朱鞠内。アイヌ語で「シュマリ(キツネの居る)ナイ(沢)」。子供の頃、夜中に自室でバイブル(JR時刻表)を捲りつつ、はるか彼方のこの地名に思いを馳せていた。北海道の奥地にひっそりと佇む集落を想像していた。日本最低気温記録の-41.2℃を記録した街で、朱鞠内湖が横たわる。当時朱鞠内には深川から名寄に至るJR深名線が通っていた。

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 ありし日の深名線

 あれから四半世紀の時が流れ、ようやく憧れの朱鞠内を訪れる機会ができた。だが鉄道は23年前の平成7年に廃止され、現在はジェイ・アール北海道バスが代替バスを走らせている。鉄道時代は全区間を通しで運行する列車もあったらしいが、代替バスは途中の幌加内で系統が分離され、朱鞠内へ向かうには一旦乗り換えが必要になっている。札幌から特急列車で1時間強、ここ深川駅がかつての深名線の始発駅であった。

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 JR深川駅にやって来ました。

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 これより、バスに乗って旧深名線を辿ります

 10時25分発の幌加内行きバスは発車時刻ギリギリに現れた。バスは中距離路線でよく見る4列シート車だったが、バスに乗り込んだのは私を含めてたった3人。深名線の沿線はこれといった街もなく、この路線は鉄道時代から大赤字であったという。深名線代替バスも経営状態は厳しく、車両こそジェイ・アール北海道バスのものだが、乗務員や運行管理は道北バスに委託されている。運転手は車内を軽く見渡した後、手持ちの乗員表に深川3名と記入した。こうして「これだけしか乗ってないんですよ」という統計を取ることで、いずれはこの路線から撤退する腹積もりなのであろう。

 定刻に発車したバスは深川の市街で北に進路を変え、JR函館本線の線路をオーバークロスする。旧深名線は深川を出ると東に大きく回り込むかたちで多度志の街へ向かっていて、バスはこの区間を国道でショートカットする。今乗っているバスはこの区間の停留所には止まらない「快速」だ。旧深名線と合流する多度志のバス停で乗客が1名降りた。ここは鉄道時代の駅からは少し離れた場所になるらしい。ここから廃線跡が右手に見えるようだが、鉄道の廃止から20年以上も経ってしまえば土に還ってしまったであろう。

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 一番前の特等席から。晩夏の北海道を往く。

 幌加内行きのバスは私と、深川から乗っている爺さんの二人を乗せて国道275号線を北上する。対向車両はほとんど無く、時々大型バイクに乗った一団とすれ違う。ここ北海道に限らないのだが、ローカルバスに乗っているとやたらと廃校舎に目に付く。都会でも地方でも、少子化と高齢化で小学校の数は年々減り続けている。廃線跡は土に還ったが旧駅舎は保存し管理している人が居るらしく、幌成では鉄道時代の駅舎と思しき建物が車窓を過ぎた。鷹泊で爺さんが降りてバスは私一人の貸切となる。小さな峠をトンネルで越えて幌加内町に入った。

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 ソバ畑。
 
 車窓には一面のソバ畑が広がる。昭和40年代に米の減反政策が始まり、代替作物としてここ幌加内町ではソバの作付が始まった。冷涼な気候と昼夜の寒暖差がソバの栽培に適しているという。町内にも美味しい蕎麦屋さんが何軒かあるらしい。このバスは11時33分に幌加内に到着し、12時58分発の名寄行きに乗り換えとなる。1時間強もあれば街歩きと美味しい蕎麦にありつけるだろう。バスは幌加内の市街地に入り、定刻通りにバスターミナルに到着した。

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 深川行きのバスとすれ違った。
 
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 終点、幌加内バスターミナルに到着。

 幌加内町は南北に約65km、そして人口は約1500人。旧深名線はこの北海道で一番人口密度が低い町を南北に縦断していた。バスターミナルには深名線資料館と蕎麦屋が併設されているが、蕎麦屋の方は臨時休業でここでは資料館だけを見ていくことになった。館内は無人で、自由に見ていって下さいという方針だ。
 
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 立派な幌加内バスターミナル 
 
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 資料館におじゃましま~す

 
深名線の開業は1924(大正13)年10月の深川~多度志間を皮切りに、1941(昭和16)年10月に全線が開業している。沿線の雨竜ダム建設に伴う資材輸送や木材輸送が主目的で、幌加内町もかつては林業で栄え、昭和35年の総人口は約1万2千人であったという。だが後に社会構造の変革により、町の人口も鉄道の利用者数も減り始める。深名線も他の道内の鉄道と同じく廃止が取り沙汰されたが、皮肉にも沿線道路が未発達で路線バスへの転換が出来ず、結果として深名線は廃止を逃れることが出来た。だが深名線は既に鉄道としての役目を終えており、僅かな通学客と用務客、そして時々都会から訪れる旅行者たちを相手に、あてもなく鉄路を往き来している状態であった。

 その沿線道路も平成の世になれば整備が完了し、鉄道としての深名線はこれで引導を渡されたことになった。1995(平成7)年9月3日、JR深名線はこの日をもって役目を終え、翌日からJR北海道バスの路線バスとなった。

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 街にはまだ深名線の面影があった。

 資料館で深名線の歴史を学び、街へ出る。幌加内はこじんまりとした街で乾いた風が心地よく、もうすっかり秋の景色だ。だがここは北海道有数の豪雪地帯。役場の前を通るとちょうど12時のチャイムが鳴る。街のあちこちに今年2月25日、積雪324cmを記録したとの表示がある。そういえば今年の冬は寒かった。そして夏は暑かった。更に現在日本の南海上を超大型の台風21号が北上しつつある。予報では明日関西直撃、北海道には明後日にやってくるようだが、幌加内の街は嵐の前の静けさである。

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 鉄道時代の駅跡地にモニュメントが建っていた。

 鉄道時代の幌加内駅は役場の裏手、街外れにあったという。駅前通りと思しき道路を突き進んだ奥にあった。幌加内駅跡と標されたモニュメントに、線路と駅名標が保存されている。かつてここに駅舎が建ち、材木を積んだ貨物列車や、深川や札幌へ向かう大勢の乗客で賑わったのだろう。願わくば鉄道時代にここへ来たかった。かつてホームであったであろう場所に立って、そっと目を瞑る。秋の風が頬を撫でる。

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 お昼ご飯は幌加内そば

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 続いて名寄行きのバスに。朱鞠内を目指します。

 幌加内の街で名物の蕎麦を頂いた後、幌加内12時58分発の名寄行きバスに乗る。乗客は私を含めて2名。うち1名は旅行者で途中のルオントで降りるという。要するに、地元の乗客は0ということだ。

 再びソバ畑の中を往く。右手に朱鞠内湖より注ぐ雨竜川が現れ、深名線の線路はこの川の向こうを走っていたらしい。目を凝らすとそれらしき遺構が確認できる。アイヌ語のウェン(悪い)ベツ(川)から来た雨煙別を過ぎ、やがて前方から緑色の鉄橋が現れた。第三雨竜川橋梁、またの名をポンコタン鉄橋と言い、町民有志によって今も保存されている。先程の深名線資料館でも学んだが、深名線が添牛内まで延伸した昭和6年に、当時最先端の土木技術で建設された鉄橋だ。北海道の鉄路は先人たちの苦行と努力、そして尊い犠牲によって敷設されたものばかりだが、北海道150年の現在、その鉄路はJR北海道の足枷となり先の未来は明るくない。

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 鉄道時代の鉄橋が現れた。

 
道の駅に併設された「せいわ温泉ルオント」で旅行者が下車した。バスは再び私一人の貸切となる。バスは一旦雨竜川と別れ、再びソバ畑の中を往く。次の添牛内では左手に鉄道時代の旧駅舎がちらりと見えた。
 
 北海道の果てに伸びる国道275号線。その果てにその集落はあった。13時43分、朱鞠内着。貸切状態のバスをここで降りる。乗客0となったバスはそのまま名寄方へ引き上げていった。

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 朱鞠内にやって来た。

 
かつて駅舎だったであろう跡地に瀟洒な待合室があり、レールと駅名標のモニュメントが建っている。かつてのヤード跡はそのまま公園になっていた。鉄道時代は有人駅で、最盛期には木材やダム建設資材の運搬で賑わったのだろう。だが今は人っ子一人居ない。ただっ広い駅跡地には秋の風が吹いている。

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 札幌まで184km、意外と近かった。

 
北海道雨竜郡幌加内町
朱鞠内。49世帯人口92人の小さな街。駅前には廃ガソリンスタンドと、北海道新聞の看板を掲げた萬屋。国道沿いに民家が数軒、診療所、郵便局。郵便局の前で初めて町民に会う。「こんにちわ」と挨拶をしてくれたので、返す。そして駐在所、しばらく歩いた先に消防署、坂を上がった所に小学校。中学校や高校は先程の幌加内まで通わなければならない。朱鞠内は一足早い秋風が吹く静かな街だった。子供の頃から一度は訪れたかった北海道の静かな街。ようやく来れた。そして来てよかった。

 続いて朱鞠内湖に向かった。幌加内町を南北に流れる雨竜川の上流をダムで堰き止めて作られた人口湖だが、まるで太古の昔からそこに存在していたかのような雰囲気がある。北海道の奥地にひっそりと佇んでいる。ダムは北海道の電源開発の一環として戦時中の昭和18年に完成し、建設資材の運搬のために深名線が建設された。鉄道も、そしてダムの建設も、当時の最先端の技術が投入され、そしてその影に尊い犠牲があったことは推測できる。その労働環境は過酷なものであっただろう。湖畔に立つ慰霊碑に、そっと手を合わせる。
 
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 朱鞠内湖にやって来た。

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 エゾマツの森の中、湖は静かに佇んでいる。

 
湖畔のキャンプ場には夏も終わったというのに幾つかテントが立ち、人の気配があった。昭和53年2月17日にここで記録した日本最低気温-41.2℃を表すモニュメントも建っている。この湖にはイトウやマスが棲み、シーズンには釣り人の姿も見られるらしい。湖畔の芝生に寝転んで、そのまま大空を眺める。北海道の空はどこまでも広く青い。そして目の前には湖。暫し、空を眺めていた。

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 乗客0の名寄行き最終バスが現れた。

 朱鞠内の集落に戻り、16時33分発の名寄行き最終バスに乗車した。バスはまたしても私の貸切だった。最前列の特等席に座り、話好きの運転手と雑談しながらバスは往く。ここ朱鞠内から名寄はほぼ無人地帯で人家が全く見られない。運転手が言うにはこの区間は朱鞠内から名寄に通勤する会社員。母子里から名寄に通学する高校生二名、そして朱鞠内にパチンコ好きの爺さんが居たけど最近は見なくなったという。そして私のような旅行者が時々乗りに来るという。峠のトンネルを抜けると前方に名寄の街の明かりが見えた。ここまで来ると深名線の旅の終わりも近い。

 天塩弥生バス停で運転手がバスを停めた。道路と並行する廃線跡に木造の駅舎が建っている。これは鉄道時代の駅では無く、鉄道OBがこの地に駅舎風の建物を建てて宿を経営しているという。「待っててあげるから写真撮ってきなよ」とのことで、カメラを下げて駅舎を見に行った。運転手が言うにはこのバス路線を利用して駅舎を訪れる旅人も多いらしい。
 
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 旅人宿、天塩弥生駅

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 終点、名寄駅前に到着。

 天塩川を渡って名寄の市街に入る。商店街や百貨店もあり、まるで大都会に来たようだ。17時35分、バスは夕暮れ時の名寄駅前に到着。最後までバスは私一人の貸切だった。運転手に「またおいで」と声をかけられバスを降りる。基本的には鉄道好きだけど、たまにはこうして路線バスの旅もいいものだ。次に来るときは雪深い冬に、そして天塩弥生の旅人宿に泊まりたい。辺り一面の銀世界の中を私一人を乗せたバスが往く。そしてその時はまた、この運転手さんのバスに乗れればいいなと思った。