レールファンの朝は早い。特に今回のような鉄印修行の場合、一日でなるべく多数の鉄印を蒐めようとすると早朝から深夜まで活動するのが望ましい。
 
 しかしながら今日の南阿蘇鉄道はそうは行かない。南阿蘇鉄道はJR豊肥本線の立野から高森を結ぶ第三セクター鉄道だが、平成28年の熊本地震で被災し、現在は末端の中松~高森間のみの営業となっている。しかもダイヤは一日3往復で、下り列車は中松11時00分発が始発列車である。なお不通区間を走る代行バスもない。

 だが地元の産興バスが沿線にコミュニティバスの「ゆるっとバス」を走らせていて、これに乗ると立野駅から中松駅へ向かい、南阿蘇鉄道に乗ることが出来る。しかしこちらのバスも本数が少なく、南阿蘇鉄道に乗り継ぐには立野発11時40分の1便に乗って、12時11分着の中松駅前で12時15分発の立野行に乗り継ぐ。この1パターンしかない。もちろんバスが遅れてしまえば即アウトである。今からそのルートにチャレンジする。

 宿のお布団の居心地が良すぎて9時頃までゴロゴロしてしまった。朝早く起きて熊本電鉄に乗る等も考えたが、結局睡眠欲には勝てなかった。朝ご飯をしっかり食べて、まずはチンチン電車で街の中心部へ行ってみる。下通の繁華街を歩いて、復興途中の熊本城天守を見て、再びチンチン電車で新水前寺へ向かう。10時14分発の肥後大津行きに乗車。車両は815系の2両編成だった。

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 ♪路面電車に揺られてく

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 復興が進む熊本城

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 豊肥本線で肥後大津へ向かいます。

 815系電車が熊本市の郊外を走る。各駅毎に乗降があって慌ただしい。だが10時38分着の肥後大津で11時08分発の宮地行きに乗り換えると一気に景色が鄙びてきた。丁度この辺りが熊本メガシティの境目なのだろう。豊肥本線も先の熊本地震で大きく被災し、この肥後大津~阿蘇間が昨年8月に復旧し豊肥本線が全通した。今はその区間を走っている。11時26分立野着。

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 キハ47、やはり九州はこういう車両で旅したい。

 さて、この先は引きの強さが試されよう。まずは立野駅前11時40分発の高森駅前行きコミュニティバス「ゆるっとバス」に乗る。このバスが定刻通りの12時11分に南阿蘇鉄道の中松駅前に着けばミッション完了。バスが遅れて乗り継げなければアウトである。予め運転士さんに「中松駅前で南阿蘇鉄道に乗り継ぎます」とは伝えておいたが、道路事情その他はどうにもならない。

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 さあ上手く行くか?
  
 私と地元の用務客の二人を乗せて発車。建設中の立野ダムの脇を走り、列車の通らない南阿蘇鉄道の第一白川橋梁を見る。南阿蘇鉄道はこのまま真っすぐ立野を目指すが、コミュニティバスは真っすぐ向かわず道中所々寄り道する。私は懐中時計と睨めっこで、バスの景色を眺める余裕もない。だがバスはほぼ時間通りに順調に走っている。これは行けるかもしれない。そして中松駅前に到着したのは定刻ぴったりの12時11分。運転士さんにお礼を言ってバスを降りた。中松駅には12時15分発の高森行き列車が停車していた。間に合った。

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 定刻通りに中松駅着。

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 南阿蘇鉄道のMT3001系

 中松12時15分発の高森行き普通列車はMT3000系単行。車内はロングシートで、ウォーキング姿のシニア客4名と私のようなレールファンが5名ほど乗っている。地元の人ではなさそうで、果たして彼らはどうやって来たのだろうか。

 列車は阿蘇カルデラの南郷谷をトコトコと走る。速度はかなりゆっくり目で、運転士さんが車窓案内をしてくれる。阿蘇カルデラは南北25Km、東西18Kmで、その大きさは世界有数であることながら、カルデラ内に人が定住し道路や鉄道まで通っていることは大変珍しいとのことだ。阿蘇山を挟んで北部の阿蘇谷には豊肥本線が、そして南部の南郷谷には南阿蘇鉄道が通る。白川水源駅でシニア客が下車していった。あとは私を含めたレールファン5名が、それぞれ思い思いの時を過ごすのみ。

 11時25分、高森着。列車を降りようとすると運転士さんが「鉄印を求められる方はいらっしゃいませんか?」と声をかけていた。南阿蘇鉄道では鉄印を授与する際に、列車で来たという証明が必要になるらしい。これにて無事、九州4つ目の鉄印を入手。なお南九州にはもう一つくまがわ鉄道という第三セクター鉄道が存在するが、こちらは令和2年7月の豪雨で大きな被害を受け、肥薩線諸共長期不通を強いられている。鉄印の方はオンライン販売となっており、東京に戻ってから応援の意味で買っておきたい。

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 高森着。鉄印も入手しミッションコンプリート

 南阿蘇鉄道は阿蘇カルデラの南郷谷を走り、この先は峠を越えて宮崎県の高千穂と繋げる構想があった。しかし国鉄末期の財政難から工事は中断され、途中まで掘られたトンネルだけが街外れに残っている。帰りのバスの時間まで、そのトンネルを見に行った。

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 このトンネルの果てが宮崎へと繋がる予定だった

 トンネル周辺は高森湧水トンネル公園として整備され、中に入ると冷んやりとした空気が身を包む。トンネル内はイルミネーションで飾られ、何か不思議な場所に来たような錯覚を感じる。本来ならこのトンネルが宮崎側の高千穂鉄道と繋がる予定だったのに、高千穂鉄道は2005年9月の台風14号の来襲で線路が流され廃線になってしまった。もしも高千穂鉄道が健在なら、今日はこのままバスで高千穂へ出て5つ目の鉄印を入手していたのだろうか。そんなことを考えているうちにトンネル終点まで来てしまい、私はそのまま踵を返してトンネル入り口へと戻った。 

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 イルミネーションで飾られたトンネル内

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 バスで立野駅へ戻ります。

 立野15時14分発の肥後大津行きで撤収し、肥後大津から熊本行きに乗る。16時09分熊本着。16時18分発の鹿児島本線鳥栖行きは転換クロスシート車の817系で、有明海が見える左側の座席に座った。今日も有明海の向こうに雲仙が見える。九州の日の入りは遅く、まだ西の空にか弱い夕陽が残っている。時間が許せば有明海をフェリーで渡り、島原鉄道に乗っても良かったかなと思い始めてきた。 

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 再び、鹿児島本線で昨日来た道を引き返します。

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 鳥栖から本日最終ランナーの早岐行き。

 今日の泊地は長崎県の早岐で、鳥栖からは長崎本線に乗り換える。18時07分発の早岐行きも転換クロスの817系だった。この先は2022年秋に暫定開業する長崎新幹線の影響を受ける区間で、その去就が懸念されている。西九州の西空に遅い夕日が沈み、後は闇夜の中を終点の早岐に向けて走るのみ。

 早岐駅前の感じの良い駅前旅館に投宿したのは夜の8時を回ったころ。ここ長崎県は緊急事態宣言の範囲外と会って、この時間でも外に晩御飯を食べに行ける。せっかく九州に来たんだし何かそれらしいものを食べようとしたが、結局は全国チェーンの外食店に入ってしまった。