根室はアイヌ語の「ニムオロ」(木の繁るところ)から取られたと言われる。根室駅を出る花咲線の上り一番列車は5時30分発と早い。この列車は前日から運休と報じられていたので、次の8時22分発に乗って釧路へ向かおうと思う。駅近くの貧相なホテルで7時過ぎまでじっくり寝て、8時前に根室駅へと向かった。

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  根室駅の朝。

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  最果ての鉄路が途切れる処。

 始発の5時30分発は案の定運休したようだが、次の折り返す根室行きの普通列車は定刻で運転されているようで安心した。8時03分、単行の普通列車が東の方向から入線し僅かな乗客が降りてきた。根室本線はラストで根室の市街をぐるりと廻るように敷設されているので、最果ての終着駅がこのようなかたちになってる。根室8時22分発の釧路行きはキハ54系単行。沿線の浜中町出身の漫画家「モンキー・パンチ」氏に因んで、アニメ「ルパン三世」のラッピングが施されている。車内は俗に言う「集団見合い型」クロスシートで座席が無駄にリクライニングする。どこかの特急型車両の廃車部品を集めてきたのだろう。

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  その名も「ルパン号」
 
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  「あばよ!とっつぁん!」  

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  「おのれルパ~ン!」

 根室駅から10名程度の乗客を乗せて発車した。「日本最東端」東根室駅を過ぎ、市街を抜けてシラカバの森の中を往く。枝の上にイヌワシやフクロウの姿、あと線路にやたらとエゾジカが出てくる。注意の汽笛だけで済めばいいが道中で
二度も急停車した。天候は昨日とはうって変わって青空。沿線の街、厚床や浜中で地元の用務客が乗り込み程よい乗車率となった。昨日タクシーでかっ飛ばした国道44号線が見える。厚岸より先で左手に太平洋が広がった。昨日はバスに間に合うかハラハラしながらの道中で、外の景色をほとんど見ていない。カキの養殖で知られる厚岸湾と朱色の厚岸大橋が見える。やっぱり旅はこう、のんびりと行きたい。釧路の市街に入ると地元民が次々に乗り込み単行の車内は満員になった。10時45分釧路着。

 本来なら昨日は釧路に泊まって、今日は釧網本線沿いの摩周湖や屈斜路湖を見て回る予定だった。しかし昨夜は根室で泊まらざるを得なくなった為、釧路到着がこの時間になってしまった。なので今から「SL冬の湿原号」に乗る。指定席券は今朝方根室駅で仕込んでおいた。

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  釧路駅で発車を待つ「SL冬の湿原号」

 昨日「スーパーおおぞら1号」で釧路駅に着いた時、隣のホームで黒煙を上げる蒸気機関車が気になってはいた。昨日から今季の運行を開始した「SL冬の湿原号」で、釧網本線の釧路~標茶間を一往復している。C11は主にローカル線の普通列車用として活躍した蒸気機関車で、新橋駅のSLと同じ形式といえば解ってもらえるだろう。まずは釧路駅の改札を一旦出て売店に駅弁を仕入れに行ったが、売店には大型スーツケースを従えた中国人が大量に溜まっていてなかなかお弁当が購入できない。急いでかにめしを購入し、「SL冬の湿原号」が発車する3番線ホームへと向かった。

 釧路11時06分発の標茶行きSL冬の湿原号はC11+14系客車5両編成。充てがわれた席は最後尾の5号車だった。車内は中国人の団体と、グループ客と私のような一人旅。妙齢の女性がテーブル席に切符と駅弁を並べてスマホで写真を撮っている。このあとすぐSNSにアップするのだろう。SNS時代の一人旅は決して独りではないが、わざわざ独りになりたくて北海道まで来たんだから私は極力SNSは開かない。5両編成の車内は全てのボックスが埋まっているが、私のボックスには終点まで誰も来なかった。札幌からの特急「スーパーおおぞら1号」がまた遅れているらしく、数分遅れて発車した。

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  車内はテーブル付きのボックスシート。ダルマストーブが置かれている。

 「SL冬の湿原号」には車掌さんの観光案内とボランティアのガイドさんと、「中文案内」と札を提げた通訳まで乗っていて、標茶までの約1時間半の道中を色々と楽めそうだ。釧路川の袂には三脚がずらりと並びカメラマンたちが手を振ってくれた。東釧路で花咲線が別れ、C11は青空に黒い煙を吐きながら釧路湿原の中へと這入っていく。2号車のカフェカーを覗くと中国人観光客が早くもお土産やグッズを買い求めていた。釧路湿原と言えば夏の光景が有名だが、冬の湿原は立ち並ぶシラカバの樹に、黄土色のカラクサと雪だけの景色。遠くに雪の雌阿寒岳と雄阿寒岳が見える。「あ、右手にタンチョウの親子が居ます」車掌さんの放送が入る。間もなく右手に3羽のタンチョウが見えた。なるほど、最後尾5号車だと車掌さんの案内を聞き逃すこともない。あとはエゾジカの群れとイヌワシの姿。かつて釧網本線に乗った時地元のおじいさんに言われた。湿原なんて全く人の役に立たない。動物の楽園だと。

 
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  冬の釧路湿原を往く。

 左手から釧路川が寄ってきた。車窓には延々と冬の釧路湿原が続く。12時35分、標茶着。アイヌ語の「シペッチャ」(大きな川の畔)から来ている
向かいホームに上りの快速「しれとこ」が入線し中国人がゾロゾロと降りてくる。SLの煙と中国語が飛び交う駅舎。駅前には大型観光バスが横付けされ、大型スーツケースを従えた中国人が次々とバスに乗り込み出発していった。次に乗る網走方面への普通列車は今から2時間半もある。当初は摩周湖や屈斜路湖を見て回る予定だったが、私は折り返し13時59分発の上り「SL冬の湿原号」で釧路に引き返すことにした。帰りの指定席は十分に空いていて、指定席券の820円だけでもJR北海道の増収になればいい。帰りは蒸気機関車真後ろの5号車に席を取った。


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  標茶到着。釧路行きの「しれとこ」とすれ違った。

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  SL冬の湿原号

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  一旦釧路方へ引き上げ、先頭の機関車を付け替える。

 標茶駅前の喫茶店で熱いコーヒーを飲んだだけで、再び汽車に乗って来た道を引き返す。引き続き辺り一面の冬の釧路湿原。車内は少し空いたが乗客の顔ぶれはほぼ同じで、SLに乗って引き返すだけが目的なんだろう。相変わらず車内の半分近くは中国人だ。塘路で網走行き普通列車と交換のため約10分停車。向こうから反対列車が来ているというのに、中国人が自撮り棒を持って次々と線路に飛び出してくる。これが特急列車なら全員跳ねられてるところなのに、鉄道に対する意識が違うのだろう。再び花咲線と合流し釧路川を渡って15時35分釧路着。往復3時間のSLで行く冬の釧路湿原の旅が終わった。

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  帰りは機関車を後ろ向きに連結する。

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  釧路に向けてラストスパート。

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  そしてまた釧網本線へ。「ルパン号」と再会。

 折り返し三度釧網本線を往く。釧路16時05分発の網走行き普通列車はキハ54系単行。そしてまさかの「ルパン号」だった。今朝方乗った列車が折り返して根室方面へ向かったとばかり思っていたのに、私がSLに乗っていた間ずっと釧路駅に待機していたことになる。いや、ルパン三世は変装の名人だ。この列車は・・・バカモン!そいつがルパンだ!

 用務客や帰宅客で発車間際に全ての座席が埋まる。釧路川を三度渡ってまた湿原の中を往く。車掌さんの観光案内もなく、キハ54が黙ってジョイント音を響かせながら夕暮れの湿原を往く。本日は節分だが道東の日暮れは早い。橙みたいな大きな太陽が同じ速度で付いてくる。か弱く白と黄土色の大地を照らす。日は暮れてしまったが釧路湿原駅から観光客の一団が乗ってきた。釧路川にはこの寒い中カヌーの姿があった。茅沼の駅前で白いタンチョウが二羽現れ、車内からわっと歓声が上がる。

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  夕暮れ時の釧路湿原を往く。

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  釧路川の向こうに雌阿寒岳と雄阿寒岳が見える。
 
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  川湯温泉駅に木彫りの熊がお出迎え。

 標茶でようやく車内が空いた。日はどっぷりと暮れてしまい、後は今夜の宿である途中の川湯温泉へ向かうだけ。今日は急遽旅行プランを練り直すことになったが川湯温泉に泊まることだけは決めていた。ネットの平日限定直前割で、今夜は3500円で露天風呂付きの温泉旅館に泊まることになっている。17時38分川湯温泉着。地方のローカル列車なのに英語の車内放送がある。駅前に温泉街行きのバスが待機していてアクセスも極めてスムーズだ。そして道東の内陸部は日が暮れると猛烈に寒くなる。アメダスに依ると今の気温は-15℃らしい。バスは10分ほど走って川湯温泉街に到着した。

 川湯温泉に来るのは始めてだ。硫黄の香りと湯気が上がる、なかなか小粋な温泉街だ。気温は低いが風がないのと湯気のせいで暖かく感じる。予約した温泉旅館に投宿し早速露天風呂へと向かう。今夜は大浴場も露天風呂も貸切だ。部屋もきれいで、3500円でここまで良くしてくれるなんて前世でどれだけ善行を積んだんだとまで思ってしまう。温泉で十分体を温めた後で私は温泉街へと繰り出した。居酒屋でザンギとサッポロクラシックを頂き、お腹いっぱいほろ酔い気分で店を出た。夜になって急に冷え込み吐く息が白い。温泉街を歩いていると神社の境内にスノーキャンドルやアイスキャンドルが並べられ、幻想的な光景が広がっていた。投光器の下でキラキラと光り舞い落ちる物体、これがあのダイヤモンドダストらしい。今夜のように冷え込み風のない夜は、空気中の水蒸気が凍りつき神秘的な光景を作り出す。そして夜空には満点の星空。オリオンと冬の大三角がきれいに見えている。真冬の境内にしばし佇み、凛として輝く星空を眺めていた。

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   凍てつく真冬の川湯温泉、キャンドルライトが灯る。