帰ってきた!平木博士の異常な愛情

または私は如何にして心配するのを止めて二次元美少女を愛するようになったか。

2016年秋に活動再開。同人サークル「けろぷろ!(旧名ケロちゃんプロジェクト)」からの告知用ブログです。

北陸本線ラストデー

 今年(令和6年)春のダイヤ改正でいよいよ北陸新幹線、金沢~敦賀間が延伸開業する。最速列車は東京~敦賀間を3時間08分で結び、首都圏と北陸圏の距離がぐっと近くなる。

 一方で対関西や中京圏に於いては敦賀駅で在来線特急「サンダーバード」や「しらさぎ」との乗り換えが生じ、また在来線特急との乗継割引も廃止されるほか、特急も全車指定席となり色々と面倒なことになる。いわば新幹線の恩恵を十分に受けられないままの実質的な値上げであり、乗客は不便を強いられることになる。

 そして新幹線開業の負の側面と言えるのが並行在来線の第三セクター化だ。今回は北陸本線の金沢~大聖寺間がIRいしかわ鉄道に、そして大聖寺~敦賀間がハピラインふくいにそれぞれ移管される。第三セクター化に伴い運賃は値上げされ、また並行在来線の赤字を負担するのも事実上地元の自治体である。新幹線開業の光と影を追い求めつつ、まずは営業最終日の北陸本線に乗るために北陸本線の始発駅、米原へ向かった。

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 北陸本線始発駅、米原駅。
 
 東京を5時20分に出発する東海道本線下り始発列車に乗って、三島、静岡、浜松、大垣でそれぞれ普通列車を乗り継ぎ、米原には定刻より19分遅れの13時05分に到着した。3番線ホームにはこれから乗車する定刻13時01分発の近江塩津行き普通列車が停車しており、こちらは11分遅れの13時12分に発車した。今日は大垣駅で車両点検を行ったらしくダイヤが乱れている。223系4両編成の車内は半ドン帰りの学生たちで混んでいたが、鉄道記念物の旧駅舎が残る長浜でまとまった降車があり、車内に随分と空きが出来た。

 早春の湖北路を往く。この辺りは姉川や賤ケ岳など古戦場が多い地域でもある。北陸本線には何度も乗っているが、琵琶湖の北端には何故かこう、最果てムードが感じられる。そんな最果ての大地に余呉湖が置かれている。琵琶湖の果てを掠め、左手から立派な湖西線の高架橋が寄ってくると終点の近江塩津。無骨なホームと連絡通路が最果て感を醸し出している。ここは関西の果てだ。

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 関西の果て、近江塩津駅。

 続いて14時01分発の敦賀行きに乗る。車両は225系4両編成。近江と嶺南を分かつ全長5173mの深坂トンネルを抜け、左手に上り線の鳩原ループ線が分かれていく。峠を下り、左手から小浜線の線路が寄ってきて暫く並走する。やがて右手に巨大な新幹線の高架橋が現れ、15時15分敦賀着。この駅は関西からの新快速の終着駅だが、明日からは北陸新幹線への乗換駅となる。

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 さあ行こう!北陸本線ラストデー。

 ここからがJRとしての北陸本線の最終日。14時42分発の福井行きは521系2両編成で、惜別乗車の旅行客や地元の用務客で混んでいた。敦賀を出ると新幹線の高架橋が左へ分かれ、北陸自動車道を潜って北陸トンネルへ突入する。トンネルを抜けると嶺北で、冬になればここから線路際に雪が見え始めるのだが、3月中旬の今日は雪は見られなかった。蒸気機関車時代の古い給水塔が残る今庄を過ぎ、北陸新幹線の高架橋を潜って鯖武盆地に入ると武生。特急「サンダーバード」や「しらさぎ」が停車する越前市の中心駅だが、新幹線駅はここから約3km離れた田んぼの中に越前たけふ駅が開業する。

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 JR北陸本線最終日の鯖江駅。

 福井鉄道のたけふ新駅を左手に見て、日野川を渡り鯖江に停車する。眼鏡の生産で全国的に知られる工業都市だが、この駅は新幹線の恩恵を受けない。だが手持ちの時刻表を開くと明日のハピラインふくい開業後は敦賀~福井間に朝夕を中心に快速列車が運転され、旧特急停車駅の救済を行う予定だ。再び北陸新幹線の高架橋が右手から寄ってきて、越前花堂で越美北線と合流し足羽川を渡り、福井市の中心街を高架で往く。15時33分福井着。

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 今日が最後のJR福井駅の駅名標。
 
 新幹線開業を見据えた高架化ですっかり様変わりした福井駅。次の金沢行き普通列車を待つ間にも、北陸本線の特急列車が次々に発着する。15時39分発のサンダーバード25号と16時01分発のしらさぎ9号で、今日が最終運行日とあってカメラやスマートフォンを向ける乗客が多い。だがこの特急街道たる弊害で普通列車は冷遇され、敦賀から金沢方面へ向かおうとすると必ず福井で長時間の接続待ちを余儀なくされる。

 だが明日のハピラインふくい開業後はスジから特急列車が抜けるため、福井駅での接続が改善されて便利になる。多少運賃が上がっても、利用客にとって便利なダイヤを組めることが第三セクター鉄道の強みではないだろうか。ハピラインふくいの前途は決して易しくないが、第三セクター鉄道としての開業後も頑張ってほしい。

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 明日からはこの発車案内表から特急がごっそり消えることになる。

 福井16時15分発の金沢行き普通列車は521系4両編成。ほぼ満員の乗客を乗せて発車した。福井の市街を抜け、えちぜん鉄道の高架を潜って北陸新幹線が右手に分かれていく。九頭竜川を渡り、福井平野の水田地帯を北上していくと、右手から新幹線が寄ってきて芦原温泉駅に着く。右手には立派な新幹線の駅舎が建っており、明日からは東京から新幹線がやってきて大勢の観光客で賑わうのだろう。

 芦原温泉を出ると列車は福井、石川県境の牛ノ谷峠に掛かる。沿線から人家が無くなり、峠のサミットを牛ノ谷トンネルで抜けて列車は石川県に入る。次の大聖寺は加賀市の中心駅で、明日からはハピラインふくいとIRいしかわ鉄道の分岐駅となるが、引き続き列車は直通運転を行う予定である。再び右手に北陸新幹線の高架橋が現れると、加賀大観音が見下ろす加賀温泉に着く。ここも先程の芦原温泉と同じく立派な新幹線駅舎が建っている。

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 開業を明日に控えた北陸新幹線と交差する。

 動橋、粟津と加賀温泉郷の最寄り駅を過ぎ、春を待つ金沢平野の水田地帯を往く。小松の市街を高架で抜け、明日から新幹線停車駅となる小松駅に着く。手取川の鉄橋を渡り、加賀笠間の手前から北陸新幹線の高架橋と合流し、このまま終点の金沢まで並走する。この区間を在来線に乗るたびに、後何年後にはここに新幹線が走るんだなと楽しみにしていた旅路、そしてその想いが明日遂に現実になる。右手には新幹線の車庫である白山総合車両所が見える。

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 終点の金沢着。列車は折り返し福井行きとなる。

 美川で特急サンダーバード27号に先を譲り、犀川を渡って金沢市街を高架で抜ける。17時36分、終点の金沢に到着。新幹線開業前夜の金沢駅から今日も最後の特急列車が発着する。その様子を目に焼き付け、祭りの前の金沢駅の改札を出た。今宵は近江町市場近くの安宿に泊まる予定である。安宿泊で浮いたお金で、市場で回らないお寿司でも食べに行くかな。

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 祭りの前の金沢駅。

房総を往く

 令和6年3月のダイヤ改正で房総地区で変わるものが二つある。255系特急型電車の定期運用終了と房総特急の全車指定席化、そしていすみ鉄道の観光急行の運行終了である。そして久しぶりに房総半島の海を見たくなった。ダイヤ改正を前に、日帰りで小さな旅に出かけてみた。

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 新宿駅から出発

 新宿7時50分発の特急新宿さざなみ1号は255系9両編成。先頭9号車の自由席に腰を下ろした。特急券は終点の館山まで買ってある。えきねっとチケットレス割引の40%の方が安いが、今回は紙の切符を手元に残したくて敢えて自由席特急券を買った。それに好きな座席に座りたい。

 新宿を発車。都心の風景を見ながら中央線を走り、御茶ノ水から総武線に入って秋葉原で乗客を拾う。すぐさま車掌がやってきて乗客に特急券の呈示を求めていた。指定席車では原則として車内改札を行わないため、全車指定席化後は車掌を一人減らせることになる。鉄道会社側の都合ではあろうが、本音を言えば指定席車にはなるべく乗りたくない。指定席は不自由席である。せっかく特急列車に乗るのだから、好きな座席にくらい座らせて貰っても構わないであろうか。そんなことを考えているうちに列車は錦糸町駅に到着した。ここでも自由席車には何人か乗客が乗ってきて、逐一車掌が車内改札に応じている。

 江戸川を渡って千葉県に入り、蘇我から内房線に入る。かつては東京駅から内房線に入って館山へ向かう特急列車が多数運転されていたが、現在は東京湾アクアライン経由の高速バスを相手に完敗し、館山へ向かう列車は週末のみ運転のこの新宿さざなみ号だけになってしまった。京葉臨海工業地帯のコンビナート群を見ながら走り、五井で小湊鉄道で左手へ分かれていく。久留里線の乗り換え駅である久留里を過ぎると、次は製鉄の街、君津。現在は平日の朝晩のみ東京駅から特急「さざなみ」が乗り入れてくる駅だ。現在の「さざなみ」に房総特急の面影は殆ど無く、千葉から東京へ遠距離通勤する乗客のためのホームライナーに成り下がってしまった。

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 東京湾と富士山

 君津から先の内房線は単線となり、大貫の先で右手に東京湾が見える。今日の天気は快晴で、海の向こうに三浦半島と、その先には富士山が見える。列車は海沿いぎりぎりを走り、そのために風が吹くとこの区間はよく列車が止まってしまう。駅前から東京湾フェリーが発着する浜金谷を過ぎ、引き続き東京湾を眺めながら10時06分、列車は終点の館山に到着した。

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 新宿さざなみ号、館山着。

 館山から先、内房線の末端部を普通列車で繋ぐ。10時38分発の上総一ノ宮行きはE131系の2両編成で、車内はそこそこ混んでいた。出来れば海側のボックスシートに座りたかったが、生憎と先客で塞がっていたので山側の座席に着席した。安房鴨川まで出れば外房線の特急が運転されているので、それまでの辛抱だ。

 館山から先はいったん海と別れ、房総半島の先端を千倉までショートカットする。反対側の車窓に海が見え始めた。途中の江見は駅舎と郵便局が併設されている駅で、スマートフォン向けのアプリ「駅メモ」の聖地でもある。列車はこのまま外房線に入るが、私は11時29分着の安房鴨川で列車を降りた。この先は再び特急に乗って大原まで向かう。

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 E131で繋ぐ。

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 再び255系に乗って。

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 太平洋の大海原

 安房鴨川11時41分発の特急わかしお12号は255系9両編成。太平洋がよく見える進行方向右側の座席に着席した。発車後すぐに右手に海が広がる。日蓮聖人の生誕地である誕生寺最寄りの安房小湊を過ぎ、小さなトンネルと海を交互に眺めながら列車は往く。12時23分、大原着。ここでいすみ鉄道に乗り換える。

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 大原に到着。

 JRの改札を出て、いすみ鉄道の駅舎に向かう。駅舎全体が土産物屋になっており、私は急行列車の中で呑むお酒とおつまみを調達し、ついでに房総横断乗車券と大多喜までの急行券も買っておいた。

 いすみ鉄道は昭和63年の3月に、旧JR東日本の木原線大原~上総中野間を転換して誕生した第三セクター鉄道である。名物はなんと言っても国鉄形気動車を利用した急行列車で、毎週土曜日にかつてJR西日本の大糸線で活躍したキハ52ー125型ディーゼルカーが単行で走っている。しかしながら昭和40年製造の車両で老朽化が著しく、次のダイヤ改正で一旦急行列車から引退し、5月まで毎週土曜日と一部の祝日のみ運転の臨時列車として運用された後、団体列車やイベント列車として運用されることになっている。

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 大原駅から急行列車の旅が始まる。

 大原13時10分発のいすみ鉄道急行大多喜行きはキハ52型の単行。満員の乗客を乗せて大原駅を発車した。大原を出ると左へカーブし房総半島縦断の旅が始まる。沿線には河津桜が咲き、菜の花畑が車窓を過ぎてゆく。いすみ鉄道の沿線はこの素朴な感じがよい。13時26分、国吉着。列車はここで反対列車待ち合わせのため14分間停車する。急行列車が普通列車を待つのは真逆のような気もするが、これも「急いで行かない」列車たる所以であろう。

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 国吉駅で小休憩。 

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 終点の大多喜に到着。

 13時52分、終点の大多喜に到着。列車はすぐに回送となり駅構内の車庫に引き揚げていく。かつて大糸線で乗ったかもしれない車両での小さな旅。大原から大多喜まで僅か40分、もっと乗っていたいと思った。

 後続の普通列車で上総中野に出て、小湊鉄道に乗り換えて朝方通った五井へ向かう。小湊鉄道はその名の通り内房線の五井から外房線の安房小湊を目指して建設が進められていたものの、昭和3年に現在の上総中野まで開業し工事が中断してしまった。一方のいすみ鉄道も、旧木原線の名が示す通り外房線の大原と内房線の木更津を結ぶ構想だったものが、昭和9年に上総中野まで開業して工事が中断してしまった。実現していれば壮大な房総横断鉄道と成り得た筈が、現在はここ千葉の山奥の上総中野で手を取り合って、お互い数少ない乗客を相手に細々と命を繫ぎ止めている。

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 山間のジャンクション、上総中野駅。

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 小湊鉄道の車両。

 上総中野16時23分発の五井行はキハ200系2両編成。いすみ鉄道からの乗客を受け、ロングシートがさらりと埋まる塩梅で発車した。女性の車掌が乗務しており、器用にドアの開閉や切符の販売などを行っている。小湊鉄道は東京から近い割にはローカル線の情緒がよく残っており、テレビドラマのロケ地等で使われることが多い。列車は千葉の丘陵地帯をディーゼル音を震わせながら走る。河津桜や菜の花畑が車窓を過ぎる。春はもうそこまで来ている。

君に、胸キュン。

 乗るしかない このビッグウェーブに」

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 東京駅へやってきました。 

 JR東日本から「旅せよ平日!JR東日本たびキュン♡早割パス」と言う名のユニークな企画乗車券が発売されている。その名の通り平日の乗車日14日前までに発売され、1万円でJR東日本管内の路線が新幹線、特急、そして一部の第三セクター鉄道を含めて全線乗り放題となる。今日はこのきっぷを使って旅をすることとし、早朝の東京駅へとやって来た。

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 東北新幹線の始発に乗ります。
  
 東京6時32分発のはやぶさ・こまち1号はE6系7両+E5系10両編成。そのうち後ろの10両が新函館北斗へ向かう「はやぶさ」で、指定席の5号車に腰を下ろした。発車前から本日の指定席は全て満席との放送が流れている。「キュンパス」効果でここのところ平日の新幹線は軒並み満席で、特にこの「はやぶさ1号」は人気が高く指定席は1か月前の時点で完売してしまった。デッキには立席特急券で乗車したと思しき立客まで居る。この先何処に行っても人が多そうで、私は少し不安になった。
  
 6時32分、東京駅を発車。秋葉原でヨドバシカメラ秋葉店を見ながら一旦地下に潜り、上野駅で乗客を拾って日暮里辺りで再び地上に出る。埼京線と並走し、6時57分着の大宮で大量に乗客が乗り込み私の隣の席も埋まった。曇天模様の北関東の大地を新幹線は往く。白河の関を越えると線路際に雪が見られるようになった。今日の東京の天気予報は雨だったが、これから向かう北東北は雨は止み曇りの予報である。旅をするなら天候は晴れた方が嬉しいが、さすがに1か月前の時点で先のことは解らない。

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 新幹線の車窓から。

 9時26分、4分遅れで八戸に到着。次に乗る八戸線の久慈行きは9時29分発で、急ぎ足で新幹線改札を抜けて在来線のホームへ移動する。八戸線の列車はキハE130系2両編成で、通路に立客が出るほどの大混雑で2分遅れで八戸駅を発車した。しかしこの混雑は八戸の街外れの鮫で終わってしまい、後は1ボックスに1~2人の落ち着いた乗車率となった。私は少し安心した。車窓左手には太平洋の海が見えている。

 11時12分、定刻より2分遅れて終点の久慈に到着。ここから先は第三セクター鉄道の三陸鉄道に乗車するため、一旦JRの改札を出て三陸鉄道の駅舎に向かう。駅舎内の運賃表を見ると終点の盛までの運賃は3780円だが、今回はなんとこのキュンパスで三陸鉄道に乗れる。待合室には先程八戸線でやって来た乗客たちが屯しており、次の12時07分発の盛行に乗車するのだろう。私は早い目にホームに出て列車を待つことにした。

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 久慈駅に到着した八戸線列車。

 三陸鉄道の歴史は比較的新しく、昭和45(1970)年10月の国鉄盛線の盛~綾里間開業を皮切りに、北と南から少しずつ鉄路を伸ばし、昭和59(1984)年4月に第三セクター鉄道の三陸鉄道北リアス線、南リアス線として三陸縦貫鉄道が全通。そして平成31(2019)年3月にJR東日本の山田線宮古~釜石間を転換し、久慈~盛間の全長163kmが全通した。現在は全線を走破する普通列車が一日1.5往復運転されており、今からその一本に乗る。

 久慈12時07分発の三陸鉄道盛行き普通列車は36系700番台2両編成。後ろの1両は途中の宮古で切り離されるらしく、先頭車両の海側ボックスシートに着席した。車内は1ボックスに1~2人程度の乗車率で、車端部のセミクロスシートはほぼ全てが埋まっている。地元民を除けば皆キュンパスの利用客だろう。

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 三陸鉄道、盛行き普通列車。

 陸中野田を過ぎると左手に太平洋の大海原が広がる。と言いたいところだが、実は海が見えたのは昔の話で、現在は平成23年の大津波以降に建設された巨大な防潮堤が海岸を覆っており、海が見えない。しかし所々には自然の海岸が残っており、漁港を臨む鉄橋の上では列車が暫時停止して、乗客たちが挙って海にカメラやスマートフォンを向ける。海の向こうに商船三井フェリーの「さんふらわあだいせつ」が見えた。途中の堀内は連続テレビ小説『あまちゃん』の舞台になった駅で、列車はこの駅で3分間停車。ホームには雪が積もっていた。

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 三陸鉄道の海。

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 堀内駅で停車。

 12時53分、普代着。久慈からここ普代までは昭和50(1975)年7月に開業した国鉄久慈線で、この先は三陸鉄道開業時に開通した新線となる。三陸鉄道はいったん海と別れ、内陸沿いを長大トンネルで抜けていく。途中の新田老は震災後に高台へ移転してきた住民のための駅で、現在は田老の集落を覆うように巨大な防潮堤が建てられている。次の田老から先が昭和47(1972)年3月に開業した国鉄宮古線だ。宮古の市街に入り、JR山田線と合流し、13時50分宮古着。列車はここで23分間停車し後ろの車両を切り離す。

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 宮古で小休止。

 14時13分、宮古発。ここから先の三陸鉄道は旧JR山田線で、JR東日本が震災からの復旧を拒んだため三陸鉄道に移管され復旧した。そのため全通も昭和19(1944)年9月と古く、沿線から海がよく見えた。

 地元の住民は宮古で入れ替わってしまい、後はキュンパスの乗客がボックスシートを占めている。宮古を出ると閉伊川の鉄橋を渡り、左手に幕末の宮古湾海戦の舞台となった宮古湾が見える。列車は一旦リアスの付け根を小さな峠で越え、陸中山田に着く。この街もリアスの入江が巨大な防潮堤で覆われていた。駅の周囲には真新しい復興住宅が建ち並んでいる。本州最東端の駅である岩手船越を過ぎ、井上ひさしの小説『吉里吉里人』の舞台となった吉里吉里を過ぎると、大槌の集落に入る。ここも震災の被害が大きかった街で、現在は海沿いに巨大な防潮堤が建設されている。

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 リアスの入り江。

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 大槌の集落を覆う防潮堤。

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 釜石に到着。

 15時39分、釜石着。列車は7分間停車する。ここから先は以前の三陸鉄道南リアス線で、三陸鉄道開業時に開通した新線区間だ。リアスの付け根をトンネルで突き抜け、入江では防潮堤に覆われた集落が見える。

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 防潮堤の向こうに海が見える。 

 16時06分、吉浜着。ここから先が昭和48(1973)年7月に開業した国鉄盛線だ。海が見える駅、恋し浜を過ぎると、4時間半にも渡った三陸鉄道の旅も終わりが近い。キュンパスの利用客で列車が混むかなと思ったが、実際に乗車すると1ボックスに1~2人程度の程よい乗車率で、久々に三陸の海を眺められて楽しい道中だった。16時35分、盛着。

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 終点、盛に到着。

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 ここから先はBRTで。

 盛から先は大船渡線BRTの気仙沼行きに乗車する。BRTとは「バス・ラピッド・トランジット」の略で、聞こえは良いが実際は旧JR大船渡線の転換バスである。震災で多大な被害を受けた大船渡線は鉄路での復旧を断念し、路盤を剥がして専用のバス路線にしてしまった。そこを今BRTと言う名のバスが走っている。

 盛16時50分発の気仙沼行きBRTは三陸鉄道から乗り継いだ乗客と、地元の乗客を乗せて座席がさらりと埋まる塩梅で発車した。気仙沼の市街を専用道で走り、小本から国道45号線に入って一般道の区間を往く。この辺りは震災後に集落ごと高台へ移転した事情もあり、鉄道と違ってフレキシブルな運行が出来るのがBRTの強みである。出来れば鉄路として復旧して欲しかったが、この辺りは止むを得ない被災地の事情があったのだろう。やがてバスは陸前高田の中心地に入る。市街地は高台に移転したと見え、かつての街の中心部には商業施設が建ち並んでいた。

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 夕暮れ時の三陸をBRTが往く。

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 気仙沼に到着。日がどっぷりと暮れてしまった。

 18時14分、気仙沼着。19時35分発の大船渡線の一ノ関行きに乗り換え、20時59分一ノ関着。ここから東北新幹線の最終列車である21時13分発のやまびこ74号に乗車する。帰りの新幹線もキュンパスの効果なのか混んでおり、仙台で指定席は満席になってしまった。  
  

Peachきた北海道フリーパスで行く道北~3日目

 旭川5時18分発の特急ライラック2号は789形6両編成。夜明け前の旭川駅4番線ホームから静かに発車した。

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 旭川駅の始発列車です。
 
 今日の予定は終日札幌市内を観光して、夜に新千歳空港からPeach便で帰京する流れになっている。今朝は何時のライラックに乗ろうか迷ったが、結局始発列車に乗ることを選んでしまった。私は始発列車が好きなのだ。

 闇に覆われた神居古潭を列車は走る。列車の明かりが雪壁を照らし、時折汽笛が鳴る。夜明け前のこの時間が一番好きだ。旅をしているという感じがする。やがて東の空が徐々に明るくなってきて、夜が明ける。今日もまた、旅先での新しい一日が始まる。

 6時43分、札幌着。地下街を歩いて大通公園へ向かった。雪まつり自体は24時間営業しているので、今回は観光客のいない早朝を狙って雪像を見て回ろうという算段だ。雪まつり名物の屋台はまだ営業していないが、雪像が目的なので問題ない。

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 早朝なので誰も居なかった。

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 大雪像を見て回ります。

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 こちらは旧札幌停車場。

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 人がいないのでスムーズにみて回れます。

 さっぽろ雪まつりは昭和25年に、地元の中高生が大通公園に6つの雪像を築いたのが始まりという。それが令和6年の今回は大通公園に計123基の雪像が設置され、国内外から250万人を超える観客を集める冬の北海道の一大イベントとなった。

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 ブルアカ 

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 可愛らしい雪ミク

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 レムとラム。

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 アイマスの雪像があった。

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 らき☆すたは今年で20周年。

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 サラブレッドの雪像。

 ゆっくり雪像を見て回るうちに徐々に観光客が増え始めた。雪まつり自体は2時間もあれば見て回れるため、後はさっぽろテレビ塔に上ったり、朝のすすきのを散策したりしてゆっくりと過ごした。

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 建ち並ぶ市民雪像。

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 さっぽろテレビ塔に登ってみました。

 札幌駅へ戻り、函館本線で一つ隣の駅、苗穂へ向かう。鉄道ファンにはお馴染みのJR北海道苗穂運転所があり、構内には北の鉄道博物館こと北海道鉄道技術館がある。しかしながら開館時間が第二第四土曜日の13時半~16時で、私のような観光客には非常に行きにくい。しかし今日がちょうど第二土曜日なのは全くもって僥倖だった。こうして念願の北海道鉄道技術館を訪れることが出来た。

 同館は苗穂工場の中にあり、守衛室で手続きをしてから構内に入る仕組みになっている。先月大宮の鉄道博物館に行ってきたばかりだが、矢張りと言うかこちらもちみっ子を連れた家族連れが多い。建物は明治43年(1910)年に苗穂工場の用品倉庫として煉瓦造りで建築されたもので、工場最古のものだという。館内は2階建てで鉄道資料がこと細かく展示されている。北海道の鉄道に関する知見を深めることが出来た。

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 おじゃましまーす。
 
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 史料の多さにお尻から根っこが生えてしまった。

 
続いて苗穂駅に隣接するアリオの裏にあるサッポロビール博物館へ向かった。元サッポロビール札幌第二工場の跡地で、現在はサッポロビールの歴史を紹介する博物館になっている。一昨日訪れたサッポロビール庭園がビールの製造過程を学ぶところだとしたら、ここはサッポロビールの歴史を学ぶ博物館である。同社は1876(明治9)年の開拓使麦酒醸造所に始まり、後に大倉財閥に払い下げられ札幌麦酒株式会社となる。以後紆余曲折を経て1964(昭和39)年に現在の社名であるサッポロビール株式会社に落ち着いた。

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 サッポロビール園に来ました。
 
 それにしても館内は外国人観光客の多いこと多いこと。博物館の最後にある試飲コーナーは人が多くてとても呑めたもんじゃない。しかし園内のガーデンショップに行けばサッポロクラシックを呑むことが出来る。こちらも外国人観光客で満席だったが、なんとかベンチに隙間を見つけて本場のサッポロクラシックを頂いた。

 さて、サッポロビール園に来たからには一昨日のようにジンギスカンが食べたい。園内のレストラン「ライラック」を覗くと、次の予約が入っている1時間後までに出られるのなら入ってよいと言われた。どうせ軽めに頂こうと思っていたところだ。喜んで承諾し、ジンギスカンとここでもサッポロクラシックを頂いた。
 
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 エアポート178号で北海道にさよなら。

 
さて、名残惜しいが2泊3日の北海道旅行はこの辺りで幕を下ろすことにする。札幌駅に戻り、17時48分発の快速エアポート178号に乗って新千歳空港へ向かう。久しぶりの冬の北海道。雪まつりに至ってはもう20年ぶり以上だったが、来てよかったと思う。

 帰りの快速エアポートは指定席を取ってみた。札幌発車時点で車内にはかなり余裕があり、ほぼ満席の自由席と違って静かな車内だ。やがて列車は札幌駅を出て千歳線を南へ往く。新千歳空港までの30分は旅を反芻するにはちょうど良い時間だ。次はいつ北海道に来れるだろうか。

Peachきた北海道フリーパスで行く道北~2日目

 旭川6時03分発の宗谷本線稚内行きの普通列車はキハ54形2両編成。後ろの1両は途中の名寄で切り離すので、名寄以遠へ向かう乗客は先頭車両に乗るようにと案内があった。

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 夜明け前の旭川駅。

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 旭川6時03分発の稚内行き。我が国屈指の長距離鈍行です。

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 車内の様子。この時点では乗客は私だけ!

 乗客3名を乗せて発車。旭川の市街を高架で往く。次の旭川四条から早起きの通勤客たちが乗って来た。新旭川で石北本線が右手へ分かれ、最果ての稚内まで約250kmを往く旅が始まる。徐々に夜が明けてきた。

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 朝の雪原を往く。
 
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 塩狩駅は雪に覆われていた。

 アイヌ語のピピペッ(石のごろごろしている川)から来た比布を過ぎ、列車は間もなく塩狩峠越えにかかる。石狩国と天塩国を分かつ峠で、三浦綾子の小説で知られている。峠のサミットの塩狩駅でH100形気動車の上り普通列車と交換した。向こうは3両編成で、車内はそこそこ混んでいる。峠を下り、6時53分着の和寒で通学の高校生たちが乗って来た。旭川を過ぎてから初めてのまとまった街で、駅前には農業倉庫が建ち並んでいる。以降各駅ごとに高校生たちが乗車してくるが、彼らは7時36分着の名寄高校駅で全員が下車していった。7時40分、名寄着。列車はここで13分間停車して後ろの車両を切り離す。外は雪が舞っているが吹雪というまではない。冬季の宗谷本線は吹雪で列車が止まってしまうことも珍しくなく、ちょうど良い時期に来れた感じがする。大分汽車に乗った感があるが、終点の稚内まではまだ4時間以上もある。

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 名寄で後ろの車両を切り離し。

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 単行で稚内を目指します。

 名寄から先は左手に見える天塩川が車窓の友となる。遠く日本海に注ぐ全長256kmの大河で、真冬のか弱い太陽に照らされきらきら輝いている。急に汽笛が鳴って列車が減速し始めた。前方を見ると線路際に鹿の大群が居て、汽笛に驚いたのか挙って林の中へと消えていく。宗谷本線に於ける列車と鹿との衝突事故は年間400件を超え、ほぼ毎日何処かで鹿と衝突している計算になる。鹿の他には熊と衝突することもあるらしい。別に急がない旅とはいえ、出来れば出くわしたくない鉄道事故だ。

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 天塩川に沿って。
 
 かつて美幸線が分かれた美深でまとまった乗車があった。4分間停車し名寄行きの普通列車と交換する。豊清水信号所で上り特急「サロベツ2号」と交換し、天塩川に沿いつつ針葉樹の森の中を往く。9時05分、音威子府着。ここで美深から乗車した用務客の一団は全員降りていき、車内の乗客は旭川から乗車している旅人を含め3名だけになってしまった。

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 音威子府着。ここでようやく行程の半分です。

 ここ音威子府から先は一日の普通列車が3往復という全国屈指の閑散区間。列車は天塩川の流れに沿いつつ蛇行を繰り返し、車窓の太陽が右へ左へと忙しなく動いていく。もう十分列車に乗った感があるがこの辺りでようやく半分。終点の稚内まではあと3時間もある。だが冬の北海道の、特に宗谷本線の車窓には全く飽きる感じがしない。これぞ北海道という最果て感がある。雄信内で宗谷ラッセルと交換した。
 
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 エゾシカの群れ。

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 秘境駅の糠南駅。

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 宗谷ラッセルと交換。

 10時33分、幌延着。列車はここで23分間停車する。ホームに北緯45度の町と書かれた看板が立ち、稚内ほどではないが最果て感が漂う。ここから稚内へ向かうと思しき用務客が何人か乗り込んだ。この列車を逃すと下りの普通列車は8時間後の18時40分まで無く、しかもそれが最終列車だ。もっとも宗谷本線には特急列車が3往復設定されていて、町民には町から特急料金の補助があるという。

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 幌延駅で小休止。

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 可愛らしい下沼駅舎。

 旭川から約6時間、259.4kmの宗谷本線の旅もいよいよラストスパート。旅の終わりは日本海の大海原と、洋上に浮かぶ礼文島と利尻富士だ。いつも稚内に来るたびに車窓からその雄大な姿を見せてくれるが、生憎と今日は雲がかかっていて利尻富士は裾野しか見えなかった。

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 開業100年を迎える抜海駅。

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 宗谷本線の旅のフィナーレ。利尻富士の裾野がかすかに見える。

 稚内の市街に入る。久々に見る街並みに、まるで大都会に来たかのような感じを覚える。町の中心部である南稚内を過ぎるといよいよ最北のターミナルが近づいてきた。12時07分、日本最北端の駅、稚内に到着。ホーム片面の小綺麗な駅舎に代わってしまっても終着駅の旅情は変わらない。6時間を共にした列車と別れて稚内駅のホームに降りる。単行の列車はすぐに南稚内方へ回送されていった。

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 終点の稚内に到着。

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 最北の駅舎。
 
 稚内13時01分発の特急「サロベツ4号」で宗谷本線を引き返す。15時02分、音威子府着。かつてはここからオホーツク海に伸びる天北線が分かれる、鉄道の町であった。そして、子供の頃から是非とも一度来たかった村だ。

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 音威子府着。

 音威子府。アイヌ語の「オ・トイネ・プ(河口の濁った川)」から来ている。村の人口は令和5年の末の時点で636人、かつては鉄道の町として約5000人の住民が暮らしていたという。駅舎は平成2年に落成した瀟洒な建物で、駅舎内には平成元年3月に廃止された天北線の資料館がある。天北線はその後宗谷バスの天北宗谷岬線に転換されたが、令和5年9月末で音威子府~浜頓別間が廃止され、現在は同区間をオンデマンド交通が担っている。かつては駅舎内に宗谷バスの営業所が入っていた。

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 天北線の資料館。

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 音威子府駅舎。

 駅前通りを少し歩くと、名寄国道こと国道40号線が村を横切っている。近くにはあずまやと、道の駅おといねっぷがある。名寄方向へ歩くと郵便局と、小中学校と、そして村役場。子供の頃、自室でバイブル(JR時刻表)を捲り乍ら、オトイネップという音色に憧れていつか来ようと思っていた村。今日ようやく来れてよかった。

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 村のメーンストリート。

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 また来ます。音威子府駅。

 駅舎に戻り、17時54分発の名寄行き普通列車に乗車する。日はとうにどっぷりと暮れてしまった。駅前のあずまやで買い求めたサッポロクラシックの缶を開け、宗谷本線の雪景色を肴にまずは一杯。闇夜の中を単行のキハ54が往く。終点の名寄で19時24分発の旭川行き普通列車に乗り継ぎ、20時51分旭川着。今宵も街外れの貧相なビジネスホテルに泊まる。
 
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 旭川着。帰りは新型車両のH100形だった。 

Peachきた北海道フリーパスで行く道北~1日目

 以前、バニラエアひがし北海道フリーパスを使って冬の道東を旅したことがある。北海道へは往復ともLCCを利用し、道内ではフリーきっぷで鉄道に乗りまくった。類似のきっぷは他の航空会社でも発売されていて、今回はPeachきた北海道フリーパスを使って冬の道北を訪れることにした。

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 冬の道北のイメージ

 4時に起床し、自宅最寄り駅のJR亀有駅を5時ちょうどに発車する常磐線の始発列車に乗った。金町で京成電鉄に乗り換え、京成高砂から5時34分発の成田空港行きアクセス特急に乗る。車内は大型のスーツケースを持った旅行客で混んでいた。本音は「北斗星」や「はまなす」で道内へ渡りたかったが、LCCでひとっ飛びでも旅の旅情は変わらない。これから訪れる冬の北海道を想像するとなんだかわくわくしてきた。夜がだんだん明けてきて、6時15分成田空港着。

 Peachは他のLCCと違って成田空港の第1ターミナルから発着する。1タミは初めてなので時間に余裕をもって来たが、結局時間を持て余す結果となった。持参したスマホに表示したQRコードを自動チェックイン機に読み込ませ、出てきたレシート状の用紙をもって保安検査場の列に並ぶ。鉄道と違って飛行機はこの様に乗るのが面倒臭い。将来的には新幹線が札幌まで伸びる予定だが、その時はこの様な乗客のシェアを何割か奪っていくのだろう。搭乗口の椅子にちょこんと座ってお呼びがかかるのを待つ。平日の早朝にも関わらず新千歳行きを待つ乗客は多い。雪まつりの期間とは言え、今回は早めに航空券を抑えていて良かった。1か月前の時点で新千歳までの運賃は諸経費込みで約9000円で、直前になると運賃は急激に跳ね上がる。こういうところが鉄道と違ってLCCが好きになれない理由かもしれない。

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 飛行機に乗ります。
 
 程無くして後列の窓側席の乗客から飛行機に搭乗するようお呼びがかかった。今回は最後尾の窓側席を抑えていて、タラップを渡って狭い機内に入る。飛行機は混んでいたが私の隣は空席だった。離陸前にCAのお姉さんから緊急時の脱出方法について説明がある。そう、飛行機は時々墜ちたり燃えたりする乗り物なのだ。狭い座席に腰掛けながら、別に新幹線で北海道へ渡っても良かったかなと思い始めてきた。暫時経って飛行機がゆっくりと動き出し、成田空港の滑走路をうろうろした後、突然猛スピードを上げて離陸した。飛行機はすぐ雲の上に上がってしまい景色は見えなくなってしまった。時々雲が開けて眼下に景色が見える。週の初めに太平洋側でも降った雪が残っていて、競馬場の施設が見えたことから飛行機は福島市の上空を飛んでいるのだろう。新千歳までのフライトは約1時間半。車窓は雲と時々雪に覆われた山脈が見える程度で、鉄道と違って面白くない。狭い機内でじっとしていると北海道の大地が見えてきた。思ったより雪はなく天気は晴れている。冬の北海道は悪天候で鉄道や飛行機が止まってしまうことも少なくない。天気予報によるとこの先の道内の天気は安定していて、丁度よい機会に北海道に来れた感じだ。

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 北の大地にやって来た。

 成田空港7時45分発のPeachMM561便は新千歳空港にはほぼ定刻の9時35分に到着した。早速新千歳空港駅の券売機でPeachきた北海道フリーパスを購入する。券面にPeachと書かれているが同社便を利用する必要はなく、他の航空会社に便に乗っても良いし、なんなら鉄道を利用して新千歳空港まで来ても購入できるおかしなきっぷだ。価格は3日間有効で16200円。今回は稚内まで往復する予定なので十分に元は取れる。新千歳空港駅のホームに上がると10時06分発のエアポート101号が停まっていたので、お隣の南千歳駅まで移動してほしみ行きの普通列車に乗り換えた。

 サッポロビール庭園駅には10時35分に到着した。駅近くにサッポロビールの北海道工場があり、工場見学とビールの試飲が出来る。平日とあって見学者は3名だけで、アシスタントのお姉さんに連れられてビールの製造過程を学ぶ。ツアーの最後にはお楽しみの試飲コーナーがあり、目の前を走る千歳線の電車を見ながら出来立てのサッポロクラシックを頂いた。

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 工場を見学します。

 御昼御飯は園内のレストラン「ヴァルハラ」でジンギスカンを頂き、サッポロビール庭園駅へ戻って札幌行きの電車に乗った。ここから先は私の旅には珍しく団体行動。実は先に道内のりしている友人たちが居て、この後ススキノで合流して一緒に雪まつりを見ることになっている。札幌駅から地下鉄に乗ってススキノへ行き、友人たちと合流し氷像を見た。さっぽろ雪まつりの会場は郊外のつどーむと、ここススキノと大通公園の3か所に分かれていて、大通公園の雪像は後日ゆっくり見て回ることにする。氷像を堪能した後地下街を歩いて札幌駅へ戻り、スープカレーのお店で晩御飯を食べ、駅で友人たちと別れて私は18時ちょうどの旭川行き特急カムイ33号に乗車した。

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 さっぽろ雪まつり、ススキノ会場。

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 氷像を見て回る。 

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 雪ミク電車が通り過ぎた。

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 札幌駅からカムイ33号に乗車。

 今回の旅は2泊3日の予定で、宿は旭川に取ってある。別に札幌の宿が高いという理由ではなく、行程上の都合である。特急カムイ33号は旭川に19時25分に到着した。旭川もホテルの相場が高いが、探せば安宿が幾つか存在する。凍てつくような寒さの下でコートの襟をぎゅっと掴み、駅から徒歩20分の街外れにある安宿に投宿した。2泊で9千円の貧相な宿だったが、私は宿に雨風凌げる以上のことを求めていないのでこれで十分だ。明日は始発列車に乗るので、早めにお風呂に入って寝ることにする。色々あった一日だった。

ゆっくりと、山陽~3日目

 目覚めるとフェリーそれいゆは室戸岬沖を航行していた。甲板に上がると手持ちのスマホが高知県の電波を拾い、僅かながらも通信が出来る。今日は令和5年12月3日の日曜日、空は雲一つない快晴だ。

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 フェリーそれいゆの朝。

 話を約12時間前に戻す。令和5年12月2日土曜日の夜、私は北九州市の小倉に居た。東京に帰る手段として真っ先に思いつくのは新幹線で岡山に出て、サンライズエクスプレスのノビノビ座席に乗る。または小倉駅前20時20分発のバスタ新宿行き高速バス「はかた号」に乗車する。しかし一昨年の令和3年7月に就航したばかりの東京九州フェリーが気になっていた。北九州市の新門司港と神奈川県の横須賀港を21時間で結び、料金は一番安いツーリストAで1万2千円と安い。

 新門司港行きの東京九州フェリー連絡バスは小倉駅の北口から出発する。既に乗り場にはこれからフェリーに乗船しようとする乗客が屯しており、バスは座席の半分が埋まる塩梅で22時10分に小倉駅前を出発した。以前同じく東京と九州を結ぶオーシャン東九フェリーに乗船した時は徒歩乗客は私一人だったのに、週末という事を考えてもなかなかの盛況だ。連絡バスは途中JR門司駅で乗客を拾い、約50分で新門司港に到着した。港にはこれから乗船するフェリーそれいゆが停泊している。

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 小倉駅から連絡バスに乗車します。

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 フェリーそれいゆ、令和3年就航の新造船です。

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 エントランスの様子。

 真新しいフェリーターミナルに到着すると間もなく乗船の案内があった。長距離フェリーと言えば座敷での雑魚寝が基本であったのは過去の話。今は一番安いツーリストAでもカプセルホテルのような空間で、個室内にはコンセントもあり基本的にプライバシーは保たれるようになっている。新門司港の出航は23時55分と遅く、お風呂は明日に回し、まずはフロントでお酒を買い込み一人酒盛りとした。程良く酔っぱらったところで自室の寝台に戻る。旅の疲れとお酒の酔いからか、寝台に入るな否やすぐに寝てしまった。

 翌朝、9時過ぎに目覚めてまずは朝食を摂りにレストランへ向かう。長距離フェリーによく見られるバイキング形式では無く、座席のタブレット端末で料理を注文し、食事後はセルフレジで料金を支払う仕組みになっていた。再びデッキに出るとフェリーそれいゆは紀伊半島沖を航行していた。ここで昨夜横須賀を発った姉妹船であるフェリーはまゆうと反航する。お互い汽笛を鳴らしながら通過していった。 

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 フェリーはまゆうと反航。

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 潮岬の灯台が見えた。

 新門司港から横須賀港までは約21時間。時間だけなら飛行機や新幹線に劣るが、普段は味わえないような贅沢な時間の過ごし方をしているような気がした。デッキで海風に吹かれたり、真っ昼間から大浴場に入ったり、お酒を呑んで寝台で昼寝したり。こうしているうちに夕方になり、フェリーからは太平洋の大海原に沈む夕日が眺められた。再びレストランを訪れ、本日の晩御飯を頂く。横須賀港の到着予定時刻は20時45分。エントランスの大型テレビではNHKBSが流れっ放しになっていて、日曜夜のお楽しみにしている大河ドラマも視聴することが出来た。

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 フェリーそれいゆの夕陽。

 こうして贅沢な約21時間を過ごし、フェリーそれいゆは定刻通りの20時45分、横須賀港に入港した。反対方向の新門司行きフェリーは横須賀港を23時45分に出航し、仕事が遅くなっても十分に余裕をもって乗船できる。今度は姉妹船の「はまゆう」にも乗ってみたい。こうして三泊四日の九州旅行が幕を閉じた。後は京急の横須賀中央駅まで歩いて、東京に帰るだけだ。
 

ゆっくりと、山陽~2日目

 広島6時25分発の岩国行き普通列車は227系4両編成。土曜日の早朝なのにほぼ満員の乗車率で到着した。皆んなこんなに朝早くから何処に行くのだろうか。

 広島地区の新しい顔、Redwing。

 6時52分着の宮島口で列車を降り、駅前の桟橋から宮島行きのフェリーに乗船した。宮島への航路は宮島松大汽船とJR西日本宮島フェリーの2社が運航しているが、運賃は同じで今回は先に出発するJR西日本宮島フェリーを選択した。

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 JR西日本宮島フェリーの「みせん丸」。

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 早朝の厳島神社。

 10分程で宮島着。早速歩いて厳島神社の大鳥居を目指す。厳島神社には何度も来ているが今朝はちょうど干潮で、初めて大鳥居の真下まで来ることが出来た。早朝にもかかわらず観光客の姿が多い。世界遺産にも指定された宮島は近年オーバーツーリズム気味で、今年の10月からは宮島を訪問する観光客から宮島訪問税として一人100円を徴収している。軽く島内を散策し、宮島桟橋から再びJR西日本宮島フェリーに乗って宮島口駅へ戻った。期待していた椛は既に終わっていた。

 宮島口9時13分発の山陽本線岩国行きに乗車する。9時43分岩国着。岩国もよく乗り継ぎで利用する駅だが、街をゆっくり歩くのは今回が初めてだ。駅前から路線バスに乗り、錦帯橋のバス停でバスを降りる。錦川に架かる錦帯橋を徒歩で渡り、対岸の吉香公園からロープウェイに乗り山頂の岩国城へ登ってみた。天守からは眼下に錦帯橋と、そして岩国の市街が一望できる。ちょうど錦川の鉄橋を岩徳線の単行のディーゼルカーが通過していった。

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 日本三大奇橋に数えられる錦帯橋。

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 岩国城天守。

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 錦帯橋と岩国の街並み。

 バスで岩国駅へ戻り、13時44分発の下関行き普通列車に乗車した。旅の終わりは普通列車。これより約3時間半かけて山口大陸を普通列車で横断する。車両も小綺麗な227系では無く黄色の115系だ。運行ダイヤ上も岩国までは広島市の近郊区間で本数も多いが、ここから先の山陽本線は1時間に1本の亜幹線となる。

 岩国を出ると岩徳線が右手に分かれ、間もなく左手には瀬戸内海が広がる。かつて九州ブルトレが健在だった頃、目が覚めるとこの辺りから昇る朝日が綺麗だったことを思い出した。大畠の手前で大島大橋の真下を潜り、対岸の松山とを結ぶフェリーが出航する柳井港を出ると列車は一旦山間へと入る。進行方向左手の窓から師走の傾いた夕陽が入ってきた。櫛ケ浜で岩徳線と再会し、午後の山陽本線を西へと往く。戸田の先から再び瀬戸内海が広がった。

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 下関行きの普通列車。
 
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 午後の瀬戸内海。

 15時43分、新山口着。下関行きの普通列車はここで27分間も停車する。4両編成の車内にもすっかり余裕が出来、ここまで来ると山陽本線も完全なローカル線だ。ここから先は海沿いを宇部線が通り、山陽本線は山間を進む。時刻は夕方の4時を過ぎたが西国の山口県ではまだ日は西空に残っている。一昨日にサンライズエクスプレスで東京を発ってから1095km、そろそろ西の果て下関が近づいてきた。

 下関の市街に入る。山陽本線の新下関駅の下を潜り、右手から山陰本線が合流し幡生を過ぎる。次は終点、下関だ。山陽本線はもう何度も通った道だが今回のように途中下車しながらの旅は初めてで、新しい景色にも出会えて新鮮な3日間だった。

 17時20分、下関着。東京から1095.9kmの旅が終わった。4両編成の車内から乗客が一斉に吐き出されてくる。山陽本線の普通列車は全てここ下関が終点だが路線としての山陽本線は九州の門司が終点で、この先も17時23分発の小倉行きの普通列車がある。手持ちのきっぷも東京都区内から北九州市内までのものだ。階段を潜り、地下通路を小走りで渡って隣のホームへ移動する。まだ旅は終わらない。

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  終点の下関駅に到着。そしてまた新たな旅が始まる。

ゆっくりと、山陽~1日目 

 東京始発21時50分の寝台特急サンライズ瀬戸・出雲号は約30分遅れで岡山駅に到着した。出雲方面へは7時05分発の「やくも1号」を先に出すらしい。初っ端から旅程崩壊で始まる旅と言いたいところだが、今回は別に急ぐ旅ではない。荷物を纏めて列車を降り、切り離し作業を見学して岡山の街へ出た。

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 サンライズエクスプレス、岡山到着。

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 大都会岡山にログインしました。

 市内で朝御飯を頂き、歩いて後楽園を目指した。サンライズ瀬戸・出雲号が遅れてくれたお陰で、後楽園には開門時刻の朝8時に到着出来た。水戸の偕楽園、金沢の兼六園と共に日本三大庭園と呼ばれ、江戸時代初期に岡山藩主・池田綱政によって造営された庭園である。所々に紅葉残る朝の庭園をそぞろ歩き、そのまま岡山城へ向かった。時刻は朝の9時、こちらも開門と同時に入場出来た。

 岡山城は丁度令和の大改修が終わった所で、城内の展示も一新され、岡山の祖を築いた宇喜多直家から続く歴史を学ぶことが出来た。直家の子である秀家は関ヶ原の戦いで西軍に付いたため改易となり、代わりに関ケ原で東軍に寝返った小早川秀秋が入るも僅か2年で秀秋は病没する。慶長8(1603)年になって姫路藩主池田輝政の次男忠継が入り、以後岡山は幕末まで池田氏の城下町として栄えた。

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 朝の後楽園。

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 岡山城。

 このような歴史を学んでいるとあっという間に時間が溶ける。結局岡山城には予定を遥かに超えて2時間近くも滞在していた。勿論この後も予定があるのだが今回の旅のテーマは「ゆっくり」。たまには予定に縛られず、自由気ままに旅がしたい。帰りは路面電車に乗って岡山駅に戻った。

 この後は11時10分発の三原行きに乗りたかったが、岡山駅でタッチの差で乗り継げなかった。次の山陽本線下り福山行きは12時08分発。この間に11時29分発の金光行きがある、私はこの列車に乗って、11時46分着の倉敷で下車して美観地区へ行った。倉敷駅は何度か乗り継ぎで利用したことはあったが美観地区まで歩いたのは初めてだ。倉敷駅から駅前通りを歩くこと約10分、角を曲がると突然なまこ壁の屋敷や蔵が目に飛び込んでくる。季節は12月の平日なのに観光客の姿が多い。

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 倉敷美観地区を散策。

 時間が許せば大原美術館なども見学したいが、この後に乗る列車が控えているので倉敷美観地区を後にした。倉敷13時12分発の糸崎行きに乗車して山陽本線を下る。笠岡ラーメンで知られる笠岡や駅裏に城郭がある福山など、途中下車欲をそそられる駅が多いが今回は全て素通りする。生きていればまた来ることがあるだろう。途中の備後赤坂駅に2両編成のキロ47が止まっていた。これが次に乗車する本日の旅のメーン、観光列車etSETOra(エトセトラ)である。14時17分、尾道着。ここで糸崎行きの普通列車を降りた。

 尾道駅の待合室には旅行会社のバッジを付けたシニア客達が屯していた。十中八九次のetSETOraに乗車する連中だろう。etSETOraは発車2分前に慌ただしく現れ、私は尾道駅の売店で買ったお酒とおつまみを持って2号車に乗り込んだ。

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 etSETOra、尾道駅に入線。

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 etSETOra2号車の車内。

 車内は全車グリーン車指定席で、1号車は当初から団体枠で抜かれていたらしく、私は2号車の海側の座席に着席した。瀬戸内の海に向かって豪華な椅子とテーブルが並んでいる。発車後すぐに左手に瀬戸内海が広がる。次の三原から列車は山陽本線と別れて呉線に入り、海岸線すれすれを往く。

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 しまなみ海道を眺めながら。

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 呉線から見た瀬戸内海。

 呉線は昭和10(1935)年11月に三原~海田市間が全通し、沿線には呉鎮守府をはじめ軍事要塞が多く、戦前は列車が呉線に入ると鎧窓を閉めるように命じられたり、沿線に目隠し用の板塀が設置されたりした経緯もあるそうだが、今は瀬戸内の風光明媚な海を見ながら観光列車が往く。忠海の手前で現在はうさぎ島で知られる大久野島が見えるが、この島は戦前には陸軍の毒ガス工場があったことから「地図から消された島」とも言われていた。人気アニメ『たまゆら』の聖地として知られる竹原を過ぎ、日本最短のトンネルである川尻トンネルを抜けると、かつて国鉄仁堀航路が四国と結んでいた仁方駅を過ぎる。次の広からは列車本数も多くなり、広島市の郊外に入る。

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 1号車のバーカウンター。

 16時36分、沿線最大の都市、呉に到着。ここで1号車のバーカウンターが営業を終了する旨の車内放送があった。西国とはいえ一年で最も日が落ちるのが早い時期。etSETOraの車窓にもトワイライトタイムがやって来た。海田市で山陽本線と再会し、広島の市街を通り、17時22分広島着。今夜は此処で旅装を解く。

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 etSETOra広島着。

週末パス早春賦~2日目

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 野沢温泉からおはようむ。 

 野沢温泉から友人に車で飯山駅まで送ってもらい、12時13分発のはくたか560号に乗った。帰りは全くのノープランだったが、こちらには無敵の週末パスがある。バイブル(JR時刻表)を紐解きながら経路を模索していると、長野電鉄に面白い特急列車があることに気づいた。

 12時26分、長野着。地下ホームの長野電鉄長野駅へ向かうと、4両編成のロマンスカーが既に入線していた。元小田急の10000系電車で、2006年に長野電鉄へやって来て長野~湯田中間の特急「ゆけむり」として運用されている。「ゆけむり」の特色は何といっても一番前の展望席で、この席は自由席なので早い者勝ちだ。新幹線に課金して早めに長野駅に着いたおかげで、特等席に難なく座ることが出来た。

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 長野電鉄1000系電車。元小田急のHiSEです。

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 先頭車両は展望席。難なく座れました。

 長野13時08分発の湯田中行き特急「ゆけむり」は「ゆけむり~のんびり号~」と呼ばれ、各駅停車並みの速度でのんびり終点の湯田中まで向かう列車であり、週末を中心に観光列車として一往復走っている。湯田中へ急ぐ乗客は一本前の12時44分発のスノーモンキー号に乗ったとみられ、「ゆけむり~のんびり号~」はガラガラで長野駅を発車した。

 長野を出ると暫く地下区間を走り、善光寺下駅の先で地上へ出る。長野市の市街を抜け、北陸新幹線の高架を潜る。やがて千曲川を渡る村山橋が見えてきた。全国的に珍しい鉄道の道路の併用橋で、「ゆけむり~のんびり号~」はこの橋の上で暫く停車する。今日は雲一つない快晴。車掌さんの肉声の観光案内を聞きながら窓の下に目をやると、昨日「おいこっと」の車窓から見た信濃川が青空の下でキラキラと輝いていた。

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 千曲川を渡ります。

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    須坂駅で反対列車と交換。

 かつて矢代線が別れた須坂を過ぎ、13時41分、信州の小京都こと小布施着。列車はこの駅で19分間停車する。駅構内が鉄道博物館になっていて、かつて特急として活躍した2000系列車が保存されている。小布施は江戸時代の絵師、葛飾北斎縁の地で、街外れの岩松院には彼が晩年に手掛けた傑作「八方睨み鳳凰図」が残されている。今日は特急列車で素通りするが、いずれ機会を作って観に行きたい。

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 小布施駅で小休止。

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 元東急8500系の普通列車と交換。
 
 14時15分、信州中野着。かつてここから木島線が別れていたが平成14年に廃線となっている。列車は右に急カーブし、終点の湯田中を目指して最大40‰の勾配を越えていく。林檎畑が車窓を掠める。14時32分湯田中着。

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 ゆけむり~のんびり号~。終点、湯田中へ到着。

 湯田中駅前の温泉浴場「楓の湯」で一風呂浴びて。帰りは15時34分発の「ゆけむり」で長野へ戻る。帰りの列車は外国人観光客で混雑した。

 16時19分、長野着。16時25分発の「あさま626号」で一駅上田へ出て、17時06分発のしなの鉄道小諸行きに乗った。車両は湘南色の115系で、ボックスシートが空いていたのでそこの座らせてもらった。上田で降りずそのまま新幹線で上野へ向かっても良かったが、私は普通列車が好きなので帰りもなるべく普通列車で帰りたい。小諸で17時30分発の軽井沢行きに乗る。こちらは台鉄カラーの115系だった。夕暮れ時の浅間山を見ながら列車は走る。

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 湘南色の115系。

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 浅間山を眺めながら。

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 しなの鉄道の終点、軽井沢着。

 軽井沢から先の鉄路は1997(平成9)年の北陸新幹線長野開業を機に分断されているので。この区間はJRバスで横川へ出る。18時05分発の横川行きバスは本日の最終バスとあって混んでいた。どっぷりと日が暮れた碓氷峠をバスで下り、18時39分横川着。

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 横川行き最終バス。

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 信越本線の高崎行き。

 18時50分発の信越本線上り列車で高崎へ出て、上りの上野東京ラインに乗車する。もちろんグリーン車なぞ以ての外なのでボックスシートで頑張るしかない。十日町で買った天神囃子を開けてチビチビと。日本酒の酔いと長旅の疲れでボックスシートで寝落ちしてしまい、目が覚めたら上野駅だった。荷物をまとめて急いで列車を降りる。
プロフィール

hirakike

ハンコ絵師兼CJD見習い(非処女)の平木博士の心の闇の部分です。同人サークル「けろぷろ!」でクソマンガボーイやってます。代表作『ミレニアムの幻想少女』『ハタテピピック』(2016)。ときどき心が折れます。クソビッチです。※ご用と悩み相談はDMで(秘密厳守

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