♪風が恋を運ぶ~ 海を遠く渡り

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  二人を結ぶ、ジャンボフェリー~

 神戸港からのジャンボフェリー深夜便が早朝の高松港に接岸した。ユニークなテーマソングで船内の乗客が全員叩き起こされる。時刻は午前5時25分。定刻よりやや遅れての到着である。タラップを降り、そのまま連絡バスに乗って高松駅へ向かう。平日の割には徒歩の利用客が多く、皆慣れた感じで無料の連絡バスに乗り継いだ。師走の四国は夜明けも遅く、外はまだ真っ暗だ。高松の港湾地帯を走ること10分ほどで高松駅に到着。ここからバースデイきっぷで巡る四国3日間の旅が始まる。

 今月の1日、私は誕生日を迎えた。特に何をするわけでもなく、いつもと変わらぬ一日だった。SNSで誕生日アピールをしてリプライをもらったところで何かが変わるわけではない。しかしせっかくの誕生日、いや誕生月。何かがしたい。そこで以前より考えていたバースデイきっぷで巡る四国3日間の旅を、遂に実行に移す時がやってきた。

 バースデイきっぷとはJR四国が発売する企画乗車券で、誕生日が属する月にJR四国全線と土佐くろしお鉄道線全線、JR四国路線バスの全てが乗り放題となるきっぷである。「全て」とは特急列車を含む指定席、グリーン車まですべての列車を指している。それでいて価格は10280円。これで特急のグリーン車に3日間乗り放題な訳だからお得なきっぷではある。毎年誕生日が来る度に利用したいなと思いつつ、遂に今年利用することが出来た。

 東京から四国へ向かう方法は沢山ある。バースデイきっぷの有効期間をめいっぱい使うには、やはり夜行で四国入りするのが一番効率がいい。寝台特急「サンライズ瀬戸」を考えなかった訳ではないが、今回は時間がたっぷりあるので東京駅から高速バス「東海道昼特急」で大阪へ向かい、神戸1時00分発の高松港行き「ジャンボフェリー」で四国へと入った。平日の高速バスは安く、ジャンボフェリーも三宮の金券ショップを利用すれば15%引きの1900円で乗船できる。実にリーズナブルだ。

 こうして私は四国に入り、高松駅のみどりの窓口で運転免許証を提示してバースデイきっぷを購入し、今から乗る特急「しまんと1号」のグリーン券と、明後日の10日に乗る「伊予灘ものがたり」のグリーン券を発行してもらった。JR四国が誇る人気の観光列車で、指定券の入手は困難と覚悟していたが最後の1席を取ることが出来た。今回の度は幸先が良い。係員さんから「お誕生日おめでとうございます」の言葉を貰い、高松駅の改札を通った。今日から3日間、四国の特急列車、グリーン車に思う存分乗り続けるつもりだ。今日はこれから土讃、予土、予讃本線経由で松山まで向かう。
 
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  無敵のバースデイきっぷを手に入れた。
  

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  夜明け前より高松駅。

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  トップバッターは土讃本線の特急「しまんと1号」
 
  高松6時04分発の特急しまんと1号は2000系3両編成。先頭1号車の半室グリーン車、前から2列目の二人掛け窓際2A席に腰を下ろした。一番前の一人掛け1C席にはテーブルにニコンの一眼を置いたおじさんが座っている。恐らくおじさんも「バースデイきっぷ」だろう。3日間四国の何処かでまた出会えると思うので、その時には声をかけようかと思う。

 夜明け前の高松駅を出発する。外はまだ真っ暗だ。次の坂出でグリーン車にネクタイを締めた男性が付き人に見送られながら乗ってきた。なかなかいいコートを着て、テーブルにMacBook Airを置いて何やら作っている。恐らく何かの著名人とは思うが、グリーン車は本来こういう人が乗るものなんだろう。右手に瀬戸大橋の明かりが見える。

 多度津で予讃本線と別れ土讃本線に入ると東の空が徐々に明るくなってきた。高松平野に小山がぽつりぽつりと現れる。この素朴さがこそが四国の車窓そのものだ。運転士の真後ろ1Cのおじさんが右手を前方に大きく上げて指差確認をする。琴平で電化区間が終わり、早速山越えに掛かる。振り子特急は右へ左へ車体を大きくくねらせ山間を行く。扉の上の電光板には「次は阿波池田」の文字。土讃本線はその名の通り讃岐と土佐を結ぶ幹線だが、讃岐から一気に土佐に抜けるのではなく、途中で阿波の国の西端をかすめる。土讃本線のハイライト大歩危小歩危も徳島県だ。峠のサミットをトンネルで越え、秘境駅坪尻を一気に通過し眼下に阿波池田の街が見える。線路は市街を回り込むようにΩカーブを描き、四国三郎こと吉野川を渡って徳島本線と合流、阿波池田駅に滑り込んだ。

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  四国三郎こと吉野川を渡る。

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  朝の阿波池田駅。

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  特急「南風2号」と交換。

 阿波池田駅。四国の山間のジャンクションである。「さわやかイレブン」で知られる県立池田高校で有名だが、21歳ではじめて四国に行った時、跨線橋で高校生たちがタバコを吸っていてギョッとしてしまったことを思い出す。向かいホームに単行の高知行きが止まっていて、一瞬乗り換えたくなるが、せっかくのグリーン車なんだからもう少しこちらを満喫しよう。当駅で上り特急「南風2号」と交換のため暫く停車するという。グリーン車の車両を出て、外の空気を吸ってみた。早朝の阿波池田駅は木の匂いがする。まだ朝の7時だが寒さは感じない。間もなく高知方から「南風2号」がやって来てカメラを構えると。件のおじさんもグリーン車の車両から出てきてニコンのカメラを構えた。

 四国三郎こと吉野川は阿波池田から南に向きを変え、大歩危、小歩危と呼ばれる景勝地を作り上げる。吉野川が車窓右手、左手と向きを変えるにつれ、件のおじさんも座席を右へ左へと移動する。いつの間にか阿波の国を過ぎて土佐の国に入った。右手の吉野川の流れはまだ続いている。界隈で有名な橋の上に駅ホームがある土佐北川駅を通過し、吉野川と別れて土佐の平野を走る。今日の南国土佐は快晴だ。通勤の自動車、自転車を漕ぐ中学生、並走する路面電車。いつもの朝の光景が広がっていた。駅前に志士たちの銅像が立つ高知駅を過ぎ、須崎から先は左手に太平洋の大海原が広がった。

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  土讃本線終着駅、窪川に到着。予土線に乗り換える。

 9時26分、土讃本線の終点、窪川に到着。ここで列車を降りる。線路はこの先土佐くろしお鉄道の宿毛まで続いているが、宿毛駅は行き止まりで来た道を戻らなければならないので今回の旅行からは除外した。これから予土線に乗って宇和島へ出る。日本一の清流こと四万十川に沿って走り、観光路線としても人気が高い。車両も沿線の海洋堂ホビー館にちなんだ「海洋堂ホビートレイン」や「かっぱうようよ号」、新幹線の開業に関わった元国鉄総裁、十河信二の出身地にちなんだ「鉄道ホビートレイン」などが運行している。バイブルによると窪川9時40分発の宇和島行きは「鉄道ホビートレイン」で運転されるはずだが、本日は検査のため通常のキハ32で運転されるようだ。0系新幹線をあしらった可愛らしいデザインの車両を期待していたが、次の機会に取っておこう。

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  最後の清流、四万十川沿いを行く。

 1両編成ロングシートの車内は地元客が半分、さっき「しまんと1号」のグリーン車で一緒だったおじさん他観光客が半分。平日の午前中にしてはさらりと席が埋まっている。地元客は商工会っぽいおじさま達の団体で、予土線の将来について朝から盛んにディスカッションをしている。「役場が鉄道を残せと言っても皆クルマに乗る!」。予土線に限らず、全国のローカル鉄道が抱える問題だ。予土線の始発駅は厳密には次の若井で、この一駅区間だけ第三セクター鉄道の土佐くろしお鉄道を通る。例のきっぷをはじめJRの企画乗車券で予土線に乗車すると一駅分の運賃が必要だが、無敵のバースデイきっぷなら追加運賃は不要である。若井の次で土佐くろしお鉄道と別れてトンネルに入る。予土線の歴史は複雑で、先に宇和島から建設が始まり、大正時代に愛媛県内の吉野生まで軽便鉄道として開業。戦後に高知県の江川崎まで延長され、全線開業は昭和49年と比較的新しい。トンネルを抜けしばらくすると右手に四万十川が現れた。これぞ日本一の清流、四国の山間をゆったりと流れている。その畔を軽快気動車がトコトコ音を響かせながら走る。

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  江川崎駅で「かっぱうようよ号」と交換。

 途中の江川崎駅で20分間停車し対向列車と交換する。向こうも5分間停車。今乗車しているキハ32をはじめ四国の普通列車にはお手洗い無し車両が多いため、その対策も兼ねているのだろう。この間に観光客が撮影会を開始する。江川崎は平成25年8月12日に日本最高気温41.0℃を記録し一気に有名になった。駅舎にもその旨の表示があり、今は日本一暑い街として町おこしをしているという。四万十川とはここで別れ、次の西ケ方を過ぎると愛媛県に入る。もう四国四県を制覇してしまった。この先予土線は大正時代に建設された軽便鉄道の区間となり、平凡な田んぼや畑の景色となる。小さな峠を越えて宇和島の市街に入った。次の北宇和島が予土線の終点で、松山行きの普通列車と交換する。山の上にこれから向かう宇和島城が見える。12時15分宇和島着。

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  行き止まり式の宇和島駅に到着。

 宇和島駅で私はUPFG宇和島支店長、嘉島安次郎氏の出迎えを受けた。今日は嘉島氏に故郷である宇和島市を案内してもらう。お昼時ということもあり、まず駅近く野有名な店「とじま亭」に連れて行ってもらった。こちらは島島鰤定食、朝水揚げされたばかりの新鮮な鰤を使って調理するという。漁師町で食べる御飯は美味しい。

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   ブリの刺身から炙り、カツ、ブリ大根、カルパッチョ、あら汁

 西予地方の最果てに位置する宇和島市は人口7万5千人。中世は海賊の本拠地として栄え、大阪の陣の後で伊達政宗の庶長子秀宗が入り、仙台藩の支藩、と言ったら嘉島氏に怒られてしまったが、伊達10万国の城下町として代々栄えた。市街の真ん中に位置する小高い山の上に車窓からも見えた宇和島城が建っていて、伊達時代の石垣と天守閣が残っている。二人で山登りをして天守閣から宇和島の市街を見下ろした。なるほど三方を山に、一方を海に囲まれている。ここまで鉄道を伸ばしてくるのは大変だっただろう。現在の市街は城の東側で、かつてはここが町民街であった。一方南側は武家屋敷。昭和63年の選抜高校野球大会で初出場初優勝を果たした県立宇和島東高校のグラウンドが見える。何処の街に行ってもそうだが、天守閣から市街を見下ろすとまるで殿様になったような気分になる。

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  石垣を上る。

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  天守閣が見えてきた。

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  海と市街を一望

 その後嘉島氏の案内で宇和島の城下町を散策する。街外れの
宇和津彦神社は景行天皇の一子である宇和津彦命を祀り、宇和島の地名の由来となっている。嘉島氏もここの氏子とのこと。その奥に伊達家の墓所がある金剛山大隆寺がある。

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  南国宇和島ではまだ椛が見られる。

 宇和島伊達藩は大阪の陣の後、伊達政宗の庶長子、秀宗が入り伊達10万石として栄えた。秀宗は幼少の頃豊臣家の人質として伏見で育ち、名も秀吉から与えられたそうだが、そんな事情もあり徳川の世になると秀宗の立場は微妙になる。結果仙台伊達藩は嫡男の
忠宗が継ぎ、秀宗は宇和島に入った。初期の藩財政は厳しく、政宗も秀宗に「五十七騎」と呼ばれる家臣を付け、6万石の貸与や重臣山家清兵衛公頼筆頭家老として送り込むなど援助にあたっていたが、財政を巡って藩内で対立が起き、
山家清兵衛は主君から疎まれ後に暗殺されてしまう。その後宇和島藩では不幸や天災が頻発し、山家清兵衛の祟りと恐れた人達が建立したのが和霊神社である。地元では「和霊さま」と親しまれ、現在は海の守護神として祀られている。隣の和霊公園には宇和島機関区に属したC12 259機が静態保存されていた。

 
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  和霊神社のイチョウ。

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  予土線(宇和島線)で活躍したC12が居た。

 さて、最後に向かったのは南予宇和島が誇るトンデモスポット凸凹神堂である。神主の久保凸凹(アイ)丸宮司が生涯を懸けて集めた世界中の性数万点が資料館に心狭しと並び、私が
21歳で時初めて四国に来たときは真っ先に向かった。本日は鹿島氏の案内とともに入館することにする。21歳の頃に見た資料がそのまま展示してある。それほど当時は衝撃的だった。我が国の史料は江戸時代の春画と道祖神、性器信仰が中心だが、性器信仰は東日本に偏っている。嘉島氏が言うには、東日本は気候が厳しく狩猟文化が続いたため乳幼児死亡率が高く、子宝の繁栄を願う気持ちが高かったのではとのこと。また厳格なキリスト教文化圏に比べ、インドなどヒンズー教文化圏では性に対する表現が豊富である。国外持ち出しの是非もあろうが興味深い事象だ。ともあれ、この数万件にもわたる資料を見るには一日あっても足りないし、性と哲学を理解するには一生かかる。

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  この中に数万点の秘宝が。

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  だそうです。

 嘉島氏と宇和島駅近くの焼肉屋で夕食を取り、20時18分発の宇和海30号で撤収した。2000系5両編成。バースデイきっぷを持っているので指定席券を取った。21時35分、松山着。今夜は駅前の安宿に泊まる。

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  JR松山駅は台鉄松山駅と姉妹駅。台湾、いつか行ってみたい。

 続き→バースデイきっぷで巡る四国~2日目