大阪で過ごしているうちに急に熊野詣に行きたくなった。和歌山県の紀伊半島の果て、田辺市本宮町の熊野本宮大社、新宮市の熊野速玉大社、那智勝浦町の熊野那智大社を参詣することをいう。

 熊野とは隈(奥まって薄暗い処)を意味し、紀伊半島の奥の山の中、森の中をいう。交通が発達した現在でも彼の地へ行くには半日かかる。大昔はそれこそこの世の果てであっただろう。だからこそ人は彼の地に神秘性を感じ、遠い昔は神話の、古くは密教の地として信仰を集めていた。末法思想が蔓延った院政期には上皇や女院が挙って熊野へ参詣したという。

 現在、熊野三山を含む紀伊山地の霊場と参詣道はユネスコの世界遺産に登録されている。国内での知名度は勿論、近年のインバウンドを受けて関西国際空港に程近い彼の地は国外からの観光客も多いという。もう十数年も訪れていない彼の地がどう変化したかもこの目で見てみたい。

 そして今の世の中も完全にブラックボックスだ。四六時中情報が洪水のように流れてくる。社会の仕組みがもの凄い勢いで変わっていく。生きているだけでも疲れるのに出来事の因果関係はどんどん複雑になっていく。一時の現実逃避で東京を離れ大阪の実家で過ごしている自分も、今こそ熊野へ行くべきではないか。九州から東京へ戻る乗車券を無理やり「方向変更」し、紀伊半島を時計回りにぐるっと回ってまた大阪に戻るルートに変更してしまった。こうして紀勢東線の始発駅、亀山にやってきた。 
 
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 亀山駅で発車を待つ紀勢東線キハ25系。

 かつての熊野詣は京から紀伊田辺へ向かい、そこから山へ入り本宮を目指したという。現在その道は熊野古道として世界遺産に登録されている。だが私の熊野詣はそこまで厳格ではないので、行きは亀山から紀勢本線で紀伊半島の東側を回って新宮へ向かい、帰りは西側を回って天王寺へ戻る。方向変更してもらった乗車券にもその経路が書かれている。亀山12時16分発の多気行き普通列車はキハ25系2両編成。平日昼下がりの車内はガラガラで、ロングシートと大きな窓は解放感にあふれている。途中の多気駅で乗り換えがあるが、今日はこの車両で熊野詣の玄関口、新宮駅まで向かう。ロングシートの中間に座ると向かいの窓はあたかも巨大なスクリーンだ。加太峠は雪景色だったがここには黄土色の光景が流れていく。一身田で半ドン帰りの学生が大量に乗り込み、津、松坂辺りは地元客で混雑した。

 多気で13時16分発の新宮行き普通列車に乗り換える。こちらもキハ25系2両編成。こちらは用務客が一両に数人だけ。これから志摩半島の付け根を越えて紀伊の国に入る。新型気動車は軽快なエンジン音を奏でながら国境の峠を易々と越えていく。旧式気動車キハ40やキハ11をミャンマーに追い払い、JR東海非電化区間の雄になりつつある。大きな窓に流れる茶畑やみかん畑が次々に映し出される。峠のサミットをトンネルで抜け、列車はヘアピンカーブを描きながら紀伊長島駅の構内に滑り込む。目の前の窓に海が映った。

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 三津野駅で上り普通列車と交換。

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 尾鷲で特急「ワイドビュー南紀5号」に先を譲る。自由席は空いていた。
 
 今回の熊野詣にはもう一つの理由がある。それは若い頃の自分に会いに行くということ。大阪時代の15年以上も前に私は熊野三山を訪れており、熊野本宮大社は本宮町を仕事で訪れた際に参拝した。写真などは記録していないが当時の記憶はかすかに残っている。その際に湯の峰温泉という近場の温泉街に2~3日ほど宿泊した。温泉街と言っても相当鄙びており、ボロい民宿に相部屋で宿泊した記憶がある。今夜はその温泉街に宿を取っている。さすがに15年前に宿泊した民宿の名までは記憶にないが、訪れれば当時の記憶が蘇るであろう。キハ25の大きな窓には熊野灘の大海原が広がっている。車両こそロングシートの新型気動車に変わったが、この海はあの日キハ58から見た海と変わらない。停車する海沿いの小駅も当時のままだ。年を重ねると旅が若い頃の自分に会いに行くものになる。
 
 背後には紀伊山地、そしての目の前には熊野灘。新宮行きの普通列車は数少ない乗客を乗せて紀勢東線をゆっくり走る。三津野で対向列車と交換のためしばらく停車。昼下がりの陽気に誘われ列車を降りると暖かい空気に包まれた。15時30分着の尾鷲で特急「ワイドビュー南紀5号」に先を譲るため21分間も停車する。ここは熊野地方最大の街で買い物帰りのお母さんたちが大量に乗ってきた。どのお母さんもスーパーの袋に食料品や日良品を大量に詰め込んでいる。数少ない普通列車に乗って街へ行き、スーパーで数日分の買い物を済ませて帰宅するのが日常なんだろう。

 尾鷲から熊野市の間は戦後に建設された新線区間を往く。リアス半島の付け根をトンネルで抜け、駅前に漁港と海が見える。あの三陸鉄道の景色と全く同じだ。駅毎にスーパーの袋を持ったお母さんたちが降りていく。九鬼駅からは水軍の歴史が感じられる。新鹿の駅前には白亜の砂浜が広がっている。大泊の港は来るべき南海トラフ大津波に備えた巨大な堤防に覆われていた。だが幾ら減災に努めても大津波は近いうちに必ずやってくる。今こうして紀勢本線の車窓に移る光景も、次に見るときは一面の瓦礫の山になっているかもしれない。各駅のホームにも津波避難経路の物々しい表示板が建っている。

 熊野市から先の線路は海岸線に沿っているが国道と防風林で海は見えない。この区間は下校の高校生で混雑した。

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 人一人いない、真冬の新鹿海水浴場。

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 大津波は必ずやってくる。この通りの光景が見られるのは今日が最後かもしれない。

 進行方向に熊野川の大鉄橋が見えてきた。川を渡れば和歌山県で、この先はいよいよ浄土の地だ。かつての熊野詣では道中の冨田川を渡ることを、三途の川に見立てて儀礼的な死を表していた。川の流れは強力な浄化力を持ち罪業を拭い去る。今から列車で熊野川を渡ることで、私の熊野詣のはじめの第一歩としたい。真冬のか弱い夕光が熊野川の川面に落ちる。17時04分新宮着。

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 紀勢東線の終着駅、そして紀勢西線の始発駅、新宮に到着。 
 
 新宮から熊野交通のバスで本宮へ向かう。どっぷりと日が暮れた本宮大社前のバス停でバスを乗り継ぎ、湯の峰温泉には19時過ぎに到着した。日はとうに暮れているが硫黄の香りが鼻を突く温泉街。15年前の記憶が一瞬で蘇った。今夜は温泉街の中心にある旅館「伊せや」に泊まる。 安永元(1772)年開業の旅館は小奇麗にリニューアルされ、ロビーでは欧州からのカップルがタブレットを片手に談笑している。店主によるとここ数年海外からの観光客が急激に増加し、同じく古道と巡礼の文化を持つスペインからの観光客が多いらしい。閑散期の平日とあって宿はガラガラで静かな一夜をおくれそうだ。早速部屋に荷物を置いて温泉に入る。温泉は命の源。そして湯上りでの食事。旅先での贅沢な時間を過ごさせてもらった。