東京からのサンライズエクスプレスが夜明け前の姫路駅に到着した。向かいホームに岡山行きの山陽本線始発列車が停まっていて、大きい荷物を持って乗り換える乗客もちらほら居る。我が国最後の定期夜行列車は、今朝もこうして首都と山陽を結ぶ重要な役割を果たしていた。

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  夜明け前の5時25分、サンライズエクスプレス号、姫路着。瀬戸編成のノビノビ座席からも何名かが降りていった。

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  早朝のJR姫路駅。今日は週末の金曜日。また新しい一日が始まる。

 駅近くの牛丼チェーン店で朝定食を頂き姫路駅へ戻る。既に夜は明けており、早起きの通勤通学客の姿が多くなってきた。これよりフェリーで小豆島へ上陸し、今日、明日の二日間かけて路線バスで島を一周し、ここ姫路駅に戻ってくるプランを立てている。だが今年の秋は秋雨前線に勢いがあり雨の日が多く、しかも南海上には現在超大型の台風があって徐々にこちらに向かってきている。昨日の東京は終日冷たい雨が降り続いていた。姫路上空の薄暗い空からは今にも雨が降ってきそうだが、予報ではこちらの雨は今日一日だけギリギリ持つらしい。引きの強さを信じて、昨夜は下りのサンライズエクスプレスに飛び乗った。

 高架化工事が完成し見違えるようになった姫路駅。駅前の神姫バスターミナルから市内の各地へ向かう路線バスが発着する。学生時代ここで1日だけアルバイトさせてもらったことを思い出しながら、6時40分発の姫路港行きのバスに乗車した。思いの外通勤、通学風の乗客が多く、大半が終点まで乗り通した。小豆島へ向かうフェリーは市の南側にある飾磨の港から発着し、昭和61年までは姫路駅と港を結ぶ国鉄飾磨港線が存在していた。先程見た遊歩道は飾磨港線の廃線跡だろう。もし現在も飾磨港線が健在なら、今朝は姫路駅でサンライズエクスプレスから飾磨港線の始発列車に乗り換えたのだろう。飾磨港駅の跡地には多目的ドームのしらさぎ姫路みなとドームが建っている。

 バスは20分ほどで姫路港へ到着した。そして、残念なことにここで雨が降り出してしまった。古ぼけたターミナルで福田港までの往復券を購入し、傘を差して「第三おりいぶ丸」に乗り込んだ。その隣の家島へ向かう船の乗り場にはスーツ姿の乗客が列を作っている。小豆島は香川県に属するが家島諸島は兵庫県姫路市で、島へ向かう出張族や公務員が多いのだろう。

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  秋雨の中、小豆島へ向かう「第三おりいぶ丸」が待っていた。
 
 小豆島へ向かう「第三おりいぶ丸」は7時15分に姫路港を出航した。乗船客は総勢20名くらい。工事関係者とみられるおっちゃんが多く、座敷に寝転んでスポーツ新聞を読んでいる。後は旅行者ぽいおひとりさまのシニア客がちらほら。一組家族連れが居て、小さい女の子の元気な声が船内に響く。天気が良ければデッキで島風に吹かれるのだが生憎の雨。小豆島の福田港までは約1時間半、この間で私は今日明日の島での行程を一から練り直した。今夜は島に泊まって明日の夕方ここ姫路港に戻ってくる予定だが、天気予報によると今日は曇りで明日は一日中雨。ならば観光は今日一日に集約して明日は島内の移動だけにしたい。小豆島の面積は150平方kmと東京23区の4分の1程度で、言う程観光名所は多くない。島内はバスの本数も多く、朝から丸一日あれば島内の名所はだいたい回ることが出来る。後はこの雨が島に着くまでに上がってくれるかだ。
 
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  雨の播磨灘を往く。近くに家島諸島が見える。ちょうど姫路港へ向かうフェリーが過ぎていった。

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  この天気では島へ渡る人も少ない。「おりーぶしまちゃん」の向こうで、女の子がポーズを取ってくれた。

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  初めて来た小豆島は雨が降っていた。
 
 8時55分、「第三おりいぶ丸」は小豆島の東の玄関口、福田港に到着した。雨はまだ降り続いている。まずは港の切符売り場で小豆島オリーブバスの二日券を購入した。今日明日と小豆島の路線バスが乗り放題で1500円という安さである。小豆島オリーブバスは7年前の2010年に地元の路線バスの撤退を受けて発足し、国と県からの補助もあり路線と運行本数の拡大、そして運賃も上限300円に据え置かれている。小豆島も全国と同じく過疎化と高齢化という問題に直面するなか、この取り組みは面白い。バスは私を含むフェリーから乗り継いだ乗客2名を乗せて発車した。

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  オリーブ色に塗られたオリーブバス。島の貴重な足。

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  島の内陸部には長閑な光景が広がる。料金箱上の運賃表示器は300円で止まっていた。

 バスは播磨灘に面した小豆島の東海岸を走る。途中の集落から地元民が乗り込み、バスは程良い乗車率になった。以前神姫バスでアルバイトをした際に運転士さんから「路線バスの採算ラインは常に5人乗っている状態」と教わったが、行政からの補助があるとはいえ上限300円の運賃で採算が取れるのだろうか。橘の集落の先で一旦海と別れ内陸部を往く。雨は幾分弱まり、水田と田畑が広がる山間に低い雲が掛かっている。旧内海町の中心部、安田で私はバスを降りた。そしてここで雨は一旦止んだ。
 
 温暖少雨な瀬戸内気候の小豆島は醤油とオリーブの島。ここ内海町も街を歩けば至る所に醤油工場の建物があり、雨上がりの空気に仄かな醤油の香りが鼻を突く。江戸時代、天領であった小豆島は瀬戸内海の海運を活かして大豆や小麦を集め、それを醤油に加工して大坂へ出荷する加工貿易で財を成していた。

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  雨上がりの街並みに醤油工場がよく似合う。辺には仄かな香りが漂う。

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  日本が世界に誇るマルキン醤油。ここ小豆島が発祥地。

 中でも有名なのがマルキン醤油。明治40年に創業し、関西では醤油メーカーのブランドとして知名度が高い。現在は名古屋の食品メーカー盛田の傘下となったが、今でも小豆島に広大な工場を有し、一角はマルキン醤油記念館として一般公開されている。江戸時代から続く醤油製造の過程や歴史が展示され、終戦後の天皇行幸をはじめ皇族の訪問も多い。小豆島の醤油は今でも島民の挟持なのだろう。

 館内は平日にしてはそこそこ賑わっており、マイクロバスで乗り付ける団体客が多い。裏を返せば小豆島にはここくらいしか観光名所がない。工場の一角に売店があり、マルキンブランドの醤油や、醤油ソフトクリームや醤油ソーダーなるものまでもが売られている。さすがにソフトクリームは遠慮したいがソーダーならなんとか飲めそうだ。コカ・コーラを濃縮したような茶色に、飲んでみればそこまで不味くもなく、そして美味しくない。雨は上がったが気温が低く一気に体が冷えてしまった。「丸金前」と書かれたバス停から岬へ向かうバスに乗り、次なる目的地「二十四の瞳映画村」へ向かう。

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  丸金前バス停から岬の先端に向かうバスへ。

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  岬の先端から島に向かって一枚。雨は止んだが、山の上には低い雲が掛かっている。

 バスは小豆島の南東部、高松や神戸へ向かうフェリーが発着する坂出の港へ立ち寄り、瀬戸内海に突き出た半島の最端部へ向かう。バスは終点の「田ノ浦映画村」に到着。ここは壺井栄『二十四の瞳』を昭和62年に映画化した際のオープンセットがそのまま残され、現在もドラマやCMのロケ地として使われている。

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  「二十四の瞳」岬の分教場のロケセット。

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  教室から瀬戸内の海が見える。

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  教室のセットも当時のまま。

 『二十四の瞳』の「聖地」は作品には記されていないが、作者の壺井栄が小豆島の坂出の出身であることから、ここ田ノ浦の分校がモデルではないかとされている。村内にはロケで使用した「岬の分教場」の建物をはじめ、壺井栄文学館、50年代邦画を紹介する「キネマの庵」や、『二十四の瞳』をはじめ映画をエンドレスで放映する映画館までもが存在する。同じく小豆島がロケ地に選ばれた角田光代『八日目の蝉』を紹介するコーナーもあった。心配していた雨はすっかり上がり、分教場の前の砂浜からは瀬戸内の海が見渡せる。『二十四の瞳』は小学校だか中学校の時に読書感想文を書いた記憶があったりなかったりするのだが、壺井栄の夫の繁治は熱心な共産党員で、戦時中には治安維持法違反で投獄された経験を持つ。文学館には獄中の夫からの書簡も展示されていた。『二十四の瞳』も日本が戦争へと突き進んでいく時代がテーマで、夫や教え子たちを戦争で亡くしつつも前向きに生きる女教師を彼女なりの主観で描いている。

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  雨は完全に上がった。瀬戸内海の潮の香りがする。

 「岬の分教場」のモデルと言われている学校は明治35年に建てられた田浦尋常小学校とされている。後に苗羽小学校田浦分校となり、昭和41年まで現役の校舎として使用された。映画村の手前、徒歩10分ほどの田浦の集落の海沿いに校舎が建っている。低学年、中学年、高学年と分かれた三つの教室は閉校当時のままに残され、教材や教室に貼られた児童の作品も昭和41年のままだ。ここ田浦分校は今でも「教育の原点」として、全国から教職員やOBが訪れている。黒板には教員を志願する若者に向けた寄せ書きがあった。そういうば私も教職を目指した時期があったっけ。別の世界線にはどこかの中学か高校の社会科教師として、今日ここを訪れている自分が居るのかもしれない。

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  こちらがモデルになった苗羽小学校田浦分校。

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  この学び舎は昭和四十一年の春から時が止まったまま。

 『二十四の瞳』が昭和初期の一人の女教師が主人公の純文学なのか、反戦小説であるかはさておき、今の日本にはあの頃と同じ閉塞感が漂っているように感じる。その正体が何であるかは私には解らない。30年間続いた平成が間もなく終りを迎える頃、来るべき新しい時代の日本は一体どこへ向かっているのか。島の小さな集落にも香川1区のポスターが貼られた選挙掲示板が建ち、一台の選挙カーが通り過ぎる。果たして明後日の衆院選ではどんな結果が出るのだろうか。目の前には穏やかな瀬戸内の海が広がっている。

 岬の先端で約3時間の時を過ごし、分校前のバス停から土庄へ向かうバスに乗り込んだ。バスはほぼ満員で、私は最後に空いている一席に座った。乗客の大半は中国からの観光客だ。そういえば先程の映画村でも中国人観光客の姿が目についたことを思い出した。この便は年配の運転手さんが地声でユーモラスな観光案内をしてくれる。「この中に明治生まれの方は居られますか?小豆島にオリーブが持ち込まれたのは明治41年のことです。私は平成生まれですけどねw」等。朝も通った安田のバス停で中国人はみんな降りてしまった。乗り継いで福田港へ向かい本州へ戻るのだろう。

 バスは内海湾に沿って走る。海の向こう、岬の先端がさっきまで居た田ノ浦だ。山側の中腹には内海湾が見渡せる道の駅小豆島オリーブ公園があり、バスはここで右にハンドルを切って山を登る。どうもこの便はオリーブ公園の前まで乗り入れるようだ。せっかくだからバスを降りて公園を散策してみよう。小豆島のオリーブの歴史を紹介するオリーブ記念館に、約2000本のオリーブの樹が立つ畑。向こうには瀬戸内海を臨み、遠くに四国が見えている。そしてここも中国人観光客が多い。オリーブの森の中を歩いているうちにバス通りへ戻ってきてしまった。ちょうどバスがやって来たところで、乗り込んで小豆島最大の街、土庄を目指した。

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  オリーブの森から瀬戸内海を望む。左端がさっきまで居た田ノ浦。遠くには四国。

 土庄の街に着いた頃には時刻は夕方4時を回っていた。この街には土渕海峡という名所がある。小豆島は厳密には一つの島でなく本体の島と土庄の街がある前島に分かれ、その間をう。確かに、二つの陸地によって海が狭められている箇所を「海峡」と呼ぶが、ここ土渕海峡は海峡というより川のようである。だが誰が何と言おうがここは世界一狭い海峡なのだ。早速海峡に掛かる橋を横断し、対面の町役場で横断証明書を発行してもらった。料金は立派な台紙が付いて200円だった。

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  土渕海峡をいざ横断。

 そしてここ土庄にはもう一つ名所がある。町の南側、瀬戸内海に面した砂浜と対岸の小島が干潮時に砂州で繋がり、エンジェルロードと呼ばれる砂の道が現れるトンボロ現象である。近年は島を挙げて「恋人の聖地」との触れ込みで観光地化に努め、映画やドラマの舞台にもなっている。本日の小豆島の干潮時刻は17時45分。日没ギリギリの時刻を狙って訪れた。

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  夕暮れエンジェルロード。トンボロが奥の島まで500m程続く。

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  展望台から見渡すエンジェルロード。干潮時のみ現れる神秘的な景色。

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  陽が暮れてきた。そろそろ街へ戻ろう。

 既に陽は西空低くに傾き、辺りは薄暗く気温もかなり下がってきた。それでも夕暮れのエンジェルロードは中国人観光客たちで鈴なりの人。砂州が見渡せる展望台には甲高い中国語が飛び交い、全員でスマホを掲げ自撮りする。先程のオリーブ公園そうだったが、小豆島は関西空港からも近く、そもそも大陸の人間にとって島というものが珍しいのであろう。砂州の真ん中に一人で立って夕暮れ時の海を眺める。恋人の聖地エンジェルロード、道の真中で手を繋いだカップルは永遠に結ばれるとの触れ込みだが、別にそんなことはどうでもよく、インスタ映え狙いの中国人で溢れる砂州でさざなみに足元をすくわれているうちに日がどっぷりと暮れてしまい、そのまま土庄の街に戻った。

 土渕海峡の対岸のジョイフル小豆島店で晩御飯を食べていると突然スマホが鳴った。今夜泊まる宿からで、どうやら18時チェックインで予約していたようだ。18時丁度の電凸とは几帳面な宿である。ジョイフルで晩御飯を食べてから行きますと伝え、路線バスで約5分。土庄の港近くの宿に入った。

 お婆ちゃんが一人でやっているこじんまりとした宿。うるさい中国人が夜中まで騒いだら嫌だなと思っていたが、今夜の宿泊客は私一人のようで、早速貸し切りのお風呂でひと浴びし、六畳一間にお布団を敷いてごろんと横になる。これで一泊素泊まり3000円。宿なんてこんなもんでいい。手元にはさっきお婆ちゃんから貰ったおつまみがあり、島のコンビニでビールでも買ってきて晩酌しようと思ったが、今朝はサンライズエクスプレスノビノビ座席5時起きで急に睡魔が襲ってきてしまい、睡眠欲には逆らえないので、ちと早いがそのままお布団に潜り込んで寝てしまった。