最後のかがり美少女イラストコンテストから7年も経ってるし、もう自分のような老いぼれに出る幕はないと静観するつもりだった。でも青春時代を過ごした街と、お世話になった人達にもう一度だけ逢いたくて、後悔はしたくなかったのでかつての面子と一緒に羽後町まで行ってきた。結論から言うと、みんな元気でやっていますよと。ながやのご両親はちゃんと私のことを覚えてくれていたし、主催の山内さんとも何年かぶりに再会して話が出来た。会えなかった人がほとんどだけど、ほんの一瞬だけ若かりし頃の自分に戻れたような気がする。

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 「ただいま。」

 かがり美少女イラストコンテストとは平成19年から23年までの4年間、秋田県羽後町の夏祭り「かがり火天国」に於いて、街の名勝である西馬音内盆踊りに因んだ美少女イラストを投稿し順位を競ったというものだ。私はそこに毎回投稿し、第1回では入選し賞状と記念品を頂いた。その時の賞状は今でも部屋に飾っている。主催者はこの街出身の大学生だった山内さん。そして私はこの時秋田市からやって来た佐々木さん(と、呼ばせていただきます)と出会い、この3人の青年たちは持ち前の個性と若さと行動力で次々と周囲を巻き込み、この秋田の田舎町から全国的なムーブメントを巻き起こした。そして世の中をちょっとだけ、いや、長い目で見れば大きく変えた後、この街は使命を終えて元の静かな街に戻った。もう7年も昔の話である。

 私は秋田に4年間留学していたんだと思っている。都会育ちの自分にとって自然溢れる羽後町はキャンパスで、町の方々は皆先生で、そして自分たちは栄えある一期生だ。中でも俺たち3人は優秀な成績を修めクローズアップ現代に出た。卒業後3人は別々の道を歩み、自分は東京に戻って平凡なオタクとして生きる道を選んだ。でもここで学んだ4年間があったからこそ、次のステージで自分を大いに表現し活躍出来たんだと思う。そしてそれは人生の大きな糧となった。 

 私が美少女イラストやマンガを描くことは一貫して「世の中への抵抗」である。今も昔も、この納得がいかない世の中に対する私なりの抗議だ。第1回かがり美天国が行われた平成19年、当時オタクや美少女イラストに対する世間の、主にマスコミの風当たりは非常に強かった。何の取り柄もない自分が唯一人並み以上に出来ることが絵を描くこと。なのに世間は「萌え~」だの「アキバ系」だの言って俺たちを馬鹿にする。そんな世の中が許せなかった。その思いを私は当時ネットの主力であった個人ブログに毎日のように書き込み、一部の人々の共感は得ることが出来たが、世の中を変えるにはほど遠いことだった。

 10年以上も前。ふとしたきっかけで東京から羽後町までやって来た私と、山内さん、佐々木さん、そして周りの青年たち、みんな同じようなことを考えていたような気がする。美少女イラストは可愛くて素晴らしいという本質を知ってもらいたい。そして私達は行動を起こしそれを実現させた。もちろん私達だけの手腕だけでなく、世の流れもあっただろう。そして10年が経った今、世の中は概ねかつての自分達が思い描いていたように変わったような気がする。私達は全力を出し切った。

 今回のかがり火天国は完全に「部外者」の立場で見た。一応イラストは投稿したが、まあ生存報告だ。それでもかつてかがり美少女の座を競い戦った仲間たちの名前を見ることが出来た。みんな元気そうでなによりだ。そして今回イベントを支えるスタッフ達は地域の町おこし隊ということだ。留学時代は方向性の違いから対立したこともあったけど、10年も経ってしまった今はもうそんなことはどうでもいい。考えようによっては自分たちがめちゃくちゃやった後の後始末をしてくれていたということだろう。そしてゲストとして来町したアイドル声優二人組が現れる。第1回では無理矢理最前列を確保したトークショウを、今年は盆踊り会館前の最後尾で眺めた。そして投稿作品の優秀賞が決定し、主催者から記念品が贈呈される。もうこの老いぼれの出る幕はない。かつての自分たちがしたように、これからは若い人が新しい時代を作っていってもらいたい。時代は変わった。世間の風当たりに必死で抵抗し美少女イラストの本質を広めようとした若い自分たちは、もう居ない。

 時代は大きく変わった。しかし今の世の中には、まだまだ納得がいかないことが沢山ある。戦う場所は違うけど、引き続き世の中に対しては抗議していこうと思っている。ぶっちゃけイラストより4コマ漫画の方が得意だし。私は私なりのやり方でやっていこう。ほんの一時でも昔の自分に戻れたし、今夜は来てよかったと思う。そして東京に戻って、また新たな場所で戦っていきたい。祭たけなわの羽後町を去る。次に此処へ来るのは一体いつになるのだろうか。それでもまたあの橋の袂で、鳥海山に向かってただいまと言いたい。そんな真夏の夜の夢。
 
 nissi
 此の老いぼれにも、まだまだやらねばらなぬことが、あるのだ。