帰ってきた!平木博士の異常な愛情

または私は如何にして心配するのを止めて二次元美少女を愛するようになったか。

出張

琥珀色のアリス~さんてつ祭り編

 八戸線のジョイフルトレイン「TOHOKU EMOTION」号が久慈駅に入線してきた。早速上級乗客たちを迎えるべく、JR東日本の回し者であるなまはげ達が久慈駅の構内に待機している。しかし乗客たちの目線はその向こう、巨大な黄色いネズミであろう。彼も或る意味JR東日本の回し者だが今日は違う。三陸鉄道側の久慈駅では車両基地を一般に開放する、年に一度のお祭だ。 
 
 DSC_0950 
 「情報量の多い写真」 

 本日ここでは平成三十年「さんてつ祭り」が開催されている。今日の主役は地元のちみっ子達。お兄さんたちから風船を貰って、黄色いネズミの前でポーズを取り、それを若い両親が手持ちのスマホで撮影する。一方大きなお友達の興味は構内に停車中の鉄道車両。車両を間近でじっくり見られるだけでなく、構内の見学や鉄道部品の展示、販売もある。

 もちろん私も後者だが、こうして他所様の職場にお邪魔するのは面白い。仕事場と言うか、現場という感じがする。職種は違えど働く現場はどこも似たようなものだろう。ジョージアの山田孝之ではないが、世界は誰かの仕事でできている感がある。

 DSC_0932
 「おじゃましまーす」

 DSC_0931
 「三陸鉄道の現場」

 DSC_0928
 「三陸鉄道の車両」

 
昨夜の「アリスのバースデイ列車」はそのまま構内に留置され、今日は「三鉄カフェ」という休憩所になっている。職員さんがお茶やケーキを販売し、車内でゆっくり休んでいってくださいという趣旨らしい。ちみっ子から大きなお友達まで楽しめるさんてつ祭り、だが地方鉄道の車庫だけ会ってこじんまりとしており、首都圏の大手私鉄の電車区のように一日がかりで見るものではない。だがそこが逆に手作り感がある。まるで高校の文化祭のようだ。

 DSC_0935
 よく解らないけど、車両の部品類らしい。

 DSC_0930
 有志による鉄道模型の展示もあった。

 今日のメーンは久慈ありすのイラストを描かれた絵師のMATSUDA98さんと、ユニット「SUPER BELL'Z」の野月貴弘氏。このイベントには毎年参加されているらしい。14時頃からライブとトークショウの時間となり、こちらは最前列で見させて頂いた。これだけでも本日三陸まで来た甲斐があったというものだ。三鉄まつりの閉会は15時。今回一緒に行動させて貰っているメンバーたちはこの後も宿で後夜祭を行うそうだが、私は汽車の時間があるのでここで中座させて頂いた。久慈駅へ戻り、15時00発の八戸行き「リゾートうみねこ」号に乗る。

 DSC_0959
 キハ48系3両編成で八戸線を往きます

 DSC_0960
 海側の一人席は太平洋がのんびり眺められる

 3両編成の車内はガラガラで、私は3両目の自由席車の窓側、一人掛けの座席に座った。よく考えれば久慈は岩手県で八戸は青森県。全線を直通する需要はあまり無いのかもしれない。八戸までの約2時間、各駅に停車しながらほぼ太平洋の海岸線に沿って走る。晩秋の三陸は日没も早くトワイライトタイムがやってきた。自由席車は時折地元の用務客の乗り降りがあるものの、基本的にはガラガラである。

 DSC_0965
 水平線が丸く見える。

 DSC_0972
 蕪島神社を見ながら、八戸の市街に入る。

 
鮫から八戸の市街に入る。ここから終点の八戸までは「うみねこレール八戸市内線」の愛称がつけられ、地元の乗客で自由席車は混んできた。

 DSC_0973
 「終点、八戸着」

 16時52分、日が暮れつつある八戸駅で「リゾートうみねこ」の旅は終了。この後は新幹線に乗り継ぎ東京へ帰るだけだ。以前より気になっていた「アリスのバースデイ列車」と「さんてつ祭り」。毎年毎年行こう行こうと思っていても他の用事が入ってしまう。でも今年は来ることが出来てよかったと思う。来年はどうなるか解らないけど、とにかく夢のような不思議な時間だった。
 

 

 

琥珀色のアリス~ありすのバースデイ列車編

 現在、女性の社会進出の結果、鉄道の現場でも女性運転士や女性係員を見ることが普通になった。だが一昔前は、鉄道はもっぱら男性の仕事であった。そんな中で昭和59年に開業した岩手県の第三セクター鉄道、三陸鉄道は、当初より鉄道の現業職に女性を積極的に起用していた。

 今世紀に入り、鉄道の現場にも徐々に女性が進出する過程で、全国の鉄道会社に勤務する女性をイメージした「鉄道むすめ」というコンテンツが生まれた。当初より積極的に女性を起用していた三陸鉄道にも、早速運転士の「久慈ありす」、駅係員の「釜石まな」というキャラクターが生まれた。私が彼女たちを知ったのも丁度その頃。東北旅行で三陸鉄道に乗車中、職員募集の車内広告で彼女たちと邂逅した。偶然にもその時の運転士も女性であった。

 DSC_0068
  「釜石まな」と「久慈ありす」のポスター(我が家提供) 
  
 「久慈ありす」はその名の通り三陸鉄道起点駅の久慈と、沿線のリアス式海岸から取られたものだろう。昭和の終わりに旧国鉄の不採算路線を継承して開業したこの第三セクター鉄道は、当初から民間企業にも負けない経営努力をすることで初年度から黒字経営を成し遂げている。その理由は県内外に三陸鉄道の「ファン」を作り出すこと。鉄道むすめ「久慈ありす」の設定上の誕生日は11月3日。その日に合わせて久慈の車庫を公開する「さんてつ祭り」と、線内に貸切列車「ありすのバースデイ列車」を走らせるファンサービスを毎年行っている。今年は11月3日が土曜日で、翌日の4日は日曜日。3日のバースデイ列車に乗車し、翌日はさんてつ祭りに参加する。以前より気になっていたこのイベントに、今年ようやく足を運ぶことが出来た。

 DSC_0855
 「久慈駅にやってきました」

 私は前夜に東京を発つ夜行バス「岩手きずな号」で久慈に入った。7年ぶり(確か震災の翌年だった)に訪れた久慈駅前は、数年前に放映されていた朝の連続ドラマ小説『あまちゃん』で埋め尽くされている。「ああ、そんなのやってたな」という感情だが、放映から5年経っても久慈の人々の宝なのだろう。駅前にはドラマの舞台を再現する「あまちゃんハウス」もある。集合時刻までまだ十分時間があるので、暫し朝の久慈の街を散策した。

 DSC_0923
 三陸鉄道とJRの駅舎が並ぶ。

 DSC_0922
 駅前シャッターに描かれた「あまちゃん」

 DSC_0921
 作中にも出てきた駅前デパート 

 さて、今回集まった我々は熱心な三陸鉄道のファンである。本日のメーンである貸切列車「ありすのバースデイ列車」に乗る前に、我々でも一本貸切の臨時列車を仕立ててある。名付けて「ジークチッパイと愉快な仲間たち号」である。三陸鉄道では2時間4万円から貸切列車を走らせることが出来るため、この後我々を乗せた「ジークチッパイと愉快な仲間たち号(以下、臨時列車と呼ぶ)」は久慈~普代間を一往復することになっている。本日の主役、ジークチッパイ氏は新幹線と路線バス「スワロー号」を乗り継いで久慈駅にやって来た。主役が登場したところで、我々も久慈駅から臨時列車に乗車した。

 DSC_0870
 地方の第三セクター鉄道は経営努力を怠ってはいけないのだ。

 DSC_0874
 臨時列車、普代行き。
  
 久慈14時30分発の臨時列車普代行きは36系単行。三陸鉄道内を走行するオーソドックスな車両で、車内はボックスシートとロングシートが並んでいる。乗車したのは総勢十数名。各自思い思いに座席に腰を下ろし、持参したビールやお菓子をつまむ。勿論貸切列車なので常識の範囲内であれば何をしても構わない。晩秋の三陸海岸を見ながら車両はトコトコ走る。三陸鉄道北リアス線には何度も乗ったが、何かこんなに落ち着いて乗車するのは初めてかもしれない。臨時列車故に余裕を持ったスジが組まれており、途中駅でもやや長めに停車する。もちろん、車両を降りて外の景色を眺めたり、写真を撮ったりするのもここでは自由だ。

 DSC_0876
 普段降りられないような小駅でも、ここでは自由に写真が撮れる。

 DSC_0880
 海がきれいな堀内(ほりない)駅

 DSC_0886
 普代でヘッドマークを交換。帰りは「はまかぜ」号に。 

 列車は小一時間で普代駅に到着した。かつての国鉄久慈線の終着駅で、丁度ここで折り返せば2時間以内に久慈駅に戻ってこれる。本日は運転士さんの好意で特製のヘッドマークまで付けてもらった。風光明媚な太平洋を眺めながらの往復2時間。これで4万円、いや、今回はジークちっぱい氏の顔を立てて半額の2万円で運行させて貰っているという。これを本日の乗車人数で割ると、なんと普通に普代までの往復切符を買う額と変わらない。なかなか面白い経験をさせてもらった。
 
 DSC_0890
 2時間のめくるめく旅を終え、久慈駅に戻ってきました。

 本日のメーン「ありすのバースデイ列車」は久慈駅を17時30分に発車し、北アリス線の田野畑駅で折り返して20時15分に久慈駅に戻ってくる。車両は「さんりくしおさい号」に運用されるお座敷列車36R系。既に全国から予約が入り、2両編成の車内は満員御礼だという。発車30分前の17時に久慈駅に向かうと既に今夜の主役たちが集まっている。改札で名前を告げて旅行代金の6000円を支払うとお手製の乗車券とクリアファイルを頂けた。私の座席は1号車11番A席。ボックスシートの進行方向窓側席だ。とは言ってもこの時間ではもう外の景色は見られないのだが。

 DSC_0895
 久慈駅で発車を待つ「ありすのバースデイ列車」

 DSC_0893
 ファン手作りのデコレーションが施されている。

 DSC_0069
 手作りの乗車券

 列車に乗り込む。既にテーブルにはお弁当が並べられ、この後お酒の提供もあるという。晩秋の三陸は日が落ちると急に冷え込むが車内の熱気は最高潮。発車と同時にお弁当を開け、乗り込んだ三陸鉄道の職員さんにワインを注いでもらう。途中の田野畑までは約1時間。外の景色は見えないが車内はジャンケン大会やトークショウで大賑わい。一人旅もいいけれど、たまにはこうして同好の士たちと列車に揺られるのも悪くない。

 DSC_0897
 なんといってもお弁当とお酒!

 DSC_0914
 盛り上がる車内。

 DSC_0912
 ぬいぐるみ達も乗車

 
「ありすのバースデイ列車」は途中の田野畑駅で折り返す。ここで久慈方の先頭車に久慈ありすが描かれた特製ヘッドマークが用意された。三陸鉄道の職員さんと、先程ジャンケン大会で選ばれた乗客代表の二人で車両にヘッドマークを掲げる。ここで久慈行きの普通列車を先行させるが、「ありすのバースデイ列車」の熱気とは正反対で乗客が一人も乗っていない。元はと言えば旧国鉄が採算を理由に建設を断念した三陸縦貫鉄道。リアスの谷間の半農半漁の寒村を結ぶローカル線だ。イベント列車で県内外からのファンを集めるのも大切だが、いちばん大切なのは地元の乗客。ここ三陸も全国同様に少子高齢化と過疎化を抱えている。平成という時代が間もなく終わる今、三陸鉄道の見通しは決して明るい話ばかりではない。

 DSC_0900
 ありすのヘッドマークがお目見え。

 DSC_0909
 ありす!お誕生日おめでとう!

 DSC_0917
 久慈駅に戻ってきました。
  
 約3時間のめくるめく一夜を終えて、「ありすのバースデイ列車」は久慈駅に戻ってきた。久慈20時16分発の八戸線最終列車とも接続していて、八戸から盛岡や函館辺りなら今日中に戻ることが出来る。だが我らの本命は明日のさんてつ祭り。今夜は久慈市内の宿に入り、各自バースデイ列車の二次会とした。

青森県のイエス・キリストの墓を訪ねる

 今から30年以上も昔の話になる。当時の子供向けオカルト雑誌に「青森県にイエス・キリストの墓がある」との記事があった。キリストはエルサレムのゴルゴダの丘で処刑されたはずだが、何故日本の、しかも青森県の山奥に?半円の盛り土の上に、人の背丈ほどの白い木製の十字架が立つ構図が子供心に不気味だった。

 ■青森県新郷村・キリストの墓
 http://www.vill.shingo.aomori.jp/sight/sight_main/kankou/sight-christ/

 あれから30年以上が経ち、何故今更「キリストの墓」を思い出したのかは解らない。子供の頃は遥か遠くの地であった青森も、大人になった今なら訪れることは難くない。文明の利器インターネットを使うとキリストの墓があるのは青森県の新郷村。アクセスは八戸駅から路線バスで五戸、更にバスを乗り継ぎ新郷村、そこから村営バスでキリストの墓の前まで行くことが出来るらしい。ちょうどこの週末私は北海道に用がある。渡道前に青森のキリストの墓を訪れ、八戸から深夜フェリーで北海道へ渡れば良い。こうして東京始発7時40分の「はやぶさ49号」に乗り、八戸駅へとやって来た。

 DSC_0984
 東京八戸3時間なんじゃいな

 季節は6月下旬。梅雨の東京は毎日のように雨が降り続いているが、ここ北東北は晴れの天気では無いものの、しばらく雨の心配はなさそうだ。これから向かう北海道も週末にかけて雨の心配は無いらしい。まずは駅構内の南部バス営業所で「新郷・八戸乗り継ぎ乗車券」を購入した。新郷村へはこれより2本の路線バスを乗り継いで向かうが、八戸駅で前もってこの乗車券を購入すれば運賃が200円割引の合計800円になるという。今ではこういう情報も前もってネットで知ることが出来る。まったくもって便利な世の中だ。

 八戸駅11時30分発の五戸行きバスはやや遅れてやって来た。既に八戸の市街で乗客を乗せた後で、程良い乗車率で発車した。バスは東北新幹線をオーバークロスして八戸の郊外を走る。停留所毎に買い物袋を持った老人たちが敬老パスを見せてバスを降りていく。全国どこででも見られる、平日の昼の光景だ。彼らは八戸の郊外でほぼ全員が降りていき、バスが五戸町に入る頃には乗客は私を含め2名になってしまった。
 
 五戸の市街に入る。ここ南部地方には一戸から九戸までの地名が連続し、鉄道の駅があるのは一戸、二戸、三戸、八戸の4つで、地名としては四戸だけが欠けている。すると「金ケ沢」の行き先表示を出したバスが現れ私のバスとすれ違った。金ケ沢とはこれから向かう新郷村の地名で、もしかしてあのバスに乗らなきゃいけないんじゃ?バスは五戸の市街を突き切って終点の五戸駅に到着する。ただっ広い構内はバスの車庫として使われており、営業所もある。係員に尋ねるとやはりさっきのバスが本来乗るべき金ヶ沢行きのバスだったらしい。要するに今私が乗ってきたバスが定刻より少々遅れていて、金ヶ沢行のバスは八戸からのバスを待たずに発車してしまったということだ。係員は「中央のバス停で乗り換えていただければよかったのに」と話すがそんなこと余所者には解らない。次のバスは2時間後で、ここで2時間も無駄にしてしまうと本日中に八戸へ戻れない。万事休すだ。

 DSC_1033
 街外れの五戸バスターミナルは鉄道の名残がした。

 ここ南部バス五戸駅はその名の通り昭和44年に廃止された南部鉄道五戸駅の跡地で、構内にも南部鉄道の記念碑が立っている。さしずめ今乗ってきたバスは南部鉄道の代替バスといったところであろう。だがそんな事を言っている場合ではない。私は駅前のタクシー営業所に飛び込み「新郷村まで幾らで行けますか?!」と言った。新郷村の中心地が南部バスの金ヶ沢バス停で、キリストの墓へはそこから村営バスに乗車する。村営バスが金ヶ沢を出る前にタクシーで着いてしまえばキリストの墓へ向かうことが出来るのだ。

 DSC_1030
 ここまで来たんだ!タクシーに課金してやる。

 初老の運転手は3500円だと言う。なら決まりだ。私はタクシーに飛び乗り、一路新郷村を目指すことになった。

 せっかくだから運転手にキリストの墓について色々尋ねてみよう。やはりキリストの墓へ向かう客は時々乗せるらしく、この春先は月に6組程居たという。ネットで瞬時に正解に辿り着ける時代でも現地に行かねばその真相は解らない。ここへ来る前にネットで色々調べたところ、青森のキリストの墓に関するサイトを沢山見つけることが出来た。ネットの情報に次々と触れていると、これは本当にキリストの墓ではないかと思えてくるようになる。

 思い切って運転手に「あれは本当にイエス・キリストの墓なんですか?」と聞いてみた。運転手は「違うと思いますよ」という表情をしつつも、「そうかもしれませんね」とだけ返した。タクシーは一路曰く付きの村へと伸びる一本道を走る。タクシーは五戸町から新郷村へ入り、「キリストの里公園まで4.6km」の看板が見えた。

 暫く走ると前方に路線バスが見えた。あれが先程五戸町で私を置いて行ったバスだ。このままタクシーがバスを追い抜いてくれればいいが、ここは安全運転を優先してもらいたい。新郷村の中心地へ入り、バスが診療所の前に停車した隙にタクシーはバスを追い抜いた。そしてそのまま金ヶ沢のバス停の前でタクシーを降ろして貰う。料金は3590円。キリストの墓へ向かう村営バスはまだ来ていない。間に合った。

 DSC_0990
 此処が新郷村の中心地、金ヶ沢。

 暫時経って白いワゴン車がやって来た。車体に「みずばしょう号」と書かれ、運転手の他に老婆が2名乗っている。先程の診療所からの帰り道であろう。村民の通院や買い物のほか、五戸行きのバスとも上手く接続し、村民の足として機能している。そのため土曜日は大幅に減便され、日曜日は全便が運休となる。なので公共交通機関でキリストの墓へ行けるのは平日だけなのだ。老婆は運転手と顔馴染みらしく、生粋の南部弁で世間話に高じている。家を改築したり車を買い替えたりして出費がかかるという話題なんだろうが、どうも東北の言葉は難解である。

 10分ほどしてバスはキリスト公園前のバス停に到着した。運賃は無料で、運転手にお礼を言ってバスを降りた。老婆も「いってらっしゃい」と私に声をかけた。青森のイエス・キリストの墓は公園として整備されていて、紫陽花が咲く階段を登りきると左右に二つの塚、そして白い木製の十字架が立っていた。向かって左が弟イスキリの墓、右がイエス・キリストの墓だという。

 DSC_1002
 キリストの墓に来てしまった。

 DSC_1025
 バス停の前に「キリストっぷ」という土産物屋があるのだが・・・

 DSC_0997
 営業時間は日曜日の十字架ら三時まで。物理的に来れない。

 DSC_1019
 公園を進み、この階段の上にキリストの墓がある!

 DSC_1014
 これが十来(とらい)塚、イエス・キリストの墓と云われている。

 DSC_1008
 キリストの墓説明文

 みちのく青森の山奥の村、新郷村。新緑が咲き、紫陽花が実り、梅雨時の薄曇りの空の下、全国何処にでもありそうな六月の風景だ。そして此処には私一人、そして眼の前にはイエス・キリストの墓と云われる小さな塚。子供の頃に読んだそれと全く同じものが今目の前にある。説明書きによるとイエス・キリストは21歳の時に日本に渡り、12年間の修業の後に故郷のエルサレムに戻り、キリスト教を伝道する。後に彼は捕えられ十字架の刑に処せられるのだが、磔にされたのは兄の身代わりとなった弟のイスキリで、キリストは密かにエルサレムを脱出して日本へ戻り、ここ新郷村で106歳の天寿を全うしたとある。

 DSC_1017
 手前がキリストの墓、向こうが弟イスキリの耳塚、奥がキリストの館伝承館

 階段の先の「キリストの里伝承館」に入る。新郷村のキリスト伝説は昭和10年に発見された竹内文書が元で、文書は戦災で消失したがそのうちキリストの墓に関するものが複写し残されていた。館内の映像では新郷村のキリスト伝説とピラミッドの謎について学ぶことが出来る。聖書ではキリストが21歳から33歳までの間が空白になっているが、それを補完しているという竹内文書によると彼は21歳で能登半島の港に上陸し、越中の賢者の元で学びつつ日本各地で修行し、33歳で故郷へ帰りキリスト教を伝道する。弟を身代わりに処刑を逃れたキリストは再び日本の地を踏み、ここ戸来村を安住の地と定め、妻を娶り106歳の天寿を全うした。とあった。

 DSC_1009
 キリストの館伝承館に入る。

 DSC_1010
 新郷村の古民家、典型的な東北の集落だ。

 平日にも関わらず記念館には何名かの来客があった。こんな青森県の山奥まで物好きな。だがこの記念館はあくまで竹内文書の紹介がメーンで、肝心のキリストの墓の真偽については全く触れられていない。あくまで来館者の歴史認識に委ねるという姿勢だった。竹内文書そのものも当時から荒唐無稽の評価であり、現在も世間の認識は変わらない。あの塚がイエス・キリストの墓であるかどうかの真偽は、まあ言うまでもないだろう。

 DSC_1020
 沢口家の家紋は星。ダビデの星を表しているというが。

 キリストの墓に向かうように日本式の墓がある。沢口家の墓とあり、村の名士の墓らしい。そしてその沢口家はイエス・キリストの末裔を名乗っている。キリストはここでミユ子という女性と結婚して三人の娘を授かり、その中の一人が沢口家に嫁いだという。キリストは此の地で十来太郎大天空(とらいたろうだいてんくう)と名を改め、禿頭白髪、赤ら顔の鼻高の容姿であったという。そして資料館で見た沢口家前当主の写真も、言われてみればどこか日本人離れした表情である。
 
 帰りの「みずばしょう号」は私一人の貸切だった。運転手は私の身なりを見て一目で余所者と解ったらしく、どちらから来られました?と尋ねてきた。東京からと応えると、いやまあよく来たねと。「何もなかったでしょ?小さい塚が二つあるだけ。」この運転手も「あれはキリストの墓なんかじゃない」という表情をしつつも、「まあロマンだよね」と語った。実際村の人達もそう思っているのだろう。そしてそんな与太話を町おこしに利用してしまう強かさに感心してしまう。

 だが太古の昔、この村に忽然と異な人が現れた。村の人達は彼を受け入れ、自らのコミュニティの一員として迎え入れた。竹内文書の遥か昔から、村ではこの塚は要人の墓だと言い伝えられ、沢口家は代々それを守るように命じられていたという。
近代になって胡乱な文書によりイエス・キリストと結びついてしまったが、そのような事象ならかつてあってもおかしくない。そしてこの東北の地には、異な者を暖かく迎え入れる土壌が根付いている。ふと、昔の自分自身のことを思い出してしまった。 

オリーブの風に吹かれて~2日目

 小豆島の宿で目覚めると雨が降っていた。南海上の超大型台風が徐々に接近していて、明日の夜に関西地方を直撃すると宿のテレビが伝えている。もっとも島の観光は昨日一日で全て済ませてしまったので、今日は路線バスで島の北側を回って福田港へ行き、そのままフェリーで本州へ戻るだけだ。宿のおばあちゃんから缶コーヒーとパンを貰い、六畳一間の一室で旅先での朝御飯を頂く。窓の外の雨はどんどん強くなってくる。
 
 午前8時、宿を出た。宿のすぐ前が土庄の港で、ここから小豆島各地へ向かうオリーブバスが発着する。雨が降ってなければ土庄の市街まで歩くのだがこの天気だし、2日間のフリーパスがあるのでバスを待つ。港に本州から朝一番の船が到着し、大きなトランクを持った中国人観光客がゾロゾロと降りてきた。何もこんな日に島に来なくてもいいのに。彼らと一緒に乗り込んだオリーブバスで、まずは土庄の中心街へ。
 
 DSC_0301
  土庄の中心街。右側の建物が町役場。

 DSC_0303
  東洋紡績渕崎工場跡。このバス停は土庄のジャンクション的役割も果たし、北回りバスはここで乗り換えとなる。
 
 土庄の街は高潮や海賊から街を護るため入り組んだつくりになっていて、迷路のまちと呼ばれている。昨日エンジェルロードからの帰り道は日が暮れてしまい一時迷子になってしまった。再び土渕海峡を横断し、対岸の渕崎に渡る。かつてこの一帯には昭和8年操業の東洋紡績渕崎工場があり、長らく小豆島の経済を支えていたが平成15年に70年の歴史に幕を下ろした。跡地にはショッピングセンターやファミリーレストランが進出しているが、まだ開発されていない空間も目立つ。跡地の片隅のバス停から8時48分発の福田港行き北回りバスに乗車した。

 昨日通った小豆島の南半分は田ノ浦映画村やオリーブ園など見所が多いが、北半分はこれといった見所もなく、少ない乗客を乗せたバスは雨の瀬戸内海に沿って淡々と走る。だが一つだけ行ってみたいところがあり、それが大阪城残石記念公園と記念館。ここなら雨の日でも訪れやすいと思い二日目の行程に組み込んだ。記念館のすぐ前がバス停で、ここで一旦バスを降りる。

 時は江戸時代。大阪の陣で落城した大坂城を幕府により再建する兆しが高まり、まず石垣が全国から大坂に集められた。小豆島からも多数の石垣が切り出され運ばれたが、出荷を前に石垣が完成してしまい、小豆島の海岸に残されてしまったこれらの石は「残念石」と呼ばれる。建築資材の過剰調達は別によくある話だが、問題はこの石。当時の武家諸法度では城の建築、修繕は厳しく取り締まれれており、この石が他藩の手に渡ってしまうことはあってはならない。石は幕府の手で厳重に管理され、明治の初めまで動かすことすら許されなかった。

 DSC_0312
  島の海岸に集められた残念石群。

 だがこの残念石は地元にとっては迷惑な存在だった。通行や仕事の邪魔になるだけではなく、中には資材置き場として自分の土地を一時的に提供したものの、石が置きっぱなしでは自分の土地を有効に活用することが出来ない。それでも土地には年貢と言う名の固定資産税がかかる訳で、これは不公平だと役所に訴えた古文書も記念館には残っていた。そんな残念石が現代はこの公園に集められ、海岸に一列に並べられあてもなく雨に打たれている。この公園以外にもこの辺には当時の残念石が幾つか残っているそうだが、それは次回晴れてる日のお楽しみにしよう。次のバスは2時間後。小さな記念館と公園だけなら時間は十分に余ってしまう。雨はどんどん強くなる。休憩所で持ってきた本など読みながら、ゆっくりとバスの時間を待った。

 やって来た福田港行きのバスは私の貸切だった。私はバスに乗る際、一番前の特等席を意地でも奪取するように努めている。前方の景色が眺められるどころか、バスが空いていれば運転士さんが話し相手になってくれることもある。「観光?」と尋ねてくる運転士さんに、観光を終えてこれから本州に戻るところですと応えた。運転士さんが言うにはこの台風で本州へ戻る船も欠航する恐れがあるらしい。雨は強いが風はまだ強くなく、なんとか姫路港へ戻る船には乗れそうだ。

 DSC_0305
  小豆島の北側は海岸線が続く。時折小さな集落が現れ、左手には瀬戸内海。

 島の北側、大部のバス停で男の子が二人乗ってきた。対岸の日生との間に本州最短の航路があり、昨日はこの船で小豆島に渡ってきてもよかったなと思った。雨は強さを増す一方でバスのワイパーが左右に動く。左手は鉛色の瀬戸内海。本州は見えない。小豆島北東部、瀬戸内海に突き出た半島の付け根を峠で越えると眼下に福田の町並みが見えた。港にこれから乗船する姫路港行きのフェリーが泊まっている。11時35分、振り出しの福田港に戻ってきた。これにて二日間かけて島を一周し、小豆島紀行は終了。

 DSC_0314
  福田港に到着。バスはそのまま南回り線となり、土庄へ戻る。

 
DSC_0319
  さようなら小豆島。また来る日まで。

 11時40分発の姫路港行きは昨日と同じ「第三おりいぶ丸」だった。土曜日の午前とあって、島から本州へお出掛けする人でそこそこ賑わっていた。乗り込むと船はすぐ出航する。今回はあまり天候に恵まれなかったが次に来る時は春か夏に、土庄でバイクを借りて自分で島を一周してみたい。いや、今回行けなかった寒露渓に紅葉を見に行くのも良いだろう。船内には小豆島の観光地図が貼ってある。昨日「丸一日あれば島内の名所はだいたい回ることが出来る」と書いたが、こうして見るとまだまだ訪れていない名所がたくさんある。早速次の旅が楽しみになってきた。

 降りしきる雨の中、福田の港が、小豆島がどんどん遠ざかる。そういえばもうお昼時。「第三おりいぶ丸」には軽食コーナーもあり、さすが香川県といったところか讃岐うどんが味わえる。うどんと、缶ビールと、土庄の宿でおばあちゃんから貰ったおつまみで軽く一杯。雨に打たれる瀬戸内のしまなみを見ながら。姫路港まで約1時間半の、贅沢な一時。  

オリーブの風に吹かれて~1日目

 東京からのサンライズエクスプレスが夜明け前の姫路駅に到着した。向かいホームに岡山行きの山陽本線始発列車が停まっていて、大きい荷物を持って乗り換える乗客もちらほら居る。我が国最後の定期夜行列車は、今朝もこうして首都と山陽を結ぶ重要な役割を果たしていた。

 DSC_0209
  夜明け前の5時25分、サンライズエクスプレス号、姫路着。瀬戸編成のノビノビ座席からも何名かが降りていった。

 DSC_0210
  早朝のJR姫路駅。今日は週末の金曜日。また新しい一日が始まる。

 駅近くの牛丼チェーン店で朝定食を頂き姫路駅へ戻る。既に夜は明けており、早起きの通勤通学客の姿が多くなってきた。これよりフェリーで小豆島へ上陸し、今日、明日の二日間かけて路線バスで島を一周し、ここ姫路駅に戻ってくるプランを立てている。だが今年の秋は秋雨前線に勢いがあり雨の日が多く、しかも南海上には現在超大型の台風があって徐々にこちらに向かってきている。昨日の東京は終日冷たい雨が降り続いていた。姫路上空の薄暗い空からは今にも雨が降ってきそうだが、予報ではこちらの雨は今日一日だけギリギリ持つらしい。引きの強さを信じて、昨夜は下りのサンライズエクスプレスに飛び乗った。

 高架化工事が完成し見違えるようになった姫路駅。駅前の神姫バスターミナルから市内の各地へ向かう路線バスが発着する。学生時代ここで1日だけアルバイトさせてもらったことを思い出しながら、6時40分発の姫路港行きのバスに乗車した。思いの外通勤、通学風の乗客が多く、大半が終点まで乗り通した。小豆島へ向かうフェリーは市の南側にある飾磨の港から発着し、昭和61年までは姫路駅と港を結ぶ国鉄飾磨港線が存在していた。先程見た遊歩道は飾磨港線の廃線跡だろう。もし現在も飾磨港線が健在なら、今朝は姫路駅でサンライズエクスプレスから飾磨港線の始発列車に乗り換えたのだろう。飾磨港駅の跡地には多目的ドームのしらさぎ姫路みなとドームが建っている。

 バスは20分ほどで姫路港へ到着した。そして、残念なことにここで雨が降り出してしまった。古ぼけたターミナルで福田港までの往復券を購入し、傘を差して「第三おりいぶ丸」に乗り込んだ。その隣の家島へ向かう船の乗り場にはスーツ姿の乗客が列を作っている。小豆島は香川県に属するが家島諸島は兵庫県姫路市で、島へ向かう出張族や公務員が多いのだろう。

 DSC_0213
  秋雨の中、小豆島へ向かう「第三おりいぶ丸」が待っていた。
 
 小豆島へ向かう「第三おりいぶ丸」は7時15分に姫路港を出航した。乗船客は総勢20名くらい。工事関係者とみられるおっちゃんが多く、座敷に寝転んでスポーツ新聞を読んでいる。後は旅行者ぽいおひとりさまのシニア客がちらほら。一組家族連れが居て、小さい女の子の元気な声が船内に響く。天気が良ければデッキで島風に吹かれるのだが生憎の雨。小豆島の福田港までは約1時間半、この間で私は今日明日の島での行程を一から練り直した。今夜は島に泊まって明日の夕方ここ姫路港に戻ってくる予定だが、天気予報によると今日は曇りで明日は一日中雨。ならば観光は今日一日に集約して明日は島内の移動だけにしたい。小豆島の面積は150平方kmと東京23区の4分の1程度で、言う程観光名所は多くない。島内はバスの本数も多く、朝から丸一日あれば島内の名所はだいたい回ることが出来る。後はこの雨が島に着くまでに上がってくれるかだ。
 
 DSC_0221
  雨の播磨灘を往く。近くに家島諸島が見える。ちょうど姫路港へ向かうフェリーが過ぎていった。

 DSC_0223
  この天気では島へ渡る人も少ない。「おりーぶしまちゃん」の向こうで、女の子がポーズを取ってくれた。

 DSC_0226
  初めて来た小豆島は雨が降っていた。
 
 8時55分、「第三おりいぶ丸」は小豆島の東の玄関口、福田港に到着した。雨はまだ降り続いている。まずは港の切符売り場で小豆島オリーブバスの二日券を購入した。今日明日と小豆島の路線バスが乗り放題で1500円という安さである。小豆島オリーブバスは7年前の2010年に地元の路線バスの撤退を受けて発足し、国と県からの補助もあり路線と運行本数の拡大、そして運賃も上限300円に据え置かれている。小豆島も全国と同じく過疎化と高齢化という問題に直面するなか、この取り組みは面白い。バスは私を含むフェリーから乗り継いだ乗客2名を乗せて発車した。

 DSC_0228
  オリーブ色に塗られたオリーブバス。島の貴重な足。

 DSC_0231
  島の内陸部には長閑な光景が広がる。料金箱上の運賃表示器は300円で止まっていた。

 バスは播磨灘に面した小豆島の東海岸を走る。途中の集落から地元民が乗り込み、バスは程良い乗車率になった。以前神姫バスでアルバイトをした際に運転士さんから「路線バスの採算ラインは常に5人乗っている状態」と教わったが、行政からの補助があるとはいえ上限300円の運賃で採算が取れるのだろうか。橘の集落の先で一旦海と別れ内陸部を往く。雨は幾分弱まり、水田と田畑が広がる山間に低い雲が掛かっている。旧内海町の中心部、安田で私はバスを降りた。そしてここで雨は一旦止んだ。
 
 温暖少雨な瀬戸内気候の小豆島は醤油とオリーブの島。ここ内海町も街を歩けば至る所に醤油工場の建物があり、雨上がりの空気に仄かな醤油の香りが鼻を突く。江戸時代、天領であった小豆島は瀬戸内海の海運を活かして大豆や小麦を集め、それを醤油に加工して大坂へ出荷する加工貿易で財を成していた。

 DSC_0233
  雨上がりの街並みに醤油工場がよく似合う。辺には仄かな香りが漂う。

 DSC_0241
  日本が世界に誇るマルキン醤油。ここ小豆島が発祥地。

 中でも有名なのがマルキン醤油。明治40年に創業し、関西では醤油メーカーのブランドとして知名度が高い。現在は名古屋の食品メーカー盛田の傘下となったが、今でも小豆島に広大な工場を有し、一角はマルキン醤油記念館として一般公開されている。江戸時代から続く醤油製造の過程や歴史が展示され、終戦後の天皇行幸をはじめ皇族の訪問も多い。小豆島の醤油は今でも島民の挟持なのだろう。

 館内は平日にしてはそこそこ賑わっており、マイクロバスで乗り付ける団体客が多い。裏を返せば小豆島にはここくらいしか観光名所がない。工場の一角に売店があり、マルキンブランドの醤油や、醤油ソフトクリームや醤油ソーダーなるものまでもが売られている。さすがにソフトクリームは遠慮したいがソーダーならなんとか飲めそうだ。コカ・コーラを濃縮したような茶色に、飲んでみればそこまで不味くもなく、そして美味しくない。雨は上がったが気温が低く一気に体が冷えてしまった。「丸金前」と書かれたバス停から岬へ向かうバスに乗り、次なる目的地「二十四の瞳映画村」へ向かう。

 DSC_0244
  丸金前バス停から岬の先端に向かうバスへ。

 DSC_0264
  岬の先端から島に向かって一枚。雨は止んだが、山の上には低い雲が掛かっている。

 バスは小豆島の南東部、高松や神戸へ向かうフェリーが発着する坂出の港へ立ち寄り、瀬戸内海に突き出た半島の最端部へ向かう。バスは終点の「田ノ浦映画村」に到着。ここは壺井栄『二十四の瞳』を昭和62年に映画化した際のオープンセットがそのまま残され、現在もドラマやCMのロケ地として使われている。

 DSC_0257
  「二十四の瞳」岬の分教場のロケセット。

 DSC_0247
  教室から瀬戸内の海が見える。

 DSC_0250
  教室のセットも当時のまま。

 『二十四の瞳』の「聖地」は作品には記されていないが、作者の壺井栄が小豆島の坂出の出身であることから、ここ田ノ浦の分校がモデルではないかとされている。村内にはロケで使用した「岬の分教場」の建物をはじめ、壺井栄文学館、50年代邦画を紹介する「キネマの庵」や、『二十四の瞳』をはじめ映画をエンドレスで放映する映画館までもが存在する。同じく小豆島がロケ地に選ばれた角田光代『八日目の蝉』を紹介するコーナーもあった。心配していた雨はすっかり上がり、分教場の前の砂浜からは瀬戸内の海が見渡せる。『二十四の瞳』は小学校だか中学校の時に読書感想文を書いた記憶があったりなかったりするのだが、壺井栄の夫の繁治は熱心な共産党員で、戦時中には治安維持法違反で投獄された経験を持つ。文学館には獄中の夫からの書簡も展示されていた。『二十四の瞳』も日本が戦争へと突き進んでいく時代がテーマで、夫や教え子たちを戦争で亡くしつつも前向きに生きる女教師を彼女なりの主観で描いている。

 DSC_0254
  雨は完全に上がった。瀬戸内海の潮の香りがする。

 「岬の分教場」のモデルと言われている学校は明治35年に建てられた田浦尋常小学校とされている。後に苗羽小学校田浦分校となり、昭和41年まで現役の校舎として使用された。映画村の手前、徒歩10分ほどの田浦の集落の海沿いに校舎が建っている。低学年、中学年、高学年と分かれた三つの教室は閉校当時のままに残され、教材や教室に貼られた児童の作品も昭和41年のままだ。ここ田浦分校は今でも「教育の原点」として、全国から教職員やOBが訪れている。黒板には教員を志願する若者に向けた寄せ書きがあった。そういうば私も教職を目指した時期があったっけ。別の世界線にはどこかの中学か高校の社会科教師として、今日ここを訪れている自分が居るのかもしれない。

 DSC_0268
  こちらがモデルになった苗羽小学校田浦分校。

 DSC_0265
  この学び舎は昭和四十一年の春から時が止まったまま。

 『二十四の瞳』が昭和初期の一人の女教師が主人公の純文学なのか、反戦小説であるかはさておき、今の日本にはあの頃と同じ閉塞感が漂っているように感じる。その正体が何であるかは私には解らない。30年間続いた平成が間もなく終りを迎える頃、来るべき新しい時代の日本は一体どこへ向かっているのか。島の小さな集落にも香川1区のポスターが貼られた選挙掲示板が建ち、一台の選挙カーが通り過ぎる。果たして明後日の衆院選ではどんな結果が出るのだろうか。目の前には穏やかな瀬戸内の海が広がっている。

 岬の先端で約3時間の時を過ごし、分校前のバス停から土庄へ向かうバスに乗り込んだ。バスはほぼ満員で、私は最後に空いている一席に座った。乗客の大半は中国からの観光客だ。そういえば先程の映画村でも中国人観光客の姿が目についたことを思い出した。この便は年配の運転手さんが地声でユーモラスな観光案内をしてくれる。「この中に明治生まれの方は居られますか?小豆島にオリーブが持ち込まれたのは明治41年のことです。私は平成生まれですけどねw」等。朝も通った安田のバス停で中国人はみんな降りてしまった。乗り継いで福田港へ向かい本州へ戻るのだろう。

 バスは内海湾に沿って走る。海の向こう、岬の先端がさっきまで居た田ノ浦だ。山側の中腹には内海湾が見渡せる道の駅小豆島オリーブ公園があり、バスはここで右にハンドルを切って山を登る。どうもこの便はオリーブ公園の前まで乗り入れるようだ。せっかくだからバスを降りて公園を散策してみよう。小豆島のオリーブの歴史を紹介するオリーブ記念館に、約2000本のオリーブの樹が立つ畑。向こうには瀬戸内海を臨み、遠くに四国が見えている。そしてここも中国人観光客が多い。オリーブの森の中を歩いているうちにバス通りへ戻ってきてしまった。ちょうどバスがやって来たところで、乗り込んで小豆島最大の街、土庄を目指した。

 DSC_0277
  オリーブの森から瀬戸内海を望む。左端がさっきまで居た田ノ浦。遠くには四国。

 土庄の街に着いた頃には時刻は夕方4時を回っていた。この街には土渕海峡という名所がある。小豆島は厳密には一つの島でなく本体の島と土庄の街がある前島に分かれ、その間をう。確かに、二つの陸地によって海が狭められている箇所を「海峡」と呼ぶが、ここ土渕海峡は海峡というより川のようである。だが誰が何と言おうがここは世界一狭い海峡なのだ。早速海峡に掛かる橋を横断し、対面の町役場で横断証明書を発行してもらった。料金は立派な台紙が付いて200円だった。

 DSC_0280
  土渕海峡をいざ横断。

 そしてここ土庄にはもう一つ名所がある。町の南側、瀬戸内海に面した砂浜と対岸の小島が干潮時に砂州で繋がり、エンジェルロードと呼ばれる砂の道が現れるトンボロ現象である。近年は島を挙げて「恋人の聖地」との触れ込みで観光地化に努め、映画やドラマの舞台にもなっている。本日の小豆島の干潮時刻は17時45分。日没ギリギリの時刻を狙って訪れた。

 DSC_0291
  夕暮れエンジェルロード。トンボロが奥の島まで500m程続く。

 DSC_0287
  展望台から見渡すエンジェルロード。干潮時のみ現れる神秘的な景色。

 DSC_0293
  陽が暮れてきた。そろそろ街へ戻ろう。

 既に陽は西空低くに傾き、辺りは薄暗く気温もかなり下がってきた。それでも夕暮れのエンジェルロードは中国人観光客たちで鈴なりの人。砂州が見渡せる展望台には甲高い中国語が飛び交い、全員でスマホを掲げ自撮りする。先程のオリーブ公園そうだったが、小豆島は関西空港からも近く、そもそも大陸の人間にとって島というものが珍しいのであろう。砂州の真ん中に一人で立って夕暮れ時の海を眺める。恋人の聖地エンジェルロード、道の真中で手を繋いだカップルは永遠に結ばれるとの触れ込みだが、別にそんなことはどうでもよく、インスタ映え狙いの中国人で溢れる砂州でさざなみに足元をすくわれているうちに日がどっぷりと暮れてしまい、そのまま土庄の街に戻った。

 土渕海峡の対岸のジョイフル小豆島店で晩御飯を食べていると突然スマホが鳴った。今夜泊まる宿からで、どうやら18時チェックインで予約していたようだ。18時丁度の電凸とは几帳面な宿である。ジョイフルで晩御飯を食べてから行きますと伝え、路線バスで約5分。土庄の港近くの宿に入った。

 お婆ちゃんが一人でやっているこじんまりとした宿。うるさい中国人が夜中まで騒いだら嫌だなと思っていたが、今夜の宿泊客は私一人のようで、早速貸し切りのお風呂でひと浴びし、六畳一間にお布団を敷いてごろんと横になる。これで一泊素泊まり3000円。宿なんてこんなもんでいい。手元にはさっきお婆ちゃんから貰ったおつまみがあり、島のコンビニでビールでも買ってきて晩酌しようと思ったが、今朝はサンライズエクスプレスノビノビ座席5時起きで急に睡魔が襲ってきてしまい、睡眠欲には逆らえないので、ちと早いがそのままお布団に潜り込んで寝てしまった。 

週末パスで行く、羽後

 昨夜22時半、最終のスーパーあずさ36号で爆睡しながら新宿駅に着いた私は、まだシラフな数個の脳細胞を頼りに中央線で神田に出て、京浜東北線を西日暮里で降り、営団千代田線に乗り換えなんとか自宅に帰ってきた。この間寝過ごすことなく自宅最寄り駅まで来れたのは奇跡かもしれない。そして玄関を開けるなりリビングデッド。それでも今朝は自動で5時半に目が覚めた。長年の慣習、恐るべし。

 酔い覚ましのシャワーを軽く浴びて自宅を出る。常磐線で上野駅へ。ここから週末パスの旅2日目を開始する。まだ二日酔いで軽く頭が痛い。朝から魔剤を投入し、新幹線ホームに降りて7時22分発の「はやて111号」に乗車した。E2系10両編成。今年の秋は雨が多いがこの週末は全国雲一つない秋晴れで、新幹線の高架から眺める青空の下、日曜朝の首都圏の町並みが広がり、その遠くに富士山が見える。東北新幹線は進行方向左側の席に座るとみちのくの山々が見えるのが良い。男体山、那須岳、安達太良山、蔵王。途中ウトウトしながらも仙台に着く頃にはすっかり酔いも冷めていた。
 
 DSC_0118
 E2系はやて。はやぶさ号の登場で幾分地味にはなったが、まだまだ東北新幹線の主役。

 今日はこれより仙台から陸羽東線を通って新庄まで行く「リゾートみのり」に乗車する。平成20年の秋に登場したジョイフルトレインで、週末を中心に快速列車として運転されており、510円の指定席券だけで乗車できる。東北には以前縁があってよく通ったがこの列車に乗ったことはなかったため、今日は久しぶりにその縁があった土地へ向かう行程に組み込んだ。深緋色と黄金色の車体が深まりつつある秋を感じさせる。まだ紅葉には少し早いが、実りの秋は今がその真っ最中だ。

 DSC_0125
 リゾートみのり号。何気に初めて乗ります。
  
 近郊型気動車キハ47系を改造した車内は大きな窓と、濃茶色のリクライニングシートが並ぶ。よく見ると紅葉の柄がプリントされていた。松島湾や鳴子峡の渓谷が見える進行方向右側の座席に座った。座席はグリーン車並みの1200mmのシートピッチが確保され、大きな窓からは日本の美しい秋の風景が眺められそうだ。ローカル列車で旅するのも良いが、たまにはこういう豪華な列車に乗ってみるのも良い。座席には観光パンフレットと、職員手作りの沿線案内が置いてある。乗客もそう多くはなく、新庄までの3時間強、贅沢な時間が過ごせそうだ。

 仙台9時13分発の新庄行き「リゾートみのり」はキハ47系3両編成。青葉城恋唄のメロディーに見送られて発車した。小牛田までは東北本線を北上。松島の手前で右手に海が見えた。以降列車は「みのり」の名に相応しく一面の黄金の絨毯の中を走る。秋はニッポンが最も美しく実る季節。大きな窓に実りの光景が広がっている。小牛田から「奥の細道湯けむりライン」こと陸羽東線に入り、10時13分、東北新幹線が接続する古川に到着。ここで「リゾートみのり」は10分ほど小休止する。バイブルを捲ると上野8時02分発の「はやぶさ101号」に乗れば、この駅で「リゾートみのり」に乗ることが出来たらしい。要は今朝は40分ほど朝寝坊が出来た訳だ。ホームに降りて外の空気を味わっていると突然地元民らしいお婆さんが鳴子温泉までの切符を見せて、「この列車に乗っていいの?」と聞いてくる。ホームの時刻表を見ると次の鳴子温泉行きは1時間後の11時15分。ここで1時間も待つより、指定席券を買ってでも「リゾートみのり」に乗ったほうがいいだろう。と私は判断して、「別に520円払えば乗れますんで、乗って下さい」と応えた。お婆さん「あら!男の子?女の子だと思った!」と私に言いながら「リゾートみのり」に乗り込んでいく。そういえば今日はA面の姿で来てたっけ。指定席券は無いが仙台発車時点で十分空席はあったし、まあ大丈夫だろう。後は車掌さんに聞いてくれ。

 DSC_0127
 松島湾を臨みながら。仙石線の線路も見えている。

 DSC_0128
 秋空と黄金色の稲穂。日本の美しい秋の光景だ。

 古川を発車すると2号車のイベントスペースでアマチュアミュージシャンの演奏会が始まった。仙台在住のナイスミドルで、さとう宗幸氏とユニットを組んだこともあるらしい。「今日は私と同年代の方が多いので」ということで、60年代フォークを中心に演奏が始まった。スペースの椅子に腰掛け、イケオジのギターの演奏を聞きつつ、車窓にゆっくりと流れるニッポンの実りの秋。なんて贅沢な時間であろうか。11時00分、鳴子温泉着。「リゾートみのり」はここで23分間停車する。今日はここ鳴子温泉街で芸術祭が開催されており、駅を降りれば早速バンドの演奏に出会うことが出来た。久しぶりの好天の週末とあって多くの観光客で賑わっている。軽く温泉街を散策し、駅前の足湯に浸かって、再び「リゾートみのり」の車内に戻った。

 DSC_0134
 リゾートみのり、鳴子温泉駅で小休止。 

 鳴子温泉駅ですっかり乗客を降ろした「リゾートみのり」。この先が陸羽東線の白眉ともいうべき鳴子峡である。観光ポスターでも有名な鳴子大橋と渓谷美。陸羽東線は鳴子温泉駅を出てすぐ、小さなトンネルを抜けた処が最も美しい渓谷を眺めることが出来る。ローカル列車は一瞬で通り過ぎるが、「リゾートみのり」はトンネルを抜けた処で最徐行し、大きな窓に渓谷と、鳴子大橋と、秋の青空が広がった。

 DSC_0139
 陸羽東線の殺意の風景といえば、ここで刹那見える鳴子峡に他ならない。

 分水嶺を越えて山形県に入る。すっかり閑散とした車内。最上駅で鳴子温泉行きの反対列車と交換する。ローカル線の秋の車窓と、大きな窓から差し込む秋の日差し。後は終点の新庄を目指して走るのみ。

 DSC_0141
 陸羽東線をのんびりと。 

 「週末パス」の有効区間は主に青森県、秋田県、岩手県を除くJR東日本管内だが、僅かに秋田県に入る区間があって、それがこれから乗る奥羽本線新庄~湯沢間である。この区間が含まれるお陰で以前はよくこのきっぷを利用した。新庄12時56分発の秋田行きは701系2両編成。登場当初は賛否両論だったみちのくのロングシート車も、今ではこの列車に乗ると懐かしさを感じてしまう。なんかこう、ふるさとに帰ってきたみたいな。一本前の「つばさ」から乗り継いできた人が多いのだろう。ロングシートに大きな紙袋を置いた乗客も散見される。1時間ほどで週末パスの北限の駅、湯沢に到着。この駅で降りるのはもう何年ぶりになるのだろうか。しばらく見なかったうちに駅舎は立派な橋上駅になり、駅前には立派なバスターミナルが併設されている。10年前にバスを待った駅前の小さな小屋は無くなっていた。

 DSC_0146
 新しくなった湯沢駅舎とバスターミナル。
 
 西馬音内堀回行きのバスは少々遅れてやって来た。何度も通った勝手知ったる道。湯沢の市街を抜けて、雄物川に掛かる橋を渡って羽後町に入る。今日も前方に鳥海山が見えている。バスは右折して西馬音内の市街に向かう道に入った。三輪神社の鳥居前を過ぎ、あぐりこ神社の前を通って、羽後町役場前の交差点でバスを降りた。角のタクシー会社はセブンイレブンになっていた。とりあえず役場の方向へ向かう。新しく道の駅うご・端縫の里と書かれた建物が建っていて、地元の名産品が売られている。休日だけあって店内は賑わっていた。もう10年も経ってしまったが、懐かしいものが幾つか見受けられた。

 10年前、ぼくはこの街に留学していた。この街で沢山の人に出会い、沢山のことを学び、若い情熱と行動力と破天荒で世間に打って出て、少しだけ世の中を変えた。少なくとも、ぼくらが居なければ今の世の中はもっと窮屈だったはずだ。これは決して自惚れではなく、本当にそう思っている。

 DSC_0171

 DSC_0165

 DSC_0168

 二万石橋から鳥海山を望む。此処の風景は10年前と全く変わらない。今でもこの景色を見ると「ただいま」と言えるし、また戻ってくることが出来たと思う。ここはぼくの故郷だ。あれから10年が経ち、今は元の静かな町に戻ったが、それはぼくらが新しい時代を切り拓き、世の中を変えることが出来たことで、元の静かな街に戻ることが出来た結果なのだ。「時代を先取りしすぎた。俺達が若すぎた。」と思うこともあったけど、今ここに来て遂に解った。俺達は時代を先取りする必要があった。若かったからこそ出来ることがあった。あの頃の俺達は凄かった。みちのくの秋の夕暮れは早く、西馬音内川の川面に吹く風は冷たい。でも体が興奮してきて火照ってきた。身震いがする。

 DSC_0173

 目の前に飛び込んできた10年前と変わらない景色。あの日のことが走馬灯のように甦る。興奮冷め止まぬ中店内に入ると、急に10年前にタイムスリップしたかのような錯覚に陥った。ここは10年前と全く変わっていなかったのだ。番頭の男の子に見覚えがある。随分と大きくなった。そしてそこには青年時代の自分の足跡があった。よく残してくれた。恥ずかしさと、嬉しさと、そして感謝と。

 DSC_0174

 DSC_0176
 
 街並み。所々変わった。写真館が無くなっていた。街の中心には昭和の終わりにふるさと創世基金で建てられた西馬音内盆踊り会館が立つ。10年前のあの真夏の夜、全てはここから始まった。今ではもう夢のようだ。館内に入る。いつも私を出迎えてくれたお姉さんは居なかったが、代わりの事務員の方は私の身なりを見て、ひと目で余所者と解ったらしく、盆踊りの映像を見ていってくださいと言った。留学時代にこの盆踊りも何度か見に来ることが出来た。700年の歴史の中、その中の数年間だけであったがこの町は大きく全国区に知られることとなり、今までの古い慣習や風習や偏見を破壊し、新しい時代をつくる炎の種火となり、新しい世の中の到来をしかと見届けた後、その使命を終えて幕を下ろした。

 DSC_0182

 DSC_0180

 DSC_0188

 街外れまで来てしまった。このまま花嫁道中を歩いて堀廻まで行こう。ガンダム、まだここに居たのか。七曲峠に至る一本道を一人で歩く。この町で過ごした青春時代、出会った人、経験したこと、学んだこと、あれ以来会っていない人もいる。ふと一軒の家の前で足を止め、大木を見上げる。そしてまた一本道を前に歩く。日が大分傾いてきて寒い。辺り一面の田園風景の中、稲刈りのコンバインが動く。

 DSC_0191

 DSC_0192

 DSC_0194

 後方から一台のバスが私を追い抜いた。このバスがこの先堀廻のバス停で転回し、折り返し湯沢駅へ向かう最終バスになる。西馬音内川の上流に沿って歩くうちに堀廻に来た。ここは昭和48年に廃止された羽後交通雄勝線の終着駅で、梺駅跡は整備され当時の車両も保存されている。夕暮れ時の廃駅で一人昔のことを思い出しているうちに最終バスの時間がやって来た。17時20分発湯沢駅行き。バスは私一人を乗せて来た道を戻る。バスの車窓に映る見慣れた街並み。短い時間ではあったが、来てよかったと思う。

 DSC_0200

 CSC_0204
 では、最終の新幹線で東京に帰ります。 

 湯沢駅から奥羽本線普通列車で新庄へ戻り、19時57分発東京行き最終「つばさ160号」に乗り込んだ。東京まで3時間半もあれば心の整理をつけることができる。闇夜の奥羽本線を往く。停車場毎に乗客が乗り込んできて、米沢駅を出る頃には自由席車は程よい乗車率となった。列車は間もなく板谷峠にかかる。深々とした森の中、新幹線の灯りだけが映る。峠道に夜が降りてくる。

週末パスで行く、諏訪神秋祭。

 大宮7時46分発の北陸新幹線「かがやき503号」はE7系12両編成。土曜朝の下り列車だが然程の混雑は見られず、半分強の乗車率で発車した。

 DSC_0075
 よく晴れた土曜の朝。いざ、かがやきの向こう側へ!
 
 東北新幹線が右手に別れ、時速240kmに加速し北関東の大地を往く。かがやき号は次の長野まで停まらない。景色は慌ただしく変わり、熊谷駅を通過したと思ったらそこはもう高崎駅だった。そして上信を分かつ長大トンネルに入る。そういえば今日は碓氷峠から汽笛が消えて20年。今でも私は横川駅のホームに立つとロクサンの勇姿を思い浮かべることが出来る。しかし時の流れはそれ以上に速い。かがやき号は碓氷峠を一瞬で登り切り、朝の軽井沢駅ホームをゆっくりと通過する。信州の静謐な空気の向こうに浅間山が見えている。あれから20年。変わらないのはこの景色だけ。

 DSC_0078
 新幹線から見る秋空の浅間山

 DSC_0079
 長野からは在来線特急におのりかえ。

 右手に上信真田氏の古城が見えた。続くトンネルを抜けるともう善光寺平だ。ロクサンの時代を知る身としては、この速さにはまだ違和感が拭えない。ともあれ、8時43分長野着。乗り換え改札口を通り9時00分発の長野行き「ワイドビューしなの6号」に乗車した。本日の目的地は諏訪の岡谷だが、何故「あずさ」に乗らず北陸新幹線を経由したのか。今回の旅はJR東日本管内南半分が土日乗り放題となる「週末パス」を利用しており、新宿まで出る手間を考えれば遠回りの長野経由でも所要時間は然程変わらない。土曜朝の下り「あずさ」は混むので、たまには別ルートで諏訪に行ってみたかった。

 そしてもう一つ。新幹線を上野でなく大宮から乗ったのも理由があって、「かがやき」と言えども大宮までは時速110Kmのノロノロ運転を強いられるため、常磐線沿線の家から上野へ出ても日暮里から京浜東北線に乗り換えて大宮へ出ても、新幹線特急券が安くなる費用対効果を考えれば然程変わらない。バイブル(JR時刻表)を熟読し新たなルートを考えるのも遠征の愉しみ。塩尻で中央東線の上り普通列車に乗り換え、10時21分岡谷着。上りの3番線ホームには8時ちょうどの「スーパーあずさ5号」が入線してきた。

 DSC_0083
 久方ぶりのララオカヤ

 岡谷駅前の旧イトーヨーカドー岡谷店ことララオカヤは現在2階テナント部分が丸々空白となっており、ここで度々同人誌即売会が開かれる。御射宮司祭→諏訪風神祭→諏訪神秋祭と主催は交代したが、足掛け8年間ここでは東方風神録のオンリーイベントが開催されていることになる。今日の開催は最後の諏訪風神祭以来2年ぶりだ。3つのイベントをこなしてきた私にとって、ここはもうホームのような安心感がある。

 ■諏訪神秋祭公式ページ
 ■諏訪神秋祭公式twitter
 
 ララオカヤ1階部分はそのまま店舗。そして階段を上がった2階部分が本日のイベントスペースとなる。そのためイベント当日は買い物客がそのまま迷い込んでくるシーンも度々見受けられる。信州の辺境の即売会といえ2年ぶりの聖地開催と、そして今年は東方風神録10周年。集まったのは122サークルで、これは主催氏の予想を大きく超えるものだったという。本日の開場は12時とゆっくり目。ちゃっちゃと設営を済ませてお着替えに赴くと、一般参加者待機列方面からコスプレ兄ちゃん姉ちゃんがどんどん入ってくる。告知は無かったが事実上の先行入場らしい。この方法をとってもサークル参加者は通行証を持っている訳で、無ければお着替えを済ませた後で一般待機列に戻せばいい。東方祭ではかなり以前より行われている手法で、他のイベントでももっと普及してもいいと思う。
  
 12時開場。地方のこじんまりとした会場に、100スペース強のサークルと、隅のコスプレ広場。正反対側には企業スペースがありグッズの販売と、何故かメロンブックスの同人誌委託承り所がある。ここに弊サークルの刊行物を持ち込んで感想を聞いてもよかったな。委託しないけど。そしてカタログに記載はなかったがサークルとも企業スペースとも覚束ない処に、地元の郷土史研究サークル「スワニミズム」のスペースがあり、刊行物が頒布されていた。サークル「けろぷろ!」も元は諏訪の土着文化を研究し発表するためのサークル。今でも十分興味はあるし、書籍を購入させて頂いた。
 
 ■諏訪信仰研究会~Facebookページ

 DSC_0097
 ふもふも大集合

 本部隣の展示スペースにはぬいぐるみやドールが多数展示されている。この大きい神奈子様と白蓮様は御射宮司祭時代からの常連で、今日は連れてこなかったが仲間は我が家に5体居る。そしてその隣が記念品の販売スペース。東方風神録のイラストが描かれたお酒とお菓子の販売で、イベントが落ち着いた14時頃から販売するらしい。今回も地元の酒造「麗人」が協力している。毎回販売開始と同時に長蛇の列が出来るが、サークル参加者には事前の申請で取り置いてもらえる制度がある。こういう気配りが有り難い。本日のメーンは限定10本のみ販売の古酒。東方風神録10周年を記念した10年物で価格は一升2万円らしい。さすがにこちらは抽選販売で、私も参加したが倍率10倍を勝ち抜くことは出来ず落選した。一本2万円だけど。

 地方のオンリーイベントらしくのんびりとした空気が流れている。サークル側は首都圏や関西からのベテラン組が多く、一般参加者も話を聞くと県外から来たという層が多い。なので比較的年齢層は高く未成年者と思しき方はあまり見られなかった。蒲田や浜松町でやってるイベントを岡谷で開催したと言った感じか。もちろん聖地開催に意味があるんだろうけど。土曜日の開催とあって、この後現地で一泊して翌日観光に当てる方が多そうだ。ともあれ、御射宮司祭から続く諏訪風神録オンリーの魂はしっかりと受け継がれた模様。今回は主催が初めて地元ではなく県外の方となったが、大変だと思うが第二回以降も続けて欲しい。私も必ず参加しますので。

 timeline_20171004_194615_0
 戦利品のお酒とイベントカタログ。サークル通行証の木札が良い。

 DSC_0107
 祭りのあと。またここに来ることは出来るだろうか?

 16時に閉会。今回の売上もまあまあだった。在庫と衣装と小道具類を駅近くの岡谷郵便局からお家にシューして、アフターイベントは途中で失礼させて頂き岡谷駅から中央東線の下り列車に乗る。今夜は同人作家勢と上諏訪で呑み会だ。そして私はここで泊まらずに最終のスーパーあずさ36号で東京に帰る。せっかく諏訪まで来て温泉に入らないのは癪なので駅の足湯でホカァして、上諏訪での呑み会で美味しい料理とお酒。これがイベントの楽しみだ。呑み会は夜遅くまで続いたようだが私は列車の時刻があるので失礼させて頂き、上諏訪20時25分発の新宿行き最終「スーパーあずさ36号」に乗車した。呑み会ではかなり呑んでしまったので程よく、と言うかかなり酔っ払っている。自由席車に乗り込み会場で買ったお酒を開けると一気に酔いが回ってきた。席二人分占領で横になり、目が覚めたら終点の新宿駅。ここから頑張って都区内の果てのお家まで帰らなければならない。そして明日は5時半に起きて旅の後半戦を開始する。

 DSC_0117
 週末パスの旅1日目終了。そして2日目へ続く。

時は戦国、処は井伊谷

 2017年大河ドラマ「おんな城主直虎」の舞台である井伊谷(いいのや)は現在の浜松市北区引佐町にあたる。かつては浜松から鉄道が延びていたが昭和38年に廃止され、現在は天竜浜名湖鉄道の金指駅が玄関口となっている。大河ドラマの放映に合わせてお隣の気賀に設置された大河ドラマ館と合わせて、天竜浜名湖鉄道に乗って井伊直虎ゆかりの地を巡ってみた。

 日曜日に名古屋で恒例の学会に出席した後、一泊して翌朝の東海道線で豊橋へ。乗り換えて2つ目の新所原駅で下車した。天竜浜名湖鉄道の駅舎で「いいね!直虎1Dayパス」を購入し、9時32分発の掛川行きに乗車した。天竜浜名湖鉄道は全線乗り通したとしても1450円。これに大河ドラマ館と龍潭寺の拝観券が付いて、遠鉄電車とバスにも乗れて2300円ならお得な切符と言えるであろう。単行のディーゼルカーは地元の用務客と大河ドラマ館目当ての旅行者でそこそこ混んでいた。

 DSC_0511
 天浜線の始発駅、新所原駅

 DSC_0512
 天浜線は全線が非電化単線。単行のディーゼルカーが走る。

 天竜浜名湖鉄道天浜線は東海道線に接続する新所原から浜名湖の北側を通り、遠江を縦断し掛川へ至る全長67.7Kmのローカル線である。元は戦時中に東海道線の浜名湖鉄橋が爆破された場合の迂回路としての国鉄二俣線として敷設され、現在は第三セクター鉄道の天竜浜名湖鉄道天浜線となり単行のディーゼルカーが走る。沿線の桜はまだ咲いていないが今日は天気も良くて温かい。列車は東名高速の高架橋を見ながら浜名湖の北端を掠め、10時10分気賀着。国の登録文化財に指定されている古風な駅舎には井伊の赤備えが施されていた。もっとも赤備えは直虎が後見人となる井伊直政の成人後のシンボルで、直虎の時代にはちょっとそぐわないと思うのだが。

 DSC_0514
 浜名湖を眺めながら。

 DSC_0528
 気賀駅で列車を降ります


 DSC_0518
 赤備えの気賀駅 

 「おんな城主直虎大河ドラマ館」は駅前の「みをつくし文化センター」で開催されていて、春休みだけあって平日にも関わらず観客が多い。直虎1Dayパス付属の入場券で入場し、まずは入口で写真を撮ってもらう。この写真は退館後にカードになって手渡される。確か上田の大河ドラマ館でもこうして写真を撮って貰った。館内は大河ドラマのあらすじや出演者紹介、衣装やセットの展示が主だ。昨年の真田丸大河ドラマ館は戦国時代の歴史も学べて見応えがあったが、やはり井伊直虎は一次史料が少なくそこを脚本がどう持っていくかが課題だろう。

 DSC_0525
 大河ドラマ館となるみおつくし文化センターホール

 大河ドラマ館の隣には気賀関所のオブジェがある。気賀はかつて東海道のバイパス姫街道の宿場町として栄えた。遠州灘沿いの東海道は浜名湖の河口を渡らねばならず、また南海トラフ大津波で街道が度々被災することもあった。姫街道と国鉄二俣線がほぼ同じ理由で敷設されたことが面白い。

 DSC_0539
 気賀関所のオブジェ

 DSC_0529
 関所時代の建物

 大河ドラマの放映に合わせてここ気賀の大河ドラマ館と井伊谷の龍潭寺(りょうたんじ)の間にシャトルバスが走っている。こちらも直虎1Dayパスで乗車できる。龍潭寺は古くから井伊氏の菩提寺であり、大河ドラマでも井伊直虎の前の次郎法師が修行するシーンがふんだんに使われている。境内には井伊氏代々の墓もあり、直虎もこの墓地に葬られている。

 DSC_0546
 大河ドラマでもおなじみ、龍潭寺の山門

 DSC_0550
 龍潭寺庭園、寺はこころが落ち着く。

 DSC_0554
  右から2つ目が直虎の、その左が直親の墓。
 
 龍潭寺の近くに井伊氏発祥の井戸がある。寛弘7(1010)年にこの井戸に幼子が現れ、初代井伊共保(ともやす)公となり井伊は代々遠江の国衆としてこの地に栄えた。戦国の世に徳川四天王の一人となる井伊直政を出し、徳川の世には幕臣として仕えた。この井戸は大河ドラマでも重要な役割を果たしている。

 DSC_0543
 井伊家発祥の井戸、竜宮小僧が居るかも。 

 さすがに直虎の世から約450年も経ってしまえば井伊谷は浜松の外れの平凡な田舎街である。大河ドラマにも出てくる井伊氏の居館跡は完全に宅地化されていて看板が立つのみ。脇に大河ドラマ第一話で今川義元に討たれた井伊直満直義兄弟の墓がある。その後ろの山城の井伊谷城がある。頂上に登ると井伊谷と遠江平野と、そして遠くに静岡県下一の高さ212mを誇る浜松アクトタワーが見えた。

 DSC_0555
 井伊谷でもいらすと屋が大活躍。

 DSC_0559
 井伊谷城跡

 DSC_0558
 現代の井伊谷と遠江を望む。

 バスで金指へ出て再び天浜線の度に旅に戻る。16時07分発の掛川行きはCAPCOMの戦国アクションゲーム『戦国BASARA』とタイアップしたラッピングトレインだった。車体には「おんな城主直虎」のメーンキャラである井伊直虎と徳川家康が描かれ、車内にも武将たちのイラストが描かれている。東海道線と比べて天浜線の車窓はのんびりしていて平和そのもの。途中駅の駅舎やホームにも味わいがある。天竜二俣駅の広い構内には転車台や扇形車庫が残っていた。

 DSC_0570
 戦国BASARAラッピングトレイン

 DSC_0579
 井伊直虎が描かれている。

 DSC_0574
 車内の様子
   
 CSC_0583
  
 逆光だけど、全景も撮りました。 

 終点の掛川が近づいてくる。私の先祖は井伊直虎と時を同じくしてこの辺りの小豪族であった。今川氏に忠誠を誓い、今川氏の最期では朝比奈泰朝と共に掛川城に籠城し家康の兵と戦った。井伊とは比べ物にならない小さな城の城主だったらしいが、日曜日に大河ドラマを見るたびに遠い先祖に思いを馳せている。掛川の2つ手前西掛川で私は列車を降りた。駅前に静岡県では有名な炭焼きハンバーグの店がある。土休日は家族連れを中心に混雑するというが今日は平日の夕方。美味しい食事とともにゆっくりとした時間を過ごせそうだ。今夜は掛川から再び例のきっぷの旅に戻り、深夜に東京へ帰る。

 DSC_0593
  ※おまけ

バニラエアひがし北海道フリーパスで行く道東の旅~4日目

 川湯温泉はアイヌ語の「セセキ(熱い)ペ(川)」に由来する温泉街である。6時に目覚め、朝風呂に入ってから宿を出た。時刻は朝の7時。これから川湯温泉駅まで30分ほど歩いて7時44分発の始発列車に乗る。今日も朝から天気が良く、そして幾分温かい。それでも気温は氷点下のはずだが、風がないので暖かく感じる。駅へと続く一本道、正面の硫黄山からもくもくと白い煙が上がっている。この大地の力が川湯温泉の強酸性の温泉をつくる。

 DSC_0037
  駅まで徒歩30分、針葉樹の林の中をひたすら歩きます。
 
 川湯温泉7時44分発の網走行き普通列車はキハ54系2両編成。こんな朝から観光客の姿も見える。峠を越えて旧釧路支庁から旧網走支庁に入り、緑で昨日乗った神出鬼没の「ルパン号」と交換した。一面の雪原の中を列車は往く。知床斜里でクラブツーリズムのバッジを付けたシニア客が大量に乗り込んだ。釧網本線はここ知床斜里から網走までの間オホーツク海沿いを走り、季節を問わず人気のスポットとなっている。恐らく途中の北浜駅で下車して観光バスに乗り継ぐのであろう。そして間もなく右手に流氷のオホーツク海が広がった。網走では4日前の1月31日に平年より10日遅く流氷初日となり、そのまま一昨日の2日に接岸した。今回はこの光景を見るために北海道へやってきた。線路は暫く海から離れるが、北浜の手前でまた海が広がる。9時02分着。そして私はこの駅で列車を降りた。
 
 DSC_0042
  流氷とオホーツクの海。

 DSC_0044
  北浜駅に到着。クラツリ厨たちがぞろぞろと降りてきて、早足で観光バスに乗り込む。
 
 クラブツーリズムのバッジを付けたシニア客が大型バスに乗り込んでしまうと駅舎に静寂が訪れる。ここはオホーツク海に一番近い駅。旅行会社のツアーに組み込まれるほど有名な駅で、そして私が北海道で一番好きな駅である。20歳の最長片道切符の旅ではこの駅で一晩野宿した。駅舎には旅人が残した切符や定期券が所狭しと貼られている。いつものベンチに腰掛け、一夜を過ごした二十歳の夜を思い出した。ここに来れば私はいつでも20歳の自分に戻ることが出来る。あれから私も世の中も大きく変わってしまったが、オホーツクの海と波の音は変わらない。短い時間の滞在だったが、今回も駅舎に名刺を残し次に来た列車に乗り込んだ。

 DSC_0048
  我が青春の北浜駅舎。
 
 DSC_0047
  駅舎には旅人が残した無数の名刺が貼られている。

 北浜10時10分発の網走行きは「流氷物語2号」の列車名がついているが、実際は何の変哲もないキハ54系の2両編成だった。申し訳程度のラッピングと車内に流氷の写真が貼ってある。10時25分、網走着。これから流氷観光砕氷船「おーろら」に乗りに行く。駅を出ると丁度網走港行きのバスが出るところだった。バスは観光客で混んでいた。10分ほどで「おーろら」の港がある道の駅流氷街道に到着。駐車場には大型観光バスが群れをなし、道の駅は何かのイベントでも開催されているかの如く大混雑。そして飛び交う中国語、大半は中国からの観光客だ。人混みをかき分け11時00分発の砕氷船の乗船券を購入し船に乗り込んだ。流氷接岸を受けて初の週末ということで大盛況。本日の「おーろら」は
2台運行とのことで、私は後続の「おーろら2」に乗った。

 DSC_0055
  網走駅に到着。これより流氷を見に行きます。

 DSC_0056
  nice boat.
 
 船内の座席は全て中国人とツアー客に取られてしまったので、私は寒風吹き荒ぶデッキに立って船の出航を待った。網走は雪がちらついている。暫く港を航行し、沖合に浮かぶ流氷帯を見つけると砕氷船はその中に突っ込んでいく。そして一面の白い世界が広がる。オホーツクの界面を埋め尽くす冬の使者こと流氷。向こうに網走の能取岬が見える。

 DSC_0058
  まずは流氷の幼生、蓮葉(はすは)氷がお出迎え。

 DSC_0088
  砕氷船が流氷帯に突っ込んだ!

 DSC_0076
  流氷の向こうに能取(のとろ)岬。

 DSC_0069
  ガリガリと音を立て、流氷を砕きながら往く。 
 
 DSC_0079
  流氷の上にイヌワシの姿。

 1時間の流氷クルーズを終えて網走の港に帰ってきた。道の駅でお昼御飯を食べて、再びバスで網走駅へと向かう。網走駅の改札口には大型スーツケースの大群が長蛇の列を作っていた。列の最後尾が今にも駅舎から溢れそうだ。13時26分発の札幌行き特急「オホーツク6号」を待つ列だが、外国人ならジャパンレールパスを持っているのではなかろうか。ともあれ、予定より早く改札が始まり、私もフリーきっぷを見せて最後の列車に乗り込んだ。

 DSC_0091
  網走駅に戻ってきた。

 DSC_0092
  網走駅が人大杉状態な件について。
 
 DSC_0093
  では、札幌に戻って、新千歳空港から成田に帰ります。

 網走13時26分発の札幌行き特急「オホーツク6号」はキハ185系6両編成。先頭の1号車と2号車の半室が自由席で、適当に2号車の座席に座った。指定席のカバーには「Reserved Seat」のカバーが掛けられている。車内を埋め尽くすのは団体の中国人で、大型のスーツケースが網棚は勿論デッキや通路にまで置かれている。つくづく北海道の経済は彼らが回しているんだなと思う。雪を見たテンションからか中国人たちが大声で話すので車内は騒がしい。そして子供が泣きわめく。車窓には青空が広がり降り積もった雪が眩しい。網走湖の湖畔を走る。

 あれほど大声を出していた中国人たちが急に黙り込んでしまった。全員大きな口を空けて午眠を貪っている。慣れない異国の地で疲れてしまったのだろう。物音一つしない車内にキハ185のエンジン音が響く。ふと前の座席の男の子と目があってしまった。さっきはあれほど泣き叫んでいたのに、母親が眠り込むと同時に大人しくなってしまった。澄んだ瞳でずっとこちらを見つめてくる。ウインクを返すと恥ずかしいのか座席に隠れてしまった。特急「オホーツク6号」は留辺蘂を過ぎて常紋越えに掛かる。キハ185のエンジン音が一際高くなってくる。窓の外には針葉樹が広がる。

バニラエアひがし北海道フリーパスで行く道東の旅~3日目

 根室はアイヌ語の「ニムオロ」(木の繁るところ)から取られたと言われる。根室駅を出る花咲線の上り一番列車は5時30分発と早い。この列車は前日から運休と報じられていたので、次の8時22分発に乗って釧路へ向かおうと思う。駅近くの貧相なホテルで7時過ぎまでじっくり寝て、8時前に根室駅へと向かった。

 DSC_1001
  根室駅の朝。

 DSC_1002
  最果ての鉄路が途切れる処。

 始発の5時30分発は案の定運休したようだが、次の折り返す根室行きの普通列車は定刻で運転されているようで安心した。8時03分、単行の普通列車が東の方向から入線し僅かな乗客が降りてきた。根室本線はラストで根室の市街をぐるりと廻るように敷設されているので、最果ての終着駅がこのようなかたちになってる。根室8時22分発の釧路行きはキハ54系単行。沿線の浜中町出身の漫画家「モンキー・パンチ」氏に因んで、アニメ「ルパン三世」のラッピングが施されている。車内は俗に言う「集団見合い型」クロスシートで座席が無駄にリクライニングする。どこかの特急型車両の廃車部品を集めてきたのだろう。

 CSC_1009
  その名も「ルパン号」
 
 DSC_1004
  「あばよ!とっつぁん!」  

 DSC_1006
  「おのれルパ~ン!」

 根室駅から10名程度の乗客を乗せて発車した。「日本最東端」東根室駅を過ぎ、市街を抜けてシラカバの森の中を往く。枝の上にイヌワシやフクロウの姿、あと線路にやたらとエゾジカが出てくる。注意の汽笛だけで済めばいいが道中で
二度も急停車した。天候は昨日とはうって変わって青空。沿線の街、厚床や浜中で地元の用務客が乗り込み程よい乗車率となった。昨日タクシーでかっ飛ばした国道44号線が見える。厚岸より先で左手に太平洋が広がった。昨日はバスに間に合うかハラハラしながらの道中で、外の景色をほとんど見ていない。カキの養殖で知られる厚岸湾と朱色の厚岸大橋が見える。やっぱり旅はこう、のんびりと行きたい。釧路の市街に入ると地元民が次々に乗り込み単行の車内は満員になった。10時45分釧路着。

 本来なら昨日は釧路に泊まって、今日は釧網本線沿いの摩周湖や屈斜路湖を見て回る予定だった。しかし昨夜は根室で泊まらざるを得なくなった為、釧路到着がこの時間になってしまった。なので今から「SL冬の湿原号」に乗る。指定席券は今朝方根室駅で仕込んでおいた。

 DSC_0965
  釧路駅で発車を待つ「SL冬の湿原号」

 昨日「スーパーおおぞら1号」で釧路駅に着いた時、隣のホームで黒煙を上げる蒸気機関車が気になってはいた。昨日から今季の運行を開始した「SL冬の湿原号」で、釧網本線の釧路~標茶間を一往復している。C11は主にローカル線の普通列車用として活躍した蒸気機関車で、新橋駅のSLと同じ形式といえば解ってもらえるだろう。まずは釧路駅の改札を一旦出て売店に駅弁を仕入れに行ったが、売店には大型スーツケースを従えた中国人が大量に溜まっていてなかなかお弁当が購入できない。急いでかにめしを購入し、「SL冬の湿原号」が発車する3番線ホームへと向かった。

 釧路11時06分発の標茶行きSL冬の湿原号はC11+14系客車5両編成。充てがわれた席は最後尾の5号車だった。車内は中国人の団体と、グループ客と私のような一人旅。妙齢の女性がテーブル席に切符と駅弁を並べてスマホで写真を撮っている。このあとすぐSNSにアップするのだろう。SNS時代の一人旅は決して独りではないが、わざわざ独りになりたくて北海道まで来たんだから私は極力SNSは開かない。5両編成の車内は全てのボックスが埋まっているが、私のボックスには終点まで誰も来なかった。札幌からの特急「スーパーおおぞら1号」がまた遅れているらしく、数分遅れて発車した。

 DSC_1019
  車内はテーブル付きのボックスシート。ダルマストーブが置かれている。

 「SL冬の湿原号」には車掌さんの観光案内とボランティアのガイドさんと、「中文案内」と札を提げた通訳まで乗っていて、標茶までの約1時間半の道中を色々と楽めそうだ。釧路川の袂には三脚がずらりと並びカメラマンたちが手を振ってくれた。東釧路で花咲線が別れ、C11は青空に黒い煙を吐きながら釧路湿原の中へと這入っていく。2号車のカフェカーを覗くと中国人観光客が早くもお土産やグッズを買い求めていた。釧路湿原と言えば夏の光景が有名だが、冬の湿原は立ち並ぶシラカバの樹に、黄土色のカラクサと雪だけの景色。遠くに雪の雌阿寒岳と雄阿寒岳が見える。「あ、右手にタンチョウの親子が居ます」車掌さんの放送が入る。間もなく右手に3羽のタンチョウが見えた。なるほど、最後尾5号車だと車掌さんの案内を聞き逃すこともない。あとはエゾジカの群れとイヌワシの姿。かつて釧網本線に乗った時地元のおじいさんに言われた。湿原なんて全く人の役に立たない。動物の楽園だと。

 
DSC_1020
  冬の釧路湿原を往く。

 左手から釧路川が寄ってきた。車窓には延々と冬の釧路湿原が続く。12時35分、標茶着。アイヌ語の「シペッチャ」(大きな川の畔)から来ている
向かいホームに上りの快速「しれとこ」が入線し中国人がゾロゾロと降りてくる。SLの煙と中国語が飛び交う駅舎。駅前には大型観光バスが横付けされ、大型スーツケースを従えた中国人が次々とバスに乗り込み出発していった。次に乗る網走方面への普通列車は今から2時間半もある。当初は摩周湖や屈斜路湖を見て回る予定だったが、私は折り返し13時59分発の上り「SL冬の湿原号」で釧路に引き返すことにした。帰りの指定席は十分に空いていて、指定席券の820円だけでもJR北海道の増収になればいい。帰りは蒸気機関車真後ろの5号車に席を取った。


 DSC_1022
  標茶到着。釧路行きの「しれとこ」とすれ違った。

 DSC_1023
  SL冬の湿原号

 CSC_1029
  一旦釧路方へ引き上げ、先頭の機関車を付け替える。

 標茶駅前の喫茶店で熱いコーヒーを飲んだだけで、再び汽車に乗って来た道を引き返す。引き続き辺り一面の冬の釧路湿原。車内は少し空いたが乗客の顔ぶれはほぼ同じで、SLに乗って引き返すだけが目的なんだろう。相変わらず車内の半分近くは中国人だ。塘路で網走行き普通列車と交換のため約10分停車。向こうから反対列車が来ているというのに、中国人が自撮り棒を持って次々と線路に飛び出してくる。これが特急列車なら全員跳ねられてるところなのに、鉄道に対する意識が違うのだろう。再び花咲線と合流し釧路川を渡って15時35分釧路着。往復3時間のSLで行く冬の釧路湿原の旅が終わった。

 DSC_0010
  帰りは機関車を後ろ向きに連結する。

 DSC_0005
  釧路に向けてラストスパート。

 DSC_0018
  そしてまた釧網本線へ。「ルパン号」と再会。

 折り返し三度釧網本線を往く。釧路16時05分発の網走行き普通列車はキハ54系単行。そしてまさかの「ルパン号」だった。今朝方乗った列車が折り返して根室方面へ向かったとばかり思っていたのに、私がSLに乗っていた間ずっと釧路駅に待機していたことになる。いや、ルパン三世は変装の名人だ。この列車は・・・バカモン!そいつがルパンだ!

 用務客や帰宅客で発車間際に全ての座席が埋まる。釧路川を三度渡ってまた湿原の中を往く。車掌さんの観光案内もなく、キハ54が黙ってジョイント音を響かせながら夕暮れの湿原を往く。本日は節分だが道東の日暮れは早い。橙みたいな大きな太陽が同じ速度で付いてくる。か弱く白と黄土色の大地を照らす。日は暮れてしまったが釧路湿原駅から観光客の一団が乗ってきた。釧路川にはこの寒い中カヌーの姿があった。茅沼の駅前で白いタンチョウが二羽現れ、車内からわっと歓声が上がる。

 CSC_0024
  夕暮れ時の釧路湿原を往く。

 DSC_0025
  釧路川の向こうに雌阿寒岳と雄阿寒岳が見える。
 
 DSC_0028
  川湯温泉駅に木彫りの熊がお出迎え。

 標茶でようやく車内が空いた。日はどっぷりと暮れてしまい、後は今夜の宿である途中の川湯温泉へ向かうだけ。今日は急遽旅行プランを練り直すことになったが川湯温泉に泊まることだけは決めていた。ネットの平日限定直前割で、今夜は3500円で露天風呂付きの温泉旅館に泊まることになっている。17時38分川湯温泉着。地方のローカル列車なのに英語の車内放送がある。駅前に温泉街行きのバスが待機していてアクセスも極めてスムーズだ。そして道東の内陸部は日が暮れると猛烈に寒くなる。アメダスに依ると今の気温は-15℃らしい。バスは10分ほど走って川湯温泉街に到着した。

 川湯温泉に来るのは始めてだ。硫黄の香りと湯気が上がる、なかなか小粋な温泉街だ。気温は低いが風がないのと湯気のせいで暖かく感じる。予約した温泉旅館に投宿し早速露天風呂へと向かう。今夜は大浴場も露天風呂も貸切だ。部屋もきれいで、3500円でここまで良くしてくれるなんて前世でどれだけ善行を積んだんだとまで思ってしまう。温泉で十分体を温めた後で私は温泉街へと繰り出した。居酒屋でザンギとサッポロクラシックを頂き、お腹いっぱいほろ酔い気分で店を出た。夜になって急に冷え込み吐く息が白い。温泉街を歩いていると神社の境内にスノーキャンドルやアイスキャンドルが並べられ、幻想的な光景が広がっていた。投光器の下でキラキラと光り舞い落ちる物体、これがあのダイヤモンドダストらしい。今夜のように冷え込み風のない夜は、空気中の水蒸気が凍りつき神秘的な光景を作り出す。そして夜空には満点の星空。オリオンと冬の大三角がきれいに見えている。真冬の境内にしばし佇み、凛として輝く星空を眺めていた。

 DSC_0034
   凍てつく真冬の川湯温泉、キャンドルライトが灯る。

バニラエアひがし北海道フリーパスで行く道東の旅~2日目

 札幌7時00分発の釧路行き特急スーパーおおぞら1号は283系6両編成。最後尾の6号車自由席車は空いていた。札幌発の時点で1両に5~6人、平日木曜日の朝一番ならこんなものなのかもしれない。
 
 DSC_0959
  札幌駅で発車を待つFURICO283。

 DSC_0960
  閑散期の平日だからか、乗客は少なかった。

 今朝は6時に起きて6時半に北18条のホテルを出た。今日は歩いて札幌に向かう。ここで7時21分発の「オホーツク1号」に乗って時計回りに道東を攻めようかなとも思ったが、当初の予定通り「スーパーおおぞら1号」に乗った。苗穂運転所を見ながら函館本線と別れる。
市街は雪は降っていなかったが暫くしてまた吹雪き出した。南千歳で千歳線と別れて石勝線に入る。朝の早さで眠気が出たので、ここで少しだけ寝た。目が覚めると列車は石勝線の高架区間を走っていた。途中区間で除雪作業を行っていたらしく、トマム着は約12分遅れの8時45分頃になるらしい。そしてその後も断続的に15分の前後の遅れが見込まれるというが、今回は別に急ぐ旅ではないので多少の遅れは気にしないことにする。駅周辺に星野のリゾート施設が建ち並ぶトマムで観光客らが中国語を話しながら乗ってきた。春節休みも終わっただろうに、私が言うのも何だが、良い御身分だと思う。そして今日から3日間私は道内の各地で彼らを見掛けることになる。


 一面の雪景色の中を列車は行く。帯広でややまとまった乗車があったが自由席車はそこまで混んでいない。冬の道内の特急列車にしては珍しい。道東の雪原をひた走り、右手に太平洋の水平線が広がると終点の釧路は近い。空も何時の間にか晴れていた。しかし私はここで次に乗る花咲線の快速列車が運休するということを知る。しかし先を急ぐ旅ではないし、まあなんとかなるだろう。根室方面へ向かう乗客は釧路駅で駅係員に申し出るよう放送があった。終点の釧路には13分遅れの11時13分に到着した。
 
 DSC_0961
  ラストスパートは太平洋を臨んで。

 DSC_0966
  釧路に到着。2番線の快速「ノサップ」は急遽厚岸行きに変更。
 
 駅で集めた情報によると花咲線は雪害のため厚岸~根室間で列車の運転を見合わせていて、釧路11時13分発の根室行き快速「ノサップ」は途中の厚岸止まりとなるらしい。厚岸以降に向かう乗客は駅係員に申し出よとのことで、釧路駅の改札脇に5人の乗客が集められた。根室へ商談に向かうというビジネスマン二人組と、同じく仕事で根室へ向かう男性、茶内まで行くというお母さん、私。この5名はJRがチャーターしたタクシー2台に分かれて根室駅へ向かうことになった。急ぐ旅でもないし、ここは素直にドライブを楽しもうと思う。私は根室へ向かう男性、お母さんとパーティーを組み、タクシーの助手席に座った。ここから根室駅まで約2時間のドライブだ。なお個人でタクシーをチャーターするとタクシー代は約3万円とのことだった。

 DSC_1013
  空はこんなに青いのに。

 タクシーは釧路の市街を抜け、暫く花咲線に沿って走る。ちょうど乗る予定だった快速「ノサップ」がゆっくりとタクシーを追い抜いていった。先程から急ぐ旅ではないと言っているが一つ懸念材料があって、根室駅から納沙布岬へ向かうバスが13時45分発で、今から根室まで2時間10分以内に着かないとバスに乗ることが出来ない。さすがに運転手さんに急いでとは言えないので、ここはプロのドライバーに全てを委ねようと思う。次の手はバスに間に合わなかった時に考えれば良いのだ。釧路から根室まで一直線に伸びる国道44号線。根室まで100kmの標識が見えた。タクシーが時速60~70kmで走っているとして、ギリギリで間に合う計算だ。運転手さんはがっちりとハンドルを握って仕事に集中している。ここは全てを任せよう。右手に厚岸湾が見えた。厚岸の駅前を「ノサップ」の時刻から15分遅れで通過する。時刻表上の「ノサップ」根室到着は13時22分なので、ここはギリギリ間に合う計算だ。しばらく花咲線の線路と並走する。両側は一面の針葉樹。あとは標識で根室までの距離と現在の時刻を確認する。ふと根室交通の釧路行きバス特急「ねむろ号」とすれ違った。

 後部座席のお母さんが降りる茶内駅が近づいてきた。お母さんが「国道沿いのセイコーマートの前で降ろして貰えますか?」と訪ねたが、運転手さんは「茶内駅まで行きます」と応えた。あくまで乗客は私達ではなくJR北海道ということなのか。茶内駅がある浜中町は『ルパン三世』で知られる漫画家「モンキー・パンチ」氏の故郷で、駅前にもルパン三世の看板が立っている。12時40分、茶内着。鉄道より22分も遅れていて、これでは根室駅到着はギリギリだ。運転手さんが「お手洗いは大丈夫ですか?」と聞いてきたが生憎そんな余裕はない。国道44号線に戻り、あとは根室まで一直線だ。雪に包まれた根釧平野の一本道をタクシーが走る。この先花咲線の線路は太平洋側にぐっと迫り出し、根室の市街では右からぐるっと回り込むかたちで終着駅に入る。一方国道はこの区間を一直線にショートカットしており、これは普通に間に合うかもしれない。道路標識の距離、タクシーのスピードメーターと現在時刻を交互ににらめっこする。タクシーは根室の市街に入った。時計は10分前の13時35分、懸念は渋滞と信号機だが道路は極めてスムーズだ。あと5分。前方に根室駅右折の標識が見えた。この信号に掛からなければ13時45分発のバスに間に合う。タクシーは駅前広場に入り駅舎の前に停車した。間に合った!

 DSC_0969
  思いがけず2時間のドライブ。お世話になったタクシー。

 DSC_0971
  岬へ向かう路線バス。

 根室駅前13時45分発の納沙布岬行きの路線バスに乗る。乗客は私一人。窓口で往復切符を買うと1割引きだった。待合室ではお婆さんが午睡中。売店は体調不良につき休業の札を掲げて店仕舞いしている。お昼の食糧を何処かで買いたいが、生憎と北海道最果ての街にそんなものはなかった。バスは根室の市街で老人を二人乗せ、一人は町外れで、そしてもう一人は歯舞という集落で降りていった。後はさいはての岬へ続く一本道をひたすら走る。外は晴れているが風が強く、防雪柵の真下から時折白い吹雪が吹き付ける。沿道の交通安全の幟も風を受けて大きくはためいている。20年も前になろうか、始めて納沙布岬へ来た時は夏で、辺り一面の霧の中「四島を返せ!」の看板が道路沿いのあちこちに立っていた。当時は銃を持ったソ連兵が四島を踏みつける棘々しい看板だったが、今はアザラシのイラストが描かれた真新しい看板に入れ替わっている。根室半島のさいはて珸瑤瑁(ごようまい)の集落を過ぎ、14時29分、バスは納沙布岬のバス停に到着した。

 DSC_0975
  ローカルバスはさいはてを目指す。

 バスを降りるともの凄い強風が吹き付けてきた。言うまでもないが、今この最果ての岬に居るのは私一人である。後は岬の資料館の職員が数名だけ。バス停に併設された資料館で暖を取りつつ北方領土の歴史や史料を見させてもらった。珸瑤瑁(ごようまい)水道を挟んで目の前に横たわる島、それぞれ水晶島(すいしょうじま)、勇留島(ゆりとう)、秋勇留島(あきゆりとう)というらしい。その手前ここから僅か3.7kmの場所に古ぼけた灯台が肉眼でも見える。これが根室半島に一番近い北方領土の貝殻島(かいがらじま)。

 DSC_0983
  やって来た!本土最東端、納沙布岬。

 DSC_0989
  珸瑤瑁水道を挟んで秋勇留島。

 DSC_0984
  国後の島影。

 これら歯舞群島と色丹島は地政学的に根室半島の延長線上にある。戦前は人が住み漁業を営んでいたと言うが、今は国境を守る兵士以外に住人は居ない。帰りのバスは今から2時間半後の午後5時。資料館で小一時間にもわたる史料映像を見た後でも時間はたっぷりある。強風の中コートのフードをしっかり被り、お隣の北方館・望郷の家へ移動する。夏季は土産物屋や食堂も店を開けるそうだがこの天気ではどこもやっていない。

 北方館には北方領土を臨む展望台があり、無料の望遠鏡で北方領土を視察することが出来る。3.7km先にある貝殻島の灯台が肉眼でもくっきり見える。この灯台は戦前に日本が建てたものらしい。望遠鏡で真向かいの水晶島を覗けば国境警備隊の建物や、ロシアが実効支配を正当化するために建てた正教会の教会が確認できた。こんなに近くにある島なのに決して行くことが出来ない。資料館を出るとまた強風が吹き付けてくる。四島の架け橋モニュメントの向こうには国後島の山々がうっすらと見えている。凍てつく寒さと強風の中、頑張って納沙布岬の灯台まで行ってみた。一歩一歩足を踏みしめ、雪に足を取られて転ばないように。岬の白い灯台。裏手に回ると正しくそこがニッポンの最果てだった。

 DSC_0987
  これ以上は行けない、此処がニッポンのさいはて

 北方四島を巡る歴史は十分に学び知ることが出来たが、戦争に負けて取られた島を取り返すなんて、またロシアと戦争やって勝つしか方法が無いじゃないか。かつてソ連が我が国にしたように、今現在島に住んでいるロシア人を全員追い出して、また札幌や東京から人を移住させれば良いのだろうか。辺り一面は白と灰色の世界、この岬には私一人しか居ない。もの凄い風と波の音、もうこの先には絶対に進めない。ニッポンの最果てに私一人。そしてこの先は、私の行けないニッポン。

 DSC_0997
  誰もいない岬の先端。ニッポンで一番早い夕日が沈む。

 DSC_1000
  根室駅へ戻ります。

 日がどっぷりと暮れた納沙布岬から根室行きのバスで引き返す。帰りのバスも私一人。根室の市街に入ってようやく乗客が一人乗ってきた。一応帰りの列車は19時00分発の釧路行きだがまあ走ってはくれないだろう。根室駅に着くと案の定ホワイトボードに全列車終日運休と書かれていた。詰所の駅職員が明日の始発も走らないと言っている。まあ今回は急ぐ旅じゃない。このまま根室に泊まればいいだけだ。市内の宿数軒に電話して駅近く一泊5千円の宿に決めた。昨日の宿より1500円も高い割には、極めて貧相なホテルだった。

バニラエアひがし北海道フリーパスで行く道東の旅~1日目

 凄い拍子だが、昨夜急に北海道の流氷を見たくなって、そのまま往復のLCCをポチってしまった。

 DSC_0075
  オホーツクの海と流氷(イメージ)

 今日の午後に成田を発って、土曜日の深夜に成田に帰ってくることにした。このように私は勢いだけで行動することがある。後のことは考えていないが、長い人生たかが4日くらい行方をくらましても問題はないだろう。それに旅は空いてる時期の方がいい。ゴールデンウィークや三連休に出掛けるなぞまっぴら御免である。

 それに一人になりたい。私の旅行はたいてい誰かと行くか、誰かに会いに行くかの二択なので、日帰りならまだしも、いってきますからただいままでずっと一人の旅行は稀である。そもそも今はそういう気分なのだ。冬の北海道は何処に行ってもとにかく人の気配がない。エゾジカとキツネの楽園になる。そんな中に私だけで一人ぼっちになりたい。

 SNSの世の中。常に誰かと繋がっていて一人になれる機会は無い。東京で暮らしていれば尚更だ。たまにはこうして一人になることで、自分自身を見つめ直すことも人生に於いて大切だろう。一応スマホは持っていくがSNSは極力開かなければいい。だが我慢するのは逆効果なので、アプリは消さずに留めておく。要するに、冬の北海道へ心の再起動ボタンを押しに行くのだ。 家でゴロゴロしていたい気持ちもあったが、自宅のPCの前に座っていても何も変わらない。行かずに後悔するより行って後悔。時間もお金も十分あるではないか。それに、汽車の切符と違ってLCCはキャンセルできない。今回は自分で自分に冬の北海道に行くという縛りをかけたのだ。こうでもしないと私は動かないから。

 こうして2月1日木曜日の昼前、私は手ぶらで家を出た。4日程度の逃避行に荷物なんて要らない。持っていくのは財布とスマホと愛用のカメラくらいだ。自宅の前がバス停で、ちょうどバスがやって来たので乗った。いつもの営団ではなくE電の駅まで出る。京成電車に乗り換えまずは成田空港へ向かう。やって来た電車は途中の京成佐倉行きだがこれに乗った。ガラガラのロングシートの端っこに座ってじっとしておく。どう考えてもこれから北海道の最果てへ行く格好ではない。

 京成佐倉でしばらく待つと成田空港行きの電車がやってきた。こちらは大型スーツケースを従えた乗客もちらほら居て、「非日常」の空気がある。これから乗るのは成田空港を13時50分に発つバニラエアJW917便で、新千歳空港に15時35分に着く。電車は12時半位に空港第2ターミナル駅に到着した。ここから先は人の流れについていけば勝手に第3ターミナルに着く。LCCにはまだ慣れてないので、こういう時は周りに合わせておくのが私の処世術だ。連絡バスに乗って無機質な空港の構内を往く。解らなければそこら辺の係員に聞けばいい。LCCは何かと面倒くさいイメージが合ったが手ぶらで乗る分にはシンプルだ。自宅のプリンタで印刷した用紙を持って、30分前に保安検査場へ行くだけでよい。検査場の手前にはレストランやコンビニや書店が連なっている。殺風景な第3ターミナルでここだけが賑やかだ。お昼だが食欲がないので御飯は向こうで食べよう。ふらっと入った書店で冬の北海道のガイドブックを購入した。今回の旅行はあまりに突発的で、旅程どころか何処に行くかも全く決めていない。この本は機内で読むことにする。バイブルは札幌駅のキオスクで道内時刻表を変えばよい。

 DSC_0954
  とりあえず、まず飛行機に乗ろう。

 こうして13時50分、JW917便は成田空港を出発し北海道へと向かった。成田は晴れていたが飛行機はすぐに雲の中に入ってしまった。機内には中国の観光客が多く、私の隣にも中国人の夫婦が座った。隣の夫は機内が空いていると見るや他の席に勝手に移ってしまった。ただでさえ狭い機内だ。その方がお互いのためだろう。前方の席で中国人の子供が騒いでいる。よくある光景だ。

 DSC_0955
  あっという間に北海道

 機内で読むつもりで購入したガイドブックはほとんど読めなかった。慣れない飛行機で心がしんどく、結局機内では雲の中でじっとしていた。次に陸地が見えたときは一面の雪景色で、しかも強く吹雪いている。それでも新千歳空港にはほぼ定刻に到着した。ここからノープランの冬の北海道逃避行がはじまる。まず駅のみどりの窓口で「バニラエアひがし北海道フリーパス」を購入した。新千歳空港発「札幌、小樽、旭川と石北本線、釧網本線、根室本線、石勝線の内側」が今日から5日間乗り放題で、自分で言うのも何だが、私がフリーきっぷを持てば鬼に金棒だ。新千歳空港駅からはまっすぐエアポート号に乗った。外は強く吹雪いている。もちろん傘は持ってないが車内の誰も傘を持っていない。冬の北海道ではそういうのが普通らしい。車窓に建物が増えてきて、札幌都市圏に入った。

 DSC_0957
  札幌は午後の5時。

 札幌駅、外は猛吹雪である。時刻は午後5時を過ぎ、そろそろ帰宅ラッシュが始まる。正直今夜の予定は何も決めていない。まだこの時間なら網走行きや釧路行きの特急もあるが乗らないことにした。晩御飯はススキノや狸小路まで行く気力がなかったので、札駅近くの二郎に行った。店内は空いていた。

 猛吹雪の中を歩くだけでこころがしんどい。北海道に来た途端に活動限界だ。時刻はまだ午後の6時だが、札幌駅近くのビジネスホテルを片っ端から探して、北18条に3500円のホテルを見つけた。札駅からも歩けない距離ではないが猛吹雪なので二駅だけ地下鉄を利用する。3500円の割に客室は広く清潔で、これは自宅のようにくつろげる。ここに来てようやく旅行してるんだなという実感が出てきた。デスクに冬の北海道ガイドブックと道内時刻表を広げて、明日から3日間の行程を制作した。1日目は最果ての根室まで行って納沙布岬。2日目は釧網本線沿いの摩周湖と屈斜路湖を見て川湯温泉に泊まる。そして3日目は網走で流氷。恐らく行く先々で破綻すると思うが、それもまた旅の楽しみだ。

 とにかく、こうなってしまった以上は、4日間の逃避行で心の再起動ボタンを押し、新たな気持で東京に戻って新たな人生を歩みたい。そのための4日間だ。今夜はその1日目としてここ札幌のホテルで心を休めたい。人生数万回の夜のたった一夜なんだからこういう過ごし方もありだろう。外は猛吹雪。客室の暖房を全開にして寒さに備える。毎週楽しみにしている刑事ドラマを見つつ、明日からの旅行のことや、心に浮かんでいくよしなき事を色々と考えつつ、冬の北海道のホテルの一室で非日常の夜を過ごした。明日は札幌7時発朝一番の特急列車に乗る。

 DSC_0094
   では、4日間の冬の北海道逃避行が、はじまります。

人生二度目の熊野詣に至るまでの過程

 大阪で過ごしているうちに急に熊野詣に行きたくなった。和歌山県の紀伊半島の果て、田辺市本宮町の熊野本宮大社、新宮市の熊野速玉大社、那智勝浦町の熊野那智大社を参詣することをいう。

 熊野とは隈(奥まって薄暗い処)を意味し、紀伊半島の奥の山の中、森の中をいう。交通が発達した現在でも彼の地へ行くには半日かかる。大昔はそれこそこの世の果てであっただろう。だからこそ人は彼の地に神秘性を感じ、遠い昔は神話の、古くは密教の地として信仰を集めていた。末法思想が蔓延った院政期には上皇や女院が挙って熊野へ参詣したという。

 現在、熊野三山を含む紀伊山地の霊場と参詣道はユネスコの世界遺産に登録されている。国内での知名度は勿論、近年のインバウンドを受けて関西国際空港に程近い彼の地は国外からの観光客も多いという。もう十数年も訪れていない彼の地がどう変化したかもこの目で見てみたい。

 そして今の世の中も完全にブラックボックスだ。四六時中情報が洪水のように流れてくる。社会の仕組みがもの凄い勢いで変わっていく。生きているだけでも疲れるのに出来事の因果関係はどんどん複雑になっていく。一時の現実逃避で東京を離れ大阪の実家で過ごしている自分も、今こそ熊野へ行くべきではないか。九州から東京へ戻る乗車券を無理やり「方向変更」し、紀伊半島を時計回りにぐるっと回ってまた大阪に戻るルートに変更してしまった。こうして紀勢東線の始発駅、亀山にやってきた。 
 
 DSC_0811
 亀山駅で発車を待つ紀勢東線キハ25系。

 かつての熊野詣は京から紀伊田辺へ向かい、そこから山へ入り本宮を目指したという。現在その道は熊野古道として世界遺産に登録されている。だが私の熊野詣はそこまで厳格ではないので、行きは亀山から紀勢本線で紀伊半島の東側を回って新宮へ向かい、帰りは西側を回って天王寺へ戻る。方向変更してもらった乗車券にもその経路が書かれている。亀山12時16分発の多気行き普通列車はキハ25系2両編成。平日昼下がりの車内はガラガラで、ロングシートと大きな窓は解放感にあふれている。途中の多気駅で乗り換えがあるが、今日はこの車両で熊野詣の玄関口、新宮駅まで向かう。ロングシートの中間に座ると向かいの窓はあたかも巨大なスクリーンだ。加太峠は雪景色だったがここには黄土色の光景が流れていく。一身田で半ドン帰りの学生が大量に乗り込み、津、松坂辺りは地元客で混雑した。

 多気で13時16分発の新宮行き普通列車に乗り換える。こちらもキハ25系2両編成。こちらは用務客が一両に数人だけ。これから志摩半島の付け根を越えて紀伊の国に入る。新型気動車は軽快なエンジン音を奏でながら国境の峠を易々と越えていく。旧式気動車キハ40やキハ11をミャンマーに追い払い、JR東海非電化区間の雄になりつつある。大きな窓に流れる茶畑やみかん畑が次々に映し出される。峠のサミットをトンネルで抜け、列車はヘアピンカーブを描きながら紀伊長島駅の構内に滑り込む。目の前の窓に海が映った。

 DSC_0819
 三津野駅で上り普通列車と交換。

 DSC_0821
 尾鷲で特急「ワイドビュー南紀5号」に先を譲る。自由席は空いていた。
 
 今回の熊野詣にはもう一つの理由がある。それは若い頃の自分に会いに行くということ。大阪時代の15年以上も前に私は熊野三山を訪れており、熊野本宮大社は本宮町を仕事で訪れた際に参拝した。写真などは記録していないが当時の記憶はかすかに残っている。その際に湯の峰温泉という近場の温泉街に2~3日ほど宿泊した。温泉街と言っても相当鄙びており、ボロい民宿に相部屋で宿泊した記憶がある。今夜はその温泉街に宿を取っている。さすがに15年前に宿泊した民宿の名までは記憶にないが、訪れれば当時の記憶が蘇るであろう。キハ25の大きな窓には熊野灘の大海原が広がっている。車両こそロングシートの新型気動車に変わったが、この海はあの日キハ58から見た海と変わらない。停車する海沿いの小駅も当時のままだ。年を重ねると旅が若い頃の自分に会いに行くものになる。
 
 背後には紀伊山地、そしての目の前には熊野灘。新宮行きの普通列車は数少ない乗客を乗せて紀勢東線をゆっくり走る。三津野で対向列車と交換のためしばらく停車。昼下がりの陽気に誘われ列車を降りると暖かい空気に包まれた。15時30分着の尾鷲で特急「ワイドビュー南紀5号」に先を譲るため21分間も停車する。ここは熊野地方最大の街で買い物帰りのお母さんたちが大量に乗ってきた。どのお母さんもスーパーの袋に食料品や日良品を大量に詰め込んでいる。数少ない普通列車に乗って街へ行き、スーパーで数日分の買い物を済ませて帰宅するのが日常なんだろう。

 尾鷲から熊野市の間は戦後に建設された新線区間を往く。リアス半島の付け根をトンネルで抜け、駅前に漁港と海が見える。あの三陸鉄道の景色と全く同じだ。駅毎にスーパーの袋を持ったお母さんたちが降りていく。九鬼駅からは水軍の歴史が感じられる。新鹿の駅前には白亜の砂浜が広がっている。大泊の港は来るべき南海トラフ大津波に備えた巨大な堤防に覆われていた。だが幾ら減災に努めても大津波は近いうちに必ずやってくる。今こうして紀勢本線の車窓に移る光景も、次に見るときは一面の瓦礫の山になっているかもしれない。各駅のホームにも津波避難経路の物々しい表示板が建っている。

 熊野市から先の線路は海岸線に沿っているが国道と防風林で海は見えない。この区間は下校の高校生で混雑した。

 DSC_0832
 人一人いない、真冬の新鹿海水浴場。

 DSC_0828
 大津波は必ずやってくる。この通りの光景が見られるのは今日が最後かもしれない。

 進行方向に熊野川の大鉄橋が見えてきた。川を渡れば和歌山県で、この先はいよいよ浄土の地だ。かつての熊野詣では道中の冨田川を渡ることを、三途の川に見立てて儀礼的な死を表していた。川の流れは強力な浄化力を持ち罪業を拭い去る。今から列車で熊野川を渡ることで、私の熊野詣のはじめの第一歩としたい。真冬のか弱い夕光が熊野川の川面に落ちる。17時04分新宮着。

 DSC_0835
 紀勢東線の終着駅、そして紀勢西線の始発駅、新宮に到着。 
 
 新宮から熊野交通のバスで本宮へ向かう。どっぷりと日が暮れた本宮大社前のバス停でバスを乗り継ぎ、湯の峰温泉には19時過ぎに到着した。日はとうに暮れているが硫黄の香りが鼻を突く温泉街。15年前の記憶が一瞬で蘇った。今夜は温泉街の中心にある旅館「伊せや」に泊まる。 安永元(1772)年開業の旅館は小奇麗にリニューアルされ、ロビーでは欧州からのカップルがタブレットを片手に談笑している。店主によるとここ数年海外からの観光客が急激に増加し、同じく古道と巡礼の文化を持つスペインからの観光客が多いらしい。閑散期の平日とあって宿はガラガラで静かな一夜をおくれそうだ。早速部屋に荷物を置いて温泉に入る。温泉は命の源。そして湯上りでの食事。旅先での贅沢な時間を過ごさせてもらった。 

エヴァ新幹線(500TYPE EVA)に乗って使徒と戦ってきた

  
 キャプチャ

 サードインパクト後の混沌とした世界を象徴するかの如く登場した、エヴァ新幹線こと5000TYPE EVA。原作のアニメは公開から20年を経過した現在でも今だ人気衰えず、エヴァ新幹線も来年度へ引き続いての運転が決定したようだ。大九州合同祭から一夜明けた1月16日月曜日、上りの「こだま730号」を小倉→新大阪間で乗車してきた。一日一往復の500TYPE EVAは上りが小倉発が6時54分と早朝で、しかも昨夜は博多で三次会まで呑んでいたのだが、今朝はしっかり早起きして、夜明け前の小倉駅へと向かうことができた。

 CSC_0748
 小倉駅へ入線する「こだま730号」
 
 山陽新幹線の「こだま」として活躍する8両編成の500系。その一編成をアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』に登場するエヴァンゲリオン初号機をイメージしたカラーリングに変更し、その博多寄り2号車が500TYPE EVA特別内装車、最後尾の1号車が展示ルームと実物大コックピットに改造されている。そして今からその実物大コックピットに搭乗してくる。こちらは博多~新大阪間の区間を区切って1組が搭乗可能で、今回私達は二番手の小倉~厚狭間で搭乗することとなった。こちらの体験は事前申し込みの抽選制だが、平日の朝7時からエヴァに乗りたい人もそう多くはなかったようで、無事当選し搭乗できる運びと相成った。

 DSC_0710
 エヴァ初号機に搭乗、20年越しの夢が叶いました。

 
小倉~厚狭間の走行時間は約20分。その間に二人交代でエヴァを操縦する訳で、実際にコックピットに搭乗できるのは10分くらい。原作のエヴァ初号機は5分間しか起動しないので、そんなものなのかもしれない。オペレーターのお姉さん二人(ミサトさんと冬月博士のイメイジ?)に案内され、靴を脱いでコクピットへ。目標はアニメ版第一話と同じく第三使徒サキエルを倒すこと。まずはエヴァとシンクロし、使徒を攻撃しつつATフィールドをこじ開け殲滅させる。至ってシンプルだがここは20年来の夢が叶ったということで。交代でコックピットに搭乗した相方も私と同じエヴァ世代ということで楽しんでいた。もう少し時間があればシンジ君の如く「逃げちゃだめだ!」をやりたかったのだが、あまり居座ると次の区間の方に迷惑がかかるので。

 DSC_0703
  エヴァ初号機覚醒、ATフィールドを突破。

 
DSC_0735
  第3使徒サキエルを撃破。

 
1号車のもう半室はエヴァ新幹線展示ルームとなり、エヴァと新幹線車両を絡めたジオラマやパネルが展示されている。こちらは誰でも入場できるので朝から記念写真を撮る人も多い。原作『新世紀エヴァンゲリオン』の放映はもう20年も前。近未来の2015年を舞台にはじめは純粋なロボット戦隊アニメと思いきや、中盤から哲学的かつ抽象的な展開を見せ始め、最後の2話は思いっきり作画崩壊を起こし強引なハッピーエンド。それでも当時の世間や後世の作品に大きな影響を与えたコンテンツになりえたと思う。周囲は「難解すぎて意味が解らなかった」と言っていたが、私は主人公の碇シンジくんの「逃げちゃだめだ!」のせいで、以降の少年、青年時代にどれだけ自分を追い詰めて苦しめたかわからない。死んじゃうくらいなら何もかも放り投げて逃げていいって気づくのに15年もかかったよ!

 DSC_0737
 エヴァ初号機の向こうにカヲル君。エヴァ新幹線の車内放送は彼(CV.石田彰)が担当しています。

 この週末日本列島は大寒波に見舞われ、今日も東海道・山陽新幹線のダイヤが始発から乱れまくっているとのこと。九州は雪はなかったが山陽に入ると線路際に積雪が目立ち始め、瞬く間に猛吹雪に。「こだま730号」は各駅で後続の「ひかり」「のぞみ」に先を譲る旅路となるため、後続の新幹線が遅れれば「こだま730号」もその分待たなければならない。各駅での停車時間も徐々に伸び始め、東広島駅では遂に暫く抑止となってしまった。どうせならこの区間でコックピット搭乗乗車に申し込めば、その分長く居られたのに。

 DSC_0750
 エヴァ新幹線、雪で止まる(東広島駅)

 DSC_0762
  500TYPE EVAといえども、後続の700やN700に先を譲る。

 DSC_0778
 デッキはまるでエヴァの格納庫だ。

 DSC_0766
 碇指令が手を組んで座ってそうな車内。

 DSC_0764
 1995年原作のアニメでは、タバコを吸う女性も珍しくなかったのだろう。

 自由席の2号車は特別内装車となっており、座席や通路、デッキまでもがNERV仕様に描かれ、喫煙室では加持さんとリツコさんが紫煙を燻らせている。全車両を見渡してみましたが平日午前の「こだま」とあって乗車率は高くない。「こだま730号」は20分程度東広島駅で抑止した後運転を再開し、次の三原から先は一気に雪がなくなりダイヤもなるべく平常に戻すとのこと。でもこれにより各駅での停車時間が全く読めなくなった。実は今朝が早かったので朝御飯を食べてなく、各駅での停車時間中に売店へ駆け込む予定にしていた。だがこのダイヤ乱れでその余裕がなくなり、「こだま」には車内販売も無い。結局飲まず食わずで4時間半、終点の新大阪駅まで耐えなければならないようだ。

 eva
 この姿、まさにエヴァンゲリオン初号機。(西明石駅)
 
 DSC_0788
 斬新な流線型デザインで最高速度285キロを達成するも、現在は「こだま」として身を持て余す。

  DSC_0791
 新幹線はニッポンの大動脈だ。

 先程の吹雪が嘘のように晴れの国こと岡山は快晴。ここから山陽新幹線は赤穂線の線路に沿い、短いトンネルを次々に抜けて播磨の国へ。姫路ではビル群の向こうに大改修を終えた姫路城が青空に輝いていた。西明石の先で神戸トンネルに入り、これまた全長16250m、かつては我が国一のトンネルとして名を馳せた六甲トンネルとの間に位置する新神戸駅に到着。名残惜しいが500TYPE EVAの旅もあと一駅となった。大阪の市街に入り、「残酷な天使のテーゼ」のチャイムと聞きなれたカヲル君の車内放送で、500TYPE EVAの旅が締めくくられる。最後はほぼ定刻通りに新大阪着。列車はそのまま折り返し11時32分発の「こだま741号」となり博多へ向かう。20番線のホームにはエヴァ新幹線を一目見ようと多数のギャラリーが集まり、出張と思しきスーツ姿のおじさんも思わずスマホを向ける。若いお父さんに連れられたちみっこが先頭車両で写真を撮ってもらっている。500TYPE EVAの旅が、再び始まろうとしている。

バースデイきっぷで巡る四国~2日目

 松山駅前の安宿で目覚めると雨が降っていた。西予地方の冬は伊予灘を通る季節風の影響で、雨や雪が降る日が多い。昨日嘉島氏から言われたことを思い出した。生憎と傘は持ってこなかったが、身支度を整え松山駅へ向かう。

 DSC_0336
  師走の四国の夜明けは遅い。6時でも空は真っ暗だ。

 DSC_0337
  「しおかぜ6号の半室グリーン車。言うまでもなく貸切」

 今日はこれから多度津から土讃本線に入り、後免から室戸岬をぐるっと回って高松まで行く。松山6時13分発の高松・岡山行き特急「しおかぜ6号」は8000系8両編成。前の2両が高松行き、後ろの6両が岡山行きで、途中の宇多津で切り離される。グリーン車は最後尾1号車の半分で、言うまでもないが貸切だった。

 夜明け前の松山駅を発車する。雨がどんどん強くなりグリーン車の窓ガラスにも水滴が滴るが、スマホアプリの天気予報によるとこれから向かう土佐地方は晴れの予報が出ている。雨雲レーダーを見ても雨が降っているのは燧灘周辺だけだ。今治でようやく東の空が白みだした。山の上にお城が建っている。新居浜で「いしずち103号」と交換。予讃本線は単線ながら高松~伊予市間が民営化後に電化され、新型振り子特急の導入や路線の一線スルー化等で高速化を図っている。松山~高松間194.6kmの所要時間も2時間半を切り、ライバルの高速バス「坊っちゃんエクスプレス号」と猛烈な競争を繰り広げている。
 
 7時38分、伊予三島着。ここで上りの高松行き普通列車を追い越し、下りの伊予西条行き普通列車と交換する。どちらも通学生で超満員だ。そしてこの区間「 しおかぜ6号」の自由席には通勤、通学客が乗り込んでいく。四国では50キロまでの自由席特急券が520円、25キロまでだと320円で乗れるため、ホームライナー感覚で特急列車に乗車できる。だが車内の様子は最後尾のグリーン車からは知る由もない。依然雨の止まない車窓。通勤の車列、黄色い傘と帽子がお揃いの小学生の一団、傘を差して自転車を器用に漕ぐ詰襟の中学生。日常の風景のはずなのに、誰も乗ってこないグリーン車から見る景色は非日常のそれだ。

 DSC_0340
  師走の雨の瀬戸内海

 雨に打たれる瀬戸内海を見ながら香川県に入る。鉛色の海の向こうに本州は見えない。8時16分、多度津着。ここで列車を降りる。多度津は予讃本線と土讃本線が別れる四国のジャンクションで、四国の鉄道発祥の地でもある。駅前には8620形機関車の動輪が飾られていた。駅構内には汽車時代の給水塔が残り、その隣に「食堂」と書かれた看板が出ていた。そういえば今朝はまだ朝御飯を食べていない。実はこの食堂、多度津駅で働く鉄道職員のための食堂で、特に部外者が利用しても問題は無さそうだ。暖簾をくぐり、380円の和定食を注文する。店内は時間柄泊まり勤務明けと思しき職員が多い。ご飯と鯖の塩焼きとお豆腐、お味噌汁とお漬物。朝御飯ってのはこういうのでいいんだよこういうので。満足して食堂を出ると雨はすっかり上がっていた。

 DSC_0344
  多度津は鉄道の街。駅前には汽車の動輪が。

 DSC_0343
  駅構内に食堂発見。お邪魔しま~す。

 DSC_0348
  多度津は土讃本線の始発駅です。

 土讃本線、多度津8時50分発の高知行き特急「しまんと5号」は2000系2両編成だった。指定席は前方1号車の1番から7番までの28席。その後ろが自由席で、指定席も自由席も余裕がある。それにしても、四国の大動脈を走る特急列車がたったの2両編成とは。昨日嘉島氏と話したが、四国の特急列車は岡山駅で新幹線と接続してこそ意味があり、四国内の都市間輸送はおおむね高速バスが担っているようだ。嘉島氏は「瀬戸内海と土佐湾の間の石鎚山脈を長大トンネルで貫いてしまえばいい。」と言っていた。スマートフォンで四国の地図を見てみるとそこには高知自動車道が通っており、土讃本線はその脇を渓谷に沿って大きく迂回している。これでは鉄道に勝ち目はない。

 昨日と同じ景色を見る。朝方降った雨が師走の山間に狭霧を掛ける。2000系のコトコトコトと早刻みなジョイント音が足下から伝わってくる。秘境駅坪尻を高速で通過し、阿波池田から吉野川に沿って大歩危、小歩危の渓谷を見る。昨日は無かった車内チャイムが鳴って観光案内があった。ノートパソコンを懸命に叩くビジネスマンも一旦タイプの手を休め、胸元からスマホを取り出し車窓に向ける。同時にあちこちでスマホやタブレットのシャッター音が鳴り出した。とは言ってもこの区間はトンネルが多く、高速で走る特急列車から渓谷美をカメラに収めるのはなかなか困難である。よってここは目に焼き付けておく。

 阿波から土佐に入った。10時29分、後免着。すぐさま跨線橋を渡り、1番線の「ごめん・なはり線」のホームに移動し、10時39分発の奈半利行き普通列車を待つ。ここから土佐湾に面した奈半利町まで42.7kmの区間は第三セクター「土佐くろしお鉄道」として平成14年7月に開業した新線区間で、手持ちのバースデーきっぷでも乗車出来る。バイブル(時刻表)によると次の列車は「オープンデッキ付き車両で運転」とあり、恐らく土佐藩士中岡慎太郎に因んだであろう「しんたろう2号」の列車名も付いている。今日はこの列車に興味を持ち行程に組み込んだ。ホームには郷土が生んだ漫画家、やなせたかし氏のキャラクターが立ち、駅名に因んで「ごめんごめんごめん」となんだか謝っているような詩が書かれてある。後免。恐らく中世か近世に土地に関わる税を免除した実績から付けられた地名だろう。

 DSC_0353
  土佐くろしお鉄道、9640(くろしお)系車輌がやって来た。

 間もなく高知方からやって来た列車は1両編成で、大きなクジラを思わせる車体にやなせたかし氏のイラストが描かれ、車体右方の太平洋側がオープンデッキになっている。単行の車内は満員だがオープンデッキに立つつもりなので問題ない。車内には大学生のサークル旅行なのか、男女15名ほどが大きなトランクを持って乗っている。何名かはデッキに出てきてスマホで写真を撮り出した。

 DSC_0356
  オープンデッキは開放感いっぱい。高架からの眺めが素晴らしい。

 瀬戸内側の伊予は朝から雨空だったが、太平洋側の土佐はよく晴れて風が心地よい。高架橋から眺める太平洋はどこまでも広く穏やかで、一方の内陸には巨大な津波避難シェルターがあちこちに建っている。今から30年以内にほぼ確実に発生するといわれる南海トラフ大地震では15mの津波を想定しているようだ。各駅にはやなせたかし氏のキャラクターと並んで海面からの高さが記入されている。駅は高架上にあるので万一の際はここに逃げてくればよいが、これより高い津波が発生すればなす術もない。今この瞬間に大津波がやってくる可能性も十分にありうるのだ。

 DSC_0365
  太平洋を臨みながら。向こうに室戸岬が見える。

 平成14年開業の新線「ごめん・なはり線」は意外とトンネルが多く、トンネルの中は風が強くて寒い。若者たちも暖房の効いた車内に引っ込んでしまった。安芸から先はビニルハウスが多い。確か「促成栽培」だったか。中学校の社会科の授業を思い出した。太平洋上の太陽は南空高くに輝き、オープンデッキを照らす日差しが心地よい。季節は師走を迎えたが南国土佐は小春日和だ。11時59分奈半利着。

 DSC_0369
  奈半利で線路は途切れる。

 DSC_0371
  バスに乗って室戸岬へ。

 奈半利駅の片面高架ホームの先で線路は途切れているが、ここから先も室戸岬を通って徳島県側の牟岐線と繋げる計画はあったらしい。現在その間を高知東部交通の路線バスが連絡している。12時16分発のバスは途中の室戸岬行きで、平日の昼間とあって地元客で混んでいた。そこにさっきの車内で乗り合わせた大学生の集団が乗ってくる。バスは満員で発車した。バスは海沿いの国道55号線「へんろ道」に沿って走る。室戸の市街で地元客が降車し、岬近くの道の駅で大学生の集団が降車しバスは私一人の貸切となった。運転士さんに「岬の近くで降ろして」と伝える。奈半利駅から1時間弱で室戸岬に到着。ここは何度か来たことがある場所で、目の前には太平洋が広がっている。振り返ると岬の高台の上に白い灯台。次のバスまでは1時間くらい。灯台まで登って戻ってくれば丁度良い頃合いだろう。

 DSC_0373
  室戸岬にやって来た。

 DSC_0379
  丸い水平線に、師走の太陽が輝く。ここは四国の果て。 

 ウバメガシに覆われた遊歩道を歩く。12月だというのに昼下がりの太陽が暑い。今日の最高気温は15℃はあるだろう。息を切らしながら遊歩道を登りきると、目の前に岬の白い灯台が現れた。その向こう、太平洋の大海原が真冬の太陽を受けてきらきらと輝いている。ローカル列車と路線バスを乗り継いで辿り着いた岬の、その果てにある小さな灯台とどこまでも続く海。正にこの風景を見るために旅をしているんだ。

 平成28年師走、土佐室戸岬。ここは四国の果て。

 DSC_0385
  再び、バスに乗って岬を廻る。

 中岡慎太郎の銅像の前のバス停から14時30分発の甲浦行きのバスに乗った。最後部の座席に旅行者が1名のみ。運転士さん脇の最前列特等席に座った。次の室戸岬ホテル前から外国人のグループが乗り込んだ。太平洋に沿って走る。白装束のお遍路さんと時折すれ違う。ふと一人の遍路が手を上げてバスに乗ってきた。方向が逆では?確か四国遍路を反時計に回る「逆打ち」と呼ばれるものもあるそうだが、果たして真相は如何に。

 DSC_0386
  バスに乗ると意地でも特等席を奪取する。

 バスは甲浦の市街に入る。だが鉄道の駅は街外れの内陸にあるようで、一瞬どこに行くんだろうと思ってしまう。相当市街から離れた寂しい場所に突然高架が現れ、単行のディーゼルカーが停まっていた。ここが阿佐海岸鉄道甲浦駅、徳島県側の鉄路の果てである。15時21分着。外国人のグループもここで降りたが、駅へ向かったのは私と、岬に着いたバスに乗っていた旅人だけだった。

 DSC_0387
  徳島側から、鉄路が途切れる場所。

 阿波と土佐を結ぶ意味で、阿佐。徳島県側からも高知を目指して鉄道の建設が進められ、国鉄牟岐線として昭和48年4月に海部まで開通。平成4年3月に阿佐海岸鉄道として高知県に一駅入ったここ甲浦まで開通。ここで鉄路は途切れた。甲浦駅は市街からかなり離れた街外れに建設され、地元の足はもっぱら並行する路線バスである。よって阿佐海岸鉄道の営業係数(100円の営業収入を上げるための営業費用)は916と、全国の鉄道事業者の中で最悪である。

 DSC_0391
  単行のディーゼルカーが客待ち中。

 15時30分発の海部行きは単行。車体に書かれた101の文字は恐らくトップナンバーを表し、平成4年の阿佐海岸鉄道開業時に導入された車輌であろう。開業から四半世紀が経ち車体がかなり草臥れているが、新車を導入する余裕は素人目に見ても無さそうだ。2名の乗客を乗せて発車。高架橋から冬枯れの田畑と、向こうに海と津波避難シェルターが建っている。すぐに徳島県に入り宍喰駅、そしてその次がJR牟岐線の終着駅海部である。僅か11分の鉄路。降車時にワンマンカーの運賃箱に270円を支払った。この区間もバースデーきっぷで乗れそうなものだが、何故か阿佐海岸鉄道は含まれていない。

 DSC_0395
  ふたたび、バースデイきっぷの旅の始まり。

 駅名標がJR四国のブルーに変わった。海部15時47分発の徳島行きは1200系単行。次の阿波海南から下校の高校生がどっと乗り込んだ。こちらも各駅に海面からの高さが書いてある。駅は市街を避けて高架で建設されているので避難時の目安にはなるが、先の震災と同じく津波は人間には予測できない。リアス半島の付け根を小さなトンネルで抜ける。三陸鉄道の車窓に似ていると思う。16時01分、牟岐着。列車は徳島まで直通するが一本後に当駅始発の特急列車があり、そちらの方が徳島に早く着く。こちらは無敵のバースデーきっぷを持ってるんだ。乗らない手はない。牟岐駅は昭和48年3月まで牟岐線の終着駅で、駅舎も構内も風情がある。窓口で16時44分発の特急「むろと6号」の指定席券を求めると、駅員さんはどこかに電話をかけて「1号車15番アメリカ!」と口頭で確認し、機械で指定席券を発券した。まだこういうシステムが残っていたのか。

 DSC_0403
  なんとなく終着駅の匂いがする。

 DSC_0402
  街中に建つ津波記念碑
  
 列車の時刻まで牟岐の街を軽く散歩する。港町で、有史以来南海トラフ大津波に襲われてきた。街中の地図には「最大6.9m、約8分」とある。今この瞬間に地震が起きれば8分以内に海抜6.9mより高い場所に逃げないと命はない。建物の壁に書かれた二本の線。近づいてみると「想定浸水高5.8m」「昭和南海地震4.5m」と書かれていた。津波の高さなんて、そんなもの来てみないと解らない。この街にも中心部に二つの津波記念碑が建っている。昭和21年12月21日南海震災、死者町内で54名。安政元年11月4日大震潮、死者町内で39名。昭和南海地震の津波高4.5mに合わせた碑も建っている。これらは無言で津波の恐ろしさと、近く確実にやってくる南海トラフ大津波を警告している。だがこの隣に3つ目の津波記念碑が立つ時、またその大きさは、私達人間には全く解らない。

 DSC_0404
  2両編成のローカル特急に乗って。

 16時44分発の特急「むろと6号」はキハ185系2両編成。JR九州お下がりの車輌で、指定席は2両目1号車後方の12番から15番の16席。列車名の「むろと」はさっき通った室戸岬から来ているのだろうが、室戸岬は高知県でこの列車は徳島県内しか走らない。室戸岬へのアクセス列車、というのもなんだか微妙だし。沿線の日和佐に因んで「うみがめ」の方がしっくりくる。牟岐発車後早速検札に来た車掌さんから「お誕生日おめでとうございます」との言葉を頂いた。3日間でこの言葉をかけられたのは初日にこのきっぷを購入した高松駅と、この列車だけだった。自由席車には詰襟の中学生3人組が乗っている。四国内は25kmまで320円、50kmまで520円の割安な自由席特急券が設定されているので、費用対効果を考えれば特急通学も十分に有り得る。そういえば昨日の嘉島氏も八幡浜から松山まで特急列車で通学していたと話してくれた。

 DSC_0407
  一瞬だが、海が見えた。

 思いの外海はあまり見えない。日がだいぶ傾いてきて、東の空高く半分の月が昇った。ウミガメの産卵で有名な日和佐で山の上にお城が見えた。結局海は田井ノ浜で一瞬見えた砂浜だけだった。四国最東端蒲生田岬の付け根を越え、阿南で中学生たちが降りる。代わりに帰宅客が大量に乗車してきて2両編成の車内は満員になってしまった。阿南徳島間はギリギリ25kmに収まるので、この区間の通勤、通学需要はそこそこあるのだろう。南小松島で一本前の徳島行き普通列車を追い抜いた。単行の車内は人がぎゅうぎゅう詰めに乗っている。17時54分、徳島着。日はとうに暮れてしまっている。

 DSC_0409
  金曜夜のホームライナー?特急「うずしお26号」高松着。

 今夜の宿を徳島にするか高松にするかでかなり悩んだが、結局高松に泊まることとし、次の高徳本線18時30分発の「うずしお26号」に乗車した。指定席も自由席も満席。金曜日の夕方に都市間特急を2両編成で走らせるのは如何なものか。高松まで約1時間、ほとんどの乗客が乗り通した。19時37分高松着。
 
 続き→バースデイきっぷで巡る四国~3日目 

バースデイきっぷで巡る四国~1日目

 ♪風が恋を運ぶ~ 海を遠く渡り

 DSC_0296
  二人を結ぶ、ジャンボフェリー~

 神戸港からのジャンボフェリー深夜便が早朝の高松港に接岸した。ユニークなテーマソングで船内の乗客が全員叩き起こされる。時刻は午前5時25分。定刻よりやや遅れての到着である。タラップを降り、そのまま連絡バスに乗って高松駅へ向かう。平日の割には徒歩の利用客が多く、皆慣れた感じで無料の連絡バスに乗り継いだ。師走の四国は夜明けも遅く、外はまだ真っ暗だ。高松の港湾地帯を走ること10分ほどで高松駅に到着。ここからバースデイきっぷで巡る四国3日間の旅が始まる。

 今月の1日、私は誕生日を迎えた。特に何をするわけでもなく、いつもと変わらぬ一日だった。SNSで誕生日アピールをしてリプライをもらったところで何かが変わるわけではない。しかしせっかくの誕生日、いや誕生月。何かがしたい。そこで以前より考えていたバースデイきっぷで巡る四国3日間の旅を、遂に実行に移す時がやってきた。

 バースデイきっぷとはJR四国が発売する企画乗車券で、誕生日が属する月にJR四国全線と土佐くろしお鉄道線全線、JR四国路線バスの全てが乗り放題となるきっぷである。「全て」とは特急列車を含む指定席、グリーン車まですべての列車を指している。それでいて価格は10280円。これで特急のグリーン車に3日間乗り放題な訳だからお得なきっぷではある。毎年誕生日が来る度に利用したいなと思いつつ、遂に今年利用することが出来た。

 東京から四国へ向かう方法は沢山ある。バースデイきっぷの有効期間をめいっぱい使うには、やはり夜行で四国入りするのが一番効率がいい。寝台特急「サンライズ瀬戸」を考えなかった訳ではないが、今回は時間がたっぷりあるので東京駅から高速バス「東海道昼特急」で大阪へ向かい、神戸1時00分発の高松港行き「ジャンボフェリー」で四国へと入った。平日の高速バスは安く、ジャンボフェリーも三宮の金券ショップを利用すれば15%引きの1900円で乗船できる。実にリーズナブルだ。

 こうして私は四国に入り、高松駅のみどりの窓口で運転免許証を提示してバースデイきっぷを購入し、今から乗る特急「しまんと1号」のグリーン券と、明後日の10日に乗る「伊予灘ものがたり」のグリーン券を発行してもらった。JR四国が誇る人気の観光列車で、指定券の入手は困難と覚悟していたが最後の1席を取ることが出来た。今回の度は幸先が良い。係員さんから「お誕生日おめでとうございます」の言葉を貰い、高松駅の改札を通った。今日から3日間、四国の特急列車、グリーン車に思う存分乗り続けるつもりだ。今日はこれから土讃、予土、予讃本線経由で松山まで向かう。
 
 DSC_0130
  無敵のバースデイきっぷを手に入れた。
  

 DSC_0298
  夜明け前より高松駅。

 DSC_0299
  トップバッターは土讃本線の特急「しまんと1号」
 
  高松6時04分発の特急しまんと1号は2000系3両編成。先頭1号車の半室グリーン車、前から2列目の二人掛け窓際2A席に腰を下ろした。一番前の一人掛け1C席にはテーブルにニコンの一眼を置いたおじさんが座っている。恐らくおじさんも「バースデイきっぷ」だろう。3日間四国の何処かでまた出会えると思うので、その時には声をかけようかと思う。

 夜明け前の高松駅を出発する。外はまだ真っ暗だ。次の坂出でグリーン車にネクタイを締めた男性が付き人に見送られながら乗ってきた。なかなかいいコートを着て、テーブルにMacBook Airを置いて何やら作っている。恐らく何かの著名人とは思うが、グリーン車は本来こういう人が乗るものなんだろう。右手に瀬戸大橋の明かりが見える。

 多度津で予讃本線と別れ土讃本線に入ると東の空が徐々に明るくなってきた。高松平野に小山がぽつりぽつりと現れる。この素朴さがこそが四国の車窓そのものだ。運転士の真後ろ1Cのおじさんが右手を前方に大きく上げて指差確認をする。琴平で電化区間が終わり、早速山越えに掛かる。振り子特急は右へ左へ車体を大きくくねらせ山間を行く。扉の上の電光板には「次は阿波池田」の文字。土讃本線はその名の通り讃岐と土佐を結ぶ幹線だが、讃岐から一気に土佐に抜けるのではなく、途中で阿波の国の西端をかすめる。土讃本線のハイライト大歩危小歩危も徳島県だ。峠のサミットをトンネルで越え、秘境駅坪尻を一気に通過し眼下に阿波池田の街が見える。線路は市街を回り込むようにΩカーブを描き、四国三郎こと吉野川を渡って徳島本線と合流、阿波池田駅に滑り込んだ。

 DSC_0301
  四国三郎こと吉野川を渡る。

 DSC_0302
  朝の阿波池田駅。

 DSC_0303
  特急「南風2号」と交換。

 阿波池田駅。四国の山間のジャンクションである。「さわやかイレブン」で知られる県立池田高校で有名だが、21歳ではじめて四国に行った時、跨線橋で高校生たちがタバコを吸っていてギョッとしてしまったことを思い出す。向かいホームに単行の高知行きが止まっていて、一瞬乗り換えたくなるが、せっかくのグリーン車なんだからもう少しこちらを満喫しよう。当駅で上り特急「南風2号」と交換のため暫く停車するという。グリーン車の車両を出て、外の空気を吸ってみた。早朝の阿波池田駅は木の匂いがする。まだ朝の7時だが寒さは感じない。間もなく高知方から「南風2号」がやって来てカメラを構えると。件のおじさんもグリーン車の車両から出てきてニコンのカメラを構えた。

 四国三郎こと吉野川は阿波池田から南に向きを変え、大歩危、小歩危と呼ばれる景勝地を作り上げる。吉野川が車窓右手、左手と向きを変えるにつれ、件のおじさんも座席を右へ左へと移動する。いつの間にか阿波の国を過ぎて土佐の国に入った。右手の吉野川の流れはまだ続いている。界隈で有名な橋の上に駅ホームがある土佐北川駅を通過し、吉野川と別れて土佐の平野を走る。今日の南国土佐は快晴だ。通勤の自動車、自転車を漕ぐ中学生、並走する路面電車。いつもの朝の光景が広がっていた。駅前に志士たちの銅像が立つ高知駅を過ぎ、須崎から先は左手に太平洋の大海原が広がった。

 DSC_0309
  土讃本線終着駅、窪川に到着。予土線に乗り換える。

 9時26分、土讃本線の終点、窪川に到着。ここで列車を降りる。線路はこの先土佐くろしお鉄道の宿毛まで続いているが、宿毛駅は行き止まりで来た道を戻らなければならないので今回の旅行からは除外した。これから予土線に乗って宇和島へ出る。日本一の清流こと四万十川に沿って走り、観光路線としても人気が高い。車両も沿線の海洋堂ホビー館にちなんだ「海洋堂ホビートレイン」や「かっぱうようよ号」、新幹線の開業に関わった元国鉄総裁、十河信二の出身地にちなんだ「鉄道ホビートレイン」などが運行している。バイブルによると窪川9時40分発の宇和島行きは「鉄道ホビートレイン」で運転されるはずだが、本日は検査のため通常のキハ32で運転されるようだ。0系新幹線をあしらった可愛らしいデザインの車両を期待していたが、次の機会に取っておこう。

 DSC_0313
  最後の清流、四万十川沿いを行く。

 1両編成ロングシートの車内は地元客が半分、さっき「しまんと1号」のグリーン車で一緒だったおじさん他観光客が半分。平日の午前中にしてはさらりと席が埋まっている。地元客は商工会っぽいおじさま達の団体で、予土線の将来について朝から盛んにディスカッションをしている。「役場が鉄道を残せと言っても皆クルマに乗る!」。予土線に限らず、全国のローカル鉄道が抱える問題だ。予土線の始発駅は厳密には次の若井で、この一駅区間だけ第三セクター鉄道の土佐くろしお鉄道を通る。例のきっぷをはじめJRの企画乗車券で予土線に乗車すると一駅分の運賃が必要だが、無敵のバースデイきっぷなら追加運賃は不要である。若井の次で土佐くろしお鉄道と別れてトンネルに入る。予土線の歴史は複雑で、先に宇和島から建設が始まり、大正時代に愛媛県内の吉野生まで軽便鉄道として開業。戦後に高知県の江川崎まで延長され、全線開業は昭和49年と比較的新しい。トンネルを抜けしばらくすると右手に四万十川が現れた。これぞ日本一の清流、四国の山間をゆったりと流れている。その畔を軽快気動車がトコトコ音を響かせながら走る。

 DSC_0318
  江川崎駅で「かっぱうようよ号」と交換。

 途中の江川崎駅で20分間停車し対向列車と交換する。向こうも5分間停車。今乗車しているキハ32をはじめ四国の普通列車にはお手洗い無し車両が多いため、その対策も兼ねているのだろう。この間に観光客が撮影会を開始する。江川崎は平成25年8月12日に日本最高気温41.0℃を記録し一気に有名になった。駅舎にもその旨の表示があり、今は日本一暑い街として町おこしをしているという。四万十川とはここで別れ、次の西ケ方を過ぎると愛媛県に入る。もう四国四県を制覇してしまった。この先予土線は大正時代に建設された軽便鉄道の区間となり、平凡な田んぼや畑の景色となる。小さな峠を越えて宇和島の市街に入った。次の北宇和島が予土線の終点で、松山行きの普通列車と交換する。山の上にこれから向かう宇和島城が見える。12時15分宇和島着。

 DSC_0319
  行き止まり式の宇和島駅に到着。

 宇和島駅で私はUPFG宇和島支店長、嘉島安次郎氏の出迎えを受けた。今日は嘉島氏に故郷である宇和島市を案内してもらう。お昼時ということもあり、まず駅近く野有名な店「とじま亭」に連れて行ってもらった。こちらは島島鰤定食、朝水揚げされたばかりの新鮮な鰤を使って調理するという。漁師町で食べる御飯は美味しい。

 DSC_0320
   ブリの刺身から炙り、カツ、ブリ大根、カルパッチョ、あら汁

 西予地方の最果てに位置する宇和島市は人口7万5千人。中世は海賊の本拠地として栄え、大阪の陣の後で伊達政宗の庶長子秀宗が入り、仙台藩の支藩、と言ったら嘉島氏に怒られてしまったが、伊達10万国の城下町として代々栄えた。市街の真ん中に位置する小高い山の上に車窓からも見えた宇和島城が建っていて、伊達時代の石垣と天守閣が残っている。二人で山登りをして天守閣から宇和島の市街を見下ろした。なるほど三方を山に、一方を海に囲まれている。ここまで鉄道を伸ばしてくるのは大変だっただろう。現在の市街は城の東側で、かつてはここが町民街であった。一方南側は武家屋敷。昭和63年の選抜高校野球大会で初出場初優勝を果たした県立宇和島東高校のグラウンドが見える。何処の街に行ってもそうだが、天守閣から市街を見下ろすとまるで殿様になったような気分になる。

 DSC_0321
  石垣を上る。

 DSC_0322
  天守閣が見えてきた。

 DSC_0323
  海と市街を一望

 その後嘉島氏の案内で宇和島の城下町を散策する。街外れの
宇和津彦神社は景行天皇の一子である宇和津彦命を祀り、宇和島の地名の由来となっている。嘉島氏もここの氏子とのこと。その奥に伊達家の墓所がある金剛山大隆寺がある。

 DSC_0327
  南国宇和島ではまだ椛が見られる。

 宇和島伊達藩は大阪の陣の後、伊達政宗の庶長子、秀宗が入り伊達10万石として栄えた。秀宗は幼少の頃豊臣家の人質として伏見で育ち、名も秀吉から与えられたそうだが、そんな事情もあり徳川の世になると秀宗の立場は微妙になる。結果仙台伊達藩は嫡男の
忠宗が継ぎ、秀宗は宇和島に入った。初期の藩財政は厳しく、政宗も秀宗に「五十七騎」と呼ばれる家臣を付け、6万石の貸与や重臣山家清兵衛公頼筆頭家老として送り込むなど援助にあたっていたが、財政を巡って藩内で対立が起き、
山家清兵衛は主君から疎まれ後に暗殺されてしまう。その後宇和島藩では不幸や天災が頻発し、山家清兵衛の祟りと恐れた人達が建立したのが和霊神社である。地元では「和霊さま」と親しまれ、現在は海の守護神として祀られている。隣の和霊公園には宇和島機関区に属したC12 259機が静態保存されていた。

 
DSC_0331
  和霊神社のイチョウ。

 DSC_0332
  予土線(宇和島線)で活躍したC12が居た。

 さて、最後に向かったのは南予宇和島が誇るトンデモスポット凸凹神堂である。神主の久保凸凹(アイ)丸宮司が生涯を懸けて集めた世界中の性数万点が資料館に心狭しと並び、私が
21歳で時初めて四国に来たときは真っ先に向かった。本日は鹿島氏の案内とともに入館することにする。21歳の頃に見た資料がそのまま展示してある。それほど当時は衝撃的だった。我が国の史料は江戸時代の春画と道祖神、性器信仰が中心だが、性器信仰は東日本に偏っている。嘉島氏が言うには、東日本は気候が厳しく狩猟文化が続いたため乳幼児死亡率が高く、子宝の繁栄を願う気持ちが高かったのではとのこと。また厳格なキリスト教文化圏に比べ、インドなどヒンズー教文化圏では性に対する表現が豊富である。国外持ち出しの是非もあろうが興味深い事象だ。ともあれ、この数万件にもわたる資料を見るには一日あっても足りないし、性と哲学を理解するには一生かかる。

 DSC_0328
  この中に数万点の秘宝が。

 DSC_0329
  だそうです。

 嘉島氏と宇和島駅近くの焼肉屋で夕食を取り、20時18分発の宇和海30号で撤収した。2000系5両編成。バースデイきっぷを持っているので指定席券を取った。21時35分、松山着。今夜は駅前の安宿に泊まる。

 DSC_0497
  JR松山駅は台鉄松山駅と姉妹駅。台湾、いつか行ってみたい。

 続き→バースデイきっぷで巡る四国~2日目
プロフィール

hirakike

ハンコ絵師兼CJD見習い(非処女)の平木博士の心の闇の部分です。同人サークル「けろぷろ!」でクソマンガボーイやってます。代表作『ミレニアムの幻想少女』『ハタテピピック』(2016)。ときどき心が折れます。クソビッチです。※ご用と悩み相談はDMで(秘密厳守

もくじ
  • ライブドアブログ