025
  釧路川の向こうに雌阿寒岳と雄阿寒岳が見える。
 
 DSC_0028
  川湯温泉駅に木彫りの熊がお出迎え。

 標茶でようやく車内が空いた。日はどっぷりと暮れてしまい、後は今夜の宿である途中の川湯温泉へ向かうだけ。今日は急遽旅行プランを練り直すことになったが川湯温泉に泊まることだけは決めていた。ネットの平日限定直前割で、今夜は3500円で露天風呂付きの温泉旅館に泊まることになっている。17時38分川湯温泉着。地方のローカル列車なのに英語の車内放送がある。駅前に温泉街行きのバスが待機していてアクセスも極めてスムーズだ。そして道東の内陸部は日が暮れると猛烈に寒くなる。アメダスに依ると今の気温は-15℃らしい。バスは10分ほど走って川湯温泉街に到着した。

 川湯温泉に来るのは始めてだ。硫黄の香りと湯気が上がる、なかなか小粋な温泉街だ。気温は低いが風がないのと湯気のせいで暖かく感じる。予約した温泉旅館に投宿し早速露天風呂へと向かう。今夜は大浴場も露天風呂も貸切だ。部屋もきれいで、3500円でここまで良くしてくれるなんて前世でどれだけ善行を積んだんだとまで思ってしまう。温泉で十分体を温めた後で私は温泉街へと繰り出した。居酒屋でザンギとサッポロクラシックを頂き、お腹いっぱいほろ酔い気分で店を出た。夜になって急に冷え込み吐く息が白い。温泉街を歩いていると神社の境内にスノーキャンドルやアイスキャンドルが並べられ、幻想的な光景が広がっていた。投光器の下でキラキラと光り舞い落ちる物体、これがあのダイヤモンドダストらしい。今夜のように冷え込み風のない夜は、空気中の水蒸気が凍りつき神秘的な光景を作り出す。そして夜空には満点の星空。オリオンと冬の大三角がきれいに見えている。真冬の境内にしばし佇み、凛として輝く星空を眺めていた。

 DSC_0034
   凍てつく真冬の川湯温泉、キャンドルライトが灯る。

バニラエアひがし北海道フリーパスで行く道東の旅~2日目

 札幌7時00分発の釧路行き特急スーパーおおぞら1号は283系6両編成。最後尾の6号車自由席車は空いていた。札幌発の時点で1両に5~6人、平日木曜日の朝一番ならこんなものなのかもしれない。
 
 DSC_0959
  札幌駅で発車を待つFURICO283。

 DSC_0960
  閑散期の平日だからか、乗客は少なかった。

 今朝は6時に起きて6時半に北18条のホテルを出た。今日は歩いて札幌に向かう。ここで7時21分発の「オホーツク1号」に乗って時計回りに道東を攻めようかなとも思ったが、当初の予定通り「スーパーおおぞら1号」に乗った。苗穂運転所を見ながら函館本線と別れる。
市街は雪は降っていなかったが暫くしてまた吹雪き出した。南千歳で千歳線と別れて石勝線に入る。朝の早さで眠気が出たので、ここで少しだけ寝た。目が覚めると列車は石勝線の高架区間を走っていた。途中区間で除雪作業を行っていたらしく、トマム着は約12分遅れの8時45分頃になるらしい。そしてその後も断続的に15分の前後の遅れが見込まれるというが、今回は別に急ぐ旅ではないので多少の遅れは気にしないことにする。駅周辺に星野のリゾート施設が建ち並ぶトマムで観光客らが中国語を話しながら乗ってきた。春節休みも終わっただろうに、私が言うのも何だが、良い御身分だと思う。そして今日から3日間私は道内の各地で彼らを見掛けることになる。


 一面の雪景色の中を列車は行く。帯広でややまとまった乗車があったが自由席車はそこまで混んでいない。冬の道内の特急列車にしては珍しい。道東の雪原をひた走り、右手に太平洋の水平線が広がると終点の釧路は近い。空も何時の間にか晴れていた。しかし私はここで次に乗る花咲線の快速列車が運休するということを知る。しかし先を急ぐ旅ではないし、まあなんとかなるだろう。根室方面へ向かう乗客は釧路駅で駅係員に申し出るよう放送があった。終点の釧路には13分遅れの11時13分に到着した。
 
 DSC_0961
  ラストスパートは太平洋を臨んで。

 DSC_0966
  釧路に到着。2番線の快速「ノサップ」は急遽厚岸行きに変更。
 
 駅で集めた情報によると花咲線は雪害のため厚岸~根室間で列車の運転を見合わせていて、釧路11時13分発の根室行き快速「ノサップ」は途中の厚岸止まりとなるらしい。厚岸以降に向かう乗客は駅係員に申し出よとのことで、釧路駅の改札脇に5人の乗客が集められた。根室へ商談に向かうというビジネスマン二人組と、同じく仕事で根室へ向かう男性、茶内まで行くというお母さん、私。この5名はJRがチャーターしたタクシー2台に分かれて根室駅へ向かうことになった。急ぐ旅でもないし、ここは素直にドライブを楽しもうと思う。私は根室へ向かう男性、お母さんとパーティーを組み、タクシーの助手席に座った。ここから根室駅まで約2時間のドライブだ。なお個人でタクシーをチャーターするとタクシー代は約3万円とのことだった。

 DSC_1013
  空はこんなに青いのに。

 タクシーは釧路の市街を抜け、暫く花咲線に沿って走る。ちょうど乗る予定だった快速「ノサップ」がゆっくりとタクシーを追い抜いていった。先程から急ぐ旅ではないと言っているが一つ懸念材料があって、根室駅から納沙布岬へ向かうバスが13時45分発で、今から根室まで2時間10分以内に着かないとバスに乗ることが出来ない。さすがに運転手さんに急いでとは言えないので、ここはプロのドライバーに全てを委ねようと思う。次の手はバスに間に合わなかった時に考えれば良いのだ。釧路から根室まで一直線に伸びる国道44号線。根室まで100kmの標識が見えた。タクシーが時速60~70kmで走っているとして、ギリギリで間に合う計算だ。運転手さんはがっちりとハンドルを握って仕事に集中している。ここは全てを任せよう。右手に厚岸湾が見えた。厚岸の駅前を「ノサップ」の時刻から15分遅れで通過する。時刻表上の「ノサップ」根室到着は13時22分なので、ここはギリギリ間に合う計算だ。しばらく花咲線の線路と並走する。両側は一面の針葉樹。あとは標識で根室までの距離と現在の時刻を確認する。ふと根室交通の釧路行きバス特急「ねむろ号」とすれ違った。

 後部座席のお母さんが降りる茶内駅が近づいてきた。お母さんが「国道沿いのセイコーマートの前で降ろして貰えますか?」と訪ねたが、運転手さんは「茶内駅まで行きます」と応えた。あくまで乗客は私達ではなくJR北海道ということなのか。茶内駅がある浜中町は『ルパン三世』で知られる漫画家「モンキー・パンチ」氏の故郷で、駅前にもルパン三世の看板が立っている。12時40分、茶内着。鉄道より22分も遅れていて、これでは根室駅到着はギリギリだ。運転手さんが「お手洗いは大丈夫ですか?」と聞いてきたが生憎そんな余裕はない。国道44号線に戻り、あとは根室まで一直線だ。雪に包まれた根釧平野の一本道をタクシーが走る。この先花咲線の線路は太平洋側にぐっと迫り出し、根室の市街では右からぐるっと回り込むかたちで終着駅に入る。一方国道はこの区間を一直線にショートカットしており、これは普通に間に合うかもしれない。道路標識の距離、タクシーのスピードメーターと現在時刻を交互ににらめっこする。タクシーは根室の市街に入った。時計は10分前の13時35分、懸念は渋滞と信号機だが道路は極めてスムーズだ。あと5分。前方に根室駅右折の標識が見えた。この信号に掛からなければ13時45分発のバスに間に合う。タクシーは駅前広場に入り駅舎の前に停車した。間に合った!

 DSC_0969
  思いがけず2時間のドライブ。お世話になったタクシー。

 DSC_0971
  岬へ向かう路線バス。

 根室駅前13時45分発の納沙布岬行きの路線バスに乗る。乗客は私一人。窓口で往復切符を買うと1割引きだった。待合室ではお婆さんが午睡中。売店は体調不良につき休業の札を掲げて店仕舞いしている。お昼の食糧を何処かで買いたいが、生憎と北海道最果ての街にそんなものはなかった。バスは根室の市街で老人を二人乗せ、一人は町外れで、そしてもう一人は歯舞という集落で降りていった。後はさいはての岬へ続く一本道をひたすら走る。外は晴れているが風が強く、防雪柵の真下から時折白い吹雪が吹き付ける。沿道の交通安全の幟も風を受けて大きくはためいている。20年も前になろうか、始めて納沙布岬へ来た時は夏で、辺り一面の霧の中「四島を返せ!」の看板が道路沿いのあちこちに立っていた。当時は銃を持ったソ連兵が四島を踏みつける棘々しい看板だったが、今はアザラシのイラストが描かれた真新しい看板に入れ替わっている。根室半島のさいはて珸瑤瑁(ごようまい)の集落を過ぎ、14時29分、バスは納沙布岬のバス停に到着した。

 DSC_0975
  ローカルバスはさいはてを目指す。

 バスを降りるともの凄い強風が吹き付けてきた。言うまでもないが、今この最果ての岬に居るのは私一人である。後は岬の資料館の職員が数名だけ。バス停に併設された資料館で暖を取りつつ北方領土の歴史や史料を見させてもらった。珸瑤瑁(ごようまい)水道を挟んで目の前に横たわる島、それぞれ水晶島(すいしょうじま)、勇留島(ゆりとう)、秋勇留島(あきゆりとう)というらしい。その手前ここから僅か3.7kmの場所に古ぼけた灯台が肉眼でも見える。これが根室半島に一番近い北方領土の貝殻島(かいがらじま)。

 DSC_0983
  やって来た!本土最東端、納沙布岬。

 DSC_0989
  珸瑤瑁水道を挟んで秋勇留島。

 DSC_0984
  国後の島影。

 これら歯舞群島と色丹島は地政学的に根室半島の延長線上にある。戦前は人が住み漁業を営んでいたと言うが、今は国境を守る兵士以外に住人は居ない。帰りのバスは今から2時間半後の午後5時。資料館で小一時間にもわたる史料映像を見た後でも時間はたっぷりある。強風の中コートのフードをしっかり被り、お隣の北方館・望郷の家へ移動する。夏季は土産物屋や食堂も店を開けるそうだがこの天気ではどこもやっていない。

 北方館には北方領土を臨む展望台があり、無料の望遠鏡で北方領土を視察することが出来る。3.7km先にある貝殻島の灯台が肉眼でもくっきり見える。この灯台は戦前に日本が建てたものらしい。望遠鏡で真向かいの水晶島を覗けば国境警備隊の建物や、ロシアが実効支配を正当化するために建てた正教会の教会が確認できた。こんなに近くにある島なのに決して行くことが出来ない。資料館を出るとまた強風が吹き付けてくる。四島の架け橋モニュメントの向こうには国後島の山々がうっすらと見えている。凍てつく寒さと強風の中、頑張って納沙布岬の灯台まで行ってみた。一歩一歩足を踏みしめ、雪に足を取られて転ばないように。岬の白い灯台。裏手に回ると正しくそこがニッポンの最果てだった。

 DSC_0987
  これ以上は行けない、此処がニッポンのさいはて

 北方四島を巡る歴史は十分に学び知ることが出来たが、戦争に負けて取られた島を取り返すなんて、またロシアと戦争やって勝つしか方法が無いじゃないか。かつてソ連が我が国にしたように、今現在島に住んでいるロシア人を全員追い出して、また札幌や東京から人を移住させれば良いのだろうか。辺り一面は白と灰色の世界、この岬には私一人しか居ない。もの凄い風と波の音、もうこの先には絶対に進めない。ニッポンの最果てに私一人。そしてこの先は、私の行けないニッポン。

 DSC_0997
  誰もいない岬の先端。ニッポンで一番早い夕日が沈む。

 DSC_1000
  根室駅へ戻ります。

 日がどっぷりと暮れた納沙布岬から根室行きのバスで引き返す。帰りのバスも私一人。根室の市街に入ってようやく乗客が一人乗ってきた。一応帰りの列車は19時00分発の釧路行きだがまあ走ってはくれないだろう。根室駅に着くと案の定ホワイトボードに全列車終日運休と書かれていた。詰所の駅職員が明日の始発も走らないと言っている。まあ今回は急ぐ旅じゃない。このまま根室に泊まればいいだけだ。市内の宿数軒に電話して駅近く一泊5千円の宿に決めた。昨日の宿より1500円も高い割には、極めて貧相なホテルだった。

バニラエアひがし北海道フリーパスで行く道東の旅~1日目

 凄い拍子だが、昨夜急に北海道の流氷を見たくなって、そのまま往復のLCCをポチってしまった。

 DSC_0075
  オホーツクの海と流氷(イメージ)

 今日の午後に成田を発って、土曜日の深夜に成田に帰ってくることにした。このように私は勢いだけで行動することがある。後のことは考えていないが、長い人生たかが4日くらい行方をくらましても問題はないだろう。それに旅は空いてる時期の方がいい。ゴールデンウィークや三連休に出掛けるなぞまっぴら御免である。

 それに一人になりたい。私の旅行はたいてい誰かと行くか、誰かに会いに行くかの二択なので、日帰りならまだしも、いってきますからただいままでずっと一人の旅行は稀である。そもそも今はそういう気分なのだ。冬の北海道は何処に行ってもとにかく人の気配がない。エゾジカとキツネの楽園になる。そんな中に私だけで一人ぼっちになりたい。

 SNSの世の中。常に誰かと繋がっていて一人になれる機会は無い。東京で暮らしていれば尚更だ。たまにはこうして一人になることで、自分自身を見つめ直すことも人生に於いて大切だろう。一応スマホは持っていくがSNSは極力開かなければいい。だが我慢するのは逆効果なので、アプリは消さずに留めておく。要するに、冬の北海道へ心の再起動ボタンを押しに行くのだ。 家でゴロゴロしていたい気持ちもあったが、自宅のPCの前に座っていても何も変わらない。行かずに後悔するより行って後悔。時間もお金も十分あるではないか。それに、汽車の切符と違ってLCCはキャンセルできない。今回は自分で自分に冬の北海道に行くという縛りをかけたのだ。こうでもしないと私は動かないから。

 こうして2月1日木曜日の昼前、私は手ぶらで家を出た。4日程度の逃避行に荷物なんて要らない。持っていくのは財布とスマホと愛用のカメラくらいだ。自宅の前がバス停で、ちょうどバスがやって来たので乗った。いつもの営団ではなくE電の駅まで出る。京成電車に乗り換えまずは成田空港へ向かう。やって来た電車は途中の京成佐倉行きだがこれに乗った。ガラガラのロングシートの端っこに座ってじっとしておく。どう考えてもこれから北海道の最果てへ行く格好ではない。

 京成佐倉でしばらく待つと成田空港行きの電車がやってきた。こちらは大型スーツケースを従えた乗客もちらほら居て、「非日常」の空気がある。これから乗るのは成田空港を13時50分に発つバニラエアJW917便で、新千歳空港に15時35分に着く。電車は12時半位に空港第2ターミナル駅に到着した。ここから先は人の流れについていけば勝手に第3ターミナルに着く。LCCにはまだ慣れてないので、こういう時は周りに合わせておくのが私の処世術だ。連絡バスに乗って無機質な空港の構内を往く。解らなければそこら辺の係員に聞けばいい。LCCは何かと面倒くさいイメージが合ったが手ぶらで乗る分にはシンプルだ。自宅のプリンタで印刷した用紙を持って、30分前に保安検査場へ行くだけでよい。検査場の手前にはレストランやコンビニや書店が連なっている。殺風景な第3ターミナルでここだけが賑やかだ。お昼だが食欲がないので御飯は向こうで食べよう。ふらっと入った書店で冬の北海道のガイドブックを購入した。今回の旅行はあまりに突発的で、旅程どころか何処に行くかも全く決めていない。この本は機内で読むことにする。バイブルは札幌駅のキオスクで道内時刻表を変えばよい。

 DSC_0954
  とりあえず、まず飛行機に乗ろう。

 こうして13時50分、JW917便は成田空港を出発し北海道へと向かった。成田は晴れていたが飛行機はすぐに雲の中に入ってしまった。機内には中国の観光客が多く、私の隣にも中国人の夫婦が座った。隣の夫は機内が空いていると見るや他の席に勝手に移ってしまった。ただでさえ狭い機内だ。その方がお互いのためだろう。前方の席で中国人の子供が騒いでいる。よくある光景だ。

 DSC_0955
  あっという間に北海道

 機内で読むつもりで購入したガイドブックはほとんど読めなかった。慣れない飛行機で心がしんどく、結局機内では雲の中でじっとしていた。次に陸地が見えたときは一面の雪景色で、しかも強く吹雪いている。それでも新千歳空港にはほぼ定刻に到着した。ここからノープランの冬の北海道逃避行がはじまる。まず駅のみどりの窓口で「バニラエアひがし北海道フリーパス」を購入した。新千歳空港発「札幌、小樽、旭川と石北本線、釧網本線、根室本線、石勝線の内側」が今日から5日間乗り放題で、自分で言うのも何だが、私がフリーきっぷを持てば鬼に金棒だ。新千歳空港駅からはまっすぐエアポート号に乗った。外は強く吹雪いている。もちろん傘は持ってないが車内の誰も傘を持っていない。冬の北海道ではそういうのが普通らしい。車窓に建物が増えてきて、札幌都市圏に入った。

 DSC_0957
  札幌は午後の5時。

 札幌駅、外は猛吹雪である。時刻は午後5時を過ぎ、そろそろ帰宅ラッシュが始まる。正直今夜の予定は何も決めていない。まだこの時間なら網走行きや釧路行きの特急もあるが乗らないことにした。晩御飯はススキノや狸小路まで行く気力がなかったので、札駅近くの二郎に行った。店内は空いていた。

 猛吹雪の中を歩くだけでこころがしんどい。北海道に来た途端に活動限界だ。時刻はまだ午後の6時だが、札幌駅近くのビジネスホテルを片っ端から探して、北18条に3500円のホテルを見つけた。札駅からも歩けない距離ではないが猛吹雪なので二駅だけ地下鉄を利用する。3500円の割に客室は広く清潔で、これは自宅のようにくつろげる。ここに来てようやく旅行してるんだなという実感が出てきた。デスクに冬の北海道ガイドブックと道内時刻表を広げて、明日から3日間の行程を制作した。1日目は最果ての根室まで行って納沙布岬。2日目は釧網本線沿いの摩周湖と屈斜路湖を見て川湯温泉に泊まる。そして3日目は網走で流氷。恐らく行く先々で破綻すると思うが、それもまた旅の楽しみだ。

 とにかく、こうなってしまった以上は、4日間の逃避行で心の再起動ボタンを押し、新たな気持で東京に戻って新たな人生を歩みたい。そのための4日間だ。今夜はその1日目としてここ札幌のホテルで心を休めたい。人生数万回の夜のたった一夜なんだからこういう過ごし方もありだろう。外は猛吹雪。客室の暖房を全開にして寒さに備える。毎週楽しみにしている刑事ドラマを見つつ、明日からの旅行のことや、心に浮かんでいくよしなき事を色々と考えつつ、冬の北海道のホテルの一室で非日常の夜を過ごした。明日は札幌7時発朝一番の特急列車に乗る。

 DSC_0094
   では、4日間の冬の北海道逃避行が、はじまります。

人生二度目の熊野詣に至るまでの過程

 大阪で過ごしているうちに急に熊野詣に行きたくなった。和歌山県の紀伊半島の果て、田辺市本宮町の熊野本宮大社、新宮市の熊野速玉大社、那智勝浦町の熊野那智大社を参詣することをいう。

 熊野とは隈(奥まって薄暗い処)を意味し、紀伊半島の奥の山の中、森の中をいう。交通が発達した現在でも彼の地へ行くには半日かかる。大昔はそれこそこの世の果てであっただろう。だからこそ人は彼の地に神秘性を感じ、遠い昔は神話の、古くは密教の地として信仰を集めていた。末法思想が蔓延った院政期には上皇や女院が挙って熊野へ参詣したという。

 現在、熊野三山を含む紀伊山地の霊場と参詣道はユネスコの世界遺産に登録されている。国内での知名度は勿論、近年のインバウンドを受けて関西国際空港に程近い彼の地は国外からの観光客も多いという。もう十数年も訪れていない彼の地がどう変化したかもこの目で見てみたい。

 そして今の世の中も完全にブラックボックスだ。四六時中情報が洪水のように流れてくる。社会の仕組みがもの凄い勢いで変わっていく。生きているだけでも疲れるのに出来事の因果関係はどんどん複雑になっていく。一時の現実逃避で東京を離れ大阪の実家で過ごしている自分も、今こそ熊野へ行くべきではないか。九州から東京へ戻る乗車券を無理やり「方向変更」し、紀伊半島を時計回りにぐるっと回ってまた大阪に戻るルートに変更してしまった。こうして紀勢東線の始発駅、亀山にやってきた。 
 
 DSC_0811
 亀山駅で発車を待つ紀勢東線キハ25系。

 かつての熊野詣は京から紀伊田辺へ向かい、そこから山へ入り本宮を目指したという。現在その道は熊野古道として世界遺産に登録されている。だが私の熊野詣はそこまで厳格ではないので、行きは亀山から紀勢本線で紀伊半島の東側を回って新宮へ向かい、帰りは西側を回って天王寺へ戻る。方向変更してもらった乗車券にもその経路が書かれている。亀山12時16分発の多気行き普通列車はキハ25系2両編成。平日昼下がりの車内はガラガラで、ロングシートと大きな窓は解放感にあふれている。途中の多気駅で乗り換えがあるが、今日はこの車両で熊野詣の玄関口、新宮駅まで向かう。ロングシートの中間に座ると向かいの窓はあたかも巨大なスクリーンだ。加太峠は雪景色だったがここには黄土色の光景が流れていく。一身田で半ドン帰りの学生が大量に乗り込み、津、松坂辺りは地元客で混雑した。

 多気で13時16分発の新宮行き普通列車に乗り換える。こちらもキハ25系2両編成。こちらは用務客が一両に数人だけ。これから志摩半島の付け根を越えて紀伊の国に入る。新型気動車は軽快なエンジン音を奏でながら国境の峠を易々と越えていく。旧式気動車キハ40やキハ11をミャンマーに追い払い、JR東海非電化区間の雄になりつつある。大きな窓に流れる茶畑やみかん畑が次々に映し出される。峠のサミットをトンネルで抜け、列車はヘアピンカーブを描きながら紀伊長島駅の構内に滑り込む。目の前の窓に海が映った。

 DSC_0819
 三津野駅で上り普通列車と交換。

 DSC_0821
 尾鷲で特急「ワイドビュー南紀5号」に先を譲る。自由席は空いていた。
 
 今回の熊野詣にはもう一つの理由がある。それは若い頃の自分に会いに行くということ。大阪時代の15年以上も前に私は熊野三山を訪れており、熊野本宮大社は本宮町を仕事で訪れた際に参拝した。写真などは記録していないが当時の記憶はかすかに残っている。その際に湯の峰温泉という近場の温泉街に2~3日ほど宿泊した。温泉街と言っても相当鄙びており、ボロい民宿に相部屋で宿泊した記憶がある。今夜はその温泉街に宿を取っている。さすがに15年前に宿泊した民宿の名までは記憶にないが、訪れれば当時の記憶が蘇るであろう。キハ25の大きな窓には熊野灘の大海原が広がっている。車両こそロングシートの新型気動車に変わったが、この海はあの日キハ58から見た海と変わらない。停車する海沿いの小駅も当時のままだ。年を重ねると旅が若い頃の自分に会いに行くものになる。
 
 背後には紀伊山地、そしての目の前には熊野灘。新宮行きの普通列車は数少ない乗客を乗せて紀勢東線をゆっくり走る。三津野で対向列車と交換のためしばらく停車。昼下がりの陽気に誘われ列車を降りると暖かい空気に包まれた。15時30分着の尾鷲で特急「ワイドビュー南紀5号」に先を譲るため21分間も停車する。ここは熊野地方最大の街で買い物帰りのお母さんたちが大量に乗ってきた。どのお母さんもスーパーの袋に食料品や日良品を大量に詰め込んでいる。数少ない普通列車に乗って街へ行き、スーパーで数日分の買い物を済ませて帰宅するのが日常なんだろう。

 尾鷲から熊野市の間は戦後に建設された新線区間を往く。リアス半島の付け根をトンネルで抜け、駅前に漁港と海が見える。あの三陸鉄道の景色と全く同じだ。駅毎にスーパーの袋を持ったお母さんたちが降りていく。九鬼駅からは水軍の歴史が感じられる。新鹿の駅前には白亜の砂浜が広がっている。大泊の港は来るべき南海トラフ大津波に備えた巨大な堤防に覆われていた。だが幾ら減災に努めても大津波は近いうちに必ずやってくる。今こうして紀勢本線の車窓に移る光景も、次に見るときは一面の瓦礫の山になっているかもしれない。各駅のホームにも津波避難経路の物々しい表示板が建っている。

 熊野市から先の線路は海岸線に沿っているが国道と防風林で海は見えない。この区間は下校の高校生で混雑した。

 DSC_0832
 人一人いない、真冬の新鹿海水浴場。

 DSC_0828
 大津波は必ずやってくる。この通りの光景が見られるのは今日が最後かもしれない。

 進行方向に熊野川の大鉄橋が見えてきた。川を渡れば和歌山県で、この先はいよいよ浄土の地だ。かつての熊野詣では道中の冨田川を渡ることを、三途の川に見立てて儀礼的な死を表していた。川の流れは強力な浄化力を持ち罪業を拭い去る。今から列車で熊野川を渡ることで、私の熊野詣のはじめの第一歩としたい。真冬のか弱い夕光が熊野川の川面に落ちる。17時04分新宮着。

 DSC_0835
 紀勢東線の終着駅、そして紀勢西線の始発駅、新宮に到着。 
 
 新宮から熊野交通のバスで本宮へ向かう。どっぷりと日が暮れた本宮大社前のバス停でバスを乗り継ぎ、湯の峰温泉には19時過ぎに到着した。日はとうに暮れているが硫黄の香りが鼻を突く温泉街。15年前の記憶が一瞬で蘇った。今夜は温泉街の中心にある旅館「伊せや」に泊まる。 安永元(1772)年開業の旅館は小奇麗にリニューアルされ、ロビーでは欧州からのカップルがタブレットを片手に談笑している。店主によるとここ数年海外からの観光客が急激に増加し、同じく古道と巡礼の文化を持つスペインからの観光客が多いらしい。閑散期の平日とあって宿はガラガラで静かな一夜をおくれそうだ。早速部屋に荷物を置いて温泉に入る。温泉は命の源。そして湯上りでの食事。旅先での贅沢な時間を過ごさせてもらった。 

エヴァ新幹線(500TYPE EVA)に乗って使徒と戦ってきた

  
 キャプチャ

 サードインパクト後の混沌とした世界を象徴するかの如く登場した、エヴァ新幹線こと5000TYPE EVA。原作のアニメは公開から20年を経過した現在でも今だ人気衰えず、エヴァ新幹線も来年度へ引き続いての運転が決定したようだ。大九州合同祭から一夜明けた1月16日月曜日、上りの「こだま730号」を小倉→新大阪間で乗車してきた。一日一往復の500TYPE EVAは上りが小倉発が6時54分と早朝で、しかも昨夜は博多で三次会まで呑んでいたのだが、今朝はしっかり早起きして、夜明け前の小倉駅へと向かうことができた。

 CSC_0748
 小倉駅へ入線する「こだま730号」
 
 山陽新幹線の「こだま」として活躍する8両編成の500系。その一編成をアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』に登場するエヴァンゲリオン初号機をイメージしたカラーリングに変更し、その博多寄り2号車が500TYPE EVA特別内装車、最後尾の1号車が展示ルームと実物大コックピットに改造されている。そして今からその実物大コックピットに搭乗してくる。こちらは博多~新大阪間の区間を区切って1組が搭乗可能で、今回私達は二番手の小倉~厚狭間で搭乗することとなった。こちらの体験は事前申し込みの抽選制だが、平日の朝7時からエヴァに乗りたい人もそう多くはなかったようで、無事当選し搭乗できる運びと相成った。

 DSC_0710
 エヴァ初号機に搭乗、20年越しの夢が叶いました。

 
小倉~厚狭間の走行時間は約20分。その間に二人交代でエヴァを操縦する訳で、実際にコックピットに搭乗できるのは10分くらい。原作のエヴァ初号機は5分間しか起動しないので、そんなものなのかもしれない。オペレーターのお姉さん二人(ミサトさんと冬月博士のイメイジ?)に案内され、靴を脱いでコクピットへ。目標はアニメ版第一話と同じく第三使徒サキエルを倒すこと。まずはエヴァとシンクロし、使徒を攻撃しつつATフィールドをこじ開け殲滅させる。至ってシンプルだがここは20年来の夢が叶ったということで。交代でコックピットに搭乗した相方も私と同じエヴァ世代ということで楽しんでいた。もう少し時間があればシンジ君の如く「逃げちゃだめだ!」をやりたかったのだが、あまり居座ると次の区間の方に迷惑がかかるので。

 DSC_0703
  エヴァ初号機覚醒、ATフィールドを突破。

 
DSC_0735
  第3使徒サキエルを撃破。

 
1号車のもう半室はエヴァ新幹線展示ルームとなり、エヴァと新幹線車両を絡めたジオラマやパネルが展示されている。こちらは誰でも入場できるので朝から記念写真を撮る人も多い。原作『新世紀エヴァンゲリオン』の放映はもう20年も前。近未来の2015年を舞台にはじめは純粋なロボット戦隊アニメと思いきや、中盤から哲学的かつ抽象的な展開を見せ始め、最後の2話は思いっきり作画崩壊を起こし強引なハッピーエンド。それでも当時の世間や後世の作品に大きな影響を与えたコンテンツになりえたと思う。周囲は「難解すぎて意味が解らなかった」と言っていたが、私は主人公の碇シンジくんの「逃げちゃだめだ!」のせいで、以降の少年、青年時代にどれだけ自分を追い詰めて苦しめたかわからない。死んじゃうくらいなら何もかも放り投げて逃げていいって気づくのに15年もかかったよ!

 DSC_0737
 エヴァ初号機の向こうにカヲル君。エヴァ新幹線の車内放送は彼(CV.石田彰)が担当しています。

 この週末日本列島は大寒波に見舞われ、今日も東海道・山陽新幹線のダイヤが始発から乱れまくっているとのこと。九州は雪はなかったが山陽に入ると線路際に積雪が目立ち始め、瞬く間に猛吹雪に。「こだま730号」は各駅で後続の「ひかり」「のぞみ」に先を譲る旅路となるため、後続の新幹線が遅れれば「こだま730号」もその分待たなければならない。各駅での停車時間も徐々に伸び始め、東広島駅では遂に暫く抑止となってしまった。どうせならこの区間でコックピット搭乗乗車に申し込めば、その分長く居られたのに。

 DSC_0750
 エヴァ新幹線、雪で止まる(東広島駅)

 DSC_0762
  500TYPE EVAといえども、後続の700やN700に先を譲る。

 DSC_0778
 デッキはまるでエヴァの格納庫だ。

 DSC_0766
 碇指令が手を組んで座ってそうな車内。

 DSC_0764
 1995年原作のアニメでは、タバコを吸う女性も珍しくなかったのだろう。

 自由席の2号車は特別内装車となっており、座席や通路、デッキまでもがNERV仕様に描かれ、喫煙室では加持さんとリツコさんが紫煙を燻らせている。全車両を見渡してみましたが平日午前の「こだま」とあって乗車率は高くない。「こだま730号」は20分程度東広島駅で抑止した後運転を再開し、次の三原から先は一気に雪がなくなりダイヤもなるべく平常に戻すとのこと。でもこれにより各駅での停車時間が全く読めなくなった。実は今朝が早かったので朝御飯を食べてなく、各駅での停車時間中に売店へ駆け込む予定にしていた。だがこのダイヤ乱れでその余裕がなくなり、「こだま」には車内販売も無い。結局飲まず食わずで4時間半、終点の新大阪駅まで耐えなければならないようだ。

 eva
 この姿、まさにエヴァンゲリオン初号機。(西明石駅)
 
 DSC_0788
 斬新な流線型デザインで最高速度285キロを達成するも、現在は「こだま」として身を持て余す。

  DSC_0791
 新幹線はニッポンの大動脈だ。

 先程の吹雪が嘘のように晴れの国こと岡山は快晴。ここから山陽新幹線は赤穂線の線路に沿い、短いトンネルを次々に抜けて播磨の国へ。姫路ではビル群の向こうに大改修を終えた姫路城が青空に輝いていた。西明石の先で神戸トンネルに入り、これまた全長16250m、かつては我が国一のトンネルとして名を馳せた六甲トンネルとの間に位置する新神戸駅に到着。名残惜しいが500TYPE EVAの旅もあと一駅となった。大阪の市街に入り、「残酷な天使のテーゼ」のチャイムと聞きなれたカヲル君の車内放送で、500TYPE EVAの旅が締めくくられる。最後はほぼ定刻通りに新大阪着。列車はそのまま折り返し11時32分発の「こだま741号」となり博多へ向かう。20番線のホームにはエヴァ新幹線を一目見ようと多数のギャラリーが集まり、出張と思しきスーツ姿のおじさんも思わずスマホを向ける。若いお父さんに連れられたちみっこが先頭車両で写真を撮ってもらっている。500TYPE EVAの旅が、再び始まろうとしている。

大九州合同祭9告知

 今年も残すところあと360日を切り、2017年もいよいよラストスパート。昨年の紅白で見たあのピコ太郎の一発芸が、つい最近のようにこう、懐かしく思い出されます。寒さ厳しい折、皆様お風邪なぞ召されておられませんでしょうか。

 平素はサークル「けろぷろ!」に温かい応援の程、誠に感謝いたします。2017年のイベント姫始めは1月15日(日)の大九州合同祭9となりました。旧「ケロちゃんプロジェクト」時代からおよそ1年4ヶ月ぶりの東方祭参加となります。チルノダンスもすっかり忘れてしまいましたので現在、猛復習中です。

 大九州合同祭・公式サイト
 http://dai9.tohosai.com/

 PEXACES WEBカタログ 大九州合同祭9 
 http://webcatalog.pexaces.com/dai9shugodosai9/allcirclelist.html

 では僭越ながら、頒布物の方を

 大九州合同祭1701おしながき

 【既刊】とびっきりのクソ新刊「ハタテピピック」(持込数100)
 http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=59554120
 
 【既刊】俺たちの青春をもう一度「ミレニアムの幻想少女」(持込数30)
 http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=59341794

 指定暴力団とらのあな様やメロンブックス様の軍門に下りたくないので書店委託はしません。これだけ持ち込めば完売はしないと思いますが、文々。ではまさかの完売でねこのしっぽダンボールを会場で破壊し廃棄する名誉に預かれました。どうしても手に入れたい方はなるべくお早めに。もっとも家のベッドの下には罪庫が沢山ありますので、次回以降のイベントでも見掛けましたら宜しくお願いします。 

 (ここから下は戯言・・・

 旧「ケロちゃんプロジェクト」時代は遠征にLCCとツアーバスは絶対使わず、でかふもれいむを抱いて夜行列車に乗り込むパティーンを繰り返してきましたが、現在はちゃっかりジェッヨスターで福岡空港へ一飛び致します。前々日の13日(金)が遅番ですので、仕事が終わってそのまま上の駅へ向かい、最終の京成イヴニングライナー73号で成田空港24時12分着。そのまま闘争地主の小屋で夜を明かして6時05分発の福岡空港行きに乗る予定です。

 野宿や路上泊はもう慣れっこなんですが、LCCという存在は全く持って不思議ですね。今回は1月の勤務シフトが出た先月末に予約しましたが、今見たら運賃が予約時から2000円近く上がってるんですね。今まで1ヶ月前の10時にみどりの窓口を凸、で乗り物の切符を取ってきたんですが、これからは「ポチるタイミング」が重要ということでしょうか。今回は土曜発で運賃はやや高めですが、平日なら成田空港までの交通費を入れても6千円くらいで九州に行けてしまうということでしょうか。一方で払い戻しや変更に融通が効かないという難点もありまして、汽車と違ってなかなか難儀しそうです。

 土曜日は相方とスペースワールドの葬式鉄を執り行い、日曜は東方祭に参加後いつものメンツと小倉で呑み。月曜日はあの話題のエヴァ新幹線で一気に新大阪へ向かい、暫く大阪の実家で心を休めようかと思います。実は今こころがしんどくて色んなものを休んでいるので。この機会に昔の友達にでも会って、色々悩みを聞いてもらおうかと思います。
  
  ともあれ、1月15日は西日本総合展示場で、残念な咲夜さん(コスプレ)と握手!
プロフィール

hirakike

ハンコ絵師兼CJD見習い(非処女)の平木博士の心の闇の部分です。同人サークル「けろぷろ!」でクソマンガボーイやってます。代表作『ミレニアムの幻想少女』『ハタテピピック』(2016)。ときどき心が折れます。クソビッチです。※ご用と悩み相談はDMで(秘密厳守

もくじ
最新記事
  • ライブドアブログ