5時25分、東京始発の寝台特急サンライズエクスプレスは定刻通りに姫路駅に到着した。向かいホームに5時29分発の岡山行き普通列車が止まっていて、サンライズエクスプレスからも何名かが乗り継いでいる。我が国最後の夜行列車はこうして今日も、首都と山陽を結ぶ使命をしっかりとこなしていた。

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 サンライズエクスプレス、姫路駅に到着。

 岡山行きの始発列車に乗車し夜明け前の山陽本線を行く。左手に網干電車区が見え、アーバンネットワークを支える出勤前の車両たちが待機している。新幹線停車駅の相生を過ぎ、6時00分上郡着。吹き曝しのホームに降りると冷たい空気が身を包む。この週末は全国的に寒さが緩むとの予報だったのでコートを着ずに来てしまったが、やはり早朝の山の中は寒い。

 上郡は関西と山陽を分かつ駅で、JR線ホームの先端に智頭急行の駅舎があり、連絡改札がある。普段ならここでJRのきっぷを見せて智頭急行の乗車券を購入するのだろうが。まだ駅は目覚めておらずフリーパスで通過する。6時32分発の始発列車智頭行きに乗り込むと乗務員から「どちらまで?」と尋ねられた。「苔縄まで」と返すと、乗務員は手持ちの時刻表を開いて「6時37分に到着して、帰りは6時54分ですね」と教えてくれた。苔縄とは上郡の隣の駅で、鉄印の記帳には一区間でも乗車券の購入が必須のため、隣の苔縄駅まで往復するという魂胆を見抜かれていたようだ。鉄印修行の同好の士が多いのだろう。ボックスシートに座って発車を待っていると徐々に夜が明けてきた。

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 智頭急行の一番列車

 6時32分発車。山陽本線と別れて高架に上り、短いトンネルを抜けると右手に千種川が見える。5分ほどでお隣の苔縄駅に到着。240円の運賃を支払ってホームに降りた。

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 苔縄駅に到着。

 智頭急行は平成6年12月に開業した比較的新しい第三セクター鉄道で、関西と鳥取を結ぶ陰陽連絡線の使命を持っている。京都と倉吉を結ぶ特急「スーパーはくと」が一日七往復、岡山と鳥取を結ぶ特急「スーパーいなば」が六往復走る。
 
 苔縄駅は高架橋の上に片面のホームがあるだけのシンプルな無人駅だった。駅前は集落で人家が集まっており、反対側を千種川が流れる。休日の早朝だけあって人の姿は見えない。特にやることもないので、駅ホームのベンチに座って6時54分発の上郡行きを待つ。やがて智頭方の鉄橋から列車の音が聞こえてきて、上郡行きの普通列車がやって来た。いつの間にか夜が明けていた。

 上郡駅で鉄印を頂き、7時07分発の山陽本線下り普通列車に乗って8時01分岡山着。後続の普通列車で倉敷まで行き、一旦改札を出て清音まで190円の切符を買い、8時39分発の備中高梁行きに乗った。8時46分清音着。次に乗る井原鉄道の神辺行きは8時49分発で乗り換え時間は3分しかない。急ぎ足で跨線橋を渡り、井原鉄道の乗り換え改札で「スーパーホリデーパス」を購入して神辺行きの普通列車に飛び乗った。井原鉄道の全線が土休日に限り1000円で乗り放題になる切符で、清音~神辺間が1030円なので普通に切符を買うより安い。

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 清音から井原鉄道に乗車

 井原鉄道は岡山県の清音と広島県の神辺を山陽本線に並行するかたちで建設された第三セクター鉄道で、開業は平成11年1月と新しい。高梁川をトラス橋で渡り、倉敷市真備地区に入る。ここは平成30年の豪雨で高梁川支流の小田川が決壊し甚大な被害を受けた地区である。テレビで見た濁流の海と化した真備地区に井原鉄道の高架が浮かび上がる光景には恐怖を感じた。吉備真備駅前では復興住宅の建設が進んでいる。
  
 平成11年開業の井原鉄道はほぼ全線が高架で見晴らしがよい。山陽道の宿場町八掛を過ぎ、早雲の里荏原では車両基地にイベント車両の「夢やすらぎ号」が停車していた。北条早雲こと伊勢宋瑞の出身地で、駅には「北条五代を大河ドラマに」の幟も見える。9時20分、井原着。ここで列車を降りた。

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 井原駅舎

 井原駅では鉄印を頂き、朝の街を軽く散歩して、駅構内の喫茶店で朝ご飯を頂いた。カレーライスを頼み、スーパーホリデーパスを掲示すると珈琲をおまけで付けてくれた。目的を果たしたところで10時32分発の神辺行きに乗車する。子守歌の里の看板が立つ高屋を過ぎ、岡山県から広島県に入る。10時47分神辺着。

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 福塩線を走る105系。

 神辺駅では井原鉄道のホームとJR福塩線のホームは分断されており、一旦井原鉄道の改札を出てJRのきっぷを購入した。福塩線の普通列車で福山へ出て、11時14分発の山陽本線糸崎行きに乗車した。この区間は左手に瀬戸内海としまなみ海道が眺められ、私が山陽本線で最も好きな区間である。早春を思わせる暖かな日差しの下、広島地区の新しい顔となったレッドウィングこと227系電車が軽快に駆ける。

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 尾道を往く

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 しまなみ街道を眺めながら

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 山陽本線の新しい主役、227系電車。

 糸崎で11時53分発の岩国行きに乗り換える。三原で海沿いを走る呉線が左に分かれ、山陽本線は山間へと入っていく。セノハチ峠を下り広島の郊外を走り、広島駅を過ぎると左手に広島電鉄の郊外線と並走する。やがて日本三景の宮島が見える。14時07分、岩国着。
 
 岩国14時19分発の錦川鉄道錦川清流線の錦町行き列車は単行で、発車前にはほぼ半分の座席が埋まっていた。しかし進行方向右側の座席が幸運にも1席だけ空いていて、私はそこに座った。錦川清流線はほぼ全線にわたって錦川に沿って走るため、右側の座席を確保しないと延々と崖を見続ける羽目になる。

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 岩国駅で発車を待つ錦川鉄道の列車。

 発車までまだ時間がある。私は運転席を訪ね、2000円で錦川鉄道の一日乗車券を購入した。錦町までの運賃は980円で単純往復だけなら元は取れないが、折角第三セクター鉄道に乗るのだから心ばかりは応援したい。きっぷには可愛らしい美少女のイラストが描かれている。

 14時19分発車。二つ目の川西まではJR岩徳線の線路を走る。岩徳線は岩国と徳山を結ぶ路線で、かつての山陽本線のルートでもあった。右手の山の上に岩国城の天守が見える。宇野千代の生家がある川西で岩徳線と別れ、山陽自動車道、山陽新幹線を潜り清流新岩国駅に到着する。新幹線の新岩国駅との接続駅で、帰りはここで下車して新幹線で一気に小倉まで向かう予定である。下り新幹線のホームにはハローキティ新幹線が停車中で、上りのホームには700系8両編成の「こだま854号」が滑り込んでいった。

 やがて列車は錦川と並行する。沿線には梅の花が咲き、黄色いガードレールに山口県に来たんだなという感じが湧く。左手は崖だが所々に滝があり、その都度観光放送が流れる。錦川清流線の歴史は昭和35年に国鉄岩日線として川西~河山間が開業し、昭和38年に現在の錦町までの工事が完了。その先は島根県の日原を目指して工事が続けられたが国鉄財政の悪化に伴い工事は中断。岩日線も第二次特定地方交通線に指定され、昭和62年に第三セクターの錦川鉄道に転換された。

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 錦川に沿って。

 錦川の単調な流れに飽きてきた頃、15時29分に終点の錦町に到着。岩国発車時点では半分近くが埋まっていた車内も各駅で乗客が降車し、終点の錦町まで乗り通した乗客は僅かであった。

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 終点、錦町駅。

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 帰りの列車は「せせらぎ号」編成だった。

 錦町駅で鉄印を頂いた後、錦町の街を軽く散策し、16時02分発の岩国行きで引き返した。帰りも錦川沿いの進行方向左側の座席に着席した。16時57分、清流新岩国駅で列車を降り、徒歩で山陽新幹線の新岩国駅へ向かう。ちょうど17時08分発の「こだま857号」博多行きがあり、錦川鉄道の清流新岩国駅と山陽新幹線の新岩国駅は多少離れているが、11分もあれば余裕で乗り換えられるだろう。

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 新幹線との乗換駅、清流新岩国駅。

 さて、私は今回東京都区内→北九州市内(新幹線経由)の乗車券を持っており、東京から在来線を乗り継ぎ岩国駅で途中下車し、新岩国駅から新幹線に乗ろうとしている。だがこの区間には「選択乗車」という制度があり、岩国駅と新岩国駅を同一駅とみなすためこの乗り方で全く問題ない。だが新岩国駅の自動改札機は私のきっぷを撥ねつけてしまった。仕方なく有人改札に行き、係員に事情を説明する。係員は「岩国駅で途中下車されてますよね」と解ったか解らないかよく解らない素振りで改札を通してくれた。ホームに上がるとちょうど「こだま857号」が入線してきたところだった。

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 レールスター編成も、今やこだま号で使われることが多くなった。

 新岩国17時08分発の博多行き「こだま857号」は700系8両編成。2列シート&2列シートの最後尾8号車の自由席に座った。在来線に乗れば長くて嫌になる山口大陸も、新幹線に乗ればひとっ飛びだった。新下関の先で新関門トンネルを潜り、久方ぶりの九州に上陸。小倉には18時24分に到着した。今夜はここで旅装を解く。

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 小倉駅に到着。