今から30年以上も昔の話になる。当時の子供向けオカルト雑誌に「青森県にイエス・キリストの墓がある」との記事があった。キリストはエルサレムのゴルゴダの丘で処刑されたはずだが、何故日本の、しかも青森県の山奥に?半円の盛り土の上に、人の背丈ほどの白い木製の十字架が立つ構図が子供心に不気味だった。

 ■青森県新郷村・キリストの墓
 http://www.vill.shingo.aomori.jp/sight/sight_main/kankou/sight-christ/

 あれから30年以上が経ち、何故今更「キリストの墓」を思い出したのかは解らない。子供の頃は遥か遠くの地であった青森も、大人になった今なら訪れることは難くない。文明の利器インターネットを使うとキリストの墓があるのは青森県の新郷村。アクセスは八戸駅から路線バスで五戸、更にバスを乗り継ぎ新郷村、そこから村営バスでキリストの墓の前まで行くことが出来るらしい。ちょうどこの週末私は北海道に用がある。渡道前に青森のキリストの墓を訪れ、八戸から深夜フェリーで北海道へ渡れば良い。こうして東京始発7時40分の「はやぶさ49号」に乗り、八戸駅へとやって来た。

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 東京八戸3時間なんじゃいな

 季節は6月下旬。梅雨の東京は毎日のように雨が降り続いているが、ここ北東北は晴れの天気では無いものの、しばらく雨の心配はなさそうだ。これから向かう北海道も週末にかけて雨の心配は無いらしい。まずは駅構内の南部バス営業所で「新郷・八戸乗り継ぎ乗車券」を購入した。新郷村へはこれより2本の路線バスを乗り継いで向かうが、八戸駅で前もってこの乗車券を購入すれば運賃が200円割引の合計800円になるという。今ではこういう情報も前もってネットで知ることが出来る。まったくもって便利な世の中だ。

 八戸駅11時30分発の五戸行きバスはやや遅れてやって来た。既に八戸の市街で乗客を乗せた後で、程良い乗車率で発車した。バスは東北新幹線をオーバークロスして八戸の郊外を走る。停留所毎に買い物袋を持った老人たちが敬老パスを見せてバスを降りていく。全国どこででも見られる、平日の昼の光景だ。彼らは八戸の郊外でほぼ全員が降りていき、バスが五戸町に入る頃には乗客は私を含め2名になってしまった。
 
 五戸の市街に入る。ここ南部地方には一戸から九戸までの地名が連続し、鉄道の駅があるのは一戸、二戸、三戸、八戸の4つで、地名としては四戸だけが欠けている。すると「金ケ沢」の行き先表示を出したバスが現れ私のバスとすれ違った。金ケ沢とはこれから向かう新郷村の地名で、もしかしてあのバスに乗らなきゃいけないんじゃ?バスは五戸の市街を突き切って終点の五戸駅に到着する。ただっ広い構内はバスの車庫として使われており、営業所もある。係員に尋ねるとやはりさっきのバスが本来乗るべき金ヶ沢行きのバスだったらしい。要するに今私が乗ってきたバスが定刻より少々遅れていて、金ヶ沢行のバスは八戸からのバスを待たずに発車してしまったということだ。係員は「中央のバス停で乗り換えていただければよかったのに」と話すがそんなこと余所者には解らない。次のバスは2時間後で、ここで2時間も無駄にしてしまうと本日中に八戸へ戻れない。万事休すだ。

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 街外れの五戸バスターミナルは鉄道の名残がした。

 ここ南部バス五戸駅はその名の通り昭和44年に廃止された南部鉄道五戸駅の跡地で、構内にも南部鉄道の記念碑が立っている。さしずめ今乗ってきたバスは南部鉄道の代替バスといったところであろう。だがそんな事を言っている場合ではない。私は駅前のタクシー営業所に飛び込み「新郷村まで幾らで行けますか?!」と言った。新郷村の中心地が南部バスの金ヶ沢バス停で、キリストの墓へはそこから村営バスに乗車する。村営バスが金ヶ沢を出る前にタクシーで着いてしまえばキリストの墓へ向かうことが出来るのだ。

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 ここまで来たんだ!タクシーに課金してやる。

 初老の運転手は3500円だと言う。なら決まりだ。私はタクシーに飛び乗り、一路新郷村を目指すことになった。

 せっかくだから運転手にキリストの墓について色々尋ねてみよう。やはりキリストの墓へ向かう客は時々乗せるらしく、この春先は月に6組程居たという。ネットで瞬時に正解に辿り着ける時代でも現地に行かねばその真相は解らない。ここへ来る前にネットで色々調べたところ、青森のキリストの墓に関するサイトを沢山見つけることが出来た。ネットの情報に次々と触れていると、これは本当にキリストの墓ではないかと思えてくるようになる。

 思い切って運転手に「あれは本当にイエス・キリストの墓なんですか?」と聞いてみた。運転手は「違うと思いますよ」という表情をしつつも、「そうかもしれませんね」とだけ返した。タクシーは一路曰く付きの村へと伸びる一本道を走る。タクシーは五戸町から新郷村へ入り、「キリストの里公園まで4.6km」の看板が見えた。

 暫く走ると前方に路線バスが見えた。あれが先程五戸町で私を置いて行ったバスだ。このままタクシーがバスを追い抜いてくれればいいが、ここは安全運転を優先してもらいたい。新郷村の中心地へ入り、バスが診療所の前に停車した隙にタクシーはバスを追い抜いた。そしてそのまま金ヶ沢のバス停の前でタクシーを降ろして貰う。料金は3590円。キリストの墓へ向かう村営バスはまだ来ていない。間に合った。

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 此処が新郷村の中心地、金ヶ沢。

 暫時経って白いワゴン車がやって来た。車体に「みずばしょう号」と書かれ、運転手の他に老婆が2名乗っている。先程の診療所からの帰り道であろう。村民の通院や買い物のほか、五戸行きのバスとも上手く接続し、村民の足として機能している。そのため土曜日は大幅に減便され、日曜日は全便が運休となる。なので公共交通機関でキリストの墓へ行けるのは平日だけなのだ。老婆は運転手と顔馴染みらしく、生粋の南部弁で世間話に高じている。家を改築したり車を買い替えたりして出費がかかるという話題なんだろうが、どうも東北の言葉は難解である。

 10分ほどしてバスはキリスト公園前のバス停に到着した。運賃は無料で、運転手にお礼を言ってバスを降りた。老婆も「いってらっしゃい」と私に声をかけた。青森のイエス・キリストの墓は公園として整備されていて、紫陽花が咲く階段を登りきると左右に二つの塚、そして白い木製の十字架が立っていた。向かって左が弟イスキリの墓、右がイエス・キリストの墓だという。

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 キリストの墓に来てしまった。

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 バス停の前に「キリストっぷ」という土産物屋があるのだが・・・

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 営業時間は日曜日の十字架ら三時まで。物理的に来れない。

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 公園を進み、この階段の上にキリストの墓がある!

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 これが十来(とらい)塚、イエス・キリストの墓と云われている。

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 キリストの墓説明文

 みちのく青森の山奥の村、新郷村。新緑が咲き、紫陽花が実り、梅雨時の薄曇りの空の下、全国何処にでもありそうな六月の風景だ。そして此処には私一人、そして眼の前にはイエス・キリストの墓と云われる小さな塚。子供の頃に読んだそれと全く同じものが今目の前にある。説明書きによるとイエス・キリストは21歳の時に日本に渡り、12年間の修業の後に故郷のエルサレムに戻り、キリスト教を伝道する。後に彼は捕えられ十字架の刑に処せられるのだが、磔にされたのは兄の身代わりとなった弟のイスキリで、キリストは密かにエルサレムを脱出して日本へ戻り、ここ新郷村で106歳の天寿を全うしたとある。

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 手前がキリストの墓、向こうが弟イスキリの耳塚、奥がキリストの館伝承館

 階段の先の「キリストの里伝承館」に入る。新郷村のキリスト伝説は昭和10年に発見された竹内文書が元で、文書は戦災で消失したがそのうちキリストの墓に関するものが複写し残されていた。館内の映像では新郷村のキリスト伝説とピラミッドの謎について学ぶことが出来る。聖書ではキリストが21歳から33歳までの間が空白になっているが、それを補完しているという竹内文書によると彼は21歳で能登半島の港に上陸し、越中の賢者の元で学びつつ日本各地で修行し、33歳で故郷へ帰りキリスト教を伝道する。弟を身代わりに処刑を逃れたキリストは再び日本の地を踏み、ここ戸来村を安住の地と定め、妻を娶り106歳の天寿を全うした。とあった。

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 キリストの館伝承館に入る。

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 新郷村の古民家、典型的な東北の集落だ。

 平日にも関わらず記念館には何名かの来客があった。こんな青森県の山奥まで物好きな。だがこの記念館はあくまで竹内文書の紹介がメーンで、肝心のキリストの墓の真偽については全く触れられていない。あくまで来館者の歴史認識に委ねるという姿勢だった。竹内文書そのものも当時から荒唐無稽の評価であり、現在も世間の認識は変わらない。あの塚がイエス・キリストの墓であるかどうかの真偽は、まあ言うまでもないだろう。

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 沢口家の家紋は星。ダビデの星を表しているというが。

 キリストの墓に向かうように日本式の墓がある。沢口家の墓とあり、村の名士の墓らしい。そしてその沢口家はイエス・キリストの末裔を名乗っている。キリストはここでミユ子という女性と結婚して三人の娘を授かり、その中の一人が沢口家に嫁いだという。キリストは此の地で十来太郎大天空(とらいたろうだいてんくう)と名を改め、禿頭白髪、赤ら顔の鼻高の容姿であったという。そして資料館で見た沢口家前当主の写真も、言われてみればどこか日本人離れした表情である。
 
 帰りの「みずばしょう号」は私一人の貸切だった。運転手は私の身なりを見て一目で余所者と解ったらしく、どちらから来られました?と尋ねてきた。東京からと応えると、いやまあよく来たねと。「何もなかったでしょ?小さい塚が二つあるだけ。」この運転手も「あれはキリストの墓なんかじゃない」という表情をしつつも、「まあロマンだよね」と語った。実際村の人達もそう思っているのだろう。そしてそんな与太話を町おこしに利用してしまう強かさに感心してしまう。

 だが太古の昔、この村に忽然と異な人が現れた。村の人達は彼を受け入れ、自らのコミュニティの一員として迎え入れた。竹内文書の遥か昔から、村ではこの塚は要人の墓だと言い伝えられ、沢口家は代々それを守るように命じられていたという。
近代になって胡乱な文書によりイエス・キリストと結びついてしまったが、そのような事象ならかつてあってもおかしくない。そしてこの東北の地には、異な者を暖かく迎え入れる土壌が根付いている。ふと、昔の自分自身のことを思い出してしまった。